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  • from: 一久さん

    2009年01月31日 07時14分02秒

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    全員雇用

    水環境の再生を

     20兆円も国債を発行するのであれば、もっと直接的
     な使い方も考えるべきだ。

     三百万円で三百万人を雇用しても9兆円しか、かから
     ない。これで失業者のほとんどは雇用できるはずだ。
     
     年齢を問題にせず、全失業者を雇用してしまえば、失
     業問題も年金問題も、労働問題さえもなくなる。

     失業者は何物をも生産しないが、いかなる非効率的
     な公務員といえども、なにがしかの生産をするのであ
     るから、ミクロ的には赤字でも、マクロ的には生産が
     増大したことになる。

     さて、雇用したこの労働力で、なにをすべきか。

     一番よいのは、国営アパートを建設し、国民の居住費
     を劇的に下げることである。

     百平米のアパートが月額三万円で借りることができれ
     ば、年収三百万円でも十分な暮らしができる。

     可処分所得が増えるし、住環境の改善は、消費を促す
     効果もある。買った物の置き場所が増えるからだ。

     しかし、いきなり国営アパートを作れ、といっても無理
     があるようにも思える。

     その前に、別のことをやってみよう。

     それは、全国の河川、水系の下水処理を完璧に仕上
     げることである。

     とくに、東京湾・大阪湾の水質を江戸時代の水準にまで
     回復することである。

     これらの湾に流れ込む、すべての水を浄化するシステム
     を作る。

     生活排水、工業排水は、すべて遊泳可能なレベルにまで
     浄化してから放流する。

     雨水の浄化の為には、河川敷に葦原などを作るのもいい。

     道頓堀や江戸川で泳げるようになる。そういう社会を次世
     代に残してやる。

     これこそ、後世に送る遺産である。

     牛しか通らない道路なんぞを作るよりも、このほうが何倍
     も意義がある。

     一口に、東京湾・大阪湾の浄化を、と言っても、それを実現
     するには、関東全域、関西全域の河川の浄化が必要になる。

     関西の場合は、琵琶湖全体の浄化さえもが、これに含まれる
     ことになる。

     たいへんなことだが、それだけに意義の大きいことだ。

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  • from: 一久さん

    2009年01月31日 07時13分25秒

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    年金問題

    【年金問題】

     年金問題の解決策を思いついた。

     ズバリ、全員雇用すればいい、ということだ。

     70歳でも百歳でも、働きたいという人が職安にくれば、
     国家公務員として雇用するのだ。

     もちろん、60歳以下でも同様だ。

     これで失業者はいなくなるし、そもそも、年金というもの
     自体が存在意義を失う。

     誰でも死ぬまで働くことができるようになる。

     何歳になっても働けるのであれば、年金なんかいらない。

     今までに治めた年金は、みんな返還してしまえばよい。

     生活保護を悪用している人々への対策にもなる。障害が
     あろうがなんであろうが、働いてもらうことになるからだ。

     病院のベッドで寝たきりの人だけが、生活保護の対象と
     なる。

     それ以外の人には、それなりの仕事を見つけてくる義務
     を国家が背負うということでもある。

     _______________________

     このような制度の導入に伴って、職業観も変わらねばな
     らない。

     死ぬまで働くのであるから、働いているうちに遊ぶことが
     必要になる。

     フランス人のように、バカンスの為に働くべきだということ
     になる。

     それに合わせて、就業時間の短縮、長期休暇の強制、
     さらに、十年働けば二年の休業を義務付けるのも面白い。

     週休2日で 54*2=108日
     祝祭日 で   15日
     バカンスが   42日  
     有休が      20日

     合計、185日。  就業日数は、365-185= 180日。

     180日 * 8時間 = 1440時間 

     これが60歳以下のスタンダードモデルとなる。

     60歳以上の人や虚弱な人は、体力に合わせてここから
     さらに就業時間を減らすことになる。

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  • from: 一久さん

    2009年01月30日 20時16分11秒

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    高校義務化


    義務教育の年限変更

    1、 幼稚園から義務教育とする

