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  • from: 一久さん

    2009年04月30日 22時15分27秒

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    路売りの話

    道売りの続き

     江戸の昔ほどでなくても、昔はよくモノを売りに来たもので。

     それならば、この不景気の世の中、仕事がないと嘆く前に、
    道を歩いて売り声をあげてみてはいかがなものか。

     もっとも、最近は大抵のものはスーパーや通販で手に入る
    から、むしろサービス業こそ大商いが期待できるかもしれない。

     これから益々、高齢化社会。 足の悪い年寄り向けに、玄関
    を改造する工事とか、散髪屋とか風呂屋、炊きたての飯売り、
    なんかもありなんじゃねぇでしょうか。

     「 大工〜〜、いらんかねぇ〜〜〜」 

     案外、裏の家の婆さんの家は、雨漏りがひどいのかもしれない。
    治したいが、婆さん、どこにどうやって頼んだらいいのやら、判ら
    ない。

    勇気を出してチラシに載っていた工務店なんぞに電話すると、い
    らぬリフォームまで発注するはめになって、おまけに手抜き工事
    だった、なんてぇことになったりして。

     その点、裏の顔見知りの大工なら信用できる。いつも道を流して
    いる人なら、もしもへんな工事なんぞすれば、たちまち評判になっ
    て商売にならないからってんで。

