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  • from: S1さん

    2006年05月31日 21時08分31秒

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    「237補足 」
    ソ連邦の崩壊や、日本の明治維新は、確かに分類上は
    革命ではない。しかし、その前後で、国民生活は大き
    く変わった。
    ロシアでは共産主義の締め付けが解かれ、大手をふっ
    て教会に行けるようになり、西側諸国を敵視する必要
    もなくなった。明治の日本にいたっては、廃藩置県や
    らざんぎり頭やら、何をかいわんやである。

    現代日本において、天皇制の廃止は、たしかに分類上
    は革命といえよう。しかし、どれだけ国民生活に影響
    がおよぶだろうか。
    天皇制が廃止されても、サラリーマンはきのうと変わ
    らず満員電車に揺られて8時半に出社し、八百屋の主
    人は10時に店をあけるだろう。GWや盆休みには数
    百万人が海外に出かけ、子供のいる家庭では「ちびま
    る子ちゃん」を観ながら夕食をとるだろう。
    せいぜいが、皇室行事がなくなるくらいで、そんなも
    のは大多数の国民にとっては生活のほんのひとコマに
    すぎない。
    株価が一時的に下がるかもしれないが、おそらく間違
    いなく外国人投資家が拾い買いをするだろう。恐慌に
    なることはまず考えられない。
    革命とは名ばかりで、結局は単なる社会制度改革に近
    いものになるのではないでしょうか。

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  • from: S1さん

    2006年05月30日 22時13分48秒

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    「Re:社会制度改革 ?」
    とっくの昔と言われても、天皇制が現在の形に
    なったのは戦後でしょう。わずか60年しかた
    っていません。

    それ以前は、ほとんどの国民にとって雲上人の
    天子さまだったわけで。
    今では、天皇の世継ぎに対して国民レベルで投
    書やら署名運動やらで口出しするありさまです。
    おそらくは2600年もの長い歴史の中で、天
    皇が国民たちからこのように扱われる時代はな
    かったと思います。
    昔ならいざしらず、今では廃止さえ社会制度改
    革に近いと思いますよ。

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  • from: 一久さん

    2006年05月29日 21時51分40秒

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    教育とは観念の植えつけか


    【教育とは観念・思想の植えつけである】

     社会的教育とは、観念の植えつけであるという意見は、正しいと思われる。だが、だからといって、そのような植えつけの無い世界が、よりマシな世界であるかというとそうではない。むしろそのような世界は野獣の世界であり、「教育のある世界」よりも安楽な暮らしからは遠い世界となるであろう。

     人間が社会的な動物である以上、教育による観念の植えつけは必要なものなのである。それはなにも近代国家に限ったことではなくて、例えばブッシュマンやエスキモーの世界においてさえいえることなのである。彼らにも彼らなりの掟があり先祖伝来の継承すべき観念が存在している。であればこそ、彼らもまた人類でありえる。

     問題は、「観念を植えつけること」それ自体にあるのではなくて、どのような観念を植えつけるべきかというところにある。その「どのような」という内容は、それぞれの国家の歴史・文化によって左右されるものである。ブッシュマンの観念を日本人に適用することは無理無体というものであろうし、逆に、現代日本の教育をブッシュマンに強制したら彼らの文化は壊滅的に破壊されるであろう。

     では、日本という国は、どのような観念をその国民に植えつけるべきなのか。戦後教育の間違いの元は、この点を誤ったことによる。否、考察を放棄したことにある。日本の文化や伝統からくる観念を無視・卑下し、そのような「軍国主義的な観念を植えつけないこと」を目論んだ。その一方で、個々の教師や日教組は、自分達の信奉する「思想の植えつけ」には必ずしも反抗しなかった。そのような状態を放置したのであるから、ヘンになるのは当たり前のことである。

