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  • from: 一久さん

    2009年07月31日 06時26分47秒

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    新・科学教育

     【アメリカのガレージ】

     エジソンが学校を退学して、母親の与えた実験設備で学習を
     続けたことは有名であるが、アメリカ全般において、納屋や
     ガレージから生まれた技術や産業は少なくない。

     アップルやマイクロソフトも似たようなものだったではないか。

     アメリカの創造性はガレージから生まれる、とかいう言葉も
     あるのだそうな。

     日本においても、トヨタの創始者、ドクター・ナカマツ、日
     清の安藤百福氏、等々、納屋からその発想を生んだ人は少な
     くない。


     【現代版・納屋政策を】

     要するに、実際に研究できる境遇にまで到達できるのであれば、
     誰も科学者になることを諦めない。

     問題は、日本の行政も教育者もマスコミも、研究者になる為に
     勉強すればいい、と言うことしかできないという点にある。

     この主張は一見正しく見えるけれども、実際には、研究者にな
     る為には膨大な競争があり、それは椅子取りゲームのごとく、
     パイの限られた不毛な戦いである。

     高校生達は、マスコミや世間の大人達よりは、当事者であるが
     ゆえに現状を良く知っている。だから、そんな無駄なことに参
     加する気にはなれないのだ。

     ならばどうすればよいのか。それが、現代版・納屋政策である。


    【高校生を研究者にしてしまえ】

     研究活動ができるのであれば、理科離れは起こらない。

     受験競争を経なくても、研究者として生活できるか、生活でき
     ないまでも、趣味で研究を続けられるのであれば、誰もそれを
     手放したりはしない。

     受験勉強の為に、興味のある対象から離れなければならない、
     しかも、そこへ受験競争の勝者として帰ってこれる可能性は
     極めて低い、という現況だからこそ、諦めるのである。

     ならば話は簡単で、高校生のときから研究活動ができるように
     してしまえばよい。一部の特別な高校ではすでに行っているこ
     とだ。

     だがそれを、すべての高校ですることは無理であろう。また、
     今のやりかたでは、高校に依存しているだけに、所詮は高級な
     クラブ活動に過ぎず、卒業と共に失われてしまいかねない。

     そこで、ネットとパソコンの活用である。

     ネットとパソコンを通じて、あらゆる分野の研究活動ができる
     ようにすればよい。

     それぞれの分野で研究活動に必要な知識を教授し、ソフトを配
     布し、研究成果を発表する場を作る。

     実験を必要とする分野については手薄になるが、これについて
     は、設備の集約化で対応しよう。ネットを通じて設備の使用状
     況を調整し、ひとつの設備の回転率を上げる。また、重複する
     実験を減らす。

     昔から、物理や数学は、紙と鉛筆さえあれば研究活動はできる
     と言われてきた。パソコンとネットは、それを広範囲の科学に
     おいても可能にする方法である。

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  • from: 一久さん

    2009年07月31日 06時26分14秒

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    科学教育衰退論


    【高校生が宇宙ロケットを作ると言ったら】

     もしも高校生が、「将来、宇宙ロケットを作る博士になりたい」
     と言い出したら、「高校生にもなって、子供みたいなことを!」
     と呆れられるであろう。

     ロケットを作りたい、などと真顔で言える高校生は、東大合格
     を確実視される、ごく一部の高校生だけである。

     その彼らでさえも、東大合格はロケット作りのスタートライン
     に過ぎず、大きなマラソン大会の群集の中のマイナー選手であ
     るに過ぎない。

     実際に、宇宙ロケットの開発に加わることのできる人間は、東
     大卒でさえもごく一部の人間だけである。

     このことを、高校生たちは皆よく知っている。日本の高校生は
     夢が無い、とか、ノー天気なコメントをするマスコミ関係者な
     どより、ずっと現実を知っているのである。

     ゆえに、理科・科学に対する感心も学習意欲も低減せざるを得
     ないのだ。どんなに頑張ったところで、実際に科学の関連する
     職業に就けるのは、超一流大学へ合格する可能性のある者だけ
     だからである。

     日本の高校生が理科離れする真の原因は、ここにある。

     ありつけるパイが少ないことを、皆が知っているのだ。ならば、
     東大合格が難しいと判断した時点で、科学者になることを諦め
     る。他になにか成れそうなものはないかと考える。

