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  • from: 一久さん

    2008年08月31日 21時04分05秒

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    大企業と中小企業


    【大企業と中小企業】

     新しい産業を起業・育成する為に中小企業を援助・刺激せよという。

     それなりの意義はあるのだろうが、しかし、そんなことで景気全体を揺さぶるよう
     な産業発展が起こるとはとても思えない。焼け石に水、という感しかしない。

     今の全体的な停滞感を打破して、飛躍的・革命的な産業構造の転換と発展を計るた
     めには、むしろ大企業を援助することによる社会改革こそが有効であると思う。

     大企業が大きな仕事をすることによってこそ、日本の産業社会も変化させうる。


    【信長と明治】

     小室直樹の著書だったと思うが、ソ連だったかロシアだったかの採るべき政策とし
     て信長や明治政府のやり方を挙げていた。

     いわく、自由経済を指向しながらも一部の大企業を優遇すること。この一見矛盾す
     る政策によって、大企業は膨大な独占利益を出しながらも自由競争の良さを理解す
     ることができる。中小企業もやがて、大企業の産み出した社会資本や労働者マイン
     ドを利用することによって自由競争に参入できる。

                       ...というようなものだったと思う。

     このやり方は、いまの日本においても有効なのではないだろうか。

     いま、日本経済は急激な改革を迫られているという。そのような明治維新にも匹敵
     するような改革が中小企業の援助などという「小さなことからコツコツと」したや
     りかたで可能なのであろうか。極めて疑わしい。

     例えば、CATVである。

     今のようなやりかたでは、急速な普及は見込めないだろう。フジサンケイやヨミウ
     リのような野心的な大企業に全国ネットを作らせればいいではないか。他にも参加
     したい大企業があればいれてやればいい。数年を経ずしてアメリカ並みに普及する
     だろう。

     中小企業は、できあがった全国ネットCATVを利用して商売することを考えれば
     いいのであり、そのための配慮を国はすればいいだけのことである。「ラスト・ニュ
     ース」の日野氏のように、チャンネルを借りて専門局を作ることのできるようにす
     ればいい。


    【共生関係】


     「大企業優遇!」といえば、普通はののしりの言葉である。「中小企業の虐待だ!」
     との声も聞こえてくるかもしれない。しかし、少なからぬ中小企業は大企業となん
     らかの取り引きがあるのであり、大企業の経営状態がよくなれば中小企業のそれも
     またよくなるのが普通であろう。

     さらには、直接大企業と取り引きのない中小企業も、全体的な景気の上昇によって
     恩赦をこうむることになるにちがいない。

     そのうえ、我々が今必要としているような経済全体の劇的な改革のための社会資本
     の充実や労働者気質の変化は、必ず新なビジネスチャンスを中小企業にもたらすは
     ずである。

     このようなビジネスチャンスを大企業が独占できるのであれば、大企業優遇は問題
     であるのだが、実際にはそのような独占は日本においては起こりがたいと思われる。

     日本における大企業と中小企業の関係は、むしろ共生関係にあるといえるのではな
     いだろうか。


     中小企業が持ち込む製造依頼を大企業が正当なしかたで受けていれば、中小企業が
     大企業を使う関係にもなり得る。任天堂と製造メーカーの関係などはその典型であ
     ろうか。

     もし、大企業が正当なやりかたで受けない場合には独占の問題があるといえる。

     例えば、ファミコンの製造依頼を断った後で自社でファミコンのソックリさんを作
     って売り出す、という場合である。当然、他の大企業にも任天堂からの依頼に応じ
     ないように圧力をかける。

     このようなやりかたがまかり通るならば、確かに大企業優遇は問題がある。逆に、
     こういうことが出来ないのであれば問題がないことになる。


     越後屋は悪代官に命令しない。だが、西部劇の町の有力者は保安官に命令する。
                        (厳密には命令ではないのだろうが)


     【まとめ】

      大企業を優遇し、改革の先鋒とすることによってこそ、今我々が必要としている
      ような大改革や基盤整備が可能になる。

      個人や中小企業の、発意を促すのはそれから(大企業による社会資本の充実が達
      成されてから)のこと。

      NTTという独占企業が全国に電話網を築いていたからこそ、様々な電話回線を
      利用したビジネスが考えられ現実化してきたのである。

      大企業優遇こそが、中小企業支援になる。

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  • from: 一久さん

    2008年08月31日 21時03分11秒

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    共産主義について

    【理想としての共産主義】

     「能力に応じて働き、必要に応じて取る」

     私の記憶が確かなら、これが完全な共産主義の世界だったと思う。

     だが、注意してほしい。「能力に応じて」というのは、決して我々が一般的に使う
     ”資本主義的意味”におけるそれとは違うのである。

     我々が「能力に応じて」というとき、それは何かによって能力があると判定された
     ということを意味する。その職業につく能力があると認められたもの以外は、そこ
     で働くことはできない、という意味に解釈せねばならない。