    2、 高校を義務教育とする

    これによって義務教育期間は、三才から18才までの15年間となる。


    実社会の多くに企業が高卒以上の学歴を要求しているのであるから、
    義務教育もこれに合わせたものであるべきものであることは明白。

    家庭に幼児基礎教育の能力が失われていく現状を考えれば、これを
    公教育で補うこともまた当然のこと。

    現実の要請に沿った政策を実行するのが政治というものである。

    理想論をもって、各個人に対してかくあるべしと説法するのは宗教家
    か、隠者学者のすることである。

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  • from: 一久さん

    2009年01月30日 20時14分26秒

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    新・徴兵制度

    徴兵制の代わり

     政府は徴兵制の復活を狙っているぞ、と煽動する者もいれば、
    最近の若者の性根を叩き直すために徴兵制を、という酔っぱら
    いもいる。

     冗談ではない。

     徴兵制などを採用すれば、自衛隊の士気が低下してしまうでは
    ないか。 志願制であればこそ、高いモラールを保てるのだ。

    ましてや、この近代兵器の時代に、徴兵制による大兵力なんぞが
    なんの役にたつというのだろうか。

     ということで、政府の陰謀説は馬鹿げている。

     若者の性根を叩き直すのも、自衛隊にとっては迷惑な話だ。

     そんなに若者の為を思うのであれば、徴兵制の代わりに、「徴学
    制」を強いたらよかろう。

     「徴学制」とは、所定の年限、学校生活を強制することである。
    つまり、高校・大学の義務教育化である。

     大学はともかく、高校の義務化は、今となっては不可避であると
    思われる。

     高校中退者の社会的フォローがほとんど出来ていないからだ。

     また、高校教師のプロ意識の低さも改善できるだろう。

     とくに公立の高校教師は、自分が金をもらって人に教えていると
    いう認識を十分に持っていない場合が多い。

    公立だろうが、義務教育でなかろうが、教える側のプロとして、生
    徒に成果を挙げさせる義務が教師にはあるのだ、という自覚に欠
    けている。

     これは、義務教育でもなく、完全な自由契約に基づく私学でもない
    という、中途半端な形態のもたらす、最大の悪弊である。

     高校教育を義務化すれば、少なくともこのような馬鹿げた事態は
    なくすことができる。

     とはいうものの、できるだけ今ある施設を使って高校義務化を実現
    しなければならない。経費節約のために。

     だから、現行の中学・高校の関係はそのままにして、高校受験の
    ありさまだけ、少し変えることになる。

     中学三年の終わりに、全国一斉テストを行い、成績優秀者から順に
    好きな高校へ進学できる。

    最低の成績の者でも、どこかの公立高校へ進学できる。ただし、補講
    が義務づけられることになるが。

     

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  • from: 一久さん

    2009年01月29日 20時34分40秒

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    私学経営

    私学の経営戦略

     私学の受験者も入学者も減って、困ったので、進学指導を
    強化して受験者集めにも精を出すようになったのだそうな。

    TVの番組でやっていたのだが、はて、あいかわらず高校教師
    の頭の中身は変わっておらぬようだ。

     彼らは、あいも変わらず、進学コースを作って難関大学受験
    者を教え、習熟度別クラスを作ってレベルに合わせた指導をす
    る、ということを売りにしている。

     私に言わせれば、このようなやりかたは馬鹿げているとしか
    いいようがない。

     生徒本人や親にとって重要なことは、その高校から何人東大
    に入るかではない。難関大学に何人合格したかなど、どうでも
    よいことなのだ。

     大事なことは、本人がそこそこの大学に進学できるように、挫
    折せずに順調に伸ばしてくれる指導ができるかどうか、なのだ。

    習熟度別クラスもあってもよい。しかし、それはあくまでも補修の
    ためのものでなければならない。躓いた箇所を丁寧にフォローす
    るためのものでなければならない。

    しかしながら、往々にして習熟度別クラスは、生徒達に目標とす
    る大学のレベルを下げさせる為に存在するものになってしまって
    いる。

     なかには「わが校はこの中級レベルの大学合格者が少ない。こ
    こを強化することを来年度の戦略にしたい」などという進路指導者
    もいる。

    こういうことをいう人の頭の中には、「学校の評判」はあっても、生
    徒個人個人の人生や希望などというものは一かけらも入っていな
    いのである。

     TVに出てきた老舗女子校の戦略も、これと同じ性質のものでし
    かないようだった。自分達が、いかに馬鹿なことを言っているのか
    まったく理解していないのである。

