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  • from: 一久さん

    2008年02月29日 07時33分06秒

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    空想より科学へ

    空想より科学へ       


     社会主義文献のなかで、世界中で最も読まれているのはこの「空想より科学へ」だ
     そうだ。この本は「反デューリング論」からのぬきがきであり、その「反デューリ
     ング論」は「マルクシズムをよく知っているという自信を持つ人にとっては、それ
     がどの程度の理解であるかをかんたんに計量する小さい秤」(訳者序 P9)なの
     だそうだ。


     岩波文庫 空想より科学へ エンゲルス 著  第39刷 大内兵衛 訳


     ------------------------------------

     なにをもって空想的社会主義というのか


     この書においてエンゲルスが空想的社会主義というものはなにかというと、それは、

     「社会主義とは絶対的真理、理性と正義の表現であって、それを発見しさえすれば、
     社会主義はそれ自身の力」によって世界を征服するものである」

     「そしてまた、絶対的真理というものは、時間や空間はもとより人間の歴史的発展
     とも無関係なものであるから、それがいつどこで発見されるかは単なる偶然である」

                                P48-P49
     ....というような考え方のことである。

     これはつまり、はじめに真理なり正義なりが存在し、それを発見して実現すること
     が政治の役割であるとした、近代以前の政治感覚と同じ基盤にたつものであろうか。

     絶対主義にのりおくれた人々(それを認める精神の強靭さを持てなかった人々)が、
     社会主義という真理を掲げて中世的政治感覚に逃げ込んだのが、空想的社会主義で
     あったのだろう。

     ------------------------------------

     科学的社会主義とはなにか


     「この二大発見、すなわち唯物史観と剰余価値・・(略)・・マルクスに負うところで
      ある。社会主義はこの発見によって一つの科学となった」 P63

     「唯物史観の最初の命題はこういう、すなわち、生産、それについでその生産物の
      交換が一切の社会制度の基礎であると」 P65


     科学的社会主義とは、つまるところ、経済(生産と交換)に社会変化の因を求める
     ことであり、その結果のひとつの仮説としての計画経済である。

     科学である限り、すべては仮説にすぎないし、弁証法的唯物史観というものは、経
     済(その他すべて)が変化することを前提としているのであるから、そこから生ま
     れる諸々の考察もまた、この変化によってその役割を次代の考察者に譲るのである。

     その国の経済の現状がこうだから、社会主義が起こり来るというべきであって、逆
     であってはならない。科学的社会主義という真理があって、これを未開国に普及さ
     せるという態度は、まったく空想的社会主義そのものなのである。

     自己批判というものもまた、経済によってなされなければならないであろう。スター
     リンが残虐であったから、というのは科学的社会主義者のいう言葉ではない。経済
     的にそういう人間が必要であった真因を探す努力こそが科学的社会主義者の自己批
     判でなければならない。

     ------------------------------------

     このようにみてくると、現実に登場してきた社会主義諸国は、科学的社会主義を詐
     称する空想的社会主義であったことになってしまう。そしてまた、政権を得るとこ
     ろまでいかないでいる社会主義政党についても同様の懸念が存在する。

     もしも、彼らが真に科学的社会主義を標榜するのであれば、ソ連や中国の失敗の原
     因を経済的理由に問わなければならないからである。スターリンの個人的資質にそ
     れを問うことは、自らも空想的社会主義であることの暴露でしかないのである。

     ------------------------------------

     資本主義の矛盾  - 計画生産へ移行すべき理由 -


     生産が社会化されたにも関らず、所有は個人(資本家)に属する。ここに一切の矛
     盾のもとがあるとする。ゆえに、その最終形態は所有(資本)の社会化であり計画
     経済であるということになる。

     そして、生産力のさらなる増大がこれを押し進めるとしている。

     だが、現代の現実をみると、そうなってはいない。一時期は国家が所有した鉄道や
     通信などの巨大事業さえもが、いまや分割民営に移っている。

     なぜこんなことになるのか?