     しかし、共産主義の世界においてはそうではない。

     ここでいう「能力に応じて」とは、それをする能力があるならば、あるいは、ある
     と信じていれば、誰もが希望する職業につくことができるということである。

     そんなバカな! と思うだろうか? しかし、現実にそういう社会は実在する。し
     かも、我々にとっては極身近なところに。

     それは、いわゆる「フリーソフト」である。

     フリーソフトの作者は誰かの主催する試験を受けた訳ではない。ただソフトを作る
     ことができるが故に作ったにすぎない。「能力に応じて働く」の典型的な例であろ
     う。

     そしてまた、フリーソフトは誰もが「必要に応じて取る」ことができる。まさに共
     産主義の先駆的事例であるといえるだろう。

     逆にいえば、フリーソフトの成立する条件を考えることによって、他の文物が共産
     化されるにはどのような条件がクリアされねばならないかも見えて来る。


    【フリーソフトの条件】

     1. 減らない。無限大、半永久的に複製できる。つまり、無限大に増産できる。

     2. 流通が完璧。ほしいひとにほしいだけ確実・迅速に届けることができる。

     3. エネルギーを使わない(実際は使うのだが、ここでは無視する)

     こんな条件を並べるよりも、物体がフリーソフトに変換されて流通できると考えた
     ほうがわかりやすいだろう。

     例えば、私がタコ焼きを作ってOLSに登録する。そうすると、全会員はこれをダ
     ウンロードすることによって、タコ焼きが食えるのである。

     同様に、あらゆる人間が、手近にあるものや自分の自慢の作品をOLSとして登録
     する。すべての文物をほしいだけ手にいれることができるようになる。

     こうなってはじめて、共産主義は成立する。

     このことは要するに、ドラエモンの時代にならなければ、共産主義は不可能だとい
     うことを意味していよう。急進的な運動員のいうように、”明日くる”ようなしろ
     ものではないはずだ。

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  • from: 一久さん

    2008年08月30日 20時08分13秒

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    阪神大震災のこと

    政府は何をやっとるか!


     【政府は何をやっとるか!】

      この種の叫びをどう受け取るか...


    【1】

      エサをねだる雛鳥じゃあるまいし、という声もあろう。しかし、震災に対応する
      者(それが行政であれ緊急に組織された互助組織であれ)が真に欲する情報とは、
      この種の苦情・要請であって、”感謝の言葉”などではないはずである。

      普段のコミュニケーション手段が破壊された現状においては、救援をしようとす
      る者達にとって、苦情であれなんであれ、被災者の声(情報)こそが行動の突端
      とならざるを得ないからである。

      つまり、TVをみる人と実際に救援の指揮をする人間とでは、被災者に期待する
      「映像」が違うということになる。TV視聴者は、”善意に感謝する人々”を期
      待し、”文句をいう人々”を腹だたしく思う。反対に、救援の指揮所が欲しいの
      は、より詳細な苦情・要望を述べる人々でこそあろう。

      であるならば、今現在あるべき「映像」とは、まさにその”腹立たしき人々”で
      こそあるはず。善意に感謝する人々の映像を求めるのならば、それはずっと先の
      ことになるべきであろう。


    【2】

      「政府は何をやっとるか!」という言葉は、文字通りの意味にも受け取るべきで
      ある。

      極限すれば、”報道されなかったことは無かったことに等しい”のだ。

      政府は今、これこれをやっております、今、事態はこうなっております。もうちょ
      っとの辛抱であります、がんばってください。と、「政府が何をやっているか」
      を被災者にしらせることによって安心させることは必要不可欠な行為であろうか
      らである。

      これが不十分であれば、先への不安感から必然的に人心は荒廃し、より大きな焦
      燥と喧騒がまき散らかされることになる。そして彼らは声をより大にして叫ぶ..