     だからといって、親戚や友達付き合いの大工はいけない。

     あんまり親し過ぎると文句がいえないからだそうで、実際、欠陥
    住宅工事に占める割合も、結構大きいのだそうな。

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  • from: 一久さん

    2009年04月30日 22時14分42秒

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    地方の時代

    真の地方の時代へ

      「万事塞翁が馬」である。

     田中角栄的手法によって膨大な国費をせしめることに成功した地方は、
    それと引き換えに自主独立の気概を失ってしまった。

    金を得た代わりに、精神を汚染されてしまったのである。

    鹿児島県などはもっとひどい状態になっており、地元新聞の社説でさえ
    もが、ふた言目には「国の援助がなければ」と繰り返すのである。

    こう書くと「そんなことをいっても、実際のところ国の援助がなければ。。」
    という声が聞こえてきそうだ。

     しかし、である。

     「国造り」は国家の援助などなくとも出来る。

     必要なのは、自主独立の精神と、自由な裁量権である。

     資本や予算などは、どうとでもなる問題である。なぜならば、規模の小
    さい地方は、それに応じた事業を考えればいいだけのことだから。

    全部の県がディズニーランドを作る必要はないし、それは不可能だ。
    だが、「玩具ランド」ならば作ることが出来る。

    「丸ビル」を作ることはできなくても、ジャパネットなら作ることができる。

     大企業に大企業の事業があり、中小企業に中小企業の道があるように、
    地方には地方の戦いかたがあるのだ。

     このことを理解させ、個々人の創意工夫を引き出すこと、これこそが地方
    の政治に必要なことなのである。

    国に泣きついているばかりが能ではない。

    「そんなことを言っても。。。」と、また聞こえてきそうだ。

     福沢諭吉いわく、

     人の心は、これほど弱く小さなものはないが、集まればこれほど強く大き
    なものはない。

    補助金漬けの人々の意識を変えていくことは、恐ろしく困難なことだ。
    だが、やらねばどうにもならないのである。

     村おこしの元祖、北海道池田町で大分県の職員が聞かされた言葉は、
    「人の意識を変えることが一番大事」というものだった。

    かくして大分県は一村一品運動に乗り出していく。

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  • from: 一久さん

    2009年04月29日 20時47分31秒

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    官僚政治について

     官僚についての考察

     
     例えば私が近所の小さな図書館に、大塚久雄著作集を古本屋
     から買って寄贈しようとしたとする。

     ただし、私には条件がある。

     この本は貴重なものなので、市の中央図書館に持っていかれる
     恐れがある。

     また、収蔵された図書館でも、開架されずに書庫に保管される危
     険がある。

     事実、大阪市と大阪府の中央図書館に収蔵されているものは、ど
     ちらも書庫に死蔵されている。

     これでは、「だれにでも分るように」と、この著作集を編むときに大塚
     氏がわざわざ書き直した努力が無駄になる。

     「だれにでも」触れることのできる状態にはないのであるから。

     そこで私は条件を付ける。

     この小さな図書館から動かさないこと。

     開架棚におき、貸し出しできるようにすること。

     このふたつである。

     ところが、図書館の係員は、図書館に置く図書の選定は図書館で
     やるので、寄贈された図書がどうなるかは保証できない、というの
     である。

     これではまったく、お話にならない。

     この図書館の決まりによって、古本屋は私に本を売ることができ
     ず、市民はこの本に触れることができないことになる。 誰もが損
     をすることになるのである。

     さて、大塚久雄著作集ほどの文献を、もしも読書家であったならば
     寄贈されることを欲しない訳はない。

     だが、図書館の役人にそういう意識を期待できるかどうか。

     そもそも、この小さな図書館が住民の為になるように運営されるに
     は、図書館の役人が運営するということそれ自体に無理があるの
     ではないだろうか。

     もしも図書館のサービスを向上していこうという意識があったならば、
     寄贈された図書の行方は役所にまかせろ、などと言うはずはない。

     慎重に選定のうえで、受け入れるかどうか決定してからお預かりする
     というのが筋であるはずだ。

     そうでないのはなぜか?

     それは、寄贈を受ける、本を選ぶということに、なんらの精神的作業
     もなされていないから、である。

     精神的作業とは、ここでは住民に良い書物に触れる機会を与えたい
     という意志である。

     そういうものがカケラほどもあれば、寄贈を申し出る者に対して、最
     低限度の誠意を示すはずであるが、まったくないのであれば、寄贈
     品は単にゴミと同じ扱いを受けることになる。

     ここに官僚制の本質がある。

     つまり、官僚にとって精神的作業というものは本来、彼らの業務では
     ないのである。

     図書館の係員の例で言えば、彼らの仕事は貸し出しや返却を滞りな
     く行なうことであり、図書をキチンと整頓することである。

     住民によい本を、とかいうことは、本来、彼らの仕事ではない。

     そういう判断は、もっと別の人々、例えば地域の読書好きのサークル
     などに任されるべきものなのである。

     あるいは、実務者とは別に、住民サービスの改善を目的とする指揮
     者が置かれねばならないのである。

     つまり、実務をこなすものと、精神的な仕事をするものを分離しなけ
     ればならないということである。

     ところが実際には、両者は分離されていないうえに、精神的な仕事の
     ほうは、その存在さえ危うい。

     しかも、その精神的な仕事が、実務者の意志によって浸食され、実
     務者の都合のよいように動かされてしまっている。

     この状態こそ、官僚支配、官害、と呼ばれるものの正体である。

     だから、官僚支配の弊害を是正する為にやるべきことの第一は、実
     務者と精神的な仕事をするもの(これを目的者と仮に呼ぶことにする)
     を明確に区分けすることである。

     【ちょっと脱線】 「精神的な仕事をする者」を表す言葉が存在しないという
               こと自体に、官僚制の研究の浅さが示されている。


     実務者は実務のみをやる。

     目的者は目的を達成する為の方策を探し出し、実務者に実行させる。

     スポイル・システムの対象になるのは、この目的者のほうである。

     そのかわり、目的者は広く役所外からも人材を求めることができる。
     先程の図書館の例のように、自治体などではボランティアに任せても
     かまわないのである。

     民間でいえば、課長クラス以上は全員、一般公務員の身分を失い、
     特別公務員となる。

     そして、特別公務員でなければ、裁量権はないということにする。

     特別公務員となった目的者は、政府の設置した委員会によって彼ら
     の仕事ぶりをチェックされ、更迭されたり、より大きな部署長に移され
     たりするようになる。