     それは、経済的発展の結果であり、生産力のさらなる増大の結果である。

     経済が発展し、世の中に文物・サービスがあふれるようになると、消費者達は個々
     人の望む商品を購入することを求め、生産者はこれを先取りしてニーズに応えるこ
     とを強制されるからである。

     エンゲルスの時代においては、安売り競争という物理的・社会的競争しか無かった
     のであるが、生産物のあふれかえった時代においては、個人の要求に応えることこ
     そが競争に勝つための第一条件となったのである。

     生産物が生産者を支配する → 消費者が生産者を支配する

     そしてこのような消費者のニーズというものは、計画的に探しあてることが難しい。
     市場調査のように、判断を助ける方法はあるにしても、結局最後の判断は、個人の
     感性と資本家によるギャンブル的な投資によって決定するしかないのであるから。

     計画生産というものは、「ジュースならば皆おなじ」という社会状況でならばおお
     いに役にたつのだが、「100%がいい」とか「微炭酸でなきゃ」とか「キリン」
     でなきゃダメ、とかいう余裕のある社会においては、ウドの大木にすぎない。

     計画生産では、個人の要求に応えることは不可能だからである。

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  • from: 一久さん

    2008年02月29日 07時32分15秒

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    選挙というイベント


    選挙という名のイベント     


     昨今の政治や政治家に関する報道からすれば、投票率が10%だったとしてもべつ
     に驚くべきことのようには思えない。投票率40%以上もあったということのほう
     が不思議だ。ヽ(^。^)ノ

     40%といえば、TVなら超高視聴率だ。今の政治にそれだけの価値があるのだろ
     うか。

     しかも、選挙に参加する人間は、実際に自分の足で投票場に出向いて投票している。
     総有権者数を7千万人として40%ならば、2800万人以上がこのイベントに足
     をはこんだことになる。こんな大規模のイベントは、他にはあるまい。

     一日に全国から3000万人もの人間が参加するイベントとして考えるならば、選
     挙というものは、このシラケた政治の時代でも、とんでもなく巨大な規模の催しで
     あるということがわかる。

    【おみやげ】

     せっかくこれほどの数の人間が実際に足を運んでくるのだから、これをムダにする
     手はないだろう。各企業から新製品の宣伝配布を請け負えばいいと思うのだが。

     例えば、新製品の缶コーヒーならば、原価50円×7千万人で総額35億円の宣伝
     費で全国民に自社の製品をアピールすることができる。35億が多すぎるというの
     なら、大手数社で協力して配布することもできよう。

     企業側には選挙区の全有権者の数だけ物品を供出してもらい、棄権によって余った
     ぶんについては、投票場に災害対策物資として保管する。(たいていの投票場は小
     学校とか公民館とか、ようするに災害時の避難場所と同じだろうから好都合だ)

     選挙の帰りには、このおみやげの詰まった「福袋」がもらえる。「今年の福袋の中
     身はこんなんでした」とTVの前で広げてみせる久米宏の姿が目に見えるようだ。
                                    ヽ(^。^)ノ

     ------------------------------------
    【メーデーの羊羹】

     企業に頼らずに、税金で用意してもいい。帰りにジュースの一本もくばることは、
     子供会でもやってることだ。

     政党補助金だっけ? あれ確か国民一人あたり2百円か3百円ぐらい出しているん
     だろう? これに比べれば、よっぽど値打ちのある「銭」の使い方だと思うのだが。

     金で配れば200円は200円だが、物を買って配るならば、200円で400円
     ぶんの物を買うことができる。入札にすれば、さらに安く買うことができよう。

     200円×1億2千万人÷7千万人= 約340円

     コーヒー・ジュースにラーメン、羊羹、その他、もう少し買えるはずだ。

     そういえば、昔、メーデーの日に、父親がよく丸いヨーカンをもらって帰ってきた
     が..あの爪楊枝でつつくと皮が破れて飛び出して来るヤツ。

     選挙にいってヨーカンをもらおう!