     「お客様」である生徒や親が望んでいることは、あくまでも生徒
    個人に対する教育の質なのである。

     もしも勉強がうまくいかず、落ちこぼれかけても、それを適切に
    フォローして、落ちこぼれさせない為のシステムと教員を持ってい
    るかどうかなのである。

     そういうシステムを作ることは、実はしごく簡単なことである。

    高校の授業は、完全なルーティンワークだからだ。評判の高い問
    題集の一問一問に対して、10ページぐらいの解説を付けるつもり
    で模範解答集を作るだけで、大抵の生徒は救済されることになる。

    こんな解答集は、本屋では売っていない。大部過ぎて出版も不可
    能だ。しかし、職員室に置くことはできる。しかし、そのような資料を
    抱えた高校や教師をみたことはない。怠惰の極みというしかない。

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  • from: 一久さん

    2009年01月29日 20時34分04秒

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    大病院のありかた

    大病院は何をすべきか

     厚生労働省の指導とやらで、初診は掛かりつけの診療所
    などでやり、大病院へは紹介状を書いてもらっていくようにす
    ることが奨励されているのだそうな。病院のポスターにそうあ
    った。

     大病院は入院対応と高度医療に専念すべし、という意図だ
    そうな。

     しかし、私に言わせれば、ずいぶん無理のある政策である。

     医療の検査技術は進歩しているが、それは大病院での話で
    あって、診療所や中小医院のそれは、いつも時代に遅れる。

    掛かりつけ医が、炯眼の師であって、小さな異変でも紹介状を
    書いてくれるのであれば問題はないが、そうでない医者のほう
    が多いだろう。

    実際、近所の医者で診てもらって何ともないと言われたが、気
    になって大病院に言ったら、重症だと言われた、というような話
    は、どこの病院の待合室でも聞くことができよう。

     このように、検査技術が進歩する一方、その配置は偏在して
    いるのであるから、技術革新をしやすい大病院に初診を集中し
    て、傷病の早期発見に努めるほうが筋なのである。

     かかりつけ医は、大病院で処置をした後の、術語経過を担当
    すればよい。複雑骨折ならば、整形後の消毒や経過観察ならば
    大病院に通う必要などないのだから。

     今、大病院の外来受け付けは混雑している。それゆえに、こん
    な馬鹿げた方策を考えついたのであろうが、本質を見ていないの
    で逆効果を生んでいるうえに、誰も得をしていない。

     最新の検査でハッキリしてもらいたい、これが患者の本音である。
    これに応えるには、大病院への外来初診の集中しかない。

    結果として、大病院はさらに混雑するが、それでいいのだ。混雑を
    解消する為には、医者を集中配備せざるを得ず、結果的に医者の
    重点配備が可能になる。

     小児科医に顕著な、患者過多の現象は、決して医者の総数が少
    ないからではなく、医院の数が多過ぎるから、つまり、一病院の医
    者数が少ないからである。

    病院の数を減らして、少数の病院に集中すれば解決する問題なの
    である。

     外来初診を大病院へ導くという方策は、このための礎になる。

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  • from: 一久さん

    2009年01月28日 07時19分58秒

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    民主主義が凶暴化するとき

    凶暴なる民主主義

     民主主義国家が誕生しても、たいていの場合、すぐに独裁国家に
    変貌してしまう。 

     第三世界の多くの国がそうなったし、イラクでの試みもまた、そのよ
    うになるであろう。

     ヨーロッパの国々でさえ、スムーズに民主化が達成された例は少ない。
    フランス革命後の混乱も、ドイツ社会民主党政権の迷走も、同列の問題
    であるといってよい。

     かろうじて、アメリカとイギリスだけが、その被害を最小限に留めること
    に成功した。


     なぜ、こんなことになるのであろうか?

     民衆に権力を持たせること、それ自体が危険なのだろうか。民主主義
    は凶暴な政体なのであろうか。

     この問いに答える為に、ここでひとつの新しい視点を述べておかねば
    ならない。

     それは、民主主義における国民は、全員が同じ質・量の権力を持つの
    ではない、ということである。

     十把ひとからげに国民主権というけれども、実際に権力に関与して、そ
    れなりの利益にありつける者は一部の国民に限られる。

     国民というものは一種類ではない。権力にありついた「一部の国民」と、
    彼らに支配されるだけの「普通の国民」の二種類の国民が存在するので
    ある。このことを理解せぬから、上記のように民主主義は凶暴だと誤解
    してしまうのである。

     しかし、この「一部の国民」は、容易に暴民と化す。

     銃を持った「一部の国民」は簡単に対立部族を殺戮しえる。国民主権の
    名において、である。

     そこまでしなくても、権力に食い込んだ「一部の国民」は、主権者の名に
    おいて、私欲を満たし、さらには、権力に関与できない多数の国民を虐げ
    るのである。

