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SIG 市民の討論広場>掲示板

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  • from: 一久さん

    2008年07月31日 20時02分52秒

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    ドイツ人について

    「ドイツ 傷ついた風景」 

     足立 邦夫 著 講談社文庫 P 940

     ナチスドイツの過去が戦後のドイツにどのような影をなげかけているか
     をテーマびしたルポタージュ。

     統一後までをカバーしている。

     
     本書に登場するドイツ人たちの多くは、ナチスとドイツ人一般との区別
     を強調するのだけれども、私の考えでは、ドイツ人の性質は、ナチスと
     共通するものがある。

     その国の人間の内面を知るための、もっとも優れた方法のひとつは、
     相手の国の人間が日本について書いた本を読むことである。

     日本を語らせることによって、じつはそれを語っている人間の内面こそ
     が明らかにされる。俗に言う「問うに落ちずに語るに落ちた」というやつ
     だ。

     さて、そうしてみると、アメリカ人やフランス人にくらべて、ドイツ人の著者
     には、共通して他文化(ここでは日本の文化)への破壊的な姿勢が目立
     つ。

     たとえば、お歳暮・お中元といった習慣に対して、フランス人は「農園でリ
     ンゴが腐るよりは、お歳暮を送られた家で腐るほうが、経済が動くだけま
     しかもしれない」と言い、

