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  • from: 一久さん

    2009年10月23日 21時50分06秒

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    新聞論調のありかた

    新聞論調と国民性


    問題提起

    欧米の新聞は、それぞれが主義主張をはっきりさせた論調を持っているという。
    そして、国民は複数の新聞を読みくらべる自由をもっているという。

    それを標榜してか、近年、産経新聞では”立場をはっきりさせる”論調がめだ
    ってきた。

    だが、それによって産経新聞の評価があがったとは思えない。むしろ、産経新
    聞なんてイエローペーパーだ、という悪評を増やしたようにおもえるのはなぜ
    だろうか。

    欧米のようなやりかたこそ、”民主的なやりかた”であるならば、当然、産経
    新聞のやりかたは歓迎されねばならないはずなのに。実際、それなりの社会的
    貢献があったとおもうのだが、にもかかわらず、産経新聞のイメージはかえっ
    て悪化したようにおもえる。なぜであろうか。


    考察1

    欧米社会の再検討


    ある調査によると、欧米(調査地域は、アメリカだったと思うが)における一
    般国民は、自分の支持するものに近い論調の新聞のみを読み、自分の意見に反
    する論調を張る新聞の記事を意図的にさけるという結果がでているそうだ。

    つまり、冒頭で述べたような欧米人のスタイルは、一部の階層だけのことであ
    るとかんがえられる。

    では、欧米社会は、日本以上に非民主的であるのか?日本よりも非リベラルで
    あるといえるのであろうか?

    答えは、「NO」であろう。

    以下のように考えてみた。

    欧米人は、自己の主義にあった論調の記事を読み、自己の主義・主張を高める
    ことを第一義とする。そうやって理論武装した自己の主義を、同様の手段で武
    装した他の主義を奉じる相手と戦わせるのである。

    つまり、自己の内において論調を戦わせるのではなく、自己の内においては、
    ゆるぎのない体系を構築することに専念し、論調を戦わせることは、他人との
    論争においておこなうのである。

    この論争の場においてこそ、他の意見を尊重するという態度が生まれることに
    なる。ディベートにおいて、敵の論陣を崩すためには、敵の意見をよく吟味せ
    ねばならないように。

    欧米のリベラリズムは、この”他者との戦い”という次元で保たれているので
    ある。そうであればこそ、一般の国民が違った論調の新聞を読むことは、必ず
    しも必要ではなくなる。

    個人や団体が、非常にかたよった主義・主張のみを信奉することも問題になら
    ない。それらは、他の主義との闘争のなかで練磨され、あるいは淘汰されるの
    であるから。


    考察 2

    日本の場合


    一方、日本人の場合はどうであろうか。

    我々が一般にイメージするところの民主的とかリベラリズムとかいうものは、
    欧米のような、頂上対決とでもいうべきものを意味してはいないのではないか。

    我々のイメージするところのそれは、冒頭の欧米人に対する”麗しき誤解”の
    ごとく、違った意見を尊重し、複数の主義・主張を聞いてよく吟味する知性的
    ・良心的な態度のことであるはずだ。

    つまり、日本人は、自己の内に”よりよきもの”をつくることを第一義として
    いるのである。これは「道」の思想といえよう。

    茶道や花道や柔道や剣道のように、日本人は、「道」を極めようとしているの
    である。だからこそ、「我以外はすべて師なり」とばかりに、欧米のリベラリ
    ズムを誤解する。おお、これは”リベラリズム「道」だな!”と。

    このような求道者たちには、自己の主義のみを強固に主張する者は高く評価さ
    れない。自分と同じような求道者ではなく、慢心者の人騒がせにしか思えない
    からである。

    たとえ、どっちつかずの愚論しかいえない新聞であっても、様々の意見に耳を
    貸そうとする態度をとっていれば、それだけで求道者たちには好評を得る。日
    和見であっても、様々な意見に学ぼうとする態度に好感がもてるからである