     彼ら「一部の国民」は、自分の利権を守る為に団結し、盟主を選び、ボス
    ごとに合い争うか、友好関係を結んで国家という屍肉を切り分けるのである。

     かくして、民主国家は独裁・寡頭政治国家へと変貌するのである。その
    課程において、幾多の「普通の国民」が犠牲となるのはいうまでもない。

     凶暴なる民主主義の正体は、この「一部の国民」にほかならない。

     この「一部の国民」は、有為の仕事をしない。銃で糧秣を奪ったり、権力に
    よって不当利益を得ようとする。

     彼らに虐げられる「普通の国民」には、抵抗する術がない。彼らは権力を
    持っていないし、持とうとする意志さえもない。そういうことを考える余裕さえ
    ないのが普通なのである。

     その境遇に嫌気がさして権力を求めた者は、やがて「一部の国民」の側に
    なって元同胞を虐待するようになる。結局は何も変わらないのである。


     額に汗して働く者が偉いのだ、という感覚から遠い国家・社会ほど、この
    傾向が強い。

     逆に、イギリスやアメリカは、実業家が力を持つ社会であったがゆえに、こ
    の宿業が軽かったのだと考えられる。

     イギリス貴族は、早くから没落し始め、遊んで暮らすことが不可能になった。
    彼らは商人として生きる道を見いだしたのである。

     フランスは、そこまで行かなかった。フランス貴族の商人化は、革命の結果
    起こったのであって、革命の原因ではないのである。

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  • from: 一久さん

    2009年01月28日 07時19分04秒

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    イラクにお菓子を

     イラク支援について。

     「戰後」といえば「ギブミー・チョコレート!」。なにかもの足りないと
    思ったら、イラクからの映像にはそれがないようだ。

     もっとも、暑い砂漠の国でチョコレートというわけにはいかないだろ
    うけれども。

     イラクにはイラクのお菓子があるはず。イスラム教徒は基本的に大
    の甘党だともいう。飲酒が禁じられている建前上、代わりに砂糖を取
    る。

     日本風の甘味などという上品なものではなくて、「甘さに酔う」とでも
    いうぐらいに甘いものを食べるのだそうな。(もちろん、その余裕があれ
    ばだが)

     ということで、日本の支援として、甘味食品の配布をしてはどうか。

     イラクにイスラム菓子の製造工場を建て、菓子を配布して廻る。もち
    ろん、工員も、配布するのも、現地人を雇用する。

     将来的には有料化するとともに、現地人に工場ごと経営をゆずり、イ
    ラクの産業とすることを目指す。

     配布慈善事業 > 官営事業 > 民間事業 へと段階的に移行させる。

     扱う菓子も、伝統的なイスラム菓子から、西洋菓子・和菓子などにも手
    を広げ、さらには折中型の新製品も開発しよう。

     チョコレート菓子や、生クリームを使ったものなどは難しいだろうが、逆に
    ソフトクリームなどはいいかもしれない。

     アフガニスタンのニュース映像では、アイスクリームは金持ちの大人だ
    けが買える高級品だとか言っていた。

     昔の日本のように、「アイス九輪」売りの少年を多数雇って、安く販売す
    れば、事業化への目途は意外に早くつくかもしれない。

     そういえば、「母を訪ねて三千里」のマルコもまた、飛行船見物の客を
    目当てにアイスクリームの屋台を出して儲け、母探しの資金を得たので
    あった。

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  • from: 一久さん

    2009年01月27日 20時43分48秒

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    大検・センター試験の廃止を


     【大学受験資格の改定】

    朝鮮学校の関係者が、日本の大学受験資格を卒業生に与えるよう
    に陳情した、とかいう新聞記事を読んだ。

    これに対する私の意見は、高校を卒業しただけで、大学受験資格を与
    えられること自体がおかしい、というものだ。

    高校卒業と、大学受験は、本来なんの関係もない。すべての高校卒業
    者から大学受験資格を剥奪し、受験希望者全員に大学受験資格試験の
    取得を義務付ければよい。

    いいかえれば、これは受験資格を問わないということである。誰でも受
    験できるのと同じことである。ただし、誰であっても「受験資格試験」の免
    除を受けることはできないということであるが。