     【連想】

     トリスを飲んでハワイにいこう!

     【連想】

     そうだ! 宝くじのほうがいいかもしれない!

     選挙にいって、1億円を当てよう! 「全国選挙くじ」一等1億円が240本。
     棄権する人間が多くなるほど、あたる確立が高くなるヽ(^。^)ノ

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  • from: 一久さん

    2008年02月28日 21時10分36秒

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    選挙ポスター


    【貼られることのないポスター】

     例のポスターの貼られることのない立候補者掲示板のことについて一案を示す。

     これらの多くは、比例代表がらみの名義貸し立候補者のそれであるらしいが、なか
     にはそうでない立候補者もいるのだそうな。つまり、運動員を雇う金がなくて全部
     の掲示板にポスターを貼ることができないのだそうな。

     しかし、これはおかしいではないか。

     公設の掲示板にポスターを貼るのに大量の運動費がいるというのも問題だし、いや
     しくも国民の代表として立候補しようとするものが名義貸しだなどと悪徳商人のよ
     うなマネをすることが許されるというのも問題である。

     なるほど、選挙区全域に散った掲示板のいちいちにポスターを貼って行くのは骨が
     おれるだろう。だが、掲示板は各掲示場所に運ばれる以前には、いずこかの倉庫に
     集められていたはずである。

     ならば、その倉庫において全立候補者のポスターを貼ってしまえばいいではないか。
     否、この倉庫から各掲示場所へ運ばれるまでにポスターを持って来るように義務付
     けるべきである。こうすることによって、名義貸しも少しは減るかもしれないし、
     貧乏立候補者も自転車で走り回る必要がなくなるだろう。

     その為の費用は供託金から実費で差し引けばいい。

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  • from: 一久さん

    2008年02月28日 21時09分46秒

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    大企業と中小企業


    【大企業と中小企業】

     新しい産業を起業・育成する為に中小企業を援助・刺激せよという。

     それなりの意義はあるのだろうが、しかし、そんなことで景気全体を揺さぶるよう
     な産業発展が起こるとはとても思えない。焼け石に水、という感しかしない。

     今の全体的な停滞感を打破して、飛躍的・革命的な産業構造の転換と発展を計るた
     めには、むしろ大企業を援助することによる社会改革こそが有効であると思う。

     大企業が大きな仕事をすることによってこそ、日本の産業社会も変化させうる。


    【信長と明治】

     小室直樹の著書だったと思うが、ソ連だったかロシアだったかの採るべき政策とし
     て信長や明治政府のやり方を挙げていた。

     いわく、自由経済を指向しながらも一部の大企業を優遇すること。この一見矛盾す
     る政策によって、大企業は膨大な独占利益を出しながらも自由競争の良さを理解す
     ることができる。中小企業もやがて、大企業の産み出した社会資本や労働者マイン
     ドを利用することによって自由競争に参入できる。

                       ...というようなものだったと思う。

     このやり方は、いまの日本においても有効なのではないだろうか。

     いま、日本経済は急激な改革を迫られているという。そのような明治維新にも匹敵
     するような改革が中小企業の援助などという「小さなことからコツコツと」したや
     りかたで可能なのであろうか。極めて疑わしい。

     例えば、CATVである。

     今のようなやりかたでは、急速な普及は見込めないだろう。フジサンケイやヨミウ
     リのような野心的な大企業に全国ネットを作らせればいいではないか。他にも参加
     したい大企業があればいれてやればいい。数年を経ずしてアメリカ並みに普及する
     だろう。

     中小企業は、できあがった全国ネットCATVを利用して商売することを考えれば
     いいのであり、そのための配慮を国はすればいいだけのことである。「ラスト・ニュ
     ース」の日野氏のように、チャンネルを借りて専門局を作ることのできるようにす
     ればいい。