     アメリカ人は、それじゃあ我々も、とばかりに、パイを焼いて配ったりする。

     ところがドイツ人は、「そんな馬鹿な習慣は止めてしまいなさい」といい、
     「それで付き合いが壊れるのならば仕方がない」という。

     フランス人やアメリカ人にくらべて、ユーモアと余裕に欠ける。

     このような「止めてしまいなさい」風の記述は、複数のドイツ人の著書で見
     ることができる。否、それ以外の、余裕のあるコメントを読んだ記憶がない。

     ドイツ人のこのような姿勢は、ナチズムのような他文化・異民族への攻撃
     と排除に容易に結びつく。

     さらにそれは、言論の自由に対する妨害ともなる。

     他の文化への攻撃的な姿勢は、違う意見の持ち主への暴力の行使と深い
     部分でつながるものだからである。

     ナチスドイツの過去を気にするあまり、今のドイツではナチスの功罪の功の
     部分や、イスラエルの過激な行動について論評することは著しく制限される。

     しかしこれは、言論の自由の否定であり、自分と異なった意見の持ち主に対
     する、破壊的行為である。

     こんなものがなお残存しているドイツは、真の意味で自由民主の国ではない。

     そればかりか、このような性質を隠蔽した国家は、遠からずしてその本性を
     表すであろう。

     ナチスを否定してなお、ナチスよりもたちの悪い妖怪を生むことになる。

     ドイツ人が、ユーモアと余裕をもって、異文化に接することができないかぎり、
     妖怪たちは何度でも息を吹き返すであろう。

    _________________________________

     さて、なんでドイツ人というものは、こんなやっかいな宿業を背負い込んだので
     あろうか。

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  • from: 一久さん

    2008年07月31日 20時02分09秒

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    韓国と日本の儒教の違い

    韓国の儒教

     韓国人はよく威張る、のだそうな。

     「韓国人の客はキライ。威張り散らすんだもの」

     日本に留学してレストランでバイトをしている韓国人女学生の声。

     なぜに、こんなに威張るのか。

     儒教の影響だというのである。

     一瞬、ああそうか、と思ってしまうのが日本人特有の素直馬鹿というもの
     だが、ちょっと待ってくだされ。

     少なくとも、日本の儒教は、「威張り散らせ」なんてことを教えてはいない。

     たしかに、目上を敬えとはいうが、同時に下を慈しめともいう。

     目上の人間は、下の人間にへりくだり、同格の相手にはその顔を立てる
     ことに腐心する。

     日本人の考える儒教とは、このようなものではなかろうか。

     金持ちや、地位の高い人間が威張り散らし、その下で庶民が呻吟している
     などという状況が、儒教社会ならば、そんなものはいらない。

     古代中国の、それも儒教が国教となる漢代以前の記述からしても、日本式
     こそが儒教精神を正しく表していると考えざるをえない。

     例えば、晏子とその御者の話である。

     晏子の御者は、宰相である晏子の御者であることを誇りに思い、毎日、肩で
     風切る威張りようであった。

     その態度に我慢ならず、妻は離婚を要求する。

     ちなみに、宰相の御者というものは、そのまま戦場においても軍司令官戦車
     の御者となる。晏子は大国・斉の国の宰相であるから、この御者は国軍最高
     指令の座乗する戦車を動かす立場にある。自慢したくなるのも、しかたのない
     ほどの大任なのである。

     妻は言う。

     晏子の名声は天下に響きわたるほどなのに、宰相はいつも質素に暮らし、下
     の者にへりくだっている。

     なのに、その御者ごときが、威張り散らすとはどういうことか。そんな志の低い
     男とは一緒にいることはできない、と。

     こう言われて御者も目が覚めた。それ以降は、晏子を見習って、威張り散らす
     ようなことはしなくなり、その様子をみて晏子はこの御者に、さらなる出世を用
     意したという。

     さて現代に戻ろう。

     日本人の考える儒教とは、いうまでもなく晏子の態度そのものである。

     対して、韓国人のやっていることは、晏子の御者のものである。

     日本の儒教は、「朝鮮人が教えてやった」ものだそうだ。

     それにしては、韓国の儒教は、ずいぶんと古代中国の規範から外れてしまって
     いるではないか。

     もしかすると、韓国には、史記の時代の故事は伝わっていないのではないだろ
     うか。

     伝わっていたとしても、ほとんど重視されていないのではないだろうか。

     私が韓国人に質問したいことのひとつは、まさにこれである。

     「貴方は、晏子と御者の話をご存じですか?」 と。

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  • from: 一久さん

    2008年07月30日 06時35分12秒

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    韓国のウリと日本の和

    韓国の「ウリ」 と日本の「和」

     韓国民に告ぐ!   金文学 金明学 著 祥伝社 黄金文庫 289

     読了しました。

     「知日派の為の弁明」よりも古い本ではあるが、それ以上に過激な韓国
     批判となっている。

     そのなかで、面白い話をひとつ。

     韓国人の少なからぬ人々は、韓国のほうが日本よりも大きいと錯覚して
     いるのだそうな。

     TVの天気予報の地図を見れば、過ちであることは誰にでも解るのに、
     である。

     そういえば、慶長の役、だったかで連れて来られた朝鮮の学者も、朝鮮の
     国土が日本の半分しかないということを驚きとともに報告している。

     もっとも、このころは、日本の学者もそれが判明して一緒に驚いていたので
     あるが。

     秀吉の時代と、韓国人意識はほとんど変わっていないのであろうか。

     そうだ、もしもヘンな韓国人にからまれたときには、こう言ってやればいい。

     「韓国と日本とでは、どちらの国土がより広大であるかご存じか?」

     我々日本人にとっては、国土の大小など、たいした意味がない。

     スイスは小さな国だが、ある意味で最大級の尊敬を勝ち得ているし、南ア
     フリカなどは、人種差別政策を撤廃するまで、もっとも汚れた大国のひとつ
     であった。

     だが、韓国人にとっては「大か小か」は、大きな意味を持つのだ。

     冒頭において、「日本は韓国よりもはるかに大きい」と認めさせられることは、
     強烈な先制パンチを食らわされるに等しいことなのである。

     _______________________________

     韓国人はど外人を排斥する人々はいない、とこの著者はいう。

     一方で、韓国人ほど「情」の篤いものはいない、と韓国人はいう。

     これは、どういうことかといえば、「ウリ」と呼ばれる身内意識の内側にある者
     同士においては「情」が働くが、「ナム」と呼ばれるそれ以外の者に対しては、
     いかなる非道も許されるということだ。

