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  • from: 一久さん

    2007年10月31日 21時20分37秒

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    何もしない政治


    【 貯金をすることを公約する政治 】

    選挙においては普通、「これこれをします」と訴えるもの
    だが、そうではなくて、必要最小限のこと以外、何もしませ
    ん、ということを公約する人がいてもよさそうなものだ。

    そのかわり、余ったお金で借金を返済し、今期中に全額
    返済し、二期目には貯金を作ります、と約束する首長候補
    はいないものだろうか。

    何もしないといっても、自治体の予算ではしない、という
    ことであって、住民が自ら金を持ち寄ってやろうというこ
    とまでやるな、というのではない。

    むしろ、自治体の職員と設備を動員して、このような住民
    主導の社会参加を促すようにすべきなのだ。

    例えば、橋が欲しいとき、「これこれをします市長」で
    あれば、自治体から予算をひねり出さねばならない。故に
    どうしても自治体は借金体質になる。

    「なにもしない市長」であれば、橋が欲しいという要求
    に対して、「では、自治体の掲示板や広報を使って、寄付
    を募りましょう」「安く作ってくれる業者を募集しま
    しょう」ということになる。

    これならば、予算が増大傾向になることはないし、談合
    なども起こり得ない。住民が過大な要求をすることもない
    し、逆に、いままで無視されていた少数意見が多くの寄付
    を獲得するかもしれない。

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  • from: 一久さん

    2007年10月31日 21時09分34秒

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    小泉政権と地方自治

    【独立自尊以外に、地方経済の建て直しはない】

    小泉政権を支え続けたものは、地方へのバラマキ政治を嫌悪する
    都市住民であった。

    都市住民からすれば、地方経済の荒廃は、ひとえにその地方の人々
    の無為無策によるものである。地方自治体と、地元商工会、商店会、
    その他、地方民自身の怠惰によるものである。

    なのに、ふたことめには、「国の援助がなければ」という厚顔無恥
    に対して、都市住民の腸は煮えくり返っている。地方民を蔑視している。

    だが、そのことが当の地方民には解っていないのではないか。

    その時代錯誤の感覚しか持たない地方民を甘言で釣り、自分達の力
    にしようとして、様々な政治勢力が田舎を跳梁するようになるだろう。

    しかし、それは「無い夢」である。都市住民はもはや、「小泉以前」
    に戻ることを、(つまり、田中角栄式に戻ることを)決して許さない
    からである。

    長州藩も薩摩藩も、幕末以前に財政危機を乗り越えて、時代の担い手
    となった。しかし、明治以後、国家財政という蜜の味を覚えたがゆえに、
    「国の援助がなければなにもできない邦」に成り下がった。

    鶏頭となるも、牛尾となるなかれ。

    自分達の頭で考え、事を進める者は、小よく大を制し得る。

    地方の活性化は、独立自尊からしか、決して生まれない。国をあてに
    するものには、決して未来はない。

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  • from: 一久さん

    2007年10月30日 20時44分27秒

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    「西洋民主主義の限界 Ⅱ」

    【 日本の精神性 】


    欧米に知らしめるべき日本の精神性とは、「人の心の弱さを知る」という
    ことであろうと思う。

    欧米でも日本でも、究極の目的は真理・真正に達することである。日本流
    にいうならば「仁」の実現である。

    ではあるが、欧米の「言論自由と討論」によって真理・真正に至ろうとする
    方式には、欠点があることを前回指摘した。討論をする者達の力量や社会的
    な力が拮抗していなかったならば、また、判定者がどちらの意見でも受容可
    能な文化的共有感を持っていなければ、決して真理に辿り着くことはないの
    である。

    これはつまり、欧米人の思考においては、「人の心の弱さ」に対する認識
    が弱いということを示している。言い換えれば、自由な討論を行なえば、正
    義を見出すことができる強さを人間は持っている、と信じているとううこと
    である。