    【共生関係】


     「大企業優遇!」といえば、普通はののしりの言葉である。「中小企業の虐待だ!」
     との声も聞こえてくるかもしれない。しかし、少なからぬ中小企業は大企業となん
     らかの取り引きがあるのであり、大企業の経営状態がよくなれば中小企業のそれも
     またよくなるのが普通であろう。

     さらには、直接大企業と取り引きのない中小企業も、全体的な景気の上昇によって
     恩赦をこうむることになるにちがいない。

     そのうえ、我々が今必要としているような経済全体の劇的な改革のための社会資本
     の充実や労働者気質の変化は、必ず新なビジネスチャンスを中小企業にもたらすは
     ずである。

     このようなビジネスチャンスを大企業が独占できるのであれば、大企業優遇は問題
     であるのだが、実際にはそのような独占は日本においては起こりがたいと思われる。

     日本における大企業と中小企業の関係は、むしろ共生関係にあるといえるのではな
     いだろうか。


     中小企業が持ち込む製造依頼を大企業が正当なしかたで受けていれば、中小企業が
     大企業を使う関係にもなり得る。任天堂と製造メーカーの関係などはその典型であ
     ろうか。

     もし、大企業が正当なやりかたで受けない場合には独占の問題があるといえる。

     例えば、ファミコンの製造依頼を断った後で自社でファミコンのソックリさんを作
     って売り出す、という場合である。当然、他の大企業にも任天堂からの依頼に応じ
     ないように圧力をかける。

     このようなやりかたがまかり通るならば、確かに大企業優遇は問題がある。逆に、
     こういうことが出来ないのであれば問題がないことになる。


     越後屋は悪代官に命令しない。だが、西部劇の町の有力者は保安官に命令する。
                        (厳密には命令ではないのだろうが)


     【まとめ】

      大企業を優遇し、改革の先鋒とすることによってこそ、今我々が必要としている
      ような大改革や基盤整備が可能になる。

      個人や中小企業の、発意を促すのはそれから(大企業による社会資本の充実が達
      成されてから)のこと。

      NTTという独占企業が全国に電話網を築いていたからこそ、様々な電話回線を
      利用したビジネスが考えられ現実化してきたのである。

      大企業優遇こそが、中小企業支援になる。

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  • from: 一久さん

    2008年02月27日 06時46分40秒

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    共産主義というもの

    【理想としての共産主義】

     「能力に応じて働き、必要に応じて取る」

     私の記憶が確かなら、これが完全な共産主義の世界だったと思う。

     だが、注意してほしい。「能力に応じて」というのは、決して我々が一般的に使う
     ”資本主義的意味”におけるそれとは違うのである。

     我々が「能力に応じて」というとき、それは何かによって能力があると判定された
     ということを意味する。その職業につく能力があると認められたもの以外は、そこ
     で働くことはできない、という意味に解釈せねばならない。

     しかし、共産主義の世界においてはそうではない。

     ここでいう「能力に応じて」とは、それをする能力があるならば、あるいは、ある
     と信じていれば、誰もが希望する職業につくことができるということである。

     そんなバカな! と思うだろうか? しかし、現実にそういう社会は実在する。し
     かも、我々にとっては極身近なところに。

     それは、いわゆる「フリーソフト」である。

     フリーソフトの作者は誰かの主催する試験を受けた訳ではない。ただソフトを作る
     ことができるが故に作ったにすぎない。「能力に応じて働く」の典型的な例であろ
     う。

     そしてまた、フリーソフトは誰もが「必要に応じて取る」ことができる。まさに共
     産主義の先駆的事例であるといえるだろう。

     逆にいえば、フリーソフトの成立する条件を考えることによって、他の文物が共産
     化されるにはどのような条件がクリアされねばならないかも見えて来る。


    【フリーソフトの条件】

     1. 減らない。無限大、半永久的に複製できる。つまり、無限大に増産できる。

     2. 流通が完璧。ほしいひとにほしいだけ確実・迅速に届けることができる。

     3. エネルギーを使わない(実際は使うのだが、ここでは無視する)