     では日本の伝統からくる「植えつけるべき観念」とは何か?日本人とはいかにあるべきか。それを述べていこう。

     日本の伝統・歴史・文化からくる「継承すべき観念」とは、「中庸」である。日本人があらゆる宗教を許容し、かつすべての宗教にのめり込むことがないのもは中庸という観念がそれら諸宗教に優越して潜在しているからであろう。

     中庸とは「最も適切妥当なること」であり、同時に「平凡な当たり前のこと」でもある。ゆえに、なにが「その時その場において」中庸であるのかはなかなかに分かり難いものではあるが、広く知識を求め、異見を闘わせれば、自ずと「当たり前の」結論を得ることができるであろう。

     このような中庸の精神は、自由民主主義の精神とピタリと一致している。言論の自由のもと、広く所言を得て初めて知性が生まれる。ゆえに、韓国・中国のように、日本の政治的美点を述べることを許されない国家の民に、知性を期待することはできない。

     広く知識・異見を得て知性を育み、そこから誠のある意見を得、そうしてようやく心を正すことができる。心が正しくなって、行動も修正される。これをこれ、「修身」という。

     我々日本人が子弟に植えつけるべき、あるいは自身が身につけるべき観念とは、まさにこれである。

     言論の自由のもと、多くの知識と様々な意見を知り、より広い視野を持った知性を得、誠意ある討議や検討をへて最も適切妥当な判断はなにかを常に探求する心を育て、行動するのが人間というものなのだ、という観念である。

    【蛇足】

     ひるがえって、戦後、日教組や個々の教師達のとってきた対応は、このような中庸を持っていたであろうか。彼らは戦前の軍国主義的教育を忌避することで、自分の私見を絶対化してきただけではなかっただろうか。広く異見を求め、真実を求め、もって中庸を明らかにしようとしてきた訳ではない。残念ながら。むしろ、ヒステリックに反対意見を弾圧してきたのではないか。これは一種のファシズムに他ならないのである。


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  • from: 一久さん

    2006年05月29日 21時50分07秒

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    愛国心とはなにか


    【愛国心とはなにか】

     愛国心とはなにか、少し考えてみよう。

     いま、流行りの愛国心とやらは、「日本の愛国心」であるらしい。しかし、そんな風に限定的に考える必要はないのではないだろうか。

     つまり、リヴァイアサンでホッブスの言うような、コモンウエルスに対する忠誠のことだと思えばよいだけではないのだろうか。一端、国が成立したら、それに対する反逆は許されない。それを認めれば、イラクのような「万人の万人に対する戦争」状態になってしまうからだ。(イラクの混乱は、新生イラクという国の成立を認めない武装勢力の跋扈によるのであって、”国民”となった者達の武装蜂起ではない)

     日本においては、政府を批判することは自由である。これは反逆ではなく、為政者に対する「忠告・進言」とみなされる。このことは、国に対する忠誠が確固たるものになっているということを意味しているのだ。

     愛国心とは、この種の忠誠に他ならない。日本人は、天然国家として日本という国を持ってきたが故に、その重要性を理解できないし、また、理解せずとも国を保持できた。しかしこれからはそうはうまくいかなくなるだろうし、たとえ国内はそれでいけたとしても、国外のことを理解できないままになる。

     早い話が、先程のイラクの現状について、マスコミのコメントなどは、「愛国心」を理解していないとしか思えないものが多い。国を認めない武装勢力も、被害にあったイラク国民も、一緒くたにして「イラクの惨状」として報道しているではないか。

     国民は幼児に至るまで、国家の庇護のもとにあるのだから、愛国心を持つのは当然のことである。いやなら、外国へ亡命するべきだろう。否、国家の庇護の下にあるということは、すでに愛国行動を受容していることになる。イラクのテロリストのように、庇護を否定しているものだけが愛国者でないと主張できるのである。(だから、テロリストには降伏する權利がない。軍人と違って、テロリストは白旗を上げても捕虜になれる保証はない。警察や軍隊はこれを抹殺しても構わないのである)

