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  • from: 一久さん

    2010年01月31日 06時55分21秒

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    高校教師の誤謬

    【高校教師の犯している根本的誤解について】

    「高校は義務教育ではない。だから諸君らは自ら勉学に励むべし」

    高校生のころ、何人もの教師の口から聞いた言葉である。 もっともなことだと思われるであろう。また、多くの教師がこう思っているであろうことも間違いあるまい。だが実はこの考えこそが高校教育の退廃の根元であると私は断言する。

    一般の習い事教室の先生が、同じようなセリフをいうであろうか?これらの教室も義務教育でないのである。金を払って習いにきているという点でも同じである。ただ、税金から給料が支払われるか、個人のサイフから月謝が支払われるかの違いにすぎない。

    義務教育ではないから勉学に励むべし、というのは生徒側の義務である。これに対して、教師には教師の義務があるということを忘却している。生徒の義務を言うことによって、自分にも別の義務があるということに、考え至ることができなくなってしまっているのである。

    では教師の義務とは何か?習い事教室のお師匠さんのことを考えればすぐにわかるはずだ。それは、教室に通ってくる生徒が、通っただけのことはあると思える成果を背負わせて家に返すことである。この成果が大きい教室は繁盛し、そうでない教室はつぶれることになる。

    高校教師も金をもらって人に教えている以上、そのような成果を生徒に与えることができなければならない。これこそが、教師の側の義務というものである。このことを自覚しているのであらば、生徒の側の義務などというものを口から出すような振る舞いはしない、いや、できないはずである。生徒に対して勉学の義務をいえるのは、どこからも給与を受けずに生徒を教えている人間だけである。

    ちょっと前、分数のできない大学生というのが喧伝されたけれど分数のできない高校卒業生ならば以前から少なからず存在した。大学への新規入学者数が減ることによって、彼らも大学に入学してきた。ただそれだけのことのように思える。

    高校教師が上に述べたような「教師の義務」を理解しているのであれば、高校のカリキュラムを多少犠牲にしてでも小中学校での学習をやり直させるはずであるが、多くの教師は生徒の義務にしか考えが及ばないでいるので、赤点にゲタを捌かせて卒業させることになる。教師よ、生徒の義務をいう前に自らの義務を果たせ!

    分数のできない生徒がいるならば、中学レベルからでも小学校程度からでもいいから、補修をおこなえばよいのである。そんな程度の低い生徒にかかわり合うことなどできない、などという資格は諸君らには無い。入試に合格させたのは学校側であるのだからだ。つまり、学校は「その程度の生徒」を受け入れることを承知済みなのである。その任に耐えないというのであれば、その教師は少なくともその学校に勤務する資格がない。今日にでも辞表を提出して学校を去るべきなのだ。

    塾や予備校もしくは私立進学校と、高校(特に公立)や中学校との最大のちがいは、前者は生徒に学力をつけることを目的とし、後者はただ授業を行うことを目的にしているということである。教師側に義務があるということを自覚している者と、理解していない者との差がここに現れている。

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  • from: 一久さん

    2010年01月30日 20時39分02秒

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    政治家の定年制度


    【ビスマルクの策略】

     もともと定年制度は、ビスマルクが厄介な政敵をどうしたものか
     と考えているとき、強敵はすべて65歳以上だということに気づ
     いた事からはじまったそうな。