     こんな条件を並べるよりも、物体がフリーソフトに変換されて流通できると考えた
     ほうがわかりやすいだろう。

     例えば、私がタコ焼きを作ってOLSに登録する。そうすると、全会員はこれをダ
     ウンロードすることによって、タコ焼きが食えるのである。

     同様に、あらゆる人間が、手近にあるものや自分の自慢の作品をOLSとして登録
     する。すべての文物をほしいだけ手にいれることができるようになる。

     こうなってはじめて、共産主義は成立する。

     このことは要するに、ドラエモンの時代にならなければ、共産主義は不可能だとい
     うことを意味していよう。急進的な運動員のいうように、”明日くる”ようなしろ
     ものではないはずだ。

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  • from: 一久さん

    2008年02月27日 06時45分44秒

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    アジアのリーダー


    【アジアのリーダー】

     右のひとも、左のひとも、アジアとの関係強化だのアジアの信頼を得たいだのとおっ
     しゃる。両者ともにアジアにおいて日本が重きを為すことを望んでおられる点では
     全く一致しているように思われる。ただ、右寄りのひとは政治・経済に重心が掛かっ
     ているのに対して、左寄りのひとは文化・精神論に体重が掛かっている程度の違い
     にすぎないようにみえる。

     「リーダ」として釈明させろ、という者と、謝罪しなければ「リーダー」になれな
     いという者との違いにすぎず、どちらもアジアのリーダーになりたがっている点で
     は同じであるように見受けられる。

     しかし、私の考えるアジアと日本のあるべき姿は、このようなモノではない。

     むしろ、アジア各国がそれぞれ独自の高度文明社会を築き、日本からの影響力が失
     われる状態こそが望ましいのだというのが私の考えである。ちょうど、敗戦後の日
     本よりも、高度成長後の日本のほうがアメリカの影響をストレートに受けなくなっ
     たようにである。

     我々が望むべきことは、アジア各国の一人あたりのGNPがアメリカ並みに高まる
     ことによって産み出される膨大な市場と、国際社会に対する影響力の創造でこそあ
     るべきである。それが実現したアカツキには、日本もまたアジアのなかのドングリ
     のひとつに過ぎない状態になる。

     これまでは、非白人・非西洋の高度産業文明国家は日本だけであった。アジア諸国
     がこれに加わることは、国際政治環境の似通った国が増えるということであり、そ
     れは日本にとって望ましいことであろう。


    【大アジア主義と小アジア主義】


     ここで我々は中国をアジアのなかに加えるべきか、中国は別枠としてそれ以外の国
     だけをアジアとするのか、という選択を迫られるようになると思う。

     中国はあまりにも大きすぎる。もし、ひとりあたりのGNPが同じであるならば、
     中国はアジアのなかのドングリになることはできないであろう。

     したがって、私の構想では中国を加えない「小アジア主義」を採らざるを得ず、中
     国を加えた「大アジア主義」を採ることはできない。

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  • from: 一久さん

    2008年02月26日 20時11分41秒

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    本当は怖い国政選挙 3


    【 政党内民主主義 】


    ゆえに、我々が選挙において投票基準とすべきものは、各政党が本当に民主
    主義の政党であるのかどうか、どちらの政党がより優れて民主主義的である
    のか、ということでなければならない。

    個々の些末な政策などではなく、もしも問題が起きた場合に、内外の意見を
    広く聞き入れ、真摯な検討を行い、素早い決断ができるかどうか、そして
    もし失政をした場合に、固執することなく改めることができるかどうか、と
    いうことをこそ、選択の基準にせねばならない。

    これは民主主義の政党だけではなく、古今東西、すべての政治において求め
    られている能力であり、民主主義はその判定を、国民にゆだねる制度のこと
    である。

