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SIG 市民の討論広場>掲示板

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  • from: 一久さん

    2008年06月30日 20時06分43秒

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    需要限界という考え方


    農は国の大事なり

     
     農業は国の大事である。特に米は大事である

     しかし、多くの農業国は貧しく、工業国は豊かである。米中心の農家の
    経営もまた厳しいものがあろう。

     なぜこんなことになるのか?

     大事な農業なのに、農家が貧しいとはどういうことなのか。

     それは、「需要余地」の問題であると私は思っている。

     「需要余地」などという言葉が経済学にあるのかどうか知らないけれど。

     米は日本人にとって必要なものではあるが、しかし、一人の人間が米を
    食える量は限られている。米の生産高が上がれば、たちまちその限界量を
    超えてしまう。

    そうすると、必然的に米の価格は下落せざるを得ないのである。

    米は必要性の高い物資である。だがそうであるからこそ、需要余地は小さ
    いのだ、といえる。もし、必要性の高い物資の需要余地が大きいという事
    態があるとすれば、そのときその国は飢え死に寸前の国民で満たされてい
    るということである。

     いいかえれば、飽食の国においては、需要余地は必要性のない物資にお
    いてこそ大きいといえるのだろう。

    だから、もし米作で儲けようと思うのであれば、必要性はないが需要余地
    の大きな米、例えば美食家向けのブランド米とか特殊用途の米とかを作る
    必要がある。

    なんの世界でもそうだが、他人と同じ事をしていて巨福を得ようとしても
    それは無理な話なのである。

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  • from: 一久さん

    2008年06月30日 20時05分20秒

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    鹿の首ロボット

    ロボット首

    アイボの本に、アイボは一種のモニターだ、とかいう文句が載っていた。
    私もかねてからそう思っていた。

    だが、それならば、必ずしも、アイボのように動き回る必要はないはず
    である。

    幼児番組の「顔のある木」や、壁掛けの鹿の首に、しゃべらせたり、仕
    草をさせたりすれば、モニター的な機能を持たせることができる。

    「鹿の首型」ロボット、とでもいうべきジャンルの誕生である。

    ________________________________

    「鹿の首」のある生活

    7:00 人感センサーで人の気配を察した鹿が挨拶をする。その日の
         気分によって、「グッモーニン」「おはよう」とかいう。

         それに対する人間の声紋から、相手が誰であるかを判断して
         言葉使いを代えながら、天気の話、暦の話をする。

         「今日は、湿度何%、気温何度、午後から雨になりそうだ」

         「明日はバレンタインデーだねぇ、チョコレートもらえそう?」

         とか言う。

         ラジオやTVの電波を通じて送られてくる情報をピックアップ
         してしゃべり出す。

         家人が、もっと他のを、とか、占いは?とかの注文をすると、
         それに答えてくれる。

    主に音声でコミュニケーションをとることになるが、目・耳・鼻・口・首
    などを使った顔の表現も重要である。

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  • from: 一久さん

    2008年06月29日 21時09分05秒

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    デジタル・メガネの提案


    デジタル・メガネ

    久しぶりに、アイトレックというメガネ型モニターを使ってみた。

    それなりに迫力のある映像が楽しめるのだが、不満もある。メガネの
    ように、ほぼ全視界を網羅するようなモニターが早く開発されないも
    のだろうか。そうすれば、臨場感も圧倒的に高まるだろう。

    もうひとつの不満は、目の悪い人間は、メガネの上から装着しなけれ
    ばならないという点だ。

    いっそのこと、モニターに自動焦点機能を付けて、個々人の視力に合
    わせた映像を映すようにできないものだろうか。

    さらに、映像を見るだけではなく、普通のメガネとしても使用できる
    ように、センサーカメラも取り付ける。「デジタル・メガネ」の誕生
    である。

    _______________________________

    利点

    1,購入時に視力測定をする手間が省ける。メーカーは視力に合わせ
      てレンズを用意する必要がなくなる。

    2,視力の変化によるレンズの更新も不要となる。自動焦点機能によ
      って、随時、視力測定と焦点補正がなされているのだから。

    3,完璧な遠近両用メガネになる。みたい対象に合わせて、焦点が自
      動修正されるからである。

    4,双眼鏡や顕微鏡の役割も果たすことができる。拡大や広角機能を
      持っているから、1km先も、ミクロの世界も、メガネひとつで
      みることができる。