     何にも成れそうになければ、せめて楽しく日々を送ろうとでも
     しなければ、やりきれない。かくして、日本の平均的高校生の
     できあがりだ。

     成れそうなもの、ではなくて、成りたい者になるように努力す
     るべきだ、と大人達はいう。俺らはそうしてきたのだと。

     だがそれは、他人事だから言えることだ。右肩上がりの時代で
     あればこそできたことだ。パイが拡大していく状況下でならば、
     目標には及ばずとも、次善の何かには成り得たからだ。

     現状は「古き良き時代」ではないのだから、今の高校生達の判
     断のほうが、むしろ正しいのだ、というべきだろう。

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  • from: 一久さん

    2009年07月30日 08時31分11秒

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    感情的反米主義者の別名 右翼も左翼も


    【 日本の右翼と左翼 】

     フランス革命時の、急進改革派を左翼、斬新改革派を
     右翼、と呼ぶ、本来の言葉の意味ではなく、現代の日
     本において使われる場合の、この言葉の意味について
     考えてみる。


    【 反米という共通点 】

     右翼も左翼も、結局その意味するものは、”反米”で
     しかない。

     両者の違いは単に、どのような形で反米を行うかとい
     う点にしかない。


     1、 右翼の場合

     右翼の場合には、日本単独、もしくは、日本が主導権
     を取った形で外国と反米同盟を結び、アメリカに対抗
     しようとする。

     ゆえに、中国やアジア諸国を ”配下”にしようと目
     論見、それが成し得ない場合には、それらの国を支配
     もしくは敵視する方向へ向かう。

     ゆえに、中国の対日姿勢が友好的であれば反米同盟を
     たくらみ、中国の対日姿勢が威圧的であれば、中国を
     排斥しようとする。


     2、 左翼の場合

     左翼の場合には、日本単独、もしくは、日本が他の強
     国の風下に立つ形での反米同盟をもってアメリカに対
     抗しようとする。

     日本の左翼が、かつて社会主義国に擦り寄ったのも、
     ロシア・ソ連・中国に寛大であったのもそのためであ
     る。

     ゆえに彼らは、アメリカに変わる盟主としての強国を
     常に必要とし、その国の行動や内実がアメリカと比べ
     てマシであるのかどうかということには目をつぶる。

     ロシアや中国に比べれば、アメリカのほうがはるかに
     マシではないか、というような考えを持つことは許さ
     れない。

     アメリカの核はいけないが、ロシアや中国の核は不問
     とされる。つい最近までは、北朝鮮の核さえも容認さ
     れかねない雰囲気であった。

     また、日本は風下に立つことを前提としているので、
     日本の核武装は絶対に容認されないのである。


    ____________________________

     左翼が論理的に自己破綻していることは、明白である。
     アメリカよりもマシな盟主が現れない限り、左翼は常
     に自己欺瞞しなければ自己を保てない。

     ロシアや中国の大罪に目をつぶり、アメリカや日本の
     微罪には大騒ぎをするという、子供だましの詐欺を繰
     り返せざるを得ないのである。

     では、右翼はまだしもマシか ?

     そうとも言えまい。

     右翼の論理でいけば、日本は周辺諸国を支配するか排
     斥するかしねければならないことになる。

     当然、それを嫌う各国は、アメリカに接近するであろう。
     その図式は、戦前のそれとまるで同じである。

     日本がアメリカに支配されたくないように、周辺諸国
     もまた、日本(であれアメリカであり中国であれ)に
     支配されたくなんぞ、あるはずもないからである。


    【 ではどうすればよいか 】

     反米感情からの脱却こそが第一である。

     アメリカよりも総合的に優れた人倫を持った国があるの
     であれば、反米でもよい。だが、そんな国はどこにもあ
     るまい。あるとすれば、日本ぐらいなものだ。

     ゆえに、歴代政府がそうしてきたように、親米路線をと
     ることは、正しいといわねばならない。

     言い換えれば、右翼も左翼も、反米思想を捨てない限り
     決して国民多数の信任を得ることはできない。

      