    この能力において優れているのであれば、独裁政党でも構わないし、国民がそ
    れを選択する可能性もある。

    だが、上に述べたような、「政治の用件」を、維持できる政治家や政治勢力
    は多くはない。すべての権力は腐敗するからだ。

    仲間内の、それも首領のイエスマンの声しか聞かなくなり、気に食わぬ情報
    や意見は一顧もせず、検討という名の逡巡をもてあそび、常に後手に回った
    決断しかできない。失政を隠そうとするならまだしも、どうみてもおかしい
    政策を、なお強引に主張する。すべての政党はそうなる運命にある。

    政党内民主主義とは、政党中枢がそうならないように、常に外の風に当てる
    ことを自らに課すということである。

    党の議員は党中央を批判し、政党員は党の議員を批判し、党員は国民の批判
    を歓迎する。このことは、究極的には、党員による投票で個々の政策を決定
    するということを意味するであろう。

    そこまでせずとも、もっと単純にかんがえればよい。

    つまり、貴方が政治について何かを言いたいとき、どの政党が、よりよく貴方
    の意見に耳を傾けてくれるか、真摯に検討してくれるか、政策に反映すること
    ができるか、を考えればよいだけのことだ。

    もっとも、貴方個人がそんな大それたことをする必要はない。たとえば、評論
    家や学者の誰それが、なにか良さそうな意見を言ったとき、各政党がどのよう
    な対応をするかを見ていればよい。

    あるいは、政党内において、どれだけ活発な意見交換と討論ができているかを
    みておればよい。それによって、どの政党に民主主義があり、どの政党にそれ
    がないかが分かるであろう。

    ぶっちゃけて言えば、今の日本で、党所属議員が意見を言い合えるのは自民党
    だけであり、その他の政党は、民主党を含めて、すべて非民主主義の政党だと
    いうことになりそうだが。。。

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  • from: 一久さん

    2008年02月26日 20時10分47秒

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    本当は怖い国政選挙 2

    選挙の結果、民主主義が否定されることがある、とはどういうことか ?

    選挙で選ばれた以上は、それは民主主義ではないのか ?


    【 政党と民主主義 】


    民主主義は、民主主義を否定する勢力が選挙に参加することをも承認する。
    そうでなければ、民主主義ではないからである。

    それは、自由主義者が、自由主義を否定する者の発言権を容認するのと同じ
    ようなものだ。

    ただ、民主主義も自由主義も、それを否定する意見には寛容であっても、
    反対者達の行動についてまでも許容する訳ではない。

    逆に言えば、行動において法的・倫理的に問題がないのであれば、という
    条件のもとでのみ、反民主・反自由の者達にも発言や活動を許すということ
    である。

    それはつまり、お行儀のいい、反民主・反自由の者達が、勝利する可能性
    がある、ということである。

    現代日本において、民主主義を正面から否定する政党は、ほとんど存在しない。
    だが、これをもって、すべての政党は民主的だということはできない。

    共産党や、かつての社会党も、「真の民主主義者」は自分たちだと言っていた。
    ナチスドイツでさえも、そう言っていた。

    だが、これらの政党を、民主主義の政党だと信じる人間は多くはあるまい。

    ならば、これらの政党が政権を取った場合、それはすでに民主主義の崩壊を
    意味するのではないのか。実際、ナチスはまさにそうしたのである。

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  • from: 一久さん

    2008年02月26日 20時09分12秒

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    本当は怖い国政選挙


    民主主義と選挙

    民主主義にとって選挙とは、「民主主義を否定する国民」が多数を占めている
    のであるならば、民主主義を終わらせてもよい、という、一種の ”踏み絵”の
    ことである。

    民主主義が国民主権に立脚する以上、もしも大多数の国民が民主主義を否定す
    るのであるならば、それに従わねばならないし、そのような審判の機会を、民主
    主義を否定する勢力に与えなければ、民主的とは言えないからである。