     目的者の提出した目論見書をチェックして裁定するだけなのだから、
     七人の委員で道路公団の全幹部をタタッきることも造作もないことに
     なる。

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  • from: 一久さん

    2009年04月29日 20時46分36秒

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    政治家の定年について

    政治家の老年引退

     政治家は年齢を理由に引退すべきかどうか。

     選挙で選ばれるのであるから、何歳になっても立候補すればいい
    との意見もあるが、私は必ずしもそうは思わない。

     一個人の利害や意志からすれば、勝てる選挙ならば出馬するのが
    当たり前かもしれないが、国政全体や将来の政界のことを考えれば、
    古老が議席を埋めることは好ましいことではない。

     倒れて後止む、は一兵卒のすること。征夷大将軍は、任官後すぐに
    世代交代をして、以後、自身は後継将軍のお目付役となった。

    国政の行く末を考えれば、このような身の引きかたがベストなのでは
    あるまいか。

     明治の大物政治家も、下野してのちなお多大な影響を政界に与えた。
    そういう人間の存在こそが、言論界に重みをもたらしたのである。

     中曽根氏にしても、議席に拘るよりも、国会を離れて言論界に身を置
    いてこそ、より大きな影響を与え続けることができるだろう。

    早い話が、インターネット掲示板に中曽根氏自身がキーボードを打って
    文章を毎日掲載すれば、それだけでインターネットの政治的価値は高ま
    る。

     歳は上でも、海軍士官出身の中曽根氏のほうが、自分ではメールも見
    ない小泉氏よりも、パソコンを覚える能力も意志も勝っているにちがいない。

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  • from: 一久さん

    2009年04月28日 07時09分18秒

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    現代日本の無縁地獄

    自殺が多いのは

     不景気が原因ではなくて、「 無縁化 」が原因だと思う。

     無縁、とはなにか。

     「縁」がない、連体がないということだ。

     昔、いい学校を出て、いい会社に入ることは最高の「縁」を得る
    手段であった。しかし、今やそれさえも危ういものになっている。

     それに変わる「縁」を日本の社会は生み出せていない。

     人と人が交わる方法を示しえていないのである。

     小室直樹いうところの、「アノミー」(無連体)である。

     「縁」がないとどうなるか。

     一旦失職すれば、容易に再就職できなくなる。

     男女の婚姻率も下がる。

     どんな凶暴な行為も平気で行なえるようになる。

     「縁」なきものに対しては、なにをする義理もないし、何をしでかす
    自由もあるのだから。

     中年自殺と、少年犯罪と、若者の非婚化とは、「縁」なき状態すな
    わち無連体を共通の身体とする三面の顔なのである。

     江戸の昔、火消しの頭や、博徒の親分が尊敬されたのは、「縁」を
    作ってやる機能を持っていたからだ。

    時代劇をみればわかるように、火消しの頭は、気の毒な人々の身元
    引受人になることが多い。ここを出発点に、無宿人も更正することに
    なる。

     そのような機能は、日本の職業安定所にはない。もちろん、学校に
    もないし、職場にもない。

     「縁」を、「連体」を築く機能がまったくないのである。

     かくて、「縁」を失った中年は自殺し、若者はシングル・パラサイトと
    なり、老人は孤独死し、少年は幼児を殺す。

     古人いわく、 「 縁なき衆は度し難き 」

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  • from: 一久さん

    2009年04月28日 07時08分23秒

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    地方活性化はテレビから

    地方の活性化はTVから

     地方では、TV局の数が少ない。

     何チャンネルも作ったら、採算がとれなくなるからだという。

     このことを考えるとき、私はいつも怒り心頭に達する。

     安くすればいいのだ。広告料を!