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  • from: 一久さん

    2009年07月30日 08時28分02秒

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    北方領土問題 変換後の話こそ大事


    【日本国憲法による権利を彼らに】

    北方領土が返還された場合、四島の住人がそこに住み続けることを
    希望するならば、日本国憲法と日本の法律に則った処遇を受けること
    になる、ということを、北方領土の住民に知らせることこそが肝要である。

    日本領になれば、日本の法の下の平等が保障される。

    日本国籍をとることも、ロシア国籍のままで永住権をとることも可能
    であるが、どちらにしても、法治国家である日本政府の行政サービス
    の対象となる。

    日本政府は、スターリンではない。高度に発達した法治国家なのだ。

    ロシア人にとって、日本の法律や行政の実態をしり、それが四島返還
    によって自分たちのものになる、ということを知れば、住民自身が日本
    への帰属を求めるようになるだろう。

    日本政府のすべきことは、現在北方領土に住んでいる人を追放したり
    することはないのだ、ということを彼らにしらせ、日本の法律によって
    彼らの権利は保障されるのだということを認識させることである。


    【 大量の駆け込み移入者が出るかも】

    このような広報がロシア本国にも広まれば、大量の駆け込み移民が
    四島に押し寄せるかもしれない。

    だが、それはむしろ好都合である。

    その人々は、返還支持派そのものだからである。住民投票でも行えば、
    返還賛成に票を投じることになる人々である。



    【 仁を以って暴に報いる 】

    我々はスターリンではない。 北方領土の現住民を不幸にするような
    形での返還ならば、むしろ、せぬほうがよい。

    四島の住民は、日本国へ帰属することによって、人権と平等と自由を
    手に入れることができる。

    そうであるからこそ、北方領土の返還を求めるべきなのだ。

    「仁を以って暴に報いる」 のである。

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  • from: 一久さん

    2009年07月29日 21時51分22秒

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    選挙と民主主義 2


    民主主義とは何か

    【民主主義は選良を監視する】

    王政は王の責任感に、貴族制は責任ある者達の衆議に、選良
    制は代議士の能力と良心によって、それぞれ国家を運営する。

    これに対して、民主主義が頼みとするものは、民衆の耳目が政
    治を監視し、民衆の意見や批判が政治を正す、という理念であ
    る。

    政策決定の過程が公衆の面前にさらされていたならば、随時、
    異論や批判が行われる。それによって、為政者の暴走や怠惰
    を戒める。これが民主主義というものである。

    ゆえにこそ、民主主義において、報道の自由と言論の自由は、
    必要不可欠の大前提であるのだ。

    このことは、民主主義においては、選挙ですべてが終わるので
    はなくて、選挙後の議員や首長の言動監視こそが重大であると
    いうことを意味する。

    選良を得れば、あとは代議士任せ、というのが選良主義。
    選良を得たのちの、政治家監視こそが有権者の使命、という
    のが民主主義である。


    【組織されない国民は無力である】

    だが実際には、ひとりの国民が政治を監視することは不可能で
    あるし、意見を述べたところで、なんの力にもなりはしない。

    ハンナ・アーレントが言うように、「組織されない国民は無力」な
    のだ。

    そこで、国民による監視を、政治的な力になるように結晶する
    装置が必要である。それが政党というものの本当の役割であ
    る。

    政党というものが、国民の意見を聞き、それを公開の場で吟味
    し討論し、政策へ練り上げていくものとして、十分に機能してい
    るのであれば、世の識者・賢者はこぞって提言を行うであろう。

    そうなれば、一般国民は、何の心配もなく、政治のことなど考え
    る必要すらなくなる。

    だが、そのような状況を作るのは、一般国民が政治の情報を知
    りえるという状況と、意見を出した場合に真摯に受け止めてもら
    うことができる政党があればこそである。