    民主主義は、国民によって民主主義が支持されているのだという禊ぎを受ける
    ことを必要としている。それが選挙というものである。

    そのような試練を乗り越えないければ、本当に民主主義が国民に望まれている
    のかどうか、分からないからである。

    言い換えれば、選挙によって民主主義が否定される可能性は常に存在するのであ
    り、それどころか、そうでなければ選挙の意味はない、とさえ言えるのである。

    ゆえにこそ、古今東西、選挙の結果、とても民主的とは思われない政権が誕生
    することが少なくない。

    選挙をすれば民主主義なのではない。選挙は民主主義が受けることを運命付け
    られた、試練にほかならないのである。


    【 まとめ 】

    民主主義とは、国民が望む政治を行うという制度である。であるならば、まず
    第一に、国民が民主主義を望んでいるのかどうかを国民に聞かねばならない。
    それが、国政選挙というものである。

    ゆえに、国民が民主主義を否定する結果となる場合もあり得るのだ。

    それは、民主主義の欠陥ではなく、宿命なのである。

    本当に民主主義で良いのか、と聞く作業を無くせば、民主主義自体の正当性も
    消滅してしまうがゆえに。

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  • from: 一久さん

    2008年02月25日 07時49分41秒

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    モノマネ論

    マネるには精神力も必要】

     マネをする為には、「我もひとなり、彼もひとなり」「ならぬは人のなさぬなりけ
     り」とでもいう、我々にも出来るのだという自信も必要である。

     今の我々からすれば、欧米人にできて日本人に出来ないことなんか有る訳がないと
     いう考えは当たり前のこととして受け止められるけれども、昔はそうでは無かった
     し、地域・国家によっては今なお自信を持てない人々も存在する。日本人には独創
     性がない、独創的なことは出来ない、というひとなどもこの種の劣等感に取り付か
     れた人々ではあるまいか。

      ヽ(^。^)ノ いまや天然記念物というべきかもしれないが。

     ちなみに、京大を作るにあたって日本人に独創性はあるのかないのかということを
     真剣に吟味した結果、ある、という結論に達して創設したのだそうな。ノーベル賞
     授賞者が京大出身者に偏っているのもこのことからいえば当然であると思える。東
     大は西洋を輸入するところ、京大は独自の研究をするところ、として設立されたの
     だから。

     自分達にもできるんだ、という信念なしにはマネする気力も生まれてこないものだ。

     ヨーロッパ人自身、エンリケ航海王子以前にはアラビア人のように海を渡ることは
     不可能だと思っていたそうだし、現代でも韓国財閥のトップがタンカーを作る、と
     いいだしたときの韓国国民の反応は、そんなこと出来る訳がない、だったそうだ。

     モノマネ上手ということは、上のような健全な精神を持っているという証拠であり、
     それはむしろ誇るべきことである。それ以前に、相手の長所を認めることのできる
     度量を持っているということでもある。

    【マネしの大先輩】

     ヨーロッパこそは、猿真似の大先輩である。そのほとんどすべての学術の基礎は、
     イスラム・アラブ圏から輸入したものである。

     しかも、自分達こそがギリシャ・ローマの正当な後継者でござい、と喧伝し、自分
     自身もその気でいるのだから徹底している。そのうえ、真にギリシャ・ローマの継
     承者であったイスラム・アラブをその敵対者であったかのごとく中傷するに至って
     は、あまりの徹底ぶりにあきれかえってしまう。

     我々は無意識のうちに遣隋使以来の日本と中国の関係をヨーロッパとギリシャ・ロー
     マ間の文化交流に置き換えてしまうけれども、ヨーロッパが本格的にギリシャ・ロー
     マの文化遺産を手にするのは16世紀のことだそうな。しかもそれらはすべてイス
     ラムによって守られ伝えられたものである。

     文化を輸入してからたかだか五百年しか経たないヨーロッパが正当な継承者を気取
     ることが許されるのであるから、百年と少しの日本もまた、ギリシャ・ローマの継
     承者でござい、と名乗ってもかまわないはずである。

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