     愛国心を持たせるということは、国というものが必要なものであり、これがなければ、万人が戦争状態になってしまうとういうことを理解させることであろう。ゆえに、国は愛すべき必要不可欠なものであると。

     国歌や国旗は、その象徴である。その掲揚や斉唱について、問題視する人々も存在するが、それらが本当に問題であるのかどうかは、他国の物について同様の行動をすれば問題になるのかどうかを考えれば答えは出るはずである。

     中国の国旗が掲揚され、国家が斉唱されるべきとき、この国旗を引きずり下ろしたり、斉唱すべきでないと教導する教師がいたらどうなるか? アメリカでも、フランスでも、韓国でも同様であろう。程度の差こそあれ、その者は罰せられるだろう。

     ならば、日本の国旗・国歌についても同様であるべきはずではないか?

     愛国心教育に行き過ぎがあるかどうかは、諸外国の例と比べれば、すぐに判明する。なにも恐れることなどありはすまい。

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  • from: 一久さん

    2006年05月29日 21時49分14秒

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    「社会制度改革 ?」
    ソ連から現ロシアへの変化は、皇帝や王政の廃止では
    ありません。現大統領がそうであるように、旧ソ連の
    特権階級も生き残っています。名前が変わっただけだ
    と思ったほうがいいでしょう。

    溥儀の場合、満州国滅亡のとき、すでに中国皇帝では
    ありませんでした。また、清の皇帝から満州国皇帝へ
    なったときには、日本による関与が大であったので、
    日本の保証によって混乱は少なくて済んだのでしょう。

    皇族を処刑など勿論ありえないことですが、天皇制度
    を廃止することは極めて大きな"革命"になるでしょう。

    現在だけでなく、歴史の大部分で天皇は存在だけのも
    のでしたが、それにも関わらず現在までも大きな影響
    を持ち続けています。

    単なる社会制度改革程度の問題であるならば、とっく
    の昔に無くなっていることでしょう。


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  • from: S1さん

    2006年05月20日 18時38分09秒

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    「232補足  単純に比較することができないのは重々承知」
    ソ連が、社会主義国から資本主義国に変貌するとき、
    かなりの混乱があったし、不幸にも犠牲者となった
    人もいただろうが、フランス革命やロシア革命のよ
    うな狂気の流血や粛清はみられなかった。

    中国革命は、近代革命の中ではかなり悲惨な部類で
    はあったが、そのときでさえ、満州国皇帝の溥儀を
    処刑まではしなかった。彼は確か北京動物園の飼育
    係で生涯を終えたのではなかったかな。

    ましてや、現代日本は、世界屈指の平和国家である。
    たとえ天皇制を廃止しようと、どうして皇族を処刑
    することなどあろうか。われわれ庶民と同化しても
    らえばそれでよいのだ。

    立憲君主制から共和制へ、形の上では革命かもしれ
    ないけれど、政治的に何ら実権をもたない今の天皇
    制を廃止するというのは、単なる社会制度改革に近
    いものではないかと、私は思います。

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  • from: S1さん

    2006年05月14日 23時38分22秒

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    「Re:希望的観測では?」
    (これって私の226へのレスですよね)

    これは本会議場でもロビーでも言っていることですが、
    私は天皇制廃止を望んでも、皇族たちを処刑したいと
    はこれっぽちも思いません。かつてのフランス革命の
    ごとき暴力革命は、少なくとも現代の先進国において
    は、起こすべきでないと考えます。一久さんは否定さ
    れたが、平和裏に王制廃止することは可能と思います。
    皇族たちを、急に特権階級から解放しても途方にくれ
    る可能性もあるので、時間をかけて徐々に庶民に同化
    してもらうとか、方法はいろいろあると思います。

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  • from: 一久さん

    2006年05月14日 23時12分58秒

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    皇室制の日記帳

    天皇といえば...