    これを、政党内民主主義という。政党というシステムによって、
    国民の声を組織化し、政治を監視するのである。


    【ラジオのリクエスト】

    こう述べてくると、なにか非常に難しいもののように思えるかも
    しれないが、実は、このようなことは日常的に行われていること
    なのである。

    例えば、ラジオ番組へのリクエストを考えてみればよい。

    貴方がこのラジオ番組でこんな曲を放送して欲しい、と友人に
    言っても、それではなにも起こらない。「無力な国民」状態であ
    る。

    だが、ラジオ局にリクエストの葉書を送ったら、事態は違ってく
    る。

    ラジオ局は、貴方の葉書を読んで、リクエストに応えることが適
    当かどうかを判断して、放送したりしなかったりする。

    この場合、ラジオ局は政党に相当する組織である。

    番組のパーソナリティーは、政治家に当たる。

    政治家のカラーを尊重はするけれども、政党に不都合なリクエ
    ストは受け入れられない。微妙なものについては、局内で討議
    することにもなろう。

    ラジオ局と、政党との違いは、公開の場で討議するかどうかとい
    うことぐらいだろう。


    【政治家は、自分の組織を持て】

    民主主義の政治家というものは、せめてラジオ番組の司会者
    程度の「民主主義の為の組織」を自前で持たなければならない。

    意見が寄せられたときに、どのように対応するのかを、いわば
    小政党としての機能を自前で持たなければならない。

    アメリカ大統領予備選挙は、政党内部の大統領候補指名選挙
    に過ぎない。しかし、どの陣営も、一個の政党に匹敵するほど
    の組織を持っているではないか。

    あれこそは、政党内民主主義であり、個人候補民主主義であ
    る。民主主義の政治の根幹は、まさにここにある。

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  • from: 一久さん

    2009年07月29日 21時50分43秒

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    選挙と民主主義 序

    民主主義とは何か 

    序論  君主制 / 貴族制 / 選良制


    【君主制の場合】

    君主制は、君主の責任感をその根源とする。

    一家の長が主としての責任感をもって、家族を導くように、国家の
    主たる君主が、国父として臣民を養う。

    臣民にとって国家は仮の宿りであるが、国王にとって国家は自分
    と一体のものである。ゆえに、王こそが責任者であり、ゆえにこそ
    誰よりも国家の安泰と発展を考えることのできる者である。

    これが、君主制の考え方であろう。


    【貴族制(寡頭政治)の場合】

    貴族制の場合も、根本的には君主制と同じである。

    一人の君主に任せたのでは、危険が多すぎる。世の中には、
    愚昧な「父」も少なくないように、愚昧な王も数多い。

    ゆえに、国内の小領主達にも国政への参画権を与え、その意
    見を取り入れる政体が作り出された。

    領主達は、その領地と臣民に対して、「領父」としての責任を持
    ち、それをバックに王や他の領主と協議し、国政に参画する。

    王だけに頼る政体よりは、安定性が増したと言えよう。


    【選良制の場合】

    選挙によって、代表を選び、衆議を以って国政を司る。これが
    選良制である。(一般には、民主主義と混同されている)

    君主制や貴族制とは違って、選良制においては、選良も投票
    者も、国民としての立場は同じである。

    対等の立場の全国民の中から、優れた人、意欲のある人を選
    び、議会を作って国を治めさせようという制度である。

    一見、これは民主主義と同じもののように見える。

    が、実は、大きな問題を含んでいる。


    【選良制の問題点】

    そもそも、何を以って「優れている」と認めるのであろうか。

    また、選良として選ばれた者が、どういう言動をするかについて
    国民はどこまで関与すべきなのか、関与できるのか。

    選挙での公約を、頑なに守る選良が良い代議員なのか。だと
    すれば、その結果、現実の変化に対応できない政策を愚直に
    続けるような事態を、国民は容認せねばならないのだろうか。

    現実問題に素早く対応して、適切な対応をする代議士が良い
    政治家なのだろうか。だとすれば、選挙での公約は意味がある
    のであろうか。そもそも、常に「適切な対応」をすることが保障
    できるのであろうか。単に、代議士にとって都合の良い変心を
    意味するだけなのかも知れない。