    だが、日本の思想はそうではない。日本の思想においては、人間の心の弱さ
    を自覚し、その弱さ故の過ちに陥らないように、自己コントロールすること
    を重要視する。これをしないで討論したとしても、決して真理に到達すること
    はないのだ、というのが日本流である。

    「 大学 」にいわく

    心に怒りがあれば、正しい心を保つことはできない。

    心に好き嫌いの感情があれば、正しい心を持つことはできない。

    心に憂慮する苦しみがあれば、正しい心を持つことはできない。

    心ここにあらざれば、見れども見えず、聞けども聞けず、食らえども
    その味を知らず。


    人はその親愛する相手や物事について、偏り誤った判断をする。

    人はその憎悪する相手や物事について、偏り誤った判断をする。

    人はその尊敬する相手や物事について、偏り誤った判断をする。

    人はその同情する相手や物事について、偏り誤った判断をする。

    人はその軽蔑する相手や物事について、偏り誤った判断をする。

    好みてその悪を知り、憎みてその美を知るものは天下に少ない。


    このように、いくら言葉を尽くして議論しても、双方が相手に対して
    特殊な感情を持っている場合には、決して真理に到達することはない
    のである。

    ゆえに、真理・真正に到達することを欲するのであれば、まずは相手
    の言に対して、感情や利害を捨てて耳を傾け、相手の心情を理解する
    ことからはじめなければならない。これを「思いやり」という。

    思いやりの思想こそが、真理への第一歩なのである。

    だが、ここに大きな落し穴がある。思いやりは大事であるが、中庸を
    得ない思いやりは、思いやりではない。単に相手に迎合するだけでは、
    却って相手を増長させ、甘やかせ、相手も自分も周りの者さえも不幸
    にすることになる。日本の「知識人」達の態度はまさにそれであった。

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  • from: 一久さん

    2007年10月30日 20時41分57秒

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    西洋民主主義の限界

    西洋民主主義の限界


    【 トッチャンボーヤ の火遊び 】

    補給継続反対は、アメリカを怒らせて反米感情を焚きつけようとする
    子供染みた火遊びであるが、しかし、久しぶりの火遊びなので、止める
    ことができない。

    小泉・安倍政権当時には、この種の火遊びは控えられていた。マスコミ
    が「アメリカのポチ」などと挑発しても、大人達は乗ってこなかった。

    しかし、物分かりのいい大人よりも、アホな子供のほうが、交渉事には
    むしろ向いているのかもしれない。北朝鮮の手口などはまさにそれだ。
    小沢氏は、それを真似ようとしているのであろう。

    だが、子供のダダは、所詮は子供のすることである。本当にすべきこと
    は他にある。それは、欧米の精神的な部分に切り込みをかけることだ。


    【 日本思想を欧米に輸出せよ 】


    江戸末期以降、日本には西洋思想が大量に流入した。もはや我々は江戸
    以前の日本人ではない。輸入といえば、欧米の西洋思想といえども、その
    基礎はアラブからの輸入である。日本は数百年ほど輸入時期が遅れただけ
    のことだ。

    自由や民主主義は、もはや我々の生活から切り離すことはできない。

    だが、我々の思っている民主主義や自由には、実は旧来の日本思想が混ざり
    こんでいるのであって、欧米のそれとは必ずしも同じではない。従来、その
    ことをもって、だから日本は遅れているのだ、と識者諸氏はノタマッテ来た
    のであるが、逆に、欧米のほうこそ、日本思想を持っていないぶんだけ、日
    本よりも遅れているのだ、と言えないこともないのである。

    そもそも、自由も民主主義も、手段であって目的ではない。目的は、真理・
    真正に近づくことであり、そのための自由な討議であり、より多くの参加者
    による検討と監視(すなわち民主主義)である。