     ダメもとで議会に提出してみると、若手を中心に思わぬ賛同を得
     得て、ビスマルクは老獪な政治家達を厄介払いできたとさ。

    【下野する精神を持て】

     しかしながら、現代日本では、定年制は有意義であると思う。

     それは、日本の政治家達が、政治家という肩書きにしがみつきす
     ぎているように思えるからだ。

     明治の政治家達はそうではなかった。そうだから、政治家とは言
     い難い巨人が多数存在した。

     勝海舟・福沢諭吉・板垣退助・大隈重信etc・・

     政治家の地位に拘らず、ひろく国家社会に尽くした人々は枚挙に
     いとまがない。政治家であった人の中にも、潔く議席を離れる人
     も少なくなかった。

     下野してもなお、影響力を行使する自負があったからである。

     逆に、中曽根氏はどうだろうか。

     さっさと下野して、マスコミに登場すればよかったものを、政界
     にくすぶり続けて今に至る。老醜をさらす結果となってしまった。

     中曽根氏と、塩爺やハマコウとを比べてみればよい。政治家として
     の器量・功績は中曽根氏のほうがはるかに大きいのに、引退後の
     輝きは、みるも無残なものである。

     中曽根氏のようにならぬよう、定年を期に、議席を離れても活躍
     できる場をもてる政治家になる努力を政治家諸君は忘れないでい
     てもらいたいものだ。

     下野する勇気こそが、政治家の精神に一本筋を通すのである。

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  • from: 一久さん

    2010年01月29日 20時09分35秒

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    政治


    【政治とは】

     政治の目的は、より良い社会の構築である。

     より良い社会を構築することによって、個人もまた安全快適な暮らしを
     手に入れることができるということを人間は知ったからである。

     言い換えれば、個人が最も安全快適に生きられる社会を作ることこそが
     政治の目的だということもできる。

     人間は社会的動物だ、といわれるゆえんであろう。


    【より良い社会を築くには】

     より良い社会を築くにはどうすれば良いか?

     それは、広く意見を聞き、新良なるものを取り入れながらも、旧善なる
     ものを残し、誤った政策があればすみやかに改めることである。

     そしてなによりも、より良い社会、より崇高な真理・真実とは何かを探
     究し、実現する努力を怠らないことである。

     同時に、現実に合わせて無理のない仕方・速度でこれをやることである。
     あくまでも、社会に住まう人々の幸福が目的なのであるからだ。

     これを、明徳・新民・至善という。



    【意見を聞くには】

     では、広く意見を聞きくにはどうすればよいか?

     古今東西、ここで人々の考えが分かれるのである。

     くだらない意見を声高に主張する人、無責任なことを言う人、学識や経
     験もないのに勝手なことを言う人、故意に不当な意見を述べる人、これ
     らの人々をどう処遇するのかということについて、である。

     近代民主主義以前、これらの人々を、なんらかの方法で排除することが
     正しいとされてきた。現代でも、この考えに無意識下では賛同している
     人も少なくあるまい。

     しかし、その排除によって、実は正しい意見や斬新なアイディアの持ち
     主までもが排除されることは、しばしば起こったことなのである。

     否、滅びた多くの国家や社会は、真の賢者を排除し、世渡りの上手な愚
     者を重用することによって衰退したのである。

     ゆえに一国の興亡は、最高権力者の賢愚に左右された。賢帝は賢者の意
     見を理解することができるが、愚帝は耳甘の声しか聞こうとしないから
     である。それが近代民主主義以前の世界であった。

     この問題を解決したのが、言論の自由という観念である。

     「言論の自由」この言葉を知らぬ者はないであろうが、その近代的意義
     を理解している者が果たしてどれぐらい存在するであろうか。

     言論の自由が理解できなければ、民主主義も理解できない。ゆえに、そ
     の人は、「愚者の排除」という誘惑に常に負ける宿命にある。

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  • from: 一久さん

    2010年01月28日 20時05分34秒

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    教育改革が必ず失敗する訳

    受験改革が失敗しつづける理由

     すでに戦前から、大学入試の技巧化は問題とされており、それを改革すべく様々な試みがなされてきた。が、いまに至るも、ひとつとして成功した改革はない。国が改革をすればするほど、入試はより技巧化し、受験生や中高生を蝕んでいく。受験政策というものはすべて改悪であったと言わざるをえない。