    ゆえに、昔から言うではないか。

    「国民が自由であるのは、選挙期間中だけである」と。

    言い換えれば、選良制が民主主義と同意であるのは、選挙期
    間中だけということである。

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  • from: 一久さん

    2009年07月28日 07時04分38秒

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    医者ひとりあたりの国民の数

    【医者の数に意味があるのか】

     日本では、国民千人あたり、医者の数は二人なのだそうな。

     先進国(日本を除く)では、千人当たり三人の医者がいる
     のだそうな。

     また、病院のベッドの数でいうと、ひとりの医者が担当す
     るベッド数は、アメリカは日本の1/5なのだそうな。

     日本の医療は、だから劣悪な状況にあるのだそうな。


    【国民から見れば】

     だが、この数値に対する評価は、すべて医者から見てのもの
     だ。一人の医者で500人の国民を診てやっているという発
     想である。

     だが、国民の側から見れば、500人で一人の医者を養って
     いるのだ、という考え方になる。

     国民の側から見れば、千人で二人の医者を養う国と、千人で
     三人の医者を養う国とでは、一人当たりの負担額は1.5倍と
     なる。

     ならば、医療レベルが同じであるならば、千人に二人の国の
     ほうが、効率がいいということになりそうだ。

     ベッド数で考えれば、さらに問題は大きくなる。

     日本の入院患者は、十人で医者一人分の報酬を分担すればよ
     いが、アメリカの患者は、二人で医者の給料を賄わなければ
     ならないということになる。

     ゆえに、マイケル・ムーアの映画のような事態が起こる。

     それでも、アメリカの医療のほうがマシなのであろうか。


    【近代産業を見よ】

     すべからく、優れた業績とは、低コストで高パフォーマンスで
     あることを要求される。

     ということは、医療も又、一人の医者がより多くの患者に対応
     し、かつ、良い成果をあげることのできる制度こそが、優れて
     いるのだ、と言わねばならない。

     一万人を一人で対応できる状況こそが理想なのだ。

     逆に、百人に一人が医者であっても、全員が薮医者では、話に
     ならない。中国の現状はこれに近いのだそうだが。。。

     医者の数や、ベッドの数、医者一人当たりの患者の数、などは、
     医療を考えるさいの指標としては、不適当なものなのだ。

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  • from: 一久さん

    2009年07月28日 07時03分34秒

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    選挙で財政破綻してもよい、t言った候補者はいない


    【破綻してもいい、という候補者はいなかった】

    「ハコモノを作る為なら、財政が破綻しても構わない」と公約し
    た候補者は古今東西、一人もいないし、そのような理由で投
    票した有権者も、おそらく皆無だろう。

    公共投資を拡充したい、と訴える候補がいたとしても、それは
    あくまでも遣り繰りを上手く行って、そうするという意味である。
    そうでないならば、その候補者を選良とすべき理由がないの
    だから。

    ゆえに、選んだのは府民だから、府民に責任がある、というの
    は、無理がある。

    その候補者が本当に遣り繰り上手であるか、虚言癖のある人
    なのか、それを選挙期間の報道だけで知ることができるならば、
    その有権者はエスパーだ。

    ではどうすればよいのか。

    それは、選ぶべき基準を変えることであり、民主主義にとって
    一番大事なものは何であるのかを知ることである。


    【政党内民主主義こそ第一儀】

    いかなる政治体制であれ、良き政治とは、

    「様々な意見や新規のアイディアに耳を傾け、真摯に検討し、
    実行する。間違っていたら、速やかに修正する」

    ということに尽きる。ヒットラーや信長でさえ、他人の意見を聞く
    耳を持っていた。むしろ、一般の政治家よりも他人の意見を理
    解し、革新的な手法を実行した。

    ただし、これらの独裁者は、自身の感性だけがこれを担保して
    いたがゆえに、それに外れた事態には対処不能となる。

    民主主義というものは、国民すべてが為政者に意見できるとい
    う状況をもって、これを担保しようという制度である。

    だが、それはそのままでは不可能に近い。

    ゆえに政党を作り、組織として党内外の人間に意見を求め、
    自由かつ活発な議論を行い、為政者に提言する。場合によって
    は、党議によって党の代議士や総理大臣の行動をも規制する。

    民主主義の政党とは、このようなものであらねばならず、民主
    主義の選挙とは、どの政党が理想的な政党内民主主義により
    近いやり方で運営されているかを選ぶ行為でなければならない。

    もしも、党内民主主義を全く持たない政党に政権を与える結果
    が出たならば、その国民は民主主義を否定したということにな
    る。民主主義の選挙とは、民主主義が自殺する為の装置でも
    あるのだ。

