新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

SIG 市民の討論広場

SIG 市民の討論広場>掲示板

公開 メンバー数:8人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: 一久さん

    2011年01月27日 22時51分43秒

    icon

    国会は議論の場ではない


    【政党内部こそ、民主主義の要】

     民主主義国家において、討論や検証を行うべき最重要な
     場所は、国会ではない。テレビ番組の中でもない。新聞
     紙上でもない。

     政党の内部こそが、その場所である。

     政党内部において、真摯な検討を行い、その時点での結
     論を出し、政策に反映させ、誤りあればこれを修正する。

     そのような政党であれば、どの政党が政権を取ろうが、
     政党内部の民主主義的運営を通じて、国家の民主主義も
     保たれることになる。

     二大政党制とは、そのような政党が二つ以上存在し、国
     民はどちらがより優れた民主主義の政党であるかを選挙
     によって選ぶ制度である。

     もしも政党内部にこのような検証能力が無い政党ばかり
     であったならば、政権を取った政党は暴走を始め、政権
     を失った政党は、党利党略に走って議会を混乱させるこ
     とを省みないであろう。

     党内でさえ検証することがない政党が、政敵である他党
     からの批判に応えて、真摯に検討することはありえない。

     あったとすればそれは、数合わせのための行為、すなわ
     ち「談合政治」である。

     数合わせが目的であるから、批判・検討はいい加減なも
     のとなり、その政策のリスクや欠陥は無視される。

     

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 一久さん

    2011年01月22日 21時11分02秒

    icon

    なんのための討論か


     【何のための討論か】

     討論での結論は、正義でも真実でもない。それどころか、
     討論を経ることによって、確からしさが増す訳でもない。

     討論の結果、A案が採択されたとしても、それはA案が
     正しいからではなくて、議論に参加した者がすべてアホ
     だったから、なのかもしれない。

     真実は、否決されたB案こそが正しかったのかもしれない。

     では、そうだとしたら、討論なんて意味がないのではな
     いか。何のためにそんなことをするのか。


     【討論は自己検証のためにある】

     討論の意義は、互いに意見をぶつけることによって、そ
     れぞれの意見の利点・欠点を検証しあうことにある。

     そうすることによって、A案が採択され実行されたとき
     に生じるであろう、現実とのギャップによって生まれる
     不具合に、対応しやすくなる。

     否決されるであろうことが最初から分かっているB案に
     ついても同様のことがなされなければならない。

     なぜならば、A案が全く的外れで、急遽、B案に変更せ
     ねばならない事態もありえるからだ。そのとき、B案に
     対する批判的な議事録が無かったならば、対応できまい。

     いわゆる談合政治がダメな理由もここにある。談合では、
     互いの意見を批判検証することができないからだ。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 一久さん

    2011年01月22日 21時10分16秒

    icon

    正義がかつとは限らない


    【正義は必ず勝つ、とは限らない】

     正義が必ず勝つのであれば、負けたということは正しく
     なかったのだ、ということになる。ゆえに、第二次世界
     大戦後の日本人は、一億総懺悔した。

     しかしこの考えかたほど、近代国家から程遠いものはない。

     そして、「負けたのは正しくなかったからだ」という思考
     を否定しない限り、討論ひとつマトモにすることはできな
     い。

     「負けたのは正しくないから」であるならば、討論で負け
     る訳にはいかないようになる。必然的に感情的・煽動的に
     なり、最後は罵倒合戦となる。



    【中性国家】 政教分離の本当の意味

     国家における議会の決定も、討論における勝ち負けも、そ
     の結果として出される決定・結論は、単なる法的形式的な
     決定にすぎない。

     決して、勝った側の政策や意見が、真理や正義を意味する
     のではない。

     真理だの正義だのといったものは、各自がそれぞれで追求
     するものであり、国家や討論の場は、それに関与しない。

     どうしてもという人は、宗教だの文学だのといった場所で
     それを求めることになる。

     こうであればこそ、各自は各々の信念に沿って自由に意見
     を述べることができ、かつ、敵対するものの弁を聞くこと
     も可能となる。

     たとえ「敵」の妄言がその場の賛同を得たとしても、それ
     は相手の正しさを意味しないのだから。

     政治的決定(討論での結論も)は、あくまでも法的・形式
     的な決定であって、正義や真理を意味しない。そういうも
     のは宗教(や文学といって精神的なもの)でやるべきこと
     である。

     そしてまた、宗教のほうも、宗教的正義をもって法的決定
     を覆すことはしない。これが政教分離の本当の意味である。

     そして、近代政治は、これなしにはありえない。

     これを中性国家という。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 一久さん

    2011年01月16日 21時07分57秒

    icon

    マニフェストに意味なし


    【マニフェスト・公約に意味なし】

     マニフェストに意味は無い。

     いかなるマニフェストといえども、現実の政治とは必ず乖離が
     ある。

     ゆえに、政権を得た後は、現実に沿ってマニフェストに修正を
     加えていかざるを得ない。

     しかしながら、もし無制限な修正を許せば、マニフェストには
     なんの意味も無かったことになってしまう。

     修正せずに原理主義的にマニフェストに従うのは愚かであるが、
     無制限に修正を許すことはマニフェスト選挙を無効にしてしま
     う。

     【なんのためにマニフェストか】

     では、なんの為にマニフェストはあるのかというと、それは、
     マニフェストを作る過程を通じて、政党内民主主義があるかど
     うかを有権者が知る為である。