      「政府は何をやっとるか!」    と。

      首相がパフォーマンスをすることもまた、その意味で有益であろう。これを馬鹿
      々しいときって捨てる法は、政治にはない。人心掌握は政治家の基本的仕事であ
      ろうからだ。


    【3】

      「政府は何をやっとるか」という声こそは、民主主義の第一歩であろう。あてに
      ならない政府であればこそ、民衆による監視の必要性が理解されるのである。

      この怒りなしに国家的規模の互助は成立しないだろう。阪神大震災のときの
    村山さんには気の毒ながら、批難が噴出することはいたしかたのないことである。

    ただ、この批難の数々は、村山さん個人に対してのみ為されているのではない。
    日本に民主主義を根付かせる為の陣痛であるのだということを忘れないでほしい。

      この怒りと怒号の中からこそ、民主主義国・日本は生まれるのだ。貴殿はその歴
      史的な位置に存在する宰相なのだ、という自覚を持って対処してもらいたかった。

    -----------------------------------------------------------------------

    【甘えと自助】

     昔読んだ本で、読売新聞海外駐在員の著作のなかに、こんなふうな文があった。

     内戦だかなんかの取材で、各国の取材陣に当事国から昼食が配給されたときのこと。

     「その記者の出身国が先進国であるか後進国であるかは、このようなときにわかる。
      先進国の記者は行儀よく列を作るが、後進国の記者は我先に分捕りにいく」と。

     では、なぜ先進国の記者は先を争わないのか?

     我思うに、配給がもらえずに餓死する危険などない、と、訳も無く思い込んでいる
     からではなかろうか? 最悪、万一今回の食事が当たらずとも、そんなことぐらい
     で餓死したりしない。何日か後にはパリに戻ってたらふく食えるだろう、と無意識
     的に考えているのであろう。

     だから、彼ら先進国の記者も、現場への飛行機の座席がひとつ足りないことを知る
     や、こんどは猛然と自分の席を得るべく駆け出して行く。この読売の記者もまた、
     そのようにした。

     >゚))))彡

     「行政がなにもしてくれない」というのは甘えであろう。しかし、それあればこそ
     略奪も騒乱も起こりにくいのであるにちがいない。最悪、2〜3日食えなくても、
     必ず他の”日本”からの救援があると思えばこそ、秩序は維持されるのである。

     逆に、自助努力が強調され過ぎる社会においては、暴動・略奪の起こる可能性は高
     くなるのではないだろうか。緊急物資を蓄積できない階層にとって、物資を所有す
     る個人や商店を襲うことは天与の正義となろうはずだからだ。

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  • from: 一久さん

    2008年08月30日 20時06分28秒

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    物真似には精神力が必要

    マネるには精神力も必要】

     マネをする為には、「我もひとなり、彼もひとなり」「ならぬは人のなさぬなりけ
     り」とでもいう、我々にも出来るのだという自信も必要である。

     今の我々からすれば、欧米人にできて日本人に出来ないことなんか有る訳がないと
     いう考えは当たり前のこととして受け止められるけれども、昔はそうでは無かった
     し、地域・国家によっては今なお自信を持てない人々も存在する。日本人には独創
     性がない、独創的なことは出来ない、というひとなどもこの種の劣等感に取り付か
     れた人々ではあるまいか。

      ヽ(^。^)ノ いまや天然記念物というべきかもしれないが。

     ちなみに、京大を作るにあたって日本人に独創性はあるのかないのかということを
     真剣に吟味した結果、ある、という結論に達して創設したのだそうな。ノーベル賞
     授賞者が京大出身者に偏っているのもこのことからいえば当然であると思える。東
     大は西洋を輸入するところ、京大は独自の研究をするところ、として設立されたの
     だから。

     自分達にもできるんだ、という信念なしにはマネする気力も生まれてこないものだ。

     ヨーロッパ人自身、エンリケ航海王子以前にはアラビア人のように海を渡ることは
     不可能だと思っていたそうだし、現代でも韓国財閥のトップがタンカーを作る、と
     いいだしたときの韓国国民の反応は、そんなこと出来る訳がない、だったそうだ。

     モノマネ上手ということは、上のような健全な精神を持っているという証拠であり、
     それはむしろ誇るべきことである。それ以前に、相手の長所を認めることのできる
     度量を持っているということでもある。