    【首長直接選挙は危険な制度】

    このことから考えると、本来、首長を直接選挙で選ぶことは大
    変危険な制度であると言える。

    議院内閣制の国会において政党が担保すべき党内民主主義
    を、首長の個人的な仲間の集まりにしか求めることが出来ない
    からである。

    言い換えれば、首長選挙において報道すべき一番大事なこと
    は、候補者達の近辺において、他の意見を取り上げ、吟味す
    る体制がどれだけ出来ているか、ということである。

    首長において民主主義を担保しているのは、まさにそのような
    個人的な組織だけなのだから。(もっとも、政党ベッタリの首長
    というものも存在するのだろうが)

    首長は個人で政党内民主主義を代行する組織を持たねばなら
    ない。もしくは、政党内民主主義を持つ政党に支援されねばな
    らない。

    有権者の側から言えば、なにか意見を持ったとき、それを訴え
    るべき場所が必要であり、その内容について真剣に討議する
    組織が必要であり、その組織は現実の政治の場で力を持って
    いることが必要である。

    そのような組織こそが、政党内民主主義を持った政党である。

    そして、このような政党が存在するならば、一般の有権者は、
    実際には政党に意見を言いに行く必要もなくなる。

    なぜならば、その政党が他からの意見をよく汲み取り、吟味す
    る能力を持っているのであるならば、いわゆる学識者だの政治
    に関心のある人だのが、真っ先に意見をしに行くからである。

    一般市民よりも遥かに知識と経験が豊富な彼等が口を出し、
    政党のほうもまたそれを真剣に検討するのであれば、一般市民
    の口出すことなどほとんどないはずである。

    万一、世の識者が気づかない問題点を発見したならば、そのと
    きは、政党に言いに行けばよい。政党側もまた、そのような意見
    を見出してくれる新鋭を待っているのだから。

    これが政党内民主主義というものであり、民主主義にとって一番
    大事なものなのである。

    政党内民主主義の無い状態で選挙をしても、それは民主主義
    ではない。ゆえに、独裁者の政党が民主的に選ばれることがあ
    る。民主主義の欠陥ではなく、民主主義の理解の欠落である。

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  • from: 一久さん

    2009年07月27日 20時37分56秒

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    海外派兵してこそ、イメージを変えることができる

     イメージを変える


    第二次世界大戦における日本軍の規律の乱れは、日露戦争において我軍が示した
    高い規律の国という世界的評価を決定的に破壊してしまった。

    従軍慰安婦だの、南京大虐殺だのを持ち出すまでもなく、帝国軍人がアジアの各
    地で大小の非道をなしたということは、だれしもが否定しない事実である。ちょ
    っと前の時代までは、人倫にもとる行為をした本人自らがそのことを自慢げに語
    るという光景さえ、そんなにめずらしいものではなかった。

    軍国少年 A:

    「 うそだ、うそだっ! 日本の兵隊さんがそんなことをする訳がない!」

    在郷軍人 B:

    「 なにっ! わしがウソの ”手柄ばなし”をしているというのかっ! 」

    (昔、こういうマンガのシーンがあった)

    ....なんという認識のズレであることか。

    なにゆえに昭和の軍人の認識がかくも歪んだものになったのか、そのことの考察
    は後日に譲るとして、ここではこのような日本軍の行為が世界にあたえてしまっ
    たマイナス・イメージをいかにすれば修正できるのかということを考えてみたい。


    ★ イメージを変える ということ

    戦後の日本は、軍隊そのものを否定した。否定することによって悪辣な日本軍の
    イメージもまた薄れていくことを期待するかのように。

    だが、考えてみたまえ。ひとはいかなるときに相手に対するイメージを変えるの
    であろうか。とくに以前暴力を振るわれた相手に対する心証を、いかなる事態に
    好転させるものであろうか。

    乱暴者が、家に閉じこもりっきりになり、平和、平和とお題目を唱えるアホダラ
    教徒になれば、イメージも好転するだろうか? 否,気持ち悪いやっちゃな、と思
    われるだけだろう。

    では、乱暴者に復讐してこれを打ち倒せば、乱暴者に対する警戒も解けるであろ
    うか? 否、乱暴者の性質が変わったわけではないのだから、再び力を持てばまた
    狼藉をはたらくにちがいないと思われたままである。