     そのマニフェストは、どのようにして作られたか?その利点と
     欠点、リスクはどこにあるのか、対案は他にあるのか、他の案
     よりもそれを選んだのはなぜか。

     党内の討議において、これらのことが検討され、発表されてい
     てはじめてマニフェストは意味を持つ。

     すなわち、マニフェストが修正されざるを得ない現実にぶつか
     ったとき、この討議の場の経緯結果を参考にして、再考した結
     果、修正しました、と国民に報告する。

     それでこそ、無制限な修正ではなく、より吟味した結果の修正
     であると主張できる。

     マニフェストもまた、政党内民主主義によって担保されるべき
     ものなのだ。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 一久さん

    2011年01月12日 20時46分12秒

    icon

    プロ意識を持て


    【「プロ意識を持て」は正しいか】

     アルバイトや新入社員といえども、お金をもらって働いている
     以上はプロである。プロ意識を持って働いて欲しい。

     というような訓示を、誰でも一度は聞いたことがあるであろう。

     お金をもらう以上は皆プロである。なるほど、そういう定義も
     成立しているように思える。

     が、もうひとつ別の定義もあるように思う。

     すなわち、その職業だけで、生活に十分な報酬と、社会的な地
     位を獲得している者だけが真のプロといえる、という定義だ。

     分かりやすい例で言えば、シーズンオフにアルバイトをしなけ
     れば生活できないプロ野球選手がいたら、誰も彼のことを一人
     前のプロ野球選手とは認めないだろう。

     建前上は、プロ球団に所属しているのでプロだが、実質的には
     プロと呼ばれるのはおこがましい存在である。

     「お金をもらっているから皆プロ」というのは建前のプロ論で
     あり、「十分な報酬を得ている者だけがプロ」というのは本音
     のプロ論である、ともいえる。

     そうであればこそ、会社側からの度重なる「プロ意識を持て」
     という訓示があるにも関わらず、それに感化されるのはごく一
     部の社員だけで、他の多くの社員・アルバイトは、「また、は
     じまったワイ」と、聞き流す。

     機会があれば人件費を削減しようとする会社が、なんおプロ意
     識か!?と、腹の中で思いつつ、リストラされぬように、表向
     きは神妙にうなずくのだ。

     

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 一久さん

    2011年01月10日 21時14分23秒

    icon

    国会は小学校の学級会ではない

    【政党内民主主義こそがすべて】

     小学校では、議会において異なった意見をぶつけ、討論し、
     よりよい答を出すものだと習ったはずだ。

     現実の議会がそうなっていないことに腹をたて、それは政治
     家たちが無能で不潔で傲慢であるからだと憤慨している。あ
     るいは見捨てている。それが大抵の国民の心情であろう。

     だが、そもそも、小学校で習ったような議会のあり方自体が
     間違いであったらどうだろうか。

     つまり、現実の議会は、小学校の学級会議とは違って、それ
     自体では真摯な討論は不可能なのだとしたら、怒るべきは国
     会議員たちの無能ではなくて、制度にあった選挙の仕方を知
     らない国民自身の無知でこそあらねばならない。

    【学級会と国会は違う】

     小学校の学級会であれば、そこでマジメな討論も可能であろう。
     しかし、国会においてはそれは不可能なのだ。

     なぜならば、大人の世界では、打算や利害や思惑を排除する
     ことは不可能だからである。

     さらに、小学校の学級会には、「先生」という絶対権力者が存
     在する。自由に討論しているように見えても、実は教師による
     統制の下でしか学級会は進行しない。そうであればこそ、多数
     派が強行採決をしたり、少数派が「実力行使」したりすること
     はない。教師による治安維持が常に働いているのだ。

     対して、大人の議会はそうではない。多数派は出来るだけ早く
     自分達の都合のいい法案を可決しようとするし、少数派は暴力
     や牛歩戦術に訴えてでもそれを阻止しようとする。

     もっとも現実には、その両者の中間を取って、話し合いで国会
     運営が決められることのほうが多い。いわゆる「談合政治」で
     あり国会対策委員会が重要視されるいわれである。

     繰り返す。国会は小学校の学級会ではない。

     国会それ自体で、意見を闘わせ真摯な討議を行うことは不可能
     なのである。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 一久さん

