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  • from: ブルース99さん

    2005年11月29日 21時16分00秒

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    「Re:社会主義国家」
    マルクスは当時、高度に発達した資本主義国家としてイギリスを想定していましたが、実際に社会主義革命が起こったのはロシアや中国といった資本主義的には後進の国々でした。
    これらの国の社会主義が本物か偽物かは知りませんが、マルクスが当時想定していた資本主義的先進国で社会主義革命が起こらなかった時点でマルクスの言う「科学的歴史」というものが間違ってたとは思いませんか?
    まさか彼も自分の死後100年以上も経ってから、ようやく社会主義革命が起こる環境が整うなんて予測してたわけじゃないでしょう。
    これから実現するのだから間違いでは無いと言われてしまえば反論のしようがありませんが、少なくとも今のところ全くどこにも実現していないのだからマルクスの思想が正しいという根拠は全くありませんよね。

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  • from: 無才さん

    2005年11月29日 19時10分58秒

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    社会主義国家


    実在した社会主義国家のことについて、少し述べておきましょうか。といっても、社会主義国だと名乗った国家という意味ですが。

    高度に発達した資本主義から社会主義は生まれる、というのがマルクス主義の見解であるが、実際に現れた社会主義国家は、ソ連も中華人民共和国も、北朝鮮もモンゴルも、到底、高度に発達した資本主義などというものを持ってはいなかった。

    それだけで、これらの国家が社会主義国などではなく、別の何者かである、いわば「パチモン」であると断定するに十分であろう。

    これらの国は、社会主義でもなんでもない。ただの計画経済国家であり、それゆえにその実態は、その国の古来の風習を色濃く伝承している。北朝鮮のように、社会主義でありながら世襲性などというのがその典型であろう。

    これら計画経済国家は、ずいぶんと長期に渡って停滞しているが、以前は羽振りのよかったころもあった。必ずしも自由競争よりも劣っている制度だとはいえない。

    計画経済が左前になった理由は、皮肉なことに計画経済が成功したからである。計画経済というものは、なにを生産すべきかが明らか
    なときにのみ有効である。少しでも裕福になったり、政権が安定したりすると、たちまちその神通力を失う。

    人は、個人によって欲する物が違うからだ。飢餓状態でなら、食い物であればなんでも受け入れられるであろう。が、裕福な都市では、「うまい店」しか流行らない。誰が何を求めているのか、それらをいちいち把握することは国家という単位には不可能なのである。

    それどころか、市場調査の結果からも推測できないような新商品がヒットを飛ばす、という事象こそが資本主義のダイナミズムである。計画経済では決してそのようなことは起こらない。

    いわば、計画経済は多数決的経営であり、陳腐な商品しか作り得ない。資本主義は俗にいう「千三つ屋」であり、千に三つも当たればいい、という方式で、珍奇・新規な商品が市場で吟味される。ここに資本主義の強さがある。この強さは、マルクス流のいう「市場経済の無駄」と表裏一体の関係にある。飢餓状態ではマイナスだが、社会が豊かであればあるほど、プラスに働くのである。

    資本主義においても、大企業は計画的陳腐に陥りやすく、個人企業は珍妙な投資に積極的である。ゆえにこそ、ベンチャー企業が成り上がり、大企業が没落する事態が生まれる。

    IBMは、エニアック全盛の時代、小人扱いされていた。そのIBMは学生ビジネス出身のマイクロソフトにお株を奪われ、マイクロソフトは一学生の作ったリナックスに神経を尖らせる。小よく大を倒す。冒険のできる小会社は、慎重居士の大企業を浸食し得るのである。そこに資本主義の力の源泉がある。


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  • from: 無才さん

    2005年11月23日 19時52分19秒

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    ロボット論


    【ロボットと人間】

    ロボットがすべての労働を請け負うようになれば、人間は開発や研究の場でのみ働くことになる、というように思われた時代があったように思う。が、それは間違いではないだろうか。

    ロボットは研究や開発をも人間に代わって行なうようになると思えるのである。いや、研究・開発こそ、ロボットの得意とするところなのではないだろうかとさえ思う。

    研究・開発という行為は、一般に思われているほど創造的なものではない。いや、創造的と思われている発想は、実は単に人間が自分で構築した固定観念を打ち破る行為にすぎず、そういった固定観念をはじめから持たないロボットにとっては、創造性自体が必要ないというべきかもしれない。