     つまり、身内に甘く、他人に冷たく、が徹底しているのである。

     ただし、この「ウリ」はかなり伸縮性に富んでいるので、外国人旅行者が「ウリ」
     として歓待されることもあり得る。

     「ウリ」になる為には、彼らが彼ら以外の韓国人に対して自慢できるようななに
     かをこちらが用意する必要があるのだが。

     例えば、どっからみても金持ちの紳士淑女という恰好で歩けば「このような紳
     士に声をかけられる俺様は偉いのだぞ」という意識から、ウリとして歓待される
     であろう。

     TV番組のレポーターがカメラを引き連れていけば、さらに上の扱いを受ける。

     ましてや、彼らがコンプレックスを抱いている「日本」の者が取材に来れば、近
     所に対して鼻高々である。当然、壮大な歓迎を受けることになる。

     日本の「和」もまた、身内に甘く、他人に厳しい。

     ただ違う点は、「和」の場合は、和の内に入る為の条件は、行動であるという点
     にある。

     だから、たとえ肉親であっても、行動が和を乱す者は、和からはじき出される。
     
     逆に、行動が高く評価される者は、外国人(韓国人でもアフリカ人でも)であって
     も尊敬される。

     「遠くの親戚よりも、近くの他人」なのである。

     行動が基準となるのであるから、まともな人間にはこのほうが与しやすい。

     要は、紳士的に振る舞いさえすれば、少なくとも敵意をもたれることはないので
     あるから。

     ちなみに、ジャングルの未開人に対してさえも、紳士的な振る舞いというものは
     良い対応を引き出す力を持っているのだそうだ。

     原住民と争って殺される人間の多くは、武器や経済力を背景にした、増長した
     人間であるという。

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  • from: 一久さん

    2008年07月30日 06時32分34秒

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    テレビの字幕と障害者  識者の傲慢について

    TVの字幕文字

     TVの字幕、といっても、ニュースなどのものではなくて、バラエティー
     番組で使われている「ガハハハハ」とかのものについて、

     「下品だ」とか「目障りだ」

     とか、批判する人がいた。

     それに対して、別の人がいう「聴覚障害者の為に必要なものだ」という
     意見に対しても、

     「それは言い訳だろう。それならあんな下衆な音声までも文字化する
      必要なんかないじゃないか」

     という。

     これに対する、私の意見。

     大衆は下衆な番組を好んで観る。

     それは健常者も聴覚障害者も同じである。

     ならば、「下衆な音声までも文字化する必要はない」という見解は、障
     害者には庶民の娯楽を与える必要はない、という不当差別そのもので
     あるということになる。