    人が相手に対する心証を改めるのは、相手が予想外に良い(悪い)行為をした場
    合である。そのような行為をしない場合には、心証は以前のままに残る。

    日露戦争での捕虜の扱いは、極東の蛮族が西洋式の国際法を遵守するという意外
    な感動を世界に与えた。これによって、日本に対する良いイメージが各国人民に
    植え付けられた。

    だが、前回の戦前・戦中における我国兵士の行為は、先人のイメージをぶち壊し、
    世界に冠たる恥ずべき国という悪いイメージを世界中にあたえた。

    そして戦後の日本は、軍というものにひたすら身を小さくしていることを強制し
    これによって、悪いイメージを世界が忘れてくれることを祈っている。

    ムダである。 そんなことをしても世界は日本軍の暴威を忘れはしない。

    イメージを変えるのは行動である。日本軍の悪いイメージを払拭するためには、
    再び外征の場において明治日本以上の完璧な規律を世界に示さなければならない。
    それができてはじめて、日本は変わったんだ、といえるのである。

    逆に、もし軍隊をまったく持たない国に日本がなったとしても、外国へ派遣され
    た民間会社員たちが現地でふらちな振る舞いをしていたのでは、旧日本軍の残し
    た悪いイメージは、増大されこそすれ薄れることはあるまい。これが現状だろう。


    ★ 結論


    もし旧軍ののこしたマイナス・イメージを払拭したいのであれば、積極的に海外
    派兵を行うべきだということになる。派遣軍が世界中の賞賛を浴びるような規律
    と成果を示したとき、そのときはじめて戦後は終わる。

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  • from: 一久さん

    2009年07月27日 20時36分37秒

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    教師よ、街へ出よ

    ★ 教師よ街に出よ


    国歌斉唱の際、退出した教師の話を読んで、中学校の社会の教師のこ
    とを思いだした。

    彼はシロウト目にもわかる偏向教育者であった。いわゆる「アカ」の
    教師である。その彼が授業中に話してくれた似たような過去の事件が
    ある。

    有名な(らしい)「君が代ジャズ事件」である。

    卒業式のピアノを担当していた教師が、国歌斉唱の際、君が代をジャ
    ズ風にアレンジして演奏してクビになった、という事件。

    「アカ教師」氏は、学校側の処分を不当だと結論づけたかったようで
    あるが、中学生といえど、彼に共感を覚えた者は多くはなかったよう
    であった。

    私も当時は6:4でやっぱりジャズ教師のほうが悪かろう、と思って
    いたが、今考えるとだいぶ違う感想がでてくる。

    卒業式というものは、その学年にとって一度だけのものであり、かつ、
    そこに列席している生徒・父兄・関係者には卒業式とはどういう様式
    で行われるべきかという伝統的概念が存在する。

    卒業式はこれらの人々が共有するものであって、教師が独断専行でき
    る授業の一時限ではない。このジャズ教師の行為は、多数の人々が共
    有するものを独善をもって破壊したことになるのである。それも、一
    生に一度しかない、やりなおしのきかない儀式をである。

    これでは、懲戒免職は当然であると言わねばならない。

    しかし、より根源的な過ちをこの事件の当事者は犯している。最近の
    事件の教師達も同様である。彼らは、あのような行動をするぐらいで
    あるから、多少なりとも政治に関する見聞を持っているはずであろう
    のに....

    マックス・ウェーバーが「職業としての学問」だったかのなかで述べ
    ている。「教師よ、街へ出よ」と。

    つまり、教師たるもの、自分の政治的偏向を生徒に与えるようなこと
    をしてはならない。生徒を煽動し、自己の同士とするようなことをし
    てはならない。そのような行為がしたければ、教壇を離れて街の辻で
    演説せよ。反対者が自由に反論できる場でのみ自分の政治上の主張を
    語れ。というような意味だったと記憶している。

    しごくもっともなことを言っているだけだが、この程度の知識(いや
    良識だろうな)さえも彼ら ”行動派教師” 達はもっていなかったの
    であろうか。

    ウェーバーといえば日本では政治学の神様、だそうな。その有名な小
    著さえも読まずして(理解せずしてか?)行動に出るとは、ほとんど
    893の鉄砲弾ではないか。こんなことをいったら鉄砲弾氏に対して
    失礼であるが。

    教師よ街へ出よ!

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