    詰将棋に例えてみると、人間にとっては「難しい三手詰め」や「やさしい15手詰め」というのは存在するが、コンピューターにはそんなものはあるまい。三手は三手、15手は15手の計算量が必要になるだけのことである。

    人間が「難しい三手詰め」と思っている物は、実は人間の創り出した固定観念の裏を突く問題だからであるにすぎない。同じように、研究・開発においても、人間の盲点や「捕らわれ」に陥ることなく、ロボットは成果をあげるであろう。

    では、人間はなにをすればいいのか。人間にできて、ロボットには出来ないことはなんだろうか。それは、「要求を出すこと」である。「うまいものを喰いたい」という要求を、ロボットは決して出さないのであるから。

    ロボット万能の時代に、人間が求められる能力は、いかにセンスのいい要求を出せるか、どううまくロボットに指示できるか、ということであろう。欲望こそが人間に求められる能力なのである。

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  • from: 無才さん

    2005年11月23日 19時36分55秒

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    「何を持って生活の糧とするか、ですか。」

    【答え】 「人によって様々です」


    いまいち、というよりも貴方は、現実の社会主義(と名乗る)国家というものに捕らわれすぎていて、私の示した共産主義社会象がまるで見えておられぬように思います。

    無限大に近い生産能力と完璧に近い流通をもった事象しか、共産化することはできない。ということは、現代においては、情報財以外のものは共産化できないということです。将来的にもかなり難しいでしょう。

    つまり、社会全体がひっくり返って共産化する、などということは有り得ず、資本主義社会の中において、無限の生産力と完璧な流通に到達した先端産業から順次始まっていくものなのです。

    ドラえもんの道具のように、カレーライスがパソコンから登場しない限り、ネットの漫画家は、アマチュアで有り続けることでしょう。アマチュアですから、他に職業を持っていることでしょう。

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  • from: ブルース99さん

    2005年11月22日 22時11分45秒

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    「Re:混同しておられるようですね」
    「資本主義社会にいる漫画家」は、自分の作品の対価として金銭を得ますよね?
    「共産主義社会にいる漫画家」は何をもって生活の糧とするのですか?
    いまいちよく理解できないのですが・・・・

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  • from: 無才さん

    2005年11月22日 21時55分49秒

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    「混同しておられるようですね」
    【混同しておられるようですね】

    貴方は、「資本主義社会にいる漫画家」と「共産主義社会にいる漫画家」を混同しています。共産主義社会にいる漫画家は資本主義でいえばアマチュアです。でも、プロでも商業誌に載せられないマンガをネットで公開している例はありますよ。また、プロが必ずしもアマに勝るわけでもない。技術情報や制作資材の流通の改善がその差を縮めています。

    ついでにいうと、中間的漫画家、(いわば社会主義的?)漫画家もいる。つまり、スポンサーがいて漫画家を喰わせ、作品はネットで無料公開されているという例です。双葉社のHPでやっています。これは、民放TV番組などと同じ種類になるのでしょう。

    民放のTV番組というものは、スポンサーからの広告収入で成り立っていますが、そのスポンサーに多額の金を払っているのは、富裕層であって、貧乏人はそのおこぼれにあずかっている格好になる。いわば一種の「所得の再分配」です。


    今の技術では、情報以外のものは共産化できません。だから漫画家を食べさせることなんてできません。当たり前のことです。

    ドラえもんの機械でも出来て、カレーライスをパソコンに入れればネットに登録され、喰いたい人はネットを通じてパソコンから取り出せる、というような世界にでもなれば別ですが。

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  • from: 一久さん

    2005年11月22日 21時32分24秒

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    中庸という名の宗教


    互いに思いやることが大切なことは分るが、現実にはこれが難しい。ともすれば「こちらのことを思いやれ」という要求のぶつけ合いになってしまい、かえって要求するだけの下等な人間の言い分が通り、上等な人間の理屈が通らなくなる。「無理が通れば道理が引っ込む」というやつだ。

    相手のことを思いやり、こちらのことも分かってもらった上で、どちらの言い分を通すか、あるいは中間的な方策があるのか、まったく新しい解決策があるのかを模索し、どのようにすればいいのかを考えねばならない。