    【マネしの大先輩】

     ヨーロッパこそは、猿真似の大先輩である。そのほとんどすべての学術の基礎は、
     イスラム・アラブ圏から輸入したものである。

     しかも、自分達こそがギリシャ・ローマの正当な後継者でござい、と喧伝し、自分
     自身もその気でいるのだから徹底している。そのうえ、真にギリシャ・ローマの継
     承者であったイスラム・アラブをその敵対者であったかのごとく中傷するに至って
     は、あまりの徹底ぶりにあきれかえってしまう。

     我々は無意識のうちに遣隋使以来の日本と中国の関係をヨーロッパとギリシャ・ロー
     マ間の文化交流に置き換えてしまうけれども、ヨーロッパが本格的にギリシャ・ロー
     マの文化遺産を手にするのは16世紀のことだそうな。しかもそれらはすべてイス
     ラムによって守られ伝えられたものである。

     文化を輸入してからたかだか五百年しか経たないヨーロッパが正当な継承者を気取
     ることが許されるのであるから、百年と少しの日本もまた、ギリシャ・ローマの継
     承者でござい、と名乗ってもかまわないはずである。

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  • from: 一久さん

    2008年08月29日 07時13分58秒

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    本当は怖い国政選挙 3


    【 政党内民主主義 】


    ゆえに、我々が選挙において投票基準とすべきものは、各政党が本当に民主
    主義の政党であるのかどうか、どちらの政党がより優れて民主主義的である
    のか、ということでなければならない。

    個々の些末な政策などではなく、もしも問題が起きた場合に、内外の意見を
    広く聞き入れ、真摯な検討を行い、素早い決断ができるかどうか、そして
    もし失政をした場合に、固執することなく改めることができるかどうか、と
    いうことをこそ、選択の基準にせねばならない。

    これは民主主義の政党だけではなく、古今東西、すべての政治において求め
    られている能力であり、民主主義はその判定を、国民にゆだねる制度のこと
    である。

    この能力において優れているのであれば、独裁政党でも構わないし、国民がそ
    れを選択する可能性もある。

    だが、上に述べたような、「政治の用件」を、維持できる政治家や政治勢力
    は多くはない。すべての権力は腐敗するからだ。

    仲間内の、それも首領のイエスマンの声しか聞かなくなり、気に食わぬ情報
    や意見は一顧もせず、検討という名の逡巡をもてあそび、常に後手に回った
    決断しかできない。失政を隠そうとするならまだしも、どうみてもおかしい
    政策を、なお強引に主張する。すべての政党はそうなる運命にある。

    政党内民主主義とは、政党中枢がそうならないように、常に外の風に当てる
    ことを自らに課すということである。

    党の議員は党中央を批判し、政党員は党の議員を批判し、党員は国民の批判
    を歓迎する。このことは、究極的には、党員による投票で個々の政策を決定
    するということを意味するであろう。

    そこまでせずとも、もっと単純にかんがえればよい。

    つまり、貴方が政治について何かを言いたいとき、どの政党が、よりよく貴方
    の意見に耳を傾けてくれるか、真摯に検討してくれるか、政策に反映すること
    ができるか、を考えればよいだけのことだ。

    もっとも、貴方個人がそんな大それたことをする必要はない。たとえば、評論
    家や学者の誰それが、なにか良さそうな意見を言ったとき、各政党がどのよう
    な対応をするかを見ていればよい。

    あるいは、政党内において、どれだけ活発な意見交換と討論ができているかを
    みておればよい。それによって、どの政党に民主主義があり、どの政党にそれ
    がないかが分かるであろう。

    ぶっちゃけて言えば、今の日本で、党所属議員が意見を言い合えるのは自民党
    だけであり、その他の政党は、民主党を含めて、すべて非民主主義の政党だと
    いうことになりそうだが。。。

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  • from: 一久さん

    2008年08月29日 07時13分25秒

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    本当は怖い国政選挙 2

    選挙の結果、民主主義が否定されることがある、とはどういうことか ?

    選挙で選ばれた以上は、それは民主主義ではないのか ?