    ところが、欧米流の自由民主主義には、大きな欠落があることに、欧米人は
    気づいているだろうか。

    その傷とは、欧米の自由主義・民主主義というものは、対等な力関係の者同士
    であるということを前提にしてのみ成立するのだ、という点である。

    いいかえれば、社会的弱者や、弁論術がヘタなもの、偏見を受けているもの
    などの意見は、決して正しく理解されないし、意見を発表する機会さえ与えら
    れない場合も多い。運良く、卓越した弁者と理解ある外部協力者を得たとして
    もなお、その意見は少数の理解者に留まって、一般大衆に広がらない。

    こういう事例が、欧米にはいくらでも存在する。

    ディベートというものがそうであるように、欧米の(それ以上に欧米以外の)国
    では、双方が対等の立場と力で対峙し、かつ、それを判定するものもまた、両者
    と基礎理念を分かち合う者であることを、暗黙のうちに前提としているのである。

    しかし、現実世界は決してそのようなものではない。強者の声は大きく、かつ
    巧妙であり、弱者の声は貧弱で稚拙である。大衆は偏見に満ち、理性豊かな人は
    常に少数である。少数の覚醒者が、多数の愚昧を目覚めさせて大衆を説得すると
    いうのが民主主義であるけれども、それは対等であるという条件が満たされなけ
    れば実現することは難しい。

    現実には対等な状態というのは希少であり、対等でなければ欧米流は機能しない。
    ゆえに、欧米においてさえ、真正・真理の追求はうまくいかない。欧米以外におい
    てはなおそうである。ひとり、日本を除いては。

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  • from: 一久さん

    2007年10月29日 20時32分58秒

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    ビッグイシューを買った


    【あれでは、売れんわ】

    はじめてビッグイシューを買ったが、予想以上に売れない
    内容だった。あんなのを売らされているホームレスが哀れ
    でしかたがない。あれを売るぐらいならば、タコヤキ屋台
    でも出させたほうがよいのではないだろうか。

    ビッグイシューには、ホームレスの自立を支援するという
    大義名分があるのだから、それを押し立てて、最も取材し
    にくい多忙な有名人に限定して、独占取材記事をものにす
    ればよいのに。

    他のマスコミには出ない人でも、ビッグイシューだけは出
    よう、と言わせればよいだけのことだ。

    訳のわからない外人さんが表紙を飾っている雑誌を買うの
    は、ごく一部の人だけだろう。



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  • from: 一久さん

    2007年10月28日 07時08分29秒

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    治安の話

    【味噌も糞も一緒の話】

     へんな頭をした評論家(?)らしき人物が、TVでヘンなことをしゃべっていた。

     いわく、「イラク戦争以後、イラクの治安は以前よりも却って悪化した」のだそうな。この人物だけではなく、平気でこのような論を吐く人が少なくないのだから困ったものだ。

     いわゆる、「クソミソ」である。味噌も糞も一緒くたにして恥じない連中である。


    【北朝鮮とアメリカ、治安の悪いのはどっち?】

     分かり易く言ってしまえば、イラク戦争以前のイラクの治安の良さは、北朝鮮の治安の良さと同類のものである。

     反抗するもの、気に入らないもの、政敵、ライバル、その他なんでも、権力を握る者が、そうでないものを粛清できる社会である。
     
     言い換えれば、官憲や政府が国民を正当に扱うことを義務として持っていない社会である。いつ権力者や官吏の不評を買って、牢獄送りになるか、わからない社会である。

     対して、戦後のイラクや、アメリカの場合は、(一応は)官吏や政府に正義を期待することができる社会である。

     言い換えれば、悪者だけが官憲に追われる社会ということである。そうであればこそ、治安を良くすることが難しい。罪を立証せずに「疑わしきを罰する」訳にはいかないからだ。

     【住みたいのはどっち?】

     さて、皆さんは、どちらの世界に住みたいだろうか。

     北朝鮮のような、すばらしく治安はいいが、いつ無実の罪で投獄されるかわからない社会か、それとも、アメリカのように、治安は悪いが、一応は頼ることのできる官憲や裁判所のある社会か。

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  • from: 一久さん

    2007年10月27日 20時43分38秒

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    電車内でマンガを読む者

    【電車でマンガを読む者は】

     電車内やホームでマンガを読んでいる人は、非常に低俗に見える。大の大人が、なんというなさけない姿をさらすのか、と世の識者はいう。私個人は、マンガ自体は低俗なものだとは断定しない(低俗なものもある、高尚なものもある)のであるが、しかし、実際にホームでマンガを読みながら電車を待っている人と、文庫本を読みながら待っている人とでは、やはり「マンガ人」は「なさけない人」に思えてしまうのだ。

     私はマンガに対して偏見を持っていない(と思う)。少なくとも、”識者”諸氏ほどにはマンガを不当差別してはいない。にも関わらず、電車でマンガを読む人に対する嫌悪感は、彼らと同じものを持ってしまう。これはなぜなのだろうか。

     そもそも、マンガと一般書籍との差はどこにあるのだろうか。活字だけの本を読んでいる人を見ても、なんの嫌悪感も催さない。なのに、絵の入っているマンガだと、そうではない。ということは、絵が入っていることにその原因が潜んでいると思われる。

     識者とかいう輩はよく「マンガは想像を限定する」とか言って批判するが、まさにこれこそが嫌悪感の元ではないだろうか。想像を限定するということは、その人が読んでいるマンガは、その瞬間において、その人の脳裏の映像と同じものだということである。それは可逆的にその人が電車内で手に持っているそのマンガ本は、その人の脳裏を映し出しているということでもある。

     つまり、マンガを読むという行為は、マンガ本という”鏡”に自分の脳内を映し出す行為と等しい、ということである。そのようなプライバシーの極致とでもいうものを不特定多数の他人に対して開陳している人、それが「電車でマンガを読む人」の正体である。これは、猥褻物陳列罪に近しい犯罪的行為だと言えよう。

     活字の本の場合、読む者は想像力を働かせて脳裏に映像を結ぶ。その本が見える場所に位置する他の乗客もまた、文字から内容を想像しなければならない。故に、活字の本は、マンガと違って、読む者の脳内を照らし出すような能力を持ち得ない。両者の想像する世界は同じではないからだ。「文字から想像する」という緩衝壁によって、二人の意識は距離を保つことができる。言ってみれば、「マンガ本は全裸、活字本は服を着ている状態」なのである。

     では、写真集はどうであろうか?これはマンガに近いのではないだろうか。しかし、マンガほどには嫌悪感を抱かせない。その訳は、いかなる写真といえども、写真イコール脳裏の映像となることはほとんどないからである。ヘアヌード写真集といえども、それを見る者は自分の感性によってそれぞれの解釈を加えている。横から目にする者も、そのことを知っている。裸体の写真に見入っているからといって、卑猥な想像をしているとは限らない。その人は芸術的に見入っているのであって、それをスケベな人だと思った者こそ卑猥なのかもしれないということを誰もが(子供は別にして)知っている。山岳写真や美術品の写真などになると、さらに想像力を使った観賞を要求されるので、同じ写真を見ても、同じ意識に到達することはない。見ているビジョンは同じでも、その意味がまるで違うのだ。それに対してマンガは、「絵の意味」さえも限定する。マンガの中で描かれた絵は、そのマンガのストーリー上の意味しか持たないのである。

     これらのことから、逆に、マンガというメディアの恐るべき伝達性能の高さが実感できる。活字本も写真集も、著作者がイメージした世界を伝えるという機能において、マンガに遠く及ばないということでもあるからだ。

     伝達性能といえば、テレビこそが最強ではないのか?電車に携帯テレビを持ち込む人間が現れたならば、マンガを読む人間よりも蔑まれるであろうか。どうもそうではないように思える。なぜならば、我々は家庭や職場において、大勢でテレビを見る機会があるが、そのような恥ずかしさを感じることはないからである。言い換えれば、テレビ番組というものは、マンガのように、一瞬でも個人の意識と同化する力はないということである。

     その理由としては、やはり第一に、受動性にある。いかなる人気番組といえども、流れてくるのを見るだけであるということ。ゆえに、いま見ているTV番組とは別に、それを評価する自我が存在している。「テレビと会話するオカン」の存在は、まさにそのことの証明である。時間進行が向こう任せであるという点も、受動的なるが故の特性であろう。ぼけっとしていると見逃したり、聞き逃したりする。その度に、自我を呼び起こされることになる。

     映像とマンガの違いは、時間進行の権限を制作者が持っているか、視聴・読者が持っているかだということができよう。普通一般には、進行をも含めて作品化される映像のほうがグレードが上だと思われているようである。制作者側が支配できる範囲は、確かにこのほうが大きい。だが、見る側の意識を支配できるのは、「時間」を読者任せにしたマンガのほうである。時間を作者が支配することによって、見る側は映像世界から脱落する可能性を持ち、作品世界から離れた視点で見るようになる。時間を支配しないほうが、より完璧な世界観の伝達が可能になるのである。

    【まとめ】

    マンガという手段の恐ろしさ

     マンガは、あらゆる想像を限定する。単に絵だけではなく、ストーリーの展開によってその意味さえも限定する。また、音響も照明も、文字と絵によって支配する。だが、時間は支配しない。時間を支配しないことによって、読む者の自我を支配する。能動的に読んでいるとき、自我は批判的にはなれない。自我が発揮されるのは、破綻を見付けたときか、想像力を求められた場合である。マンガとしての瑕疵がない作品を読む場合、マンガと読者の意識は完全に一致する。そのとき、マンガ本は、その人の脳内を他人にさらけ出す凶器となるのだ。

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  • from: 一久さん

    2007年10月26日 22時06分10秒

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    東京オリンピック誘致 反対論

    東京オリンピック誘致は、止めるべきである。なぜならば、それは日本という国の国是に反するからである。

    日本の国是とはなにか。

    それはペリー以来、西洋列強によってもたらされた世界規模の不公平を正し、すべての国が対等公平に付き合える世界を作ることである。

    戦前の富国強兵も、戦後の経済発展政策も、文化立国政策も、すべてはこの国是の為の方法論にすぎない。日本という国が富栄えることは、公平な国際社会を作る為の条件であって、目的ではない。

    日本の繁栄のみを目的としてしまったら、日本の富強の為には、世界の公正さを損なってもよいという観念にとりつかれてしまう。これこそ、先の戦争へと暴走してしまった根本原因ではないか。

    日本は、すでに相当な強国となった。今の我々は、日本に利することが、国際社会にとって公正や正義を失う結果を生まないかどうかということに敏感でなければならない。

    「オリンピックの五つの輪が集る」

    と、歌にあるように、アフリカや南米の誘致候補の応援をすることこそが日本の国是に適う行為なのであって、アメリカ合衆国のマネをして、大国であるから二度も三度もオリンピックを開く資格があるなどと嘯くことは、軍備に奢って戦争を選んだ人々と同じである。

    「日本の底力を示す」という"小欲"のために、公平な国際社会を作るという日本の大儀が捨てられようとしている。

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  • from: 一久さん

    2007年10月25日 07時17分17秒

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    民主主義の政党ではない民主党

    【激論して結束固まる】

     民主党が寄り合い所帯である、ということは誰でも知っている。党の意見をまとめ、統一した見解を出せるようにしなければ、到底、自民党と互角に戦えないということも、皆が分かっている。しかし、にも関わらず、それができない。できるようになる兆しすらない。そうなってしまう理由は、意見を取りまとめようとすれば、不満のある人間が出て行ってしまう、党が分裂してしまうという危機感にある、ということもまた、言わずとも知れたことである。

     では、どうにもならないのか。民主党は「生まれた時、すでに死んでいた」のだろうか。

     民主党を蝕んでいるこの宿病の根本原因は、「意見が噛み合わねば分裂する」という迷信を信じていることにこそある。「雨振って地固まる」「ケンカするほど仲が良い」「バトルした相手のほうが、知らない相手よりも協力してくれる」等々、昔からいうように、激論し、意見を闘わせたほうが、むしろ党内の結束は固まる。

     分裂する、とか、離反者が出る、とかいうのは杞憂である。なぜならば、自分の意見が少数派に属する者にとっても、その意見を発表し、討論する場所は、「大きな場所」のほうが良いからである。小政党の中で多数派に属するよりも、たとえ百戦百敗であっても、大政党の仲に自分の意見を主張する場所を得たほうが、世間にアピールできるからである。
     
     そう、党議拘束に反する意見を持つ党員にとって、それでも党に残ることを選択させる要素とは、「世間にアピールできる」装置がその政党にあるかどうか、ということなのだ。これさえあれば、党を出て行く者は多くはない。逆に、このようなシステムが無ければ、ちょっとした意見の違いで離脱する者が出て来るだろう。

     具体的な例でいえば、憲法第九条の改正に反対する党員がいたとして、彼が民主党内部で反対論を述べて他の党員と激論する様子が公の場に提供されるのであれば、結果として彼の主張が敗れ、民主党の政策として憲法改正が選択されたとしても、彼はもって瞑するであろう。逆に、そのような場を与えられず、野党に在籍したほうが論戦の場に出てこれるのであれば、彼は離党の誘惑を常に感じることになる。

     大事なことは、違った意見のぶつかり合いを、その激論のさまを公開して、議員たちが自分の意見を国民にアピールできる場所を作るということである。そのような場所を党が用意できるのであれば、所属議員たちは、決して軽々に党籍を離れたりはしない。

     激論を公開せよ。さすれば、皆、結束する。

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  • from: 一久さん

    2007年10月24日 21時53分53秒

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    「自衛隊に、モビルスーツ部隊を」
    【モビルスーツは結構強いカモ】

     自衛隊に、巨大ロボット部隊を作ることは極めて有意義な政策である。なんといっても、世界中を笑わせることができる。戦中の吉本興行慰問部隊の名を借りて、「わらわし隊」とでも名付けてはどうか。また、日本の技術力を誇示する効果もあるし、「ロボットって、もしかしたら強いのかも」という疑念を相手に与えるかもしれない。

     巨大ロボット、いわゆるモビルスーツというやつは、本当は強いのか弱いのか。

    【マジメに考えよう】

     誰もが思っていて、しかも黙っていることがある。「手足」は必要なのか、という素朴な疑問である。もっとも、手足がないとモビルスーツの格好がつかないのだが。

     安心したまえ。手も足も必要である。否、極めて重要な機能である。軍務というものは、戦闘以外にも意外に多い。現に我々が実際に目にする自衛隊の活動は、災害救助がほとんどではないか。この際、モビルスーツの「手」は非常な戦力となる。実際の戦場においても、工兵として大活躍できるはずだ。

     足はどうであろうか。意外にもこれは直接的な戦力として役に立つ。足で立ち、敵を撃つという動作は、火砲を一瞬で高台に持ち上げて射撃するという行為を意味する。この作業をモビルスーツ以外の手段で行なおうとすれば、それだけで相当大きな戦術行動となる。その複雑な作業を、モビルスーツは一瞬でやるのだ。有用でない訳がなかろう。

     モビルスーツは、二十メートルの高さから敵戦車を見据え、射撃することができる。これだけで戦車よりもかなり有利であろう。回避行動もまた、戦車が自動車の延長のような動きしかできないのに比べて、人間型の兵器は、縦横無尽に「避ける」ことができる。接近戦において、モビルスーツの優位は明らかであろう。

     モビルスーツの欠点は、遠距離の移動がしにくいという点にある。歩いて何百㎞も移動することは、いかにもシンドイ。ジェット噴射装置でジャンプするには燃料が多量に必要になる。だが、専守防衛兵器として考えれば、この弱点は問題になるまい。

     長距離移動の場合は、モビルスーツ運搬用の飛行機や船、自動車(日本では道路事情から無理かも?)などを用意すればいい。

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