    ここにおいて中心となるべき考え方は、中庸である。中庸の定義は難しい。今日は中庸であったことが、明日はそうではなくなっているかもしれない。しかしそれでも最高の道を求めて考察し決定することであるといえるだろうか。

    テロリストにもそれなりの言い分があるのだろうが、無差別に市民を殺害する行為は、どうみても変だ。あきらかに中庸ではない。してみると、中庸という概念は、宗教やすべての思想に対して優先するものでなければならないのだ、ということになる。スーパー宗教
    とでもいうものになるだろう。

    「中庸はすべての宗教に優先する」日本人にとってはごく当たり前のことかもしれない。故にこそ日本では宗教が流行らない。流行らないけれども排除もされない。中庸に従って取捨選択されるだけのことである。

    しかし、これもある種の宗教、スーパー宗教だと言える。日本が世界に向けて打ち出す宗教だと言えるかもしれない。




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  • from: ブルース99さん

    2005年11月22日 21時16分22秒

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    「Re:共産主義について」
    インターネットで、マンガを描いて無償で頒布することで「必要に応じて取る」ことなんてできないでしょう。
    マンガ家が労働者としてのマンガ家として成り立っているのは、「マンガを描く」という労働の対価を金銭で得ているからです。
    「できる」こと「やろうとすること」だけで「能力に応じて働く」ことだと認められるのであれば、金にならないマンガを描く者を食べさせる金は一体どこから来るのですか?

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  • from: 無才さん

    2005年11月22日 21時11分35秒

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    「Re:Re:共産主義についてご存じですか?」


    今、ここにあるインターネットの世界がまさにそれです。

    必要に応じて取ることのできた社会主義国家というのは無いでしょう。そんなに恵まれた国は共産主義社会が実現した後でしかありえない。それゆえの社会主義であり、計画経済であり独裁だった。私に言わせれば、そもそも共産主義に対する誤解ですが。

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  • from: 一久さん

    2005年11月22日 21時04分37秒

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    儒者めいて候

    「一言にして終身これを行なうべきもの有りや」
    「それ如(思いやり)なるか」 論語

    ブッダのなぞかけ「人は雨に降られても天を恨まないが、他人に水をかけられると、相手を憎む。なぜか」「天は平等だからだ」という有名な言葉がある。けれども、平等ならば水をかけれても人は怒らないものだろうか。少なくとも現代社会ではそうではないようだ。

    もし、公平に何十人にも水をかけて回る男がいたら、雨に降られたように人はそれを受け入れるであろうか。そんなことはあるまい。ひとりだけ水をかけられるよりも大問題になるだろう。相手の男に悪意や犯意を明確に感じるからである。

    では、相手になんの悪意もないことが明らかであればどうだろうか。例えばスプリンクラーを過失で壊してしまって水が吹き出し、大勢の人が濡れた場合である。この場合、わざとかけられるよりは怒りが少ないかもしれないが、だからといって壊した人間が無罪放免される訳ではないだろう。やはり非難を受けることになるはずだ。

    公平で、悪意もない、なのに人がやったというだけで、雨に降られたようには納得できないのが人間というものである。なぜ納得できないのであろうか。

    それは、人間は人間に期待しているからである。なにを期待しているのかといえば、自分に対して「思いやり」をもってくれることを期待しているのである。スプリンクラーの近くにいる者は、過失でこれを破壊して水を吹き出したりしないように「気配り」することを期待されているのである。

    犬猫には感情がないという。人間だけが感情を持っているという。その感情の根源は、まさにこれであろう。つまり、「思いやり」である。

    思いやりを持つから人間である。思いやりを持ち、社会に貢献することが種としての繁栄を得ることになる、と理解できるだけの頭脳をもった唯一の生物だといえよう。

    いや、そんなのは一部の上等な人間だけであって、ほとんどの人間は自己主張はすれども思いやりなんて少ししかもたないだろう、というかもしれない。たぶんその通りだろう。しかし、そのような下等な人間はなにを要求しているのかといえば、要するに「俺のことを思いやってくれ」と言っているのである。

    上等な人間は他人を思いやり、下等な人間は他人に思いやってもらうことを要求する。正負の方向は逆でも、どちらも「思いやり」を重視していることに変わりはないのである。

    思いやってもらえた、と思えたとき愛情を感じ、思いやってもらっていないと思えたとき怒りをいだく。思いやりこそが感情の根源なのである。



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