    【 政党と民主主義 】


    民主主義は、民主主義を否定する勢力が選挙に参加することをも承認する。
    そうでなければ、民主主義ではないからである。

    それは、自由主義者が、自由主義を否定する者の発言権を容認するのと同じ
    ようなものだ。

    ただ、民主主義も自由主義も、それを否定する意見には寛容であっても、
    反対者達の行動についてまでも許容する訳ではない。

    逆に言えば、行動において法的・倫理的に問題がないのであれば、という
    条件のもとでのみ、反民主・反自由の者達にも発言や活動を許すということ
    である。

    それはつまり、お行儀のいい、反民主・反自由の者達が、勝利する可能性
    がある、ということである。

    現代日本において、民主主義を正面から否定する政党は、ほとんど存在しない。
    だが、これをもって、すべての政党は民主的だということはできない。

    共産党や、かつての社会党も、「真の民主主義者」は自分たちだと言っていた。
    ナチスドイツでさえも、そう言っていた。

    だが、これらの政党を、民主主義の政党だと信じる人間は多くはあるまい。

    ならば、これらの政党が政権を取った場合、それはすでに民主主義の崩壊を
    意味するのではないのか。実際、ナチスはまさにそうしたのである。

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  • from: 一久さん

    2008年08月29日 07時12分49秒

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    本当は怖い国政選挙

    【 衆議院選挙の年 ? 】


    政権交代もあり得るという、衆議院選挙が行われるかもしれない今年であるが、
    それゆえに、ここで、選挙と民主主義について一言しておこうと思う。

    民主主義にとって選挙とは、「民主主義を否定する国民」が多数を占めている
    のであるならば、民主主義を終わらせてもよい、という、一種の ”踏み絵”の
    ことである。

    民主主義が国民主権に立脚する以上、もしも大多数の国民が民主主義を否定す
    るのであるならば、それに従わねばならないし、そのような審判の機会を、民主
    主義を否定する勢力に与えなければ、民主的とは言えないからである。

    民主主義は、国民によって民主主義が支持されているのだという禊ぎを受ける
    ことを必要としている。それが選挙というものである。

    そのような試練を乗り越えないければ、本当に民主主義が国民に望まれている
    のかどうか、分からないからである。

    言い換えれば、選挙によって民主主義が否定される可能性は常に存在するのであ
    り、それどころか、そうでなければ選挙の意味はない、とさえ言えるのである。

    ゆえにこそ、古今東西、選挙の結果、とても民主的とは思われない政権が誕生
    することが少なくない。

    選挙をすれば民主主義なのではない。選挙は民主主義が受けることを運命付け
    られた、試練にほかならないのである。


    【 まとめ 】

    民主主義とは、国民が望む政治を行うという制度である。であるならば、まず
    第一に、国民が民主主義を望んでいるのかどうかを国民に聞かねばならない。
    それが、国政選挙というものである。

    ゆえに、国民が民主主義を否定する結果となる場合もあり得るのだ。

    それは、民主主義の欠陥ではなく、宿命なのである。

    本当に民主主義で良いのか、と聞く作業を無くせば、民主主義自体の正当性も
    消滅してしまうがゆえに。

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  • from: 一久さん

    2008年08月28日 20時34分32秒

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    アジアのリーダー


    【アジアのリーダー】

     右のひとも、左のひとも、アジアとの関係強化だのアジアの信頼を得たいだのとおっ
     しゃる。両者ともにアジアにおいて日本が重きを為すことを望んでおられる点では
     全く一致しているように思われる。ただ、右寄りのひとは政治・経済に重心が掛かっ
     ているのに対して、左寄りのひとは文化・精神論に体重が掛かっている程度の違い
     にすぎないようにみえる。

     「リーダ」として釈明させろ、という者と、謝罪しなければ「リーダー」になれな
     いという者との違いにすぎず、どちらもアジアのリーダーになりたがっている点で
     は同じであるように見受けられる。

     しかし、私の考えるアジアと日本のあるべき姿は、このようなモノではない。

     むしろ、アジア各国がそれぞれ独自の高度文明社会を築き、日本からの影響力が失
     われる状態こそが望ましいのだというのが私の考えである。ちょうど、敗戦後の日
     本よりも、高度成長後の日本のほうがアメリカの影響をストレートに受けなくなっ
     たようにである。

     我々が望むべきことは、アジア各国の一人あたりのGNPがアメリカ並みに高まる
     ことによって産み出される膨大な市場と、国際社会に対する影響力の創造でこそあ
     るべきである。それが実現したアカツキには、日本もまたアジアのなかのドングリ
     のひとつに過ぎない状態になる。

     これまでは、非白人・非西洋の高度産業文明国家は日本だけであった。アジア諸国
     がこれに加わることは、国際政治環境の似通った国が増えるということであり、そ
     れは日本にとって望ましいことであろう。