    5,チューナーと組み合わせて、TVを見ることができる。

    6,録画機能と組み合わせて、デジタル・カメラとしても使用できる。

    7,通信機能と組み合わせて、放送用にも使える。

    21世紀は、デジタル・メガネの時代になる。...かも

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  • from: 一久さん

    2008年06月29日 21時08分22秒

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    失われた十年

    失われた十年

    巷間、「失われた十年」という言葉がよく使われる。

    だが、私はこの言葉、あまり正しいものだとは思われない。

    十年前のバブルの絶頂期、いかに人心が荒んでいたか、今も昔
    も変わりがない。

    バブルが崩壊しなければ、さらに悪くなっていた可能性さえも
    否定できない。商品の管理にも同様のことがいえる。

    たとえば、自動販売機の缶ジュース。バブルのころ、自動販売
    機からヘコミのあるジュースが出てくることはしょっちゅうあ
    った。最近は少しはマシである。品質管理が持ち直したのであ
    ろうか。

    パソコンと通信技術についていえば、この十年は「失われた」
    どころか、大躍進の十年であった。この十年で、初めて、日本
    のパソコン環境は世界に追いつくことが出来たのである。

    十年前の日本のパソコン界はいかなるものであったか?

    NEC98が市場を独占し、その独占が腐乱化し始めた次期で
    あった。

    つまり、登場初期には世界に誇れる性能を持っていた98も、
    いつしか時代遅れとなった。にも関わらず市場占有率の高さを
    武器に、マーケットを独占していた。

    そのため、ユーザーは高くて遅くて貧弱なパソコンを買わされ
    続けていたのである。

    アメリカでは486・ハードディスク搭載が当たり前になった
    時代に、フロッピー主体・386の機体に三十万からの値段を
    つけていたのである。

    アメリカ人がインターネットでフライト・シュミレーターを動
    かしている時代に、我々はパソコン通信で文字だけの会話をし
    ていたのである。

    この十年で、これらの日米格差は消滅した。

    日本でも、アメリカとほぼ同時期に、同程度の性能を持ったパ
    ソコンを同程度の価格で購入できるようになったのである。

    おかげで、いまやパソコンがあれば、インターネットは出来て
    当たり前の時代になった。

    「失われた」どころか、「大躍進時代」というべき十年であった
    のだ。

    ____________________________

    98の最も優れていた点は、日本語ROMを搭載することに
    よって、日本語処理を実用化したことであろう。

    これによって、欧米の言語以外でもパソコンを動かすことが
    出来るようになった。非アルファベットでもパソコンはでき
    るのだ、ということを証明したのである。

    その意味では、すべての非アルファベット系パソコンは、9
    8の恩恵を受けているといえよう。

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  • from: 一久さん

    2008年06月28日 06時17分45秒

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    アンパンマン考

    【アンパンマン】


    寝不足の通勤電車の中で、ふと思ったこと。

    アンパンマンのように、寝不足の顔を、「新しい顔」に交換できたら、
    どんなにいいことか。

    花粉症の人、頭痛持ちの人、疲れ目の人、耳鳴りがする人等々、顔が
    交換できたら、と思う人は少なくあるまい。

    調子が悪くなってきたら、新しい顔に交換することで、「元気百倍、
    アンパンマン」のように、一瞬でリフレッシュすることができるのだ
    から。

    しかし、だ。

    人間の顔の中には、脳味噌が入っている。つまり、交換することは不
    可能に近いということになる。

    逆に言えば、アンパンマンの頭の中には、脳味噌は詰まっていないに
    違いない、ということだ。

    アンパンマンの頭は、「脳ナシ」だったのだ。

    アンパンマンの脳味噌は、おそらくは胴体に存在するはずだ。そうで
    なければ、首を毎回すげ替えることは出来ない。記憶を継承できない
    はずだから。

    では、アンパンマンの頭には、何が詰まっているのか?

    「顔が濡れて力がでない」と彼はよく言う。

    ここにヒントがある。

    あのアンパンマンの顔は、力の源をため込んでいる場所、人間でいえ
    ば、肝臓にあたるものだと考えられる。

    そう、アンパンマンの顔は、肝臓だったのだ。

    だからこそ、アンパンマンの顔を食べさせてもらった人々は、「美味
    しい」というのである。いわば、生レバーの刺身に相当するものだか
    ら。

    また、顔がアンパンマンの弱点である理由も納得がいく。

    アンパンマンにとって、顔にダメージを受けるということは、ボクシ
    ングでいえば「レバーブロー」の直撃を受けたに相当するものだから
    だ。

    「かにミソ」がカニの脳味噌ではなくて肝臓であるように、アンパン
    マンの顔にも、脳味噌ではなく肝臓の機能を持った餡が入っているの
    である。

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  • from: 一久さん

    2008年06月28日 06時17分04秒

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    フェニミズム考

    フェミニズム

    「TVタックル」に登場していた、田島先生とかいう女性教授がいるが、
    彼女が自分のフェミニズム運動の原点は母にある、と言っているのを聞
    いて思い至った。