    現に、旧制高校は15才以上であれば誰でも受験できた。それを踏まえて
    次のように改定するべし。

    1、 15才以上であれば誰でも受験することができる。

    2、 受験希望者は、受験資格試験に合格する必要がある。

    3、 受験資格試験は、以下の三つの難易度に分類され、どの難易度の
    合格を要求するかは各大学・学部で決定する。

    難易度 甲 高校で学習するべきレベルを超えた程度
    乙 高校で学習するべきレベルを十分に満たした程度
    丙 高校で学習するべきレベルを最低限満たした程度

    例えば、東大・京大は全科目「甲」を要求するだろう。芸大や体育大
    なら全部「丙」でいい。

    4、 試験は毎月一度実施する。最低、五教科7科目。大学によってはそれ
    以上となる。合否は科目ごとに行なわれ、一度に全部取らなくてもよい。

    また、合格後も、より難易度の高い同じ科目を受験することができる。

    5、 受験資格の有効期間は、一年とする。

    つまり、大学受験に失敗すれば、翌年もう一度、資格試験からやり直す
    ことになる。

    6、 試験問題はプール式とし、あらかじめ問題をすべて公開しておき、そこ
    から出題するようにする。


    費用はすべて受験生からの受験料で賄えるから、財源など考えなくても
    よい。同様に、大学卒業資格試験などもやるといい。大学生も勉強するよう
    になるだろう。

    教養課程については、本当にやるべきだと思う。同時に、現在大学教養
    課程終了者に与えられている特権を廃止する。

    この教養課程終了試験もまた、15才以上なら誰でも受験できる。

    ということは、大学受験資格試験を飛び越して、この試験に挑んでもいい
    ということになる。

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  • from: 一久さん

    2009年01月27日 20時42分52秒

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    公正な成果主義を

    公正な成果主義

     これからの日本は、いままでの平等主義を捨てて、公正をモットー
    とする成果主義になっていくのだそうな。

     ところが、よく言われるように、いったい誰が誰をどうやって評価する
    べきかという問題が真っ先に横たわっている。

     これに対する私の答えを以下に述べる。

     評価の第一原則は、評価される者の功績が公正な行為によってな
    されたものであるかどうか、という点であるべきだ。

    ついで、公正な方法を重んじているかどうか、さらにそれを実践して
    いるかどうかが考査されねばならない。

     言い換えるならば、いかに大きな業績を達成した者であっても、部下
    に対して公正な態度で臨んでいなかったり、汚い手段をもって成果を
    得ようとしたりしていれば、そのような人物を出世させたり厚遇したり
    してはならないのである。

     つまり、これまでの日本の社会で許されてきたような、「あいつは人間
    的には問題あるが、仕事ができるのでしょうがない」というような評価の
    仕方は全否定されねばならないのである。

     なぜならば、業績成果主義を取りながら、このような配慮を怠るという
    ことは、会社全体に非合法な行為や不公正な行いが蔓延するということ
    を意味するからである。

     人間的に問題のある課長の元では、課員は公正な評価を期待するこ
    とはできない。課長自身が公正さを尊重していないのであるから当然の
    ことである。

     コズルイ手段を使ってでも、業績を上げた者が厚遇されるのであれば、
    その者を真似する者が必ず現れる。そのうちの一人でも警察に捕まる
    ようなドジをすれば、会社全体の信用が地に落ちることになる。

     このように、業績成果主義は公正第一主義とセットでなければならない
    ものなのである。それゆえにこそ、アメリカでは企業不正の内部告発者が
    社会正義を実現させた勇気ある者として迎えられるのである。

     日本の中小企業の社長には、「内部告発させない為にはどうすればいい」
    とかコンサルタントに聞きにくる人も少なくないとか。なんとも遅れた話だ。

     日本の会社は、いままでにも業績を優先させ、公正さを軽視してきた。

     それが大きな問題にまでならなかったのは、平等主義の副作用のおかげ
    である。

     業績は劣るが人間的にはマシな係長氏も、平等主義のもとでは、なんと
    か課長になることができる。そのことによって課員も救われるのである。

     結論:

     業績成果主義は、なによりも公正さを重んじる社会の構築から始めなけ
    ればならない。公正さか業績か、人格か能力か、を選ばなければならなく
    なった場合、迷うことなく前者を取るという覚悟が必要なのである。

     公正さよりも業績を重んじれば、その企業には未来はない。いや、あって
    はならないし、あるはずもない。

     「公正さは結局はペイする」のである。

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