     そして、地方の企業や商店が気軽に広告を打てるようにすれば
    いいのである。

     番組なんぞ、工夫次第で、いくらでも安くつくることができる。

     大阪ローカルのTVを見に来ればいい。予算などほとんど使わず
    に、楽しめる番組がいっぱいあるぞ。

     TV局を増やし、中小企業が頻繁にCMを出せる料金を設定せよ。
    資本主義において、宣伝は非常に重要な役割を持つ。

     どんなに優れた商品であっても、また、それを必要としている人が
    どれほど多数いても、お互いの存在を知らなければ、一個も売れな
    いのである。

     地方こそ、TVCMを重視せねばならないというのに、既存のTV局
    の権益を守るために、県民そろって犠牲になって、地方経済をダメに
    しているのである。

     「**県には、電波が届くのに三日かかる」

     かくも侮辱されながら、なお、自分で自分の首を絞めているのだ。

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  • from: 一久さん

    2009年04月27日 20時43分15秒

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    改革とはなにか

    改革の本質

     
     猫も杓子も「改革、改革」というが、その本質を考えたことがある
     のだろうか。

     改革とはなにか、をである。

     とくに、今、小泉氏が言うような政治的な改革とはなんだろうか。

     政治における改革の達成とは、

      「よい方向に向かっている、あるいは、向かおうとしている」

     という認識を人々が持つこと、これに尽きる。

     改革すべきことなど、いくらでもある。それは永遠にあり続ける
     ものだ。

     従って、個々の事物をもって、改革が成就したとかしていないと
     かをいうことはできない。

     肝心なのは、改革が少しでも進んでいるということを認知させ、
     世界は代えることができるのだという意識を植えつけることで
     ある。

     だから、なにも大きな、難しいことに拘る必要はない。

     「小さなことからコツコツと」でもいいのだ。

     例えば、小泉氏が自分でパソコンを操作する、それだけでもち
     がってくる。

     閣議で、全大臣がパソコンを操っていたら、国民は皆、ITの波
     がそこまできたのだ、ということを直感的に把握する。

     首相官邸のホームページやメールの管理も、官僚にさせずに、
     私設秘書や書生にやらせればいい。

     彼らに、どれだけ面白い情報を拾いだせるか競争させればいい
     のだ。

     ことなかれ主義の官僚が選定するメールなど、なんの価値が
     あろうか。

     かつて田中角栄の第一秘書は言った。

     「私はオヤジが怒りだしそうな情報だけを選んで持っていった。
      タイコモチ風の情報は、すべて握りつぶした」

     と。

     官僚は耳に甘い情報しか首相に知らせたくない。

     それでは、総理は「裸の王様」そのものだ。

     総理に喧嘩を吹きかけたがっているような、活きのいい若手
     代議士や秘書や書生にこそ、メールの管理をやらせるべきな
     のである。

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    2009年04月27日 20時41分24秒

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    世襲議員問題について

    世襲問題について


    【原因は党内民主主義の欠如である】

     有能な新人を立てることができれば、世襲問題など起こらない。
     ここまでは、誰もが言うことである。

     しかし、現実にはそのようなシステムが存在せず、ゆえに、世襲
     がもっとも有効な手段となっている。

     江戸時代ではないのだから、世襲ゆえに世襲されるのではなく、
     それ以外に有効な新人発掘システムが無いから世襲が起こっている
     だけなのだ。

     有能な新人を発掘するシステムを作れば解決する問題だ、という
     ことである。

    【新人を発掘するということ】

     では、具体的に、新人を発掘するとはどういうことか。

     第一に、党内において誰もが候補者として名乗りをあげ、持論を展開
     する場が存在しなければならない。そういう場において、多くの候補
     が切磋琢磨していけるようにせねばならない。

     第二に、そのような討論を公開することによって、有権者に対して、
     我が政党にはこんな人材がいるんですよ、とアピールしていけるメディア
     を政党が持たなければいけない。