    田島女史の母は、例の矢口高雄の母と同様、「家」にこき使われる日々
    を送ったようだ。

    女史のフェミニズム運動は、これを基点にしている。

    だが、ちょっとまった。

    なるほど、田舎の農家などでは、矢口高雄モデルが普通かもしれないが、
    戦後の日本の都会におけるサラリーマン世帯は、それとはかなり違って
    いる。

    多くの家庭において、主婦が財布を握り、夫はサラリーを妻に渡して小
    遣いを受け取るという構図が一般的である。

    これは、田島・矢口モデルとは、まるで違った家庭である。

    欧米人は、この日本のサラリーマン・モデルを知ると、一様にいうそう
    だ。「それでは、日本のサラリーマン家庭のボスは、妻のほうだ」と。

    田島女史に限らず、フェミニストの多くは、このサラリーマン・モデル
    から外れた生活様式の中で育ったのではないだろうか。

    田島モデルで育った人が、欧米の家庭を見れば、日本は無茶苦茶おくれ
    た社会に見えるだろう。

    しかし、実際は、欧米モデルにおいても財布を握っているのは夫である。
    田島モデルと同じなのだ。違うのは、田島モデルでは、妻は家畜扱いさ
    れているが、欧米モデルではペット扱いされている、という点だけである。

    日本のサラリーマン・モデルにおいては、妻が主人で、夫が家畜である。
    ただし、収入の多くを稼ぐ家畜であるから、顔を立ててやる必要があるが。
    いわば、鷹匠の鷹や、鵜飼いの鵜、である。

    系統が同じであるから、田島モデルで育った人は、欧米モデルになじみ
    易い。が、サラリーマン・モデルを理解することは容易ではない。

    サラリーマン家庭の女性のほうも、田島先生の勇ましさに拍手はするけ
    れども、どっか違う、という違和感をぬぐい去ることができない。

    ここに、一般サラリーマン家庭に育った女性と、フェミニストとの間に
    溝ができる理由があるのであろう。

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  • from: 一久さん

    2008年06月27日 21時24分42秒

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    パソコン通信とインターネット掲示板



    PC-VANにおけるSIGというものは、VANという閉鎖空間にある
    のだが、同時に、VANのなかで独占的地位を持つものでもある。

    政治を語るボードは、SIMINだけ、もしくは、他に数個あるだけだっ
    た。独占に近い寡占状態にあった訳です。

    ゆえに、政治に関心のある会員は、一度はそこを訪れることになる。

    これに対して、インターネット上の掲示板というものは、自由に設定でき
    るというメリットがある反面、どのHPも公的性格を持つことができない
    という欠点を負う。

    いわば、無政府状態にある。

    だから、公的性格を持たせた組織を作らぬ限り、ネットから政治を動かす
    ことはまず出来ない、というのが私の持論です。

    「代表なくして課税なし」というが、逆に「納税なくして市民なし」とで
    もいいましょうか、社会契約によるネット上の国家(に相当する物)が必
    要である、という考えが浸透しないかぎり、ネチズンの未来は暗いように
    思えます。

    次善の策としては、公的な色合いを持ったボードや、個人の主催するHP
    で最大のものに参加して、公的性格を既成事実化する、という手もある。

    例えば、yahooの掲示板や、NJDに参加することである。

    大勢の者が集えば、主催者の意思に関わりなく、公的責任が生じてくるで
    あろう。

    しかしながら、どんなに大きなHPであっても、所詮は設定者個人の意思
    によって左右されるものだということを肝に銘じておかねばならない。

    実際、我々はPC-VANというものの公的性格を信じていたのに、NE
    Cという法人の恣意によってSIMINという場を剥奪されたではないか。

    とはいうものの、大きなところに集まっておく、というのは、現実的な手
    段のひとつではあろう。

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  • from: 一久さん

    2008年06月27日 21時22分53秒

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    大学の数

    大学の数

     旧制の学制を懐かしむ人々の中には、「大学の数をへらすべきだ」とかいう
    人が少なからずいる。

     しかし、私には、大学の数を減らすことは、かえって旧制の有り様から遠ざ
    かることになるであろうと思われる。

     というのは、戦前は確かに大学が少なかったが、それ以上に大学に入りたが
    る人間の数が少なかったのである。

     激烈な競争がある学部もあるにはあったが、それはごく一部のことで、東大
    でさえも、学部を問わなければ誰でも入れた。

     文学部のある教授は、「戦前の東大文学部なんて寝てても入れた」との意見
    にたいして、「私なんかそのクチですよ」と即座に肯定したという。

                  (小室直樹 「偏差値が日本を滅ぼす」より)

     ということになると、旧制の社会に近づけようとすれば、大学の数を減らす
    ことは、間違いであるということになる。

     駅弁大学のほうが、むしろ旧制の実体に近いのである。

     違っているのは、旧制においては一応学問の中身や学歴の価値が等しかった
    が、新制においては、大学間にカースト的な差別主義が登場したことである。

     それならば、成すべきことは明らかであろう。

     つまり、各大学間の学問レベルを共通の試験によって計ればいいのである。
    さらには、大学の枠から飛び出して、一般にその試験を公開すればよい。

     これほどAV技術が進歩した現代である。大学院レベルの講義を、DVD
    で作ることはさほど難しいことではない。

     これによって、誰でもが高度な学問にいつでも触れることができるように
    なる。そして、勉学の成果を試験によって世間に認めさせることもできる。

    「学問は自由に、学位は厳格に」 だ。

    __________________________________

    私見: 東大文学部の死

        前述のように、戦前の東大文学部には誰でも入れた。

        一高出の秀才でなくても入れたのである。ゆえに、戦前の作家や
        歌人には、東大出が多い。

        しかし、新制大学になって、そうではなくなってしまった。

        昔の一高に相当する「東大教養学部」に合格する秀才だけが、東
        大に入れることになった。

        となれば、秀才以外の文学的天才は、東大には入れない。

        戦前の多くの文学者は、現代に生まれたら、決して東大文学部に
        進学することはできないであろう。

        かくして、東大文学部は死んだ。

        旧制から新制に移行することで、いちばん損をしたのは東大文学
        部であろう。
     
        もはや、創造者の家ではなくなり、評論家の学校になったのだ。

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  • from: 一久さん

    2008年06月26日 19時40分53秒

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    公務員は60歳以上に


    高齢者・就職問題

    TVで中高齢者の就職問題のことをやっているのを見ていて、名案を
    思いついた。

     我ながら、GOODなアイディアである。

     それは、全国家公務員事務職の採用試験の年齢制限を、60才以上に
    することである。

     初級公務員も、上級公務員も、60才以上でなければ受験できないよ
    うにするのである。

     これによって、何十万人という高齢者を雇用することができるように
    なるであろう。

     そしてまた、この政策は、公務員給与のコストダウンも実現するはず
    である。なぜならば、60才をすぎてからの就職であるから、当然のこ
    とながら、勤続年数が短い。

     せいぜい、10〜15年しか働けまい。さすれば、退職金その他の負
    担も少なくてすむ。

     人材の活用という点でも、この方策は優れている。

     上級職には退役した大学教授や会社役員が殺到するであろうからだ。
    高級官僚の天下りとは違って、有能な人材が自分の力を揮える場所を
    求めて応募してくるのである。

     いままでは、こういう人材を在野に追いやっていた。なんとも、もっ
    たいない話ではないか。

     役所の窓口も事務所も、60才以上の人ばかり。これこそ、高齢化問
    題の解決方法であったのだ。

     さっそく、来年の採用試験から、受験制限を60才以上に改めよう。

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  • from: 一久さん

    2008年06月26日 19時39分54秒

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    足を踏んだものは

    足を踏んだ者は


     足を踏まれた者は踏まれたことを忘れないが、足を踏んだ者は
    踏んだことをすぐ忘れる。

     韓国問題を論じるとき、必ず出てくる言葉のひとつである。

     しかし、ここに、もうひとつ付け加えねばなるまい。

     足を踏まれた者は踏まれたことを訴えるが、自分が他人の足を
    踏んでいることには気づかない、と。

     ___________________________

     韓国人はよく、日本人はアジアで嫌われているという。

     が、それは韓国人が嫌っているから、他のアジアも嫌っている
    だろうという憶測である。

     実際、ベトネムでは、韓国人と間違われて取り囲まれたが、日
    本人と判って笑顔で解放されたという体験をした商社員が少なく
    ないのだそうだ。

     これは、ベトナム戦争で、韓国がベトナムに派兵し、手柄をた
    てたことの結果である。

     ベトナムから見れば、韓国虎部隊の活躍は、自国民が韓国人に
    殺戮されることを意味していたのであるからだ。

     司馬遼太郎もまた、ベトナムに行ったとき、夜の街でジープに
    乗ったベトナムの若者達に「ダイハーン!(韓国人)」と罵られ
    たことを報告している。

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