    2011年01月10日 09時31分21秒

    icon

    なにゆえ言論の自由が必要か


    【言論の自由 その必要性】

     では問う。なにゆえに言論の自由は必要なのか?
     「言論の不自由」ではいけないのか、と。

     「言論の自由」が無ければ、自己検証が出来ない。政権の
     自浄能力もない。

     それはつまり、間違った政策を是正できないということで
     あり、政権内部の不正や恣意的運用を改めることができな
     いということである。

     民主主義であろうがなかろうが、このような国家や組織の
     下では、国民は疲弊し、国家もやがては崩壊する。

     ゆえに、古今東西の名君主は皆、広く意見を求め、それに
     よって改革を志したのである。ただし、君主の限界が改革
     の限界でもあったのだが。

     言論の自由が保障された状態において、自由に反対意見を
     のべることができてこそ、真理・真実への階段を上ること
     ができる。

     いままで信じてきたことは本当に正しかったのか。権力者
     達は収賄されていないのか。今まで悪とされてきたことは、
     本当に悪だったのか、権力者の詐術ではなかったのか。

     言論の自由があってこそ、これらのことは再検証できるの
     である。

     ゆえに、自己の意見を絶対化する人は、再検証を好まない。
     当然、言論の自由をも好まない。自己宣伝には積極的であ
     っても、自分の意見に合わない考えは、陳腐だの軍国主義
     だの、自己正当化だのと文句をつけて黙らせようとする。

     このような人々のことを、ファシストという。

     ファシストとは軍国主義や差別主義のことではない。自己
     の意見を絶対化し、それに対する反論を許さない者のこと
     である。

     ゆえに、世の中には「平和主義者のファシスト」が数多く
     存在している。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 一久さん

    2011年01月09日 21時39分59秒

    icon

    何ゆえに民主主義でなければならないか

    【何故に民主主義が良いのか】

     何故に民主主義が良いのか? 民主主義でなければいけないのか?

     この根本的な問題に答えよう。

     民主主義とは、国民に主権があるということである。

     では主権とは何か? それは人によって色々な意見があろうけれど、
     最低限度の条件として、言論の自由を挙げておこう。

     王政において、王に自由な発言権がなかったならば、その王を主権
     者と認めることはできない。傀儡の王、もしくは、象徴王と呼ばね
     ばならない。

     同様に、もしも国民に言論の自由が無かったならば、その国は国民
     主権の国ではない。

     逆に言えば、民主主義国家とは、国民に言論の自由がある国のこと
     だといえる。民主主義と言論の自由とは、不可分のものなのである。

     民主主義であるべき理由とは、言論の自由を得るためである。民主
     主義以外の体制においては、国民に言論の自由はない。

     啓蒙君主制において与えられる「言論の自由」は、あくまでも君主
     が持つ「自由」を臣下に分け与えているにすぎず、君主の胸先三寸
     で、制限されたり廃止されたりするものである。これは見せかけの
     自由にすぎないものだ。

     民主主義であってこそ、言論の自由は存在できる。

     民主主義であらねばならない理由はそこにある。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 一久さん

    2011年01月07日 19時30分51秒

    icon

    小政党に言論の自由はあるか

    【小政党に言論の自由はあるか】

     小政党とは、小さな政党を言うのではない。

     労働者の党とか、女性の為の党とか、スポーツ平和党とか、
     サラリーマン新党とか、特定の集団の利益を代表する政党
     を小政党という。

     言論の自由とは、反対者の言論の自由を守りあうことである。

     となれば、これら小政党の内部においては、もはや言論の
     自由は存在できないことになりかねない。

     労働者の政党を名乗る政党の内部で、労働者に不利益をも
     たらす政策を提言することはできまい。

     一見、労働者にとって不利益であっても、長い目で見れば
     利益となる政策であっても、「そんなこというなら我が党
     から出て行け」と非難されかねない。

     さらには、指導部の政策を批判しただけで、労働者の敵と
     して追い出されかねない。

     このような状態になることは、よくあることだ。

     これでは、指導部に不正や間違いがあったとしても、自浄
     機能は働かないし、政策に誤りがあったとしても是正され
     ることはない。

     一言で言えば、独裁化するのだ。

     独裁政権と闘っている政党や市民グループが、独裁化して
     いることは、よくあることだ。


    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 一久さん

    2011年01月07日 19時19分43秒

    icon

    言論の自由には資格が必要

     【新たに加えるべき観念】

     言論の自由を尊重すべきとする人は多い。

     だが、言論の自由を享受するには資格が必要であるということ
     を理解している人は多くないのではないか。

     資格と言うと、そのことに関しての知識があるとか、経験があ
     るとかいうことのことだと思ってしまう人もまた同様である。

     言論の自由を行使できる資格とは、自分の意見に反対する相手
     の言論の自由をも守るのだ、という気高き精神を持っていると
     いうことである。

     「君の意見に反対であるが、君がその意見を述べる自由は死を
      賭してでも守ろう」

     古くからある言葉である。これこそがまさに自由の本質を言い
     当てている。

     逆に言えば、反対者の言論を封じようとする者には、言論の自
     由のある場にいる資格がないのである。

     その者はそこにいるだけで自由の敵となるのだ。

     

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

もっと見る icon