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  • from: 一久さん

    2009年09月30日 09時57分12秒

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    百億円宝くじを発売せよ

    【百億円宝くじの発売を】

    射幸心を煽りすぎるとかいう理由で、日本の宝くじの倍率は
    低く抑えられている。

    そのため、海外の宝くじをネットや通販で買うことの是非が問
    題になったりもする。

    BIGは、ほとんどサッカーとは無縁の、単なる宝クジの一種で
    あり、その人気は、倍率が国内最大であるということにある。

    射幸心を煽りすぎるという、政治の御節介には、引っ込んで
    もらい、百億円の宝くじ&ロトを解禁すべきである。

    「夕張市救済、特別ロト」などやれば、たちどころに再建資金
    が集まるだろう。

    パチンコで破産した人間はいても、宝くじで破産した人間は
    見たことがない。

    倍率が高ければ高いほど、現実からかけ離れて、夢を買う
    行為となるからだ。そのようなものに対する射幸心は、社会
    問題になるような種類のものではない。

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  • from: 一久さん

    2009年09月29日 20時48分03秒

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    堺市長選挙の結果 暴民政治の到来


    【独裁者は愚集と共にある】

     ピッコロ大魔王ではないのだから、現実の独裁者というものは、
     自己の力だけで国民を押さえつけているのではない。

     独裁者を盲目的に支援する愚集がいて初めて成立するのが、独裁
     者というものである。

     そして多くの場合、独裁者を推す愚集とは、独裁者の信奉者ではな
     くて、「他の政治家たちの不甲斐なさにくらべてマシだろう」とい
     う、なかばヤケクソな心理で独裁者に票を与える人々のことである。

     愚集の正体、独裁者の本質、とは、政治家への失望と、自暴自棄の
     ことなのである。

     なんかへんだ、と思っていても、橋元氏のような威勢のいい掛け声
     に乗ってみようと思うのである。

     しかしこれは、「死ぬまいとして自殺する行為」に他ならない。


    【極まれば変じる】

     しかし、勝ちすぎた。

     極まれば変じるのが世の常である。

     そこそこの強さであれば、味方につけたいと思うが、
     圧倒的な強さの者は、皆で計って抹殺しようとする
     ものだからだ。

     今の橋元人気に対抗するには、氏の個人的なスキャ
     ンダルを暴く以外にあるまい。

     いよいよ、泥仕合の様相を呈してきた。

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  • from: 一久さん

    2009年09月28日 06時35分36秒

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    核兵器を寄付金で

    核武装について

     この問題は、百の議論よりも、ひとつの行動が肝要である。

     日本はその気になれば、すぐにでも核武装可能であるという意見も
    あるが、そうではなくて、もっと時間もかかるし、技術も不足していると
    いう見解もある。

     だから、核武装を良しとする立場の人々は、議論なんぞしていないで、
    本当に「すぐにでも核武装可能」なのかどうかを、技術者達に検証させ、
    もしも「すぐには不可能」であるならば、「すぐに可能」になるように傍系
    技術や原料の確保を計るべく行動しなければならない。

     国家政策の転換を待っていたら、十年経ってもなにも変わりはすまい。
    資本主義・自由主義の良いところは、法律にふれない範囲で、国家が
    本来すべきことであっても、民間の有志が代行できるという点にある。

     日本政府が小田原評定を決め込んでいる間に、民間から寄付を集め、
    核武装に賛同する学者・技術者に資金と原料を提供するべく奔走すべ
    きなのである。

     論壇で勇ましい核武装論をぶっているよりも、核武装の為の人材を募り、
    一般国民から寄付金を募集し、本当に「いつでも核武装」できる状況を作り
    出すべきなのだ。

     そのための勧進の論説こそ、有名論客諸氏がすべきことなのである。

     もしも、国民の一割が、年間一万円の寄付をするならば、年間1000億円
    もの開発費を得ることができるではないか。

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  • from: 一久さん

    2009年09月27日 21時07分45秒

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    愛国心とは何か

    【愛国心とはなにか】

     愛国心とはなにか、少し考えてみよう。

     いま、流行りの愛国心とやらは、「日本の愛国心」であるらしい。しかし、そんな風に限定的に考える必要はないのではないだろうか。

     つまり、リヴァイアサンでホッブスの言うような、コモンウエルスに対する忠誠のことだと思えばよいだけではないのだろうか。一端、国が成立したら、それに対する反逆は許されない。それを認めれば、イラクのような「万人の万人に対する戦争」状態になってしまうからだ。(イラクの混乱は、新生イラクという国の成立を認めない武装勢力の跋扈によるのであって、”国民”となった者達の武装蜂起ではない)

     日本においては、政府を批判することは自由である。これは反逆ではなく、為政者に対する「忠告・進言」とみなされる。このことは、国に対する忠誠が確固たるものになっているということを意味しているのだ。

     愛国心とは、この種の忠誠に他ならない。日本人は、天然国家として日本という国を持ってきたが故に、その重要性を理解できないし、また、理解せずとも国を保持できた。しかしこれからはそうはうまくいかなくなるだろうし、たとえ国内はそれでいけたとしても、国外のことを理解できないままになる。

     早い話が、先程のイラクの現状について、マスコミのコメントなどは、「愛国心」を理解していないとしか思えないものが多い。国を認めない武装勢力も、被害にあったイラク国民も、一緒くたにして「イラクの惨状」として報道しているではないか。

     国民は幼児に至るまで、国家の庇護のもとにあるのだから、愛国心を持つのは当然のことである。いやなら、外国へ亡命するべきだろう。否、国家の庇護の下にあるということは、すでに愛国行動を受容していることになる。イラクのテロリストのように、庇護を否定しているものだけが愛国者でないと主張できるのである。(だから、テロリストには降伏する權利がない。軍人と違って、テロリストは白旗を上げても捕虜になれる保証はない。警察や軍隊はこれを抹殺しても構わないのである)

     愛国心を持たせるということは、国というものが必要なものであり、これがなければ、万人が戦争状態になってしまうとういうことを理解させることであろう。ゆえに、国は愛すべき必要不可欠なものであると。

     国歌や国旗は、その象徴である。その掲揚や斉唱について、問題視する人々も存在するが、それらが本当に問題であるのかどうかは、他国の物について同様の行動をすれば問題になるのかどうかを考えれば答えは出るはずである。

     中国の国旗が掲揚され、国家が斉唱されるべきとき、この国旗を引きずり下ろしたり、斉唱すべきでないと教導する教師がいたらどうなるか? アメリカでも、フランスでも、韓国でも同様であろう。程度の差こそあれ、その者は罰せられるだろう。

     ならば、日本の国旗・国歌についても同様であるべきはずではないか?

     愛国心教育に行き過ぎがあるかどうかは、諸外国の例と比べれば、すぐに判明する。なにも恐れることなどありはすまい。

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  • from: 一久さん

    2009年09月26日 19時53分59秒

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    アジアのリーダー


    【アジアのリーダー】

     右のひとも、左のひとも、アジアとの関係強化だのアジアの信頼を得たいだのとおっ
     しゃる。両者ともにアジアにおいて日本が重きを為すことを望んでおられる点では
     全く一致しているように思われる。ただ、右寄りのひとは政治・経済に重心が掛かっ
     ているのに対して、左寄りのひとは文化・精神論に体重が掛かっている程度の違い
     にすぎないようにみえる。

     「リーダ」として釈明させろ、という者と、謝罪しなければ「リーダー」になれな
     いという者との違いにすぎず、どちらもアジアのリーダーになりたがっている点で
     は同じであるように見受けられる。

     しかし、私の考えるアジアと日本のあるべき姿は、このようなモノではない。

     むしろ、アジア各国がそれぞれ独自の高度文明社会を築き、日本からの影響力が失
     われる状態こそが望ましいのだというのが私の考えである。ちょうど、敗戦後の日
     本よりも、高度成長後の日本のほうがアメリカの影響をストレートに受けなくなっ
     たようにである。

     我々が望むべきことは、アジア各国の一人あたりのGNPがアメリカ並みに高まる
     ことによって産み出される膨大な市場と、国際社会に対する影響力の創造でこそあ
     るべきである。それが実現したアカツキには、日本もまたアジアのなかのドングリ
     のひとつに過ぎない状態になる。

     これまでは、非白人・非西洋の高度産業文明国家は日本だけであった。アジア諸国
     がこれに加わることは、国際政治環境の似通った国が増えるということであり、そ
     れは日本にとって望ましいことであろう。


    【大アジア主義と小アジア主義】


     ここで我々は中国をアジアのなかに加えるべきか、中国は別枠としてそれ以外の国
     だけをアジアとするのか、という選択を迫られるようになると思う。

     中国はあまりにも大きすぎる。もし、ひとりあたりのGNPが同じであるならば、
     中国はアジアのなかのドングリになることはできないであろう。

     したがって、私の構想では中国を加えない「小アジア主義」を採らざるを得ず、中
     国を加えた「大アジア主義」を採ることはできない。


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  • from: 一久さん

    2009年09月25日 07時04分16秒

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    中国・韓国に真の思いやりを 靖国問題について

    「思いやり」について

     中国・韓国との問題について、「相手をもっと思いやることが必要」とテレビに出て来る識者諸氏はおっしゃるのだが、はたして彼らは「思いやる」ということと「甘やかす」とか「エコヒイキする」とかいうこととの区別がついているのであろうか。

     なるほど「思いやり」は大切である。しかし、思いやりというものは、中庸を得た思いやりであって初めて「思いやり」といえるのであって、中庸から外れた思いやりは、思いやりとはいえない。

     そのような「思いやり」は、思いやる側の損害を招くだけではなく、思いやられる相手側にも多大な被害をもたらし、さらには第三者にも大きな迷惑を与える結果を生む。

     飼い犬のことを考えてみるがよい。「かわいいから」といって躾をせず、好き勝手に遊ばせることは決して思いやりではない。

     このような買い主に育てられた犬は、やがて他人を噛んだり、むやみに吠えたりして近隣に迷惑をかけ、最悪の場合には傷害事件を起し、屠殺されることになるだろう。買い主も、犬も、隣人も、皆、大きな迷惑を被るのである。

     だが、元はといえば、買い主が「思いやり」と甘やかし」の区別ができなかったことが原因である。買い主の馬鹿さ加減が犬を殺し、隣人に傷を負わせたのである。

    【中国・韓国と靖国問題の場合】

     そもそも、日本国内のこと、ましてや宗教の絡む問題に対して、外国がとやかく言う權利はないのだから(内政干渉)、中国・韓国の要求は、すでにこれだけで中庸を外していることになる。もしこの要求を呑めば、靖国問題以外の外交問題に対して、大きな悪影響をもたらすことは確実だろう。

     それとは別に、もし中国・韓国の要求を呑めば、中国人や韓国人の心が安まるのであろうか。ここをこそ、「思いやる」必要があろう。

     残念ながら、心安まることは決してあるまい。今回は参拝しなかったが、次の政権はどうだか分からない、表立って参拝しなくても裏で参拝しているかも。参拝していなくても、心の中で手を合わせているかも。という具合に、彼らは常に日本の顔色を見ていなければならなくなるからである。

     また、日本人の側でも、中国人・韓国人に対する嫌悪感が増大することは避けられない。先祖の祭祀を妨害されて喜ぶ人間は多くはないのだから。これもまた、「思いやる」必要があろう。テレビ識者というものは、なぜかこの日本人のことは「思いやらないでいい」と思っているようだが。

     結局、中国・韓国の要求に沿う形では、日本人も中国人も韓国人も、決して心が安まることはないのである。

     逆に、日本側の主張に沿って、靖国問題なんて我が国は関与しない、と中国・韓国が言ったらどうだろうか。

     まず、日本人の側は、中国・韓国の度量の大きさを認めて慶賀するであろう。(もっとも、そもそもこの要求自体が理不尽な内政干渉なのだから、感謝する必要などないのだが)

     中国人・韓国人はどうか。

     これ以降、日本の顔色を見なくてすむようになる。これだけでも、今までよりもずいぶんましになる。さらに、我が国は度量の大きさをみせて奴らの靖国参拝を許してやっているのだ、という道義的優越感を持つことさえできる。

     結果的に、靖国参拝阻止を叫んでいるよりも、ずっと多くの安寧を得ることができるのである。

     戦争被害者やその遺族の怨みはどうするのか、というかもしれないが、このような怨みに対する「思いやり」と、今生きている万民の安心のための「思いやり」とどちらが大事であるか。怨みの為に現在と未来の安心を放棄することがはたして「仁」と言えるのか。

    また、犠牲となった人々は、子孫が怨みを持ち続けることを、子孫が安心を得ることよりも望んでいるであろうか。

     ということで、靖国参拝問題の「中庸」は、中国・韓国側が参拝を認めることにこそある。互いの国民を思いやった最善の判断がこれである。

     しかし実際には、中国も韓国もこのような政策を採ることはあるまい。なぜならば、彼らの国の為政者は、国民の安寧の為に政治をしているのではないからである。特に対日問題においては、国民の心が安まることよりも、むしろ憎悪をかき立てることを望んでいる。
    自分達の都合よく国民を使う為に。

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  • from: 一久さん

    2009年09月24日 08時01分23秒

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    WTCは、府に売るよりも、活用せよ

    大阪の赤字施設の利用法


    大阪府や市は、WTC・ATCをはじめとして、数多くの赤字ビルを抱えて
    いる。

    これらを生かす方法を考えてみた。

    率直に言って、ダンピングするしかないと思う。

    ただし、ただダンピングするのではなくて、将来に生きる方向でダンピング
    しなければならない。

    それが有意義な使われ方をするのであるならば、貸しビル業としては赤字で
    も、大阪の経済を潤し、国際的な知名度を上げるものであれば、トータルと
    して割りが合う。

    古人いわく、「損して得とれ」である。

    ____________________________________________________________________

    人は情報のあるところに集まり、人の集まるところに情報がある。

    大阪を情報発信地にしたいのであれば、まずは人を集めればよい。

    人を集めるといっても、やみくもに集めても効果は少ない。

    情報を持っていそうな人間、それも、他には手にいれることのできないよう
    な情報を独占的に持っている人間を集めなければならない。

    しかも、その人は、住むところにさえ困っている人間でなければ、来てはく
    れない。

    そんな人、いるのか?

    いる。小国の大使館・領事館の職員、いや、大使館・領事館自体がそうだ。

    彼らは彼らの国の情報を独占的に持っている。しかも、多くの小国は日本で
    の活動に支障がでるほどに慢性的に金に困っている。

    そこへ大阪に来るなら、家賃はただ同然でいいですよ、と言えば、二つ返事
    でやってくるだろう。

    聞いたことないような国の大使館や領事館を、WTCに集めてしまえばいい
    のだ。

    ただし、これだけでは「損して得をとる」ことはできない。情報を彼らから
    引き出す工夫が必要なのである。

    ____________________________________________________________________

    大阪には、今でも外国の領事館がいくつかある。しかし、情報の発進機能を
    持っているところはほとんどない。

    彼らはただ、領事館としての事務をこなしているだけなのだ。

    これでは意味がない。情報発信基地として機能していないのだ。

    ではどうすればよいのか?

    簡単なこと。毎日、記者会見をさせればよいのだ。

    何十もの小国で、毎日記者会見が行われるのだ。当然、記者の数が足りなく
    なるだろう。

    しかし、心配無用。高校・大学・タウン誌・専門誌の記者を呼べばよいのだ。
    いや、シロウトでもいい。話を聞きたいという人には参加させてやればよい。

    誰でも参加できる記者会見が、毎日行われるということになれば、その国に
    興味を持った人間が頻繁に訪れるようになるだろう。

    日本の暇な婆さんと、某国の大使が、友達みたいに毎日会見している、とい
    う状況が生まれるかもしれない。それもまた、よいではないか。

    また、なにか事件が起こった場合、昨日まで閑散としていた記者会見の席に、
    大手マスコミの記者たちが詰めかけることになるだろう。

    そんな事件がなかったとしても、WTCの記者会見場をうろついていれば、
    なにかネタがひろえるかもしれないぞ、という気にはさせるはずである。

    ついでに、各領事館に、その日の会見内容をWTC事務局にメールさせ、そ
    れをまとめてWTCのWEB上で公開すれば、世界中に情報発進することが
    できる。

    これを見て、大阪のWTCを覗いてみようという人も現れるはずである。

    ____________________________________________________________________

    情報発信地になるということは、人を集め、集まったその「人に」、情報を
    発進させることである。

    いいかえれば、その人の持つ価値を見いだし、世間に売り出すことなのだ。

    「甲子園、そんなものアメリカじゃぁ、誰も知らない」

    昔のTV番組「ガチンコ」でメジャーに挑戦しようという若者のコーチ役を引き
    受けた人の言葉である。

    そう、今は誰もしらないだろう。

    では、知られるようにするにはどうすればよいのか。

    簡単なことだ。アメリカ人も甲子園に参加させればよいのだ。

    アメリカ各州の代表校を、夏の大会に参加させればよい。「めざせ甲子園」
    が、アメリカでも球児の合言葉になるのだ。

    情報を発進する、ということは、こういうことなのだ。

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  • from: 一久さん

    2009年09月23日 20時19分59秒

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    日中友好のために必要なこと

    【日中友好のために】 言論の自由こそが第一義である。

    日中友好のために、もっとも必要なことは、言論の自由を中国の国民に与えることである。言論の自由がなければ、いかなる友好的行為も中国政府の見解によって無視されたり、場合によっては反中国的行為だとみなされるからである。

    日中友好を口にする者は、左翼であれ右翼であれ、自民党であれ民主党であれ、社民党であれ日本共産党であれ、その他のNGOであれ、まず第一に、言論の自由を保証することを求める必要がある。

    「日中友好」と「言論の自由」とはセットでなければならない。

    いいかえれば、中国国内の「言論の自由」に言及しない日中友好は欺瞞であるということである。それは友好ではなく媚態であるか、あるいは偽の友好によってなんらかの利益を得ようとしているかのどちらかである。

    言論の自由を要求することこそが、日中友好の第一歩であり、これなしには、いかなる友好関係も成立し得ないのである。

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  • from: 一久さん

    2009年09月22日 06時53分06秒

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    オリンピック 東京招致は中止すべき

    東京オリンピック誘致は、止めるべきである。なぜならば、それは日本という国の国是に反するからである。

    日本の国是とはなにか。

    それはペリー以来、西洋列強によってもたらされた世界規模の不公平を正し、すべての国が対等公平に付き合える世界を作ることである。

    戦前の富国強兵も、戦後の経済発展政策も、文化立国政策も、すべてはこの国是の為の方法論にすぎない。日本という国が富栄えることは、公平な国際社会を作る為の条件であって、目的ではない。

    日本の繁栄のみを目的としてしまったら、日本の富強の為には、世界の公正さを損なってもよいという観念にとりつかれてしまう。これこそ、先の戦争へと暴走してしまった根本原因ではないか。

    日本は、すでに相当な強国となった。今の我々は、日本に利することが、国際社会にとって公正や正義を失う結果を生まないかどうかということに敏感でなければならない。

    「オリンピックの五つの輪が集る」

    と、歌にあるように、アフリカや南米の誘致候補の応援をすることこそが日本の国是に適う行為なのであって、アメリカ合衆国のマネをして、大国であるから二度も三度もオリンピックを開く資格があるなどと嘯くことは、軍備に奢って戦争を選んだ人々と同じである。

    「日本の底力を示す」という"小欲"のために、公平な国際社会を作るという日本の大儀が捨てられようとしている。

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  • from: 一久さん

    2009年09月21日 20時36分42秒

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    自由と我儘の違い

    【自由と我儘の違い】

     自由とは、相手の自由を認め合うことによって、結果的に自分の
     自由を獲得するという行為である。

     我儘とは、自分の自由の為には、他人の自由を犠牲にしても構わ
     ないという主張のことである。

     ゆえに、自由を愛する者は、自分の敵に対する言論弾圧に対して
     さえも、自己に対する弾圧と同様のものであるとして、圧制者と
     戦う。

     我儘を自由と勘違いしている輩は、自分の敵に対する権力者から
     の弾圧を、むしろ歓迎し喜ぶ。

     我儘者は、自己の意見を強弁するために、罵倒・中傷をいとわない。
     自由人は、罵倒・中傷を放置する場所での議論に参加しようとはしない。

     罵倒・中傷が放置されているということは、他人の自由を守る意思
     の無い者達の集いであり、そこは決して自由な討論の場ではないからだ。
     我儘者が自由をはきちがえている場所でしかないのだ。




    【自由人は良識を愛す】

     しかし、どこまでが自由で、どこからが相手の自由に干渉することに
     なるのか、必ずしも明白ではない。

     活発な討論のつもりが、相手には罵倒に聞こえるかもしれない。逆に、
     明らかに普通の反論であるにもかかわらず、「罵倒された」と感情的
     に反発する者もいる。(PC-VANでの経験から言うと、罵倒的言
     動をしている人ほど、ちょっと皮肉られただけで「馬鹿にされた!」
     と大騒ぎする傾向にあるようだが・・・**姫とか・・)

     ゆえに、自由を大事にする人々は、常に「良識」とはなにか、どのよ
     うな態度で討論すべきか、ということに、常に気を配らねばならない。

     自由人が良識を愛するのは、良心のゆえではなくて、その必然性から
     である。

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