    【大アジア主義と小アジア主義】


     ここで我々は中国をアジアのなかに加えるべきか、中国は別枠としてそれ以外の国
     だけをアジアとするのか、という選択を迫られるようになると思う。

     中国はあまりにも大きすぎる。もし、ひとりあたりのGNPが同じであるならば、
     中国はアジアのなかのドングリになることはできないであろう。

     したがって、私の構想では中国を加えない「小アジア主義」を採らざるを得ず、中
     国を加えた「大アジア主義」を採ることはできない。

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  • from: 一久さん

    2008年08月28日 20時33分57秒

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    戦後インフレについて


    【普通でないインフレ】


     戦後の混乱期を過ぎて以降の日本におけるインフレは、普通のインフレとは別のも
     のというべきではないだろうか。

     普通のインフレにおいては、対外通貨価値はインフレにスライドして(時にはより
     オーバーに)下落するものである。昨今のロシアでは五十円でパンが一山買える計
     算になるとか、新聞で読んだような記憶がある。

     一寸前のイタリアや現在の中南米で起こっているインフレは、このような普通のイ
     ンフレであろう(といってしまったが、イタリアや中南米が今現在どうなっている
     のか全く知らなかったりして)。ようするに、リラならリラ自体の価値がなくなる
     のである。

     ところが、ドルショック以降の日本におけるインフレは、そういうものとは違って、
     むしろ、円の価値は長期的にみて上がり続けている。角栄インフレなどがあったの
     に対外通貨価値は上がり続けているのである。

     解り易くいえば、今まで1万円の給料から1㍑360円の石油を買っていた日本人
     が、10万円の給料から1㍑100円の石油を買えるようになったのである。

     これでは、円という通貨の価値がなくなったとはいえまい。いったい、これはイン
     フレというものなのかどうかも疑わしいことになる。

     普通のインフレは、その国の通貨がその価値を失う。つまり、モノと外国通貨の両
     方に対する信用が下落するのである。であればこそ沈痛なものとなる。

     日本型のインフレにおいては、旅行客が海外へおしよせることになる。

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  • from: 一久さん

    2008年08月27日 20時20分49秒

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    合理的ということ

    合理的ということ  


     合理的という言葉には、少なくとも2つの意味があるように思える。そしてその両
     者を区別せずに使っているが故に混乱するのであろうと感じる。


     ------------------------------------

    合理的

     1.理に合った考え・行動

       だが、「理」といっても万人にそれぞれの「理」があるわけで、たとえば迷信
       のようなものでも矛盾なき理論構築がなされていれば、この意味においては合
       理的であることになる。それどころか第三者が客観的にみて明らかに矛盾した
       論理であったとしても、本人がその論理の正当性を信じていさへすれば、彼の
       合理性は失われるものではないのである。

       なんとなれば我々は誰も、絶対的に正しいといえる論理を持つことはできない
       のだから。

       それゆえにこの場合には「理」というよりも、「考えること」「考えることか
       ら生まれた意志のもとに行動すること」といったほうがよいかもしれない。あ
       るいは、理性といってもいいのかもしれない。

       「人間は考える葦」という言葉と同じような意味合いであろうか。このような
       意味においては、人間は元々合理的であろう。「考えること=合理的」である
       ならば、人間は元々合理的である。いや、考えることを放棄して合理的である
       ことを止めれば、もはや人間ではないことになってしまう。

       んで、たとえば酔っ払って「思考能力」を失うことは、「合理的であること」
       を自ら放棄することになる→人間を止めることである→神への冒涜である、と
       いうような理論から、禁酒法ができたとかなんかで読んだ記憶がある。

       「人間と動物は違う」とする社会においては、この意味で”合理的である”こ
       とは極めて重要であるが、「人間も動物だ」とする社会においては、ほとんど
       なんの意味もない。ゆえに日本社会は酔っ払うことに寛容である。ヽ(^。^)ノ


     2.科学的な確からしさがあること


       合理的という言葉は、一面で「正しい」とか「ムダのない」とか「より優れた」
       とかの語感も持っている。

       いわば、科学的・実証的な優秀性を持っていること、それを基準に判断する能
       力を意味するといえるだろう。

     ------------------------------------

     1が産み出した文化の腐葉は、しばしば2による近代化を疎外する。

     逆に、1が弱くて討論文化を育て得なかった民族であっても、2を行うべき強力な
     動機がある国家は急速に近代化できることになる。いや、1が弱いほうが2が伸び
     ることさへある、といえるのではなかろうか。

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