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  • from: 一久さん

    2008年03月30日 19時09分34秒

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    全体主義の起原 ハナ・アレント

    ハンナ・アレント 「全体主義の起原」

    恥ずかしながら、ハンナ・アレントという名前さえ知りませんでした。HP検索をかけて、いくつか解説めいたものが出てきたのですが、どうも、その、なにを言っているのやらよく分らない。いや、アンナ女史がではなくて、解説(感想か?)の人の文章が、ですが。政治学部の三回生とかいう人の文もあるが、はて、こんなので論文として通るのか、と心配になるようなものでした。

    それはともかく、ハンナ・アレントと「絶対主義の起源」は、その筋では影響の大きいものであるらしい、ということは分りました。ということで、ひさしぶりの課題図書として、

    「ハンナ・アレント 絶対主義の起源 1・2・3」 みすず書房

    を選定しましょう。大部でもあり、値段も相当お高い(一巻5000円ほど)ので、図書館で借りて読むことになるでしょうけれど。(大阪府立中央図書館には在庫ありと検索ででました。五日以降でないと開館しないのでそれからになりますが)

    期間は、一月から三月末までの三カ月間。読んだ事のある人も再読しましょう。皆さん”全体主義的に” (^^ゞ  参加してくださることを祈っています。


    【解説】

     「市民の討論広場」では、以前、課題図書を決めて参加者各位が読み、感想を述べるという企画をやっていました。あんまり活発な討議にはならなかったが、共通の図書を勉強するというのはそれなりに意義のあるものだったと思っています。少なくとも、自分の私見を強弁するだけの某大掲示板群ではできないことだと思います。

     以前やったものでは、「学問のすすめ」、「孫子」、「大衆の反逆」「忘れられた日本人」「大学」などがあります。残念ながら、今のネット上の文章を読んでも、自己の見解を成長させる糧にはなりにくい。将来的に、すべての文献がネット上で容易に読めるようにならないかぎり、読書なくして見識を高めることは不可能でしょう。昔から言われている言葉に「ネット上の知識で高い見識を得たという人はいない。優れた書き手は、例外なく書物から栄養を得ている」というのがありますが、これほどネットが広く普及した現代においてもなお、この言葉は生きているようです。

    【蛇足】

     「無知の許容」と「無知の居直りの禁止」が「市民の討論広場」のモットーです。

     知らなかったことは恥ではない。知らなかったことに対して、それを知ろうともしないで読みもせずに非難したり、話をすり替えたりすることが、恥なのだ。そういう行為がHP上の掲示板ではあたりまえのように横行しているけれども。

     ということで、この「市民の討論広場」では、「書いてあったことについて調べてみる読んでみる」という態度を奨励しております。ここは、相手を言い負かす場所ではなく、自分を成長させるための場所なのであります。


    * 読 書 感 想 文 *


    【全体主義の起原】

    「Ⅲ 全体主義 」の半分、150ページまで読み終えた。

     ここまでで分ったことというか、感想であるが、ハンナは、同時代の日本のことについてははじめから度外視している。つまり、考察の対象外としている。考察の結果、日本は全体主義ではなかった、と言っているのではなく、単に視野の外においている。

    おそらくは、ハンナには日本に対する知識が乏しく、到底コメントすることができないということを彼女自身が知っていたためであろう。ハンナ自身は、日本が全体主義であったともなかったとも言ってはいない。(ここより後の部分で言うのかもしれないが)

    そうではあるが、ここに記述されているナチス・ドイツのありようには、日本のことを言っているのではないかと思ってしまうようなことも少なくない。とくに、P98 16行目からP99までの全体主義国家が破滅した後のことを書いたこの文章は、まさに戰後の日本そのものの姿である。

     ハンナ自身は日本のことについては何も言ってはいない。日本もハンナのいう全体主義であったか否かは、ハンナを読む者自身によって判定する他はない。

     上述のことから考えて、私には「ハンナのいうところの全体主義国家」のひとつであったと思える。


    【第三巻 「全体主義」を読了】


    正直言って、なにを言っているのか、よく分かんない、です。

    しかし、刺激されるところは、ままあって、これをネタに文章を書けると思えるものが少なくなかった。「なにを言っているのか」というような大上段に構えた論文は期間後半に譲って、前半は、チョボチョボした感想というか思いつきを述べていこうと思う。

    【日本陸軍は強制収容所だった?】

    徴兵制と、軍内部での全体主義的統制、つまり、軍を強くすることへの提案などをしようものなら、古参兵や下士官からこっぴどい目にあわされる、という、現実無視・服従絶対の世界は、まさに強制収容所と同じものではないだろうか。

    その入所基準(年齢、体格)の「客観性」、支配する側に変わりえるという相互支配の構図等、まさに全体主義の要件を満たしている。

    軍は、本来、統制を求められるが、機能を追求するという一点において全体主義と区別される。だが、昭和初期の日本陸軍はそのような機能性重視という軍隊の本質を保っていただろうか?

    日本軍を強制収容所と同類のものだと考えると、司馬遼太郎の示した命題に、説明がつくのである。

    それは、多くの日本軍人を、あの戦争で「太平洋に砂を撒くがごとく」「棄民した」のはなぜか、という氏の怒りに対する回答でもある。

    当時の日本軍は、強制収容所であった。そして同時に、ハンナのいう「運動」の為に犠牲となるべき者でもあった。

    ゆえに、彼らは、「植民地の開放」という「歴史の運動」のための先兵として、太平洋の砂となる必要があったのだ、と。

    ナチスの「運動」は、世界制覇という馬鹿げた夢想であったが、日本の「運動」は、植民地の開放という建前であった。

    ゆえに、ナチスの運動はドイツの敗北によって頓挫するが、日本の建前は、日本軍が敗れ去った後に、却って真実の進展をみせる。現地人の独立意識が高まるとともに、旧支配国の力が弱まるからである。東条秀樹による「運動」は、戰後、すべての植民地が開放されたという事実を持って結実したことになる。

    しかし、このことは、ある意味恐ろしいことだ。全体主義という手法が、建設的な未来を築くこともありえるという結論になってしまうのだから。おそるべき多くの犠牲を覚悟しさえすれば。


    【全体主義の起原】 第二巻 「 帝国主義 」

    あと、百ページほど残っているが、面白い記述があったので。

    【ボーア人について】

    ボーア戦争、というものについては、中学校の教科書でご存じだろうと思うが、ではボーア人とはどんな人々であったと思っているだろうか。南アフリカに定住した白人というのは教科書にもあると思うが、その生活様式については?

    この本の中に出てくるボーア人は、我々が知らず知らずのうちに想像していたボーア人の概念とはまるで違っている。ヨーロッパの白人であるから、それなりの文明社会を作っていて、その社会があとからきたイギリスという文明と衝突した、我々はそう考えてしまいがちである。

    ところが実際は、ボーア人は文明を作らなかった。逆に、アフリカの未開文化に埋没していったのであった。彼らは原住民から搾取するだけで、文明を持ち込んで改良社会を作ろうとはしなかった。つまり、彼ら自身がアフリカの白い土人になっていった。原住民からみても、ボーア人は(その銃器の保持によって)酋長の上に位置するもの、神に近い支配者としか映っておらず、侵略者というよりも土着酋長の延長でしかなかった。

    ボーア戦争というものも、ダイアモンドと金坑を巡っての文明的な衝突というものではなくて、文明を持ち込もうとするイギリスと、それを嫌うボーア人との紛争であった。ゆえに戦争の結果、鉱山をイギリスにくれてやるかわりに、奥地にいままでと変わらない未開社会をボーア人に保証することになったのは、彼らにとっては政治的勝利以外のなにものでもない。

    教科書は、イギリス人に鉱山を取られ、奥地に追いやられたというのだが、それこそが、ボーア人の本当の望みだったのだ。



    【全体主義の起原 2 帝国主義  読了】



     読み終わりました。これもまた、いまいちよく分かりかねる書物ではあるが、第三巻よりはマシかもしれない。この本の中に書いてあることで、刺激を受けた点について書いてみる。

    【帝国主義と国民国家】

     帝国主義は、国民国家とは相性が悪いのだ、と著者はいう。国民国家は、国民がその国を動かすのであるが、本国以外の、支配される側の領土の「新・国民」にとって、それは本国住民の手前勝手な規範の押しつけとしか思えないからである。むしろ、古代帝国のように、天啓を受けた絶対者が、本国も植民地も関係なく絶対的な法を強制したほうが問題は少なかった。

    本国側が善意であればあるほど、併合された側にとっては押しつけがましい偽善であり、自分達の個性を抹殺するための策略であると映る。むしろ、圧制者として暴力的に支配したほうがまだマシなくらいであった。ハンナ・アーレントは、日本のことについてはほとんど何も述べていないが、このような「善意の植民」の最大の事例は、まさに日本の韓国併合であろう。世界一優しい帝国主義は、世界一憎悪を持たれる結果を生んだのである。


    【二大政党制と多党制】


     英米の二大政党制と、ドイツ・フランスその他のヨーロッパ大陸の多数政党制との違いは、たんなる表面上の制度の違いではなく、政党そのものの性格が違うからだと著者は指摘する。まったくそれは正しいように私も思う。

     二大政党制というものは、単に二つの政党が交代して政権を担当するということではない。それは結果論にすぎないものなのだ。二大政党制の真の意味は、政党がそれ一個で国民全体を代表できるだけの道徳規範をもっていなければならないということにある。そういうものを持つ政党であればこそ、お互いを交代要因として認め得るのである。その結果として、政権交代も可能になるのだ。

    これに対して、多党制では、個々の政党は国民全体の良心を代表する必要はない。ここでは各政党は、国民全体の部分であればよく、ゆえに空想的理想主義からナチズムまでどんな政党でも存在し得る事態となる。そしてその結果は、「全体の一部」にすぎない政党が他の政党を従属させるか、もしくは絶対多数を占めたのちも、他の政党に遠慮して臆病な政策をとるかするしかないということを意味している。一冊全部読めとはいわないが、このことに触れた213ページ二行目から、219ページにかけての記述は、ぜひとも読まれることをお薦めする。

     さて、そうすると、欧米と欧州大陸との選挙制度の違い、つまり、小選挙区制度と比例代表制度の違いは、まさにこの政党の性格によって生まれたものだと言えるのかもしれない。「死票を出さないことが利点」と言われる比例代表制度であるが、それはまさに全体の部分をしか代表することのない政党を生む制度である。逆に、「死票がいっぱいでるからダメだ」と一部「知識人」から評判の悪い小選挙区制度は、まさに国民全体を代表できるだけの広範な度量がなければ勝てない制度だといえる。

    ひとことで言えば、比例代表制度からは、国民全体を代表できる政党は生まれ得ず、当然二大政党制もありえない。また、たとえ比例代表制度が無くなって、小選挙区制度だけになったとしても、国民全体を納得させることのできる政党が現れなければ、二大政党制も政権交代もありえない。「全体の一部」の代表であった旧社会党では、絶対に二大政党制の担い手にはなれないのである。このことは、現代の民主党にもそのまま言える。単に議員の数が多いということだけでは、二大政党制は成立しないのである。

    では、自民党はどうか。自民党もまた、一部の代表という面をもっている。が、同時に全体の代表という意欲ももっている。一部の代表という意識が強かった時期には、野党の顔色をうかがった政治を行い、全体を代表しているんだという誇りを持った時期には大胆に事を運んだ。自民党とて完全な「全体のための政党」ではないが、民主党を含む野党にくらべれば、はるかにマシだといえるだろう。

    最後に、ハンナが注釈として用いているアーサー・ホルコムの言葉をもって締めくくろう。

    「二大政党制においては、両政党の基本方針は、同じものになろうとする傾向がある。もし同じものでなかったならば、敗れた政党が勝った政党に服従することは考えられないであろう」



    【現代の韓国は全体主義国家か】


    昭和の大日本帝国が全体主義国家だったかどうかということが、ここでのひとつのテーマであったが、この本を読んでいるうちに、それよりももっと全体主義にあてはまる国を思い浮かべてしまった。それは、隣国、韓国である。

    「大韓国」思想とアーリア人種礼賛との類似、先祖にまで遡って「親日家」を探しだし糾弾しようとする現韓国政権と、数世代に渡ってユダヤ人の血が混ざっていないかを調べたナチスとの共通点、反日という「運動」の前では、すべての事実検証や歴史が蔑視され、運動の大儀にそった形で事実が捏造されるという行為。

    韓国との翻訳掲示板で、日本人が不思議に思う韓国人のコミュニケーション能力の無さの原因は、彼らの国がナチス・ドイツに極めて近い全体主義国家であるのだ、という説明によってのみ、日本人を納得させることができるであろう。

    中国や北朝鮮が全体主義国家であると言われても、あまり驚かないが、あれだけの繁栄を得た韓国もまた、全体主義国家であり続けているという事実は、驚きを禁じ得ない。が、ドイツにしても、ナチス当時、すでに相当の近代国家であった。戦争緒戦の破竹の勢いをみれば、むしろ世界に冠たる一等国であった。韓国がそうであっても不思議ではない。



    【「目的」と「イデオロギー」と「運動」 】

     全体主義は、「運動」が現実に優先される世界である、というのが著者の言いたいことらしい。目的でもイデオロギーでもなく、なぜ運動なのか、少しまとめておこうと思う。

    「目的」という言葉を使うと、目的を達成するためのより正しい方法が組織の下部構成員から提出されるかもしれない。「俺のほうがうまく目的を達成できる」として指導部を批判する人間が出てくることが避けられない。そんなことになれば、内部で分裂を繰り返すか、もしくは民主主義的な話し合いで、より目的合理性のある方策を探すというシステムに変容してしまうであろう。それはもはや全体主義ではない。

    「イデオロギー」の場合は、その実効性の弱さが目立ってしまう。いわば、大義名分でしかないので、それを実行しなかったとしても、別に大きな問題にされることがない。ナチス以外のドイツ国民は、ヒットラーの言っていることは「イデオロギー」でありその宣伝であると、まさにそう思っていたのであった。もしもそうであったならば、どんなにか良かったであろうか。政権を取った後は、過激な行動を謹んで、徐々に温和化していけたであろう。

    だが、実際にヒットラーが目指したものは「運動」であった。運動それ自体を欲するのであるから、政権を掌握した後こそ、より徹底した過激行動を取ることができる。たとえいかなる非合理的な行動であっても、目的達成の為ではないので批判を受け付ける必要もない。運動の実行、それが誰にも掣肘されることなく行なわれるということだけが大事なのである。

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