     下衆なものは与える必要はない、という、恐ろしく思い上がった者の持つ
     傲慢な思想なのである。

     障害者だからといって、「与えられる」などという境涯を甘受しなければ
     ならない、ということはないのである。

     健常者と同じように、高邁なものも、下衆な番組も、自由に選択して観る
     権利があるのである。

     上のような見解に賛同する人の脳裏には、「こうあるべき」という障害者
     のスタイルがこびりついている。

     障害者も人間である、ということを忘れているのである。

     繰り返す。

     障害者は子供ではない。

     下衆なものも、高尚なものも、それを選ぶのは障害者自身なのだ。

     健常者がするべきことは、彼らが選ぶことのできる文物を制限しないよう
     にすることなのである。

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  • from: 一久さん

    2008年07月29日 08時28分41秒

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    鳩山家の勉強法

    鳩山家の勉強法

     鳩山家は代々、東大に何人も合格しているのだそうな。

     その勉強法について書いた本がたしか出版されたことがある。

     ちょっとだけ立ち読みしたような記憶があるが、そこにはこんなことが
     書いてあった。

     たとえば、数学の場合、問題集の解答を読んでから問題を解く、という
     のだ。

     なるほど、入試に合格するという目的を達成するためには、これが最も
     効率的な方法であろう。

     しかし、この方法は、政治には通用しない。

     なぜならば、政治とは、「解」のない問題に答える行為だからである。

     入試問題は、すべて「解」が用意されている。

     だからこそ、解答を読んでから問題に挑むということが可能である。

     政治には「解」がない。

     「解」があるならば、政治家は必要ない。

     もしも政治問題に解があるならば、解を見つけ出せる専門の学者に任せ
     ればよいのであって、シロウトたる政治家にするべきことなどない。

     しかし、世の中の多くの問題は、専門家が見いだすことのできるような「解」
     をもっていない。

     まず、専門家全員の意見が一致すること自体がマレである。たとえ意見が
     一致したとしても、それをどのタイミングでどの程度の規模で実行するかと
     いう段階になると、もはや専門家だけで判断することはできなくなる。

     たとえば、地球温暖化の問題にしても、CO2が原因であると判明したとして、
     では明日からどうするのか、ということになると、産業界その他の意見を聞き、
     利害を調整して、可能な範囲で暫定的に規制していく、という方法をとらざる
     をえない。

     これはもはや、環境問題の専門家の守備範囲を超えてしまっているし、どの
     規模やレベルでするのかという問いに対する絶対に正しいと言える「解」は、
     どこにも存在しない。

     その「解」のない問題に答えをだすべく、妥協や止揚を試みるのが政治家の
     仕事なのである。

     鳩山家の勉強方法では、東大に合格できる人間は作れても、政治家として
     優れた人間を作ることはできないのだ。

     いわゆる「李斯のネズミ」である。

     鳩山家の方法では、大蔵のネズミになることはできても、天下を動かすこと
     はできないのだ。

     この方法では、趙高を作ることしかできないのである。

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  • from: 一久さん

    2008年07月29日 08時26分00秒

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    言論の自由

    守るべきもの

     意見の違いを超えて守るべきもの、それは、言論の自由である。

     なんだ〜〜〜〜 ( °O °;)    というなかれ。

     言論の自由、これを組織の中で確立することの、なんと難しいことか。

     逆に、言論の自由の名のもとに、言論の自由が否定されることのなんと
     多いことか。

     早い話が、罵倒MSGの飛び交う掲示板には言論の自由はない。

     自由とは、野放しの自由のことではない。

     野放しの自由の正体は、自分の自由は主張するが、他人の自由はこれを
     奪う、ということなのである。

     天然自然の自由とはそういうものなのだ。

     これは、善悪の問題ではない。自然界の掟なのである。人間だけではなく、
     動物も植物さえも、このようにしてそれぞれの種族を生き次いでいるのであ
     る。

     人間の人間たる所以は、そのような自己利益しか考えない自由に足枷をは
     めることによって、本来自然消滅してしまったであろう才能を保護育成し、も
     って、社会全体の発展に寄与せしめた点にある。

     すなわち、独占を禁止し、新規参入を促したのである。

     政治の世界においても、同様でなければならない。

     どんなに異なった意見の持ち主が集っても、それぞれの意見が尊重され吟味
     されるシステムを政党は持たねばならない。

     それが具体的にどういうものになるのか、それは試行錯誤の中からしか見え
     てこないものである。

     ゆえにこそ、複数の政党が存在するべきなのである。

     つまり、政党の評価は、どの政党がより良く意見交換を行い、よい結論をだせ
     るかによって決められねばならない。

     その判断基準は、ひとによって異なるであろう。

     妥協的な漸進案を好むひともいれば、急進的な意見をぶつけ合う政党が好き
     というひともいよう。

     だから、政党が多様な意見を内包する場合にも、複数の政党が必ず必要とな
     る。

     どちらがより良い政党内民主主義を確立しているか。 最大の争点はそこに
     あらねばならない。

    _________________________________

     では、違った意見を集約する為に、具体的に何が最も重要なのであろうか。

     私はこの掲示板を始めるにあたって、討論態度こそが最も重要だ、という
     ようなことを言った(ような気がする (^o^))。

     政党にも、同じことが言える。

     よき討論態度の徹底こそが、最低限度の必要条件なのである。

     人は自分が信じる事を主張するとき、信じられないほど愚かな行動をする。

     卒業式の壇上から日の丸の旗を引きずり下ろす教師は、ファシストである。

     ファシストの定義は、自己正当化とその暴力による実行であるのだから。

     逆に、ファシストだと名乗る人間でも、その討論態度が他人の意見を尊重し、
     冷静に反論するものであったならば、この人はファシズムを名乗る自由主義
     者である、と言わねばならない。