    なぜこんなことになるのかというと、政策を立案する者も、世間一般の人々も、共に大きな錯誤をしているからである。それは、「客観的な試験によって、人の能力が計測できる」という神話であり、これを信じている限り、受験制度改革は必ず事態の悪化をまねく。

     これはなにも、知識至上主義をのみ批判しているのではない。むしろ、面接や小論文を重視せよという人々を指して批判しているのである。この人々は、面接や小論文でなら「まともな」入試ができるのだというのだが、入試が客観的な判定を求められる以上、面接や小論文による試験も、技巧的に対応可能である。現に、予備校はそれを売り物にしているではないか。面接や小論文が増えた結果、入試はより技巧的になってしまったのである。

     試験というものは、知識や技巧しか判定することはできない。完璧に近い客観的な試験ほど、そうである。試験はしょせん試験であり、そんなもので人間の価値を表すことなどできはしないのだ、ということをまず認めることから始めなければ、入試制度改革は絶対に成功することはない。

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  • from: 一久さん

    2010年01月27日 07時11分08秒

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    国民は小沢独裁を望んだ


    【国民は独裁を望んだ】

     政党内民主主義の有無を問わず、明らかにそれを持たない民主党を
     選挙で選んだということは、国民が独裁政治を望んだということに
     他ならない。

     ゆえに、今の小沢独裁体制は、国民の意思である。

     それに対して、自民党もまた、マスゾエ氏を中心として、小沢以上
     の独裁体制を敷き、対抗しようとしているようだが、全く、噴飯も
     のと言わねばならない。

     それでは、「より強力な独裁政党はどっちか」を選ぶことが選挙だ
     ということになってしまう。どちらが勝っても、独裁政権しか生ま
     れないのだ。

     「よりましな民主主義を実現しているのはどちらか」という視点で
     選挙されるのが民主主義である。それえあればこそ、どちらが勝っ
     ても、民主主義の政権となりえるのだ。

     より強力な独裁政党を選ぶという仕方は、ナチス以前のワイマール
     国家のそれと同じである。そしてその仕方は、徹底して競争相手を
     排除したナチスによって決着を見たのであった。

     マスゾエ氏らの対応は、ナチスを呼び込む亡国の論である。

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  • from: 一久さん

    2010年01月26日 19時29分16秒

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    鳩山民主党は衆愚政治そのもの

    衆愚政治について 


    衆愚政治とはなにか。これについて考えてみよう。


     そもそも、衆愚の「衆」とはなにか? 何人以上ならば「衆」なのか?

     衆なるがゆえに愚である、とするならば、小数ならば賢であるのか? そんな
     ことはない。小数でも愚かな決定がなされることは少なくないし、これでいけ
     ば独裁者は常に正しいことになる。

     小数ならコミュニケーションが楽だから、賢で有り得るというのだろうか?
     そうともいえまい。小数でもデス・コミュニケーションに陥ることは少なくな
     い。むしろ、多数のほうが容易に解りあえることもある。例えば、小数であれ
     ば好悪の情が入る。多数のほうがまだしもそれは薄いだろう。

     賢者は小数であり、愚者は多数だからか? しかし、賢者が正しいという保証
     はどこにもない。第一、政治とは何が正しいか解らない物事について社会のゆ
     くべき道を決定する行為である。賢者とてなにが正しいのか判るものではない。

     もし判るのなら、政治はいらない。卑弥呼の時代のように一番の賢者の御神託
     に、すべてを任せればいい。

     現代日本の官僚達は、少なくとも偏差値という価値からみれば明らかに賢者で
     あろう。だが、彼らの政治が最高か? あるいは、戦前の軍官僚は東大出以上
     の秀才の集まりである(一番が陸海、二番が一高、だったそうだ)。彼らのやっ
     たことは賢者の行為であろうか。

     そもそも、「賢」とはなんなのか、「愚」とはなにを意味するのか?

     政治は何が正しいか解らないことについての決断をする行為であると先に述べ
     た。ならば、誰がやっても必ず失政は生まれる。失政こそが政治の本質なのだ。

     政治とは、判った風な顔をして御託をならべる行為ではなく、失政の痛手にの
     たうち廻りながら真理への道を模索する行動そのものなのである。

     ならば、失政をすることをもって愚であるとすることはできない。

     また、政治は結果論である。民衆が愚劣な言い合いをして出した結論でも、そ
     の結果が賢者達の出した結論を上回ることも有り得る。討議の質など無関係な
     のである。

     このように、政治においては、失政は愚ではないし、小数賢者も失政を犯す。
     しからば、衆愚政治という言葉には中身がないことになってしまう。

     衆愚政治は有名無実の虚構だったのである。


    * * *

     真の衆愚政治

     失政をもって愚とすることは出来ないと述べた。では何かもって愚とすること
     のできるものがあろうか?

     ある。それは、「政治を否定する行為」である。といってもそれはアナーキズ
     ムのような積極的な否定を意味するのではない。

     社会の行くべき道を決定するという政治の本分を見失った者達のことを愚とい
     う。すなわち、物事を決定できない人物や集団のことである。

     政治は決定の為にあるのに、決定ができないのであれば、それは愚であるとい
     うしかあるまい。

     すなわち、衆愚政治とは、衆である為に政治的決定のできない政治(もはや政
     治とはいえないが)のことである。

     しかし、考えてみたまえ。小数であっても決定の出来ない集団はいくらでもあ
     る。優柔不断な君主など、はいて捨てるほど存在した。これらは皆、衆愚であ
     る。

     それでは、直接民主による多数決はどうか。これほど愚から遠いものはない。
     必ず決定がなされるが故に。

     面白いことに、「衆愚政治」呼ばわりされる直接民主が実は最も衆愚政治から
     遠く、小数賢者による政治にこそその危険が高いことが明らかになった。


     そういえば、戦前の政府も、決断できないままに開戦に追い込まれたのであっ
     たし、旧社会党も決断できぬ状態で村山総理による独裁を迎えたのであった。
     ともに、衆愚政治の好例といえる。

     衆愚政治の最後は、独裁によるバンジージャンプである。決断できない状態は
     独裁に抵抗する能力をも奪い去る。どうにでもしてくれ、という気になる。

     現在の官僚達もまた、同様に衆愚と化しているのではないか。つまり、彼ら自
     身が、立て割り行政の弊害に毒されて、大胆な政策を決定できないのであろう。
     「省利庁役」に囚われて衆愚と化しているのである。

     ----------------------------------

    余論

     理想的な学者の世界は、典型的な衆愚政治である。

     学者が自由に研究することが出来るということは、つまりは政治的な決定を必
     要としないということを意味する。

     彼らは自らの学説を他と闘わせることはあっても、他を説得する必要はない。
     なにがしかの決定を導き出す必要はないのだ。

     彼らがする決定は、ただ自分の研究の内容についてだけである。

     かかる衆愚政治的状態においては、百家繚乱のごとくに様々な学説が花と咲く
     に違いない。理想的な研究環境である。

     もっとも実際には、彼らも政治をしなければならない。予算を取らなければな
     らないし、そのためには学内での地位も得なければならない。しかし、本質的
     に学者は衆愚である。衆愚願望こそが学者の本質である。

     ゆえに、学者を政治の世界に迎えるには注意が必要となる。

     もちろん、中には「政治学者」もいるが....梅さお忠夫氏は、「政治学者」と
     呼ばれた。衆愚ではなく、数々の予算獲得に辣腕を振るったからだ。
                        (本職は動物学・民族学)

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  • from: 一久さん

    2010年01月25日 20時30分33秒

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    民主党政権のファシズム体質は当然の結果

     いまさらにして、民主党の党内自浄能力の有無、すなわち、党内批判勢力
     が声を出せない状況についての懸念がマスコミからも出されるようになっ
     たが、そんなことは2009年の選挙前から分かっていたことだ。

     分かっていながら、それを大きな問題だと認識せず、政権交代という華美
     な名前を追い、そこになにがしかの価値があるかのような錯覚を国民に与
     え続けたのがマスコミである。

     今なお、政権交代それ自体に意義があったかのごとく、洗脳されている国
     民も少なくないようである。

     民主主義における政権交代とは、よりマシな政党内民主主義を持っている
     と思われる政党への政権交代でなければ意味がない。

     党内に民主主義がない政党への政権交代は、民主主義の自殺を意味する。
     そのような政党に投票するということは、

       「民主主義なんてもういりません」

     と言っているのと同じことである。

     自民党の政党内民主主義もまた、確固たるものではない。擬似民主主義と
     でもいうレベルでしかない。今なお、党内民主主義の確かさをもって民主
     党と闘う意思を示さないことからもそれは分かる。

     だが、民主党にはそれすらもない。そしてマスコミはそれを知りながらも
     問題としない。これこそがなによりも重要な問題であるのにだ。

     そして国民の多くは、そんな問題があることさえ認識していないのではな
     いか。そして、自ら民主主義を殺す結果になることに思い至ることもなし
     に、民主主義なき民主党に投票するのである。

     民主党に政党内民主主義がない以上、その内閣がファシズム的性格を帯び
     ることは当然のことなのである。

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  • from: 一久さん

    2010年01月24日 06時54分52秒

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    言論の自由と市民団体 および民主党

    まともな市民団体

    【まともな市民団体とは】

    団体内に、民主主義を持っているということ。

    すなわち、言論の自由があり、罵倒・中傷・脅迫・茶化し、等
    による、討論を破壊する行為が存在しないこと。

    現存する市民団体の多くは、その団体内部に自由がなく、結果
    として支配者グループの独善に陥る傾向がある。

    また、市民団体ではない集まり、たとえば「2ちゃんねる」の
    場合、自由はあるが自由を圧殺する行為もまた存在している。

    どちらにおいても、言論の自由は存在していない。

    自由主義とは、自由主義を否定する意見の自由をも容認するもの
    だが、それはあくまでも、自由主義のルールに則ってのものである。

    つまり、ファシストといえども、相手の意見に耳を傾け、真摯かつ
    紳士的な態度で反論せねばならない。けっして、ファシスト的な
    誹謗中傷・恐喝まがいを「自由だ」として容認することが自由主義
    ではない。

    【何をするべきか】

    団体内部に、良質の民主主義が育ったならば、あとは何でも出来る。
    なにか世の中の為にしたい人が、そこにアイディアや呼びかけを持
    ってくれば、それを討議し、参加者を求めればよいだけのことだか
    らだ。

    「良質の民主主義を育てること」それこそが、「まともな市民団体」
    の最大の目的なのである、といえよう。

    本来、民主主義の政党というものはそういうものであって、民主主義
    の選挙とは、「どの政党がより優れた民主主義を党内に持っているか」
    ということを争点になされるべきものである。

    そうやって選ばれた政党であれば、どの政党が政権を取ったとしても、
    政党内部における討議を通じて、あらゆる政策は修正され続けるから
    だ。政党を通じて、選挙期間外でも国民は政治を動かし続けることが
    可能だからだ。

    逆に、政党内部に民主主義を持たない政党ばかりの国で選挙をしても、
    決して民主主義の国にはならない。単に、選挙によって独裁政党を選
    んだだけ、という結果になる。多くの途上国で起こっていることがこ
    れだ。

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  • from: 一久さん

    2010年01月23日 20時38分18秒

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    朝鮮に儒教ナシ

    朝鮮に儒教なし

    これまで朝鮮に関する本を読んできて思ったこと
    であるが、朝鮮には儒教がない、あるいは、儒教
    を曲解しているようである。

    朝鮮人は自分達のことを「東方礼儀の国」と自画
    自賛するけれども、なるほど儀礼は厳しいかもし
    れないが、「仁」に欠けるのではないだろうか。

    孔子はいう。 仁のない儀礼は礼にあらずと。

    朝鮮の礼儀は、まさにこの種の虚礼であり、儒教
    を貶める行為に他ならない。

    これまで読んだ朝鮮関係の本において、仁を強調
    するものは無かった。

    朝鮮の人々が強調するのは、先のような「礼」か、
    もしくは「情」(ジョン)である。

    情と礼の国、それが朝鮮儒教の真実の姿なので
    ある。

    すなわち、本来、儒教の首座にあるべき「仁」が、
    「情」に取って変わられているのだ。

    そもそも、「礼」とは、利己的な行為に走らずに
    仁を実践するための基準であったのだが、「情」に
    奉仕するための道具と化してしまっているので
    ある。

    「情」というものは、しごく簡単に利己心と結
    びつく。ゆえに、朝鮮人特有の身贔屓主義が蔓
    延するようになったのである。

    儒学あって儒教なし、と言われる日本であるが、
    「仁」の理解においては朝鮮よりも進んでいた。

    「仁」自体には外見的規範がないので、宗教に外
    見的な規範を求めたがらない日本人には分かり
    易かったのであろう。

    武士道にしても、現在の日本人の価値観にして
    も、「仁」の思想と無関係ではない。

    サッカー・ワールドカップにおいて、自国の対戦相
    手に嫌がらせをしないことを誇りとする、という
    ような国民の感性は、まさに「仁」の思想の影響
    であろう。

    史記列伝の晏子と御者の話を朝鮮人は知ってい
    るのであろうか。

    史記列伝を読めば、何が仁で、何が不実であるの
    か、いやでも解るはずであるのだが。

    阪神大震災のとき、韓国では喝采を叫んだ人々
    もいたという。

    ルーズベルトが死んだとき、ヒットラーは祝杯を
    あげ、東条秀樹は弔意の電報をアメリカに打っ
    た。アメリカは両者の違いに驚き、サムライの精
    神、いまだ滅ばざりしか、と感嘆したそうである。

    「仁」の思想は欧米にも通じるのである。

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  • from: 一久さん

    2010年01月22日 20時38分48秒

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    東大付属高校を

    東大付属高校の設置を



    大学も特殊法人とかになって、少しは自由な経営ができるように
    なったそうな。

    そこで、提案。

    東大・京大のような特権的大学は、それぞれ付属高校を経営する
    ことが望ましい。

    昔の一高・三高のように、である。いや、完全な付属高校である
    から、それ以上に深い関係の高校となる。

    この東大付属高校に合格すれば、落第しないかぎり東大へ内部
    進学できるものとする。

    さすれば、もはや大学受験の準備に明け暮れる必要もない。

    大学側からすれば、付属高校のカリキュラムに注文を出し、将来の
    東大に必要な知識の習得を要求することができる。

    つまり、これも戦前の旧制高校と同様に、外国語と専門基礎の徹底
    習得をである。昔の理系の場合、外国語と実験のオンパレードだった
    のだそうな。

    現在の制度においては、大学において教養過程があるので、それを
    も視野に入れたカリキュラム作りをすることができる。

    その高校の定員であるが、東大の場合、6類で合計3000人だった
    はずだから、1類に相当する程度、すなわち500人でどうだろうか。

    一学年の定員・500人である。

    この数字をみて、なにか変に思わないだろうか。

    そう、全国一の有名進学校といえども、百人前後しか東大に合格さ
    せていないのである。

    そこに、いきなり五百人も合格させる高校が登場するのだ。受験界
    の地図は大きく変わることになる。

    さらに、京大も阪大も九大も北大も。。。etc、有名国立大がすべて
    この方式をとりいれたなら。。。。有名私立高校の天下は一朝にして終わる。

    有名進学校へ入学したい受験者からみれば、ずいぶんとターゲットが大きく
    なったことになる。

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