    【平安貴族の日記帳】

    平安の昔から、日本の貴族は日記をつけていた。有名なところでは、「御堂大納言日記」「小右記」など。代々に伝わる日記は貴族の象徴であり、信長が敵対した貴族に下した最大の罰は、この日記帳の没収だったとか。

    なんでそんなに日記が書かれたかというと、朝廷から日記帳が配られたからだとか。この日記帳、暦と行事予定表も兼ねていたのだそうな。

    現代の書店で売っている日記帳を以前調べたことがあるが、平安の日記帳に匹敵するものはなかった。昔のほうが現代よりも優れた日記帳が配布されていたのだ。

    しかし、それならば。。。。

    古の例にならって、宮内庁から日記帳を売り出せばいいのではないか。皇室の財源になるではないか。

    内容は、詳細な旧暦と皇室および各地の行事予定表、現代版には日々の占いも加えよう。奇門遁甲による方位術とか、細木カズ子カレンダーでもいいかもしれない。

    占い師達にとって、皇室の日記帳に自分の占いが採用されることは最大の名誉と売名になる。当代一の占い師を取り替えながら使うことができるだろう。細木カズ子の人気が下がれば、別の者に代えればいいのだ。

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  • from: 一久さん

    2006年05月14日 22時57分59秒

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    「希望的観測では?」

    単に、ご自身の思想からくる希望的観測ではないかと。

    王や皇帝が国民から排斥されるには、王や皇帝の側になんらかの落ち度がなければならない。落ち度のない者を問答無用で排斥すれば、それこそ暴政ということになるだろう。

    象徴天皇制では、落ち度を作りたくても作ることができない。政治を天皇はしないのだから。

    唯一、可能性があるとすれば、天皇が「もう、象徴天皇は止めた」と宣言して、外国軍を引き入れて日本支配を企む、とかした場合だけだろう。国民を裏切った王はギロチンにかけられますから。




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  • from: 一久さん

    2006年05月14日 22時38分55秒

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    第三種免許を

    【タクシー・ドライバー】

     アダム・スミスは「見えざる神の手」によって、自由競争が行なわれれば自動的に最適値が見出されるとしたが、自由放任していれば自由競争が保たれるとは言わなかった。むしろ、自由競争は極めて壊れ易いものだとみていたのである。第一、そうでなければ、自由競争が大事だと言う必要がない。放っといても自由競争になるのであるならば。

     タクシー業界は今、タクシードライバーの収入が激減しているのだそうな。歩合制の為、一番弱い立場のドライバーにしわ寄せがいく構造になっている。自由競争の理念に従えば、こんなときドライバーの取るべき道は、廃業かライバル他社への転職か、自主独立か、であろう。

     廃業も転職も、今の景気の元では難しいだろうから、結局は自主独立しかない。しかし、個人タクシー免許を取ることは、絶望的に困難なのが現状である。ゆえに、タクシードライバーはドライバーを続けようとする限り、決して自由競争による恩赦を受けることはできず、会社に搾取され続ける運命にあることになる。

     会社が経営努力によってドライバーの給与を保証できないならば、独立したり新会社を作ったりして、より生産性の良い新会社を作ってみせるぞ、と言えればこそ、ドライバーは会社との間で自由な競争が可能なのである。それが事実上不可能である以上、自由でも対等でも有り得ないのだ。

     ということで、タクシードライバーの低賃金の根源は、個人タクシー免許が取得しにくいことにある、ということが明らかになった。個人タクシー免許が取得しやすくなれば、運転手の就業形体は多様になる。ピンハネも無くなるし、数人で組んで新会社を起こすことも容易になる。

     政府は、「第三種自動車免許」を新設し、指定教習所において個人タクシー免許が取れるようにすべきである。二種既得者を対象にして、二種より高度でかつ地域に密着した内容の教習を行なう。

     教習所で個人タクシー免許が取れるのであれば、タクシードライバーの地位は向上するし、会社への交渉能力も増すはずである。


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