     反戦・平和を叫ぶ人が、ファシストでないという保証はない。

     軍備拡張を主張する人は、自由主義者でないという訳でもない。

     重要なのは、その討論態度なのであり、それを保証する討議進行なのである。

     もしも、誰もが認める活発かつ紳士的な討論の場が形成されたならば、意見
     の違いを超えて、その場を保持することに努めるであろう。

     そのような、「保つべき場」としての魅力を持つこと、政党の存在意義はそこに
     あるべきなのである。

     それができたとき、政党内民主主義は確立した、とはじめて言えるのだ。

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  • from: 一久さん

    2008年07月28日 22時17分55秒

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    小選挙区制への誤解 2

    小選挙区制度の誤解

    小選挙区制度についての批判には、一見もっとものように見えて、実は
    相当に疑問に思えるものがある。 それらについていくつか述べてみる。

    以前に述べた「死票」の問題については、ここでは割愛する。 要点だけ
    を述べれば、何かを選択するということは、何かを捨てるということである
    のだから、死票が出るのは悪いことではない、ということだ。

    むしろ、死票が全くでないという選択方法は、政治の死を意味する危険が
    ある。 選択をしない、ということを意味するからである。 その先にあるのは、
    無政府状態か独裁である。

    では本題に入ろう。

    まず、小選挙区は市議会船選挙の選挙区よりも小さい場合がある、という
    ような批判「?」があることについて。

    なるほど、そのような場合もある。

    しかし、少し冷静になって考えてみたまえ。 一小選挙区の国民の数は、ど
    れぐらいであるのかということを。

    我が東大阪市(塩爺の選挙区だ)は、ちょうど市域と小選挙区とが同じである。
    そして、その人口は約50万人である。

     これを小さいと言えるのだろうか? 一票の格差というものがあるから、もう
     少し人口の少ない選挙区もあるだろう。 しかしそれでも二倍以上ではない
     のだから、少なく見積もっても、一選挙区には25万人の国民がいることにな
     る。

     選挙区が小さいと利益誘導型の選挙になりやすい、ということであるが、さて、
     25万人もの国民を利でつり上げられることができるのか?

     ________________________________

     一方で、そもそも選挙区が小さくてはいけないなんて、本当のことなのだろうか?

     私には、その逆のように思えるのだ。

     選挙区が小さければ小さいほど、マトモな人間が選ばれる可能性が高く、選
     挙区が大きければ大きいほど、劣悪な人間や人気だけの輩が選ばれること
     になるのだ、と思えてならない。

     小学校の学級委員長には、いかにもというべき生徒がなるが、中学校や高校
     の生徒会長には、なんでこんな奴が、と言いたくなるような生徒が選ばれるこ
     とが「まま」ある。

     さらに、大人のやっている選挙においては、醜悪な人間でなければ政治家に
     なれないのではないか、と思ってしまうような当落結果が普通である。

     選挙区が大きくなるほど、その人間の人物・識見ではなく、世間に対する影響
     力がモノを言っているのだ、ということがよくわかるだろう。

     小さな選挙区のほうが、有権者が政治家の人格を知る機会が多い。 ゆえに、
     そのほうが人間としてマシな者を政界に送り込める可能性が高い。

     「李斯のネズミ」の話のように、中の上以上の頭脳を持った人間であれば、
     だれでも首相ぐらいは勤まるものである。

     つまり、小選挙区からは小粒な人材しか生まれない、などというのも、全く非
     論理的な妄想にすぎない。 そういえば、イギリスのサッチャー元首相の選挙
     区も、ずいぶん小さいものだそうだ。

