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  • from: 一久さん

    2008年01月23日 07時16分47秒

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    ドイツ人というもの

    「ドイツ 傷ついた風景」 

     足立 邦夫 著 講談社文庫 P 940

     ナチスドイツの過去が戦後のドイツにどのような影をなげかけているか
     をテーマびしたルポタージュ。

     統一後までをカバーしている。

     
     本書に登場するドイツ人たちの多くは、ナチスとドイツ人一般との区別
     を強調するのだけれども、私の考えでは、ドイツ人の性質は、ナチスと
     共通するものがある。

     その国の人間の内面を知るための、もっとも優れた方法のひとつは、
     相手の国の人間が日本について書いた本を読むことである。

     日本を語らせることによって、じつはそれを語っている人間の内面こそ
     が明らかにされる。俗に言う「問うに落ちずに語るに落ちた」というやつ
     だ。

     さて、そうしてみると、アメリカ人やフランス人にくらべて、ドイツ人の著者
     には、共通して他文化(ここでは日本の文化)への破壊的な姿勢が目立
     つ。

     たとえば、お歳暮・お中元といった習慣に対して、フランス人は「農園でリ
     ンゴが腐るよりは、お歳暮を送られた家で腐るほうが、経済が動くだけま
     しかもしれない」と言い、

     アメリカ人は、それじゃあ我々も、とばかりに、パイを焼いて配ったりする。

     ところがドイツ人は、「そんな馬鹿な習慣は止めてしまいなさい」といい、
     「それで付き合いが壊れるのならば仕方がない」という。

     フランス人やアメリカ人にくらべて、ユーモアと余裕に欠ける。

     このような「止めてしまいなさい」風の記述は、複数のドイツ人の著書で見
     ることができる。否、それ以外の、余裕のあるコメントを読んだ記憶がない。

     ドイツ人のこのような姿勢は、ナチズムのような他文化・異民族への攻撃
     と排除に容易に結びつく。

     さらにそれは、言論の自由に対する妨害ともなる。

     他の文化への攻撃的な姿勢は、違う意見の持ち主への暴力の行使と深い
     部分でつながるものだからである。

     ナチスドイツの過去を気にするあまり、今のドイツではナチスの功罪の功の
     部分や、イスラエルの過激な行動について論評することは著しく制限される。

     しかしこれは、言論の自由の否定であり、自分と異なった意見の持ち主に対
     する、破壊的行為である。

     こんなものがなお残存しているドイツは、真の意味で自由民主の国ではない。

     そればかりか、このような性質を隠蔽した国家は、遠からずしてその本性を
     表すであろう。

     ナチスを否定してなお、ナチスよりもたちの悪い妖怪を生むことになる。

     ドイツ人が、ユーモアと余裕をもって、異文化に接することができないかぎり、
     妖怪たちは何度でも息を吹き返すであろう。

    _________________________________

     さて、なんでドイツ人というものは、こんなやっかいな宿業を背負い込んだので
     あろうか。

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