     新人には知名度も持論を有権者に知ってもらう機会もないのが現状で
     あり、こういう状況を放置していたのでは、いくら新人よ出でよ!と
     叫んだところで、現れる訳も無い。

     ゆえにこそ、世襲候補が立てられるのである。

     ようするに、政党内民主主義が欠如しているから、そういう事態になって
     いるということだ。

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    2009年04月26日 21時00分55秒

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    地方活性化と国土の均衡ある発展 2

    資本主義的、郷土の発展

     「国土の均衡ある発展」が地方に利するもの
     ではないというのであれば、地方はどうすれ
     ばよいのか。

     日本の歴史において、地方が生き生きしていた
     のは、戦国時代後半から廃藩置県のころである。

     この時代の地域は、「国土の均衡ある発展」など
     という虚言を信じてはいなかった。

     彼らは常に自分達の地方の繁栄富強を願ったの
     である。

     自分達の小国家の繁栄こそが唯一無二の目的
     であった。

     その方法もまた、「地方の特性を生かす」などと
     いうものではなくて、一般的な政策によるもので
     あった。

     わかり易く言えば、武田信玄は「ほうとう」や温泉
     旅館の経営で富強となったのではなくて、治水や
     金山の開発によって甲斐の国を強国にした。

     要するに、彼らの頭の中には、日本の一地域として
     とらえる「部分の意識」はなくて、自分達の地域を一
     国としてみる意識があったのである。

      地方を真に発展させる方法は、このような地域
     主義しかない。

     自分の地域の発展のために地元に産業を興すの
     だ、という意識を地元民が持たない限り、地方が発
     展することはあり得ない。

     これは経済効率に反する行為である、とも言える。

     しかしながら、資本主義というものは本来、金儲け
     主義から生まれるのではなく、金儲け主義を否定
     するところから生まれるものである。

     東京でラーメン屋チェーンを経営するほうが、庄内で
     機械工場を経営するよりも儲かるに違いない。

     しかし、庄内の発展の為に、ここで世界に通用する
     製品を作る工場を運営するのだ、という覇気が必要
     なのである。

     金儲けよりも、このような志を優先する世俗内禁欲
     こそが資本主義の基礎なのである。

     こういう意識を持った庄内人が多くいれば、間違いな
     く庄内は発展する。

     しかし現実はそうなっているでろうか。

     庄内の為に尽くすよりも、中央で活躍するほうがカッコ
     いいし、金にもなる。それが当たり前になっている。 
     どこの地方でもそれは同じことだ。

     だから地方は衰退することになる。

     地方人自身が、郷土よりも中央で働きたがっているの
     であるから、人材は中央に流出し、地方には中央に進
     出できない人間だけが取り残されることになる。

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    2009年04月26日 21時00分07秒

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    地方活性化と国土の均衡ある発展

    【国土の均衡ある発展という詐欺】


    国土の均衡ある発展という言葉は、詐欺的
    なものだったのではないか。

     均衡ある、などという視点は、中央の視点だ。

     地方の視点は、自分達の地域の発展だけを
     考えるものであるはず。

     均衡ある発展、などというものは、あきらかに
     地方の視点ではない。

     それなのに、地方は中央が自分達の地域の
     ためになにかしてくれるという期待をこの言葉
     によって抱いてしまう。

     しかし、もともと中央の視点でなされた政策で
     あるので、中央に都合のよい使い方しかされる
     ことはない。

     早い話が、せっかく地方に投資しても、それ以上
     に有利な投資先ができれば、そこへシフトする。

     あるいは、不景気になれば真っ先に地方の出
     張所や支店が縮小される。

     均衡ある発展とは、地方をトカゲの尻尾にする
     為の政策に他ならないということだ。

     地方人はそうとも知らずに、毒入りリンゴを食べ
     てしまった。いや、もっと毒をよこせと言い続け
     ている。

     まさに、禁断症状 !

     毒ではなくて、麻薬だったのだ。

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