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    2008年07月28日 22時15分53秒

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    小選挙区制度への誤解

     

    「代議士秘書」という本の中で述べられていることのうち、ひとつだけ
    コメントしておきたいところがあった。

     それは、小選挙区制についてのところである。 P140 〜142

    > こういう小さな選挙区では、国会で審議している国政レベルの法案なり
    > 予算などというのは九九パーセント関係ないことになってしまう。

    > 有権者にとっても、議員はごく狭い地域の利害を代表してくれればそれ
    > でよく、それ以上のことは知ったことではないのだ。

    > この傾向は、選挙区が小さくなればなるほど強まるはずだ。

    > こうなると政治家は地元への利益誘導だけしていればいいことになり、
    > こむずかしい政策論争に力を入れ、委員会の審議などに加わって意見
    > を述べたりするのは、けっして得策でないということになる。

     と述べられており、解説の新藤宗幸・立教大学教授は「まさにそのとおり」
     だと賛同しておられるのである。

     しかぁ〜し! (^0_0^)

     私に言わせれば、彼らがそのような意見に傾くのは、彼ら自身が利益誘導
     の政治にドップリと頭の先まで漬かっているからに他ならない。

     そもそも、国民有権者の多くは、代議士を介しての利益誘導などというもの
     からは、無縁な人生を送っているものである。

     小選挙区制であろうと、中選挙区制であろうと、「センセイ」方に接近して、
     なにかの利益にありつこうとする人間は、少数派なのである。

     つまり、小選挙区制において、当選を確実にするほどの票を利益誘導で得
     ることはできないのである。

     だから、「地元への利益誘導だけしていればいいことになり」などというのは
    まったくの、絵に描いた餅に他ならない。 利益誘導で得ることのできる票は、
    ごく一部の有権者のものだけなのである。

    この本の著者や解説の大学教授が、 こんな馬鹿げた夢想をしてしまうのは、
    彼ら自身、中選挙区制度のもとでの利益誘導型選挙の感覚が、骨の髄まで
    染みついているからに他ならない。

     そして、長年連れ添ってきた小泉純一郎という政治家もまた、この秘書と同じ
     感覚を持っているのであろう。

     一部中選挙区制を導入とか言い出すのも、それゆえであろうか。

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  • from: 一久さん

    2008年07月26日 22時25分25秒

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    洗脳とは言論の自由が無いこと


    思想統制による洗脳

     少し旧聞になるが、韓国が日韓関係について書かれた本を「有害指
     定図書」にしたそうな。

     なるほど、やはり韓国は言論の自由のない、思想統制の国家であった
     のか。

     そういえば、中国もまた、それ以上に自由な言論の許されない国である。

     中国・韓国に対して、台湾の言論は、日本支配時代の批判もゆるやかで
     あるそうだが、これは、台湾の言論が中国や韓国よりも保証されている
     ことを意味するのかもしれない。

     さて、中国や韓国が、思想統制された国家であるのであるならば、その
     国民の頭脳は、ある種のイデオロギーに洗脳されていることになる。

     ということは、そのような洗脳された人間と、まともに討論することは時間
     の無駄ということだ。

     彼らの思想は、統制された言論の中で培われたものでしかなく、公正に
     物事を判断する力がないのである。

     彼らが、国家の統制から離れ、自由に相反する言論にふれることができる
     ようになるまでは、対等の相手として認めることはできない。

     もっとも、少なからぬ人々は、外国に住み着いてなお、洗脳された思想か
     ら脱却できずにいるのであるが。

     自分達が、国家に思想統制され洗脳されたのだ、という自覚を持っていな
     い韓国人や中国人の言うことには、耳を貸す必要はない。

     彼らが、洗脳されていることを知って、目覚めることを期待するのみである。

     _______________________________

     それでも、「日本の過去」について言われたら?

     なんせ、洗脳されている人間は、思い込みが激しい。 一切、聞く耳を持た
     ずに過去を問うことをしようとするだろう。

     私なら、こう言う。

     「大事なのは、今、現在だ」

     「今現在、正しいことをしているかどうか、ということだ」

     「今、正しいことをしていない人間には、過去を問う資格も、未来を作る能力
      もありはしないのだ」

     今現在、思想統制という正しからざることをしている国の国民の言う「過去」
     に、いかなる信憑性があるというのか。

     ましてや、過去を問うことによってなにがしかの利益にありつこうとするような
     下衆な考えを持ったもの達に、その資格があろうか。 

     そのような小人の国家には、未来などある訳もない。

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  • from: 一久さん

    2008年07月26日 22時22分35秒

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    小泉政策 と ケインズ政策

    小泉政策 と ケインズ政策

    【車の両輪のごとし】

     小泉流の自助努力重視・バラマキ抑制の政策と、ケインズ流
     の公共投資による需要喚起政策とは、対極にあるかのごとく
     思われやすい。

     しかし、この二つは、車の両輪のごときものであって、両者
     とも必要であり、かつ、協調しあうべきものである。


    【企業努力の結果、必要雇用者数は減る】

     自助努力や競争によって、生産性が向上すると、その企業で
     必要とする労働者の数は減る。

     それを補うだけの生産量の拡大があれば、雇用は減らないの
     だが、なかなかそうもいかない場合がある。

     このあたりの原因は、よく分かっておらず、ゆえに、自説に
     沿って好き勝手に皆が言い合っている。

     小泉氏は、やがて金が回るようになる、と言い、それに反対
     する人々は、間に合わない、と言った。どちらも間違ってい
     るようでもあり、どちらも正しいようでもある。

     以前、8000円台だった株価が、12000円越えしたの
     だから、自助努力が経済の活性化につながったと言えないこ
     ともない。が、低所得者が多数存在することを見れば、うま
     くいっていないようでもある。

     すくなくとも、好景気とは言い難いのであるから、勝ち組
     から、他の人々へ「金が回っている」とは言えまい。


    【賃金決定の要因】

     賃金は需給関係によって決まる。需給が逼迫すれば上がり、
     弛緩すれば下がる。

     生産性が向上し、かつ、生産量が増えないのであれば、労働
     需要は少なくなる。その結果、労働力が供給過多となり、賃
     金は下がることになる。

     企業に残った労働者の給与も上がらないので、彼等による消
     費拡大は望めないことになり、生産量の拡大も起こらない。

     生産性の向上は、必要労働力を減少させ、その結果、賃金を
     低下・停滞させるのである。


    【ケインズ的テコ入れが必要】

     そこで、ケインズ流の政策によって、労働者に仕事を与え、
     労働者自身による消費の拡大と、労働市場の需給関係逼迫
     による賃金上昇を図る必要がある。

     「自助努力」と「ケインズ流」とは、敵対関係にあるのでは
     ない。例えて言えば、それは、トレーニングと食事の関係に
     近い。

     トレーニングによって贅肉を燃やし、引き締まった体を作る
     ことは、健康の為に良いのであろうが、それに応じた栄養の
     ある食事を取らなければ、やがて枯死することになる。

     自助努力によって生産性を向上させ、その上で、ケインズ流
     によって労働者に栄養を注入する。

     どちらかではなく、両方が必要なのである。


    【高度成長期の日本】

     では、かつての日本はどうであったのだろうか。

     まさに、このモデルがピッタリと当てはまっている。

     政府は史上初とも言われる、本格的ケインズ政策を実施し、
     労働者に金を与えた。

     だが、これだけではあるいは日本の繁栄は無かったかも知れ
     ない。

     実際には、これと平行して、企業間の猛烈な競争が起こった
     のである。その結果、各企業は贅肉をそぎ落とすことを余儀
     なくされた。

     その競争から免除された特定の産業(例えば農業・地方の土建)
     は、甘やかされたおかげで発展することができず、いまだに日
     本経済の足を引っ張り続けているのだが。

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