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  • from: 一久さん

    2009年04月25日 07時03分20秒

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    全体主義の起原 運動と方向

    【ハンナ・アーレント 「全体主義の起原」解題】

     【「運動」と「方向」】

     ハンナ・アーレントの「全体主義の起原」に使われている重要単語であるが、なにを言っているのか理解しがたい、誤解しやすい言葉である。しかしようやく、その意味するところが分かった気がする。

     全体主義の特徴たる「運動」や「方向」は、非全体主義でいう「目的」や「行動」とは別物である。アーレントは、そのことを何度も繰り返しているが、その意味を理解して初めて違いが分かるようになる。この本を課題に選んだきっかけを与えてくれた人の全体主義論にも、本来、「運動」が入るべき場所に、「目的」という言葉が使用されていた。運動という言葉が、読む人の頭の中で、いつのまにか「目的」に置き換えられていたのである。

     このように、「運動」や「方向」は、容易に「目的」や「行動」に読み替えられてしまう。だが、アーレントの全体主義論では、この違いにこそ全体主義の特性がある。「運動」や「方向」であるからこそ、全体主義者はあのような理解しがたいことを実効できたのである。

     これらのことは、アーレントがこの著書において、くどいほど述べているのではあるが、そのことを理解させようという試みは、成功しているとはいい難い。ゆえに、上のような誤解が生じるのである。私もまた、皆さんが一読して理解できるような言葉の定義を提供することができない。そこで、「目的」と「行動」を示した政治家と、「方向」と「運動」を実効した政治家を対比することによって、その理解の助けとしよう。

    【ビスマルク VS ヒットラー】

     ヒットラーが「もうこれ以上は何も望まない」と言ったとき、ヨーロッパの人々は、かつて、ビスマルクがそうしたようにヒットラーもするのだ、との期待を込めて、その言葉を信じようとした。

     しかし、ビスマルクは「目的」を果たすべく「行動」した人であり、ヒットラーは「運動」と「方向」を求める人であった。両者は根本から違っていたのである。

    【ビスマルクの場合 目的と行動 】 

     ビスマルクの目的は、「ドイツの統一とその永続」であった。その行動は目的と現実を考慮して、常に変化した。宿敵オーストリアを破る為に軍拡をしたが、戦勝のあと、ウィーン
    への行軍には断固反対した。フランスとの決戦に勝たねば統一ドイツはありえず、そのためにはオーストリアに怨みを買ってはならないからであった。

     フランス軍に大勝したあとも、パリへの行軍に反対した。統一ドイツが達成されようとしている今、今後はその永続の為の行動こそが求められるのであり、その為にはフランスに怨みを買わないことが最上の策だからである。

     ところが、敵の首都に攻め込まないという手緩さに我慢できなくなった軍部と国王の独走(というよりはプロイセン首脳陣における、ビスマルクの孤立)によって、パリへの行軍が決行されると、今度はフランスを徹底的に叩き、孤立させるという行動に出た。怨みを買ってしまった以上、次善の策としてフランスがドイツに復讐できないように痛めつけるしかないと判断したからである。

     そして、ドイツの統一が達成されたあとは、ヨーロッパの平和を維持することに務めるようになった。それこそが、統一ドイツを永続させるための良策だからである。

     目的の達成の為に行動する者は、現実に合わせて合目的的に行動する。ビスマルクの行動は、その典型的な例だといえよう。

    【ヒットラーの場合 方向と運動】

     だが、ヒットラーは違う。彼にとって重要なことは「運動」であり「方向」である。それを実効するために一時的に現実と妥協することはあるが、完全に権力を掌握した後は、そのような「現実的政策」など不要であった。

     優良人種による世界を創るという何百年も先の漠然とした「目的」、これが彼らの「方向」であり、そのための捨て石として劣等人種(劣等遺伝子といったほうがよいかもしれない。なぜならば、そこにはドイツ人はじめ、白人の障害者も含まれているのだから)撲滅の「運動」を実効し、悪い遺伝子を人類から取り除く事が彼らの成すべき事であった。

     ヒットラー個人もドイツという国も、その運動に捧げるべき捨て石にすぎない。ドイツの勝利よりも、劣等種排除のほうがはるかに重要な「運動」なのである。というよりも、もしもドイツが敗北するのであれば、ドイツ人という種も又、劣等人種であったという証明になる。そのときはドイツ人を絶滅させるべく行動する、というのが彼の考えである。そして、それが部下達に否定されたとき、自殺を選ばざるを得なくなったのである。

     ヒットラーは政権を安定化させたのちは、反ユダヤ人政策なんか止めて、ドイツの発展に寄与する普通の政治家になっていればと言われることがあるが、それは上記の理由から有り得ないことだ。彼の目的はドイツの繁栄ではなくて、劣等種の撲滅という「運動」に我が身(とドイツという国)を捧げることだったからである。

     全体主義とは、畢竟、自分達の教義の為に捨て石となることを、社会全体に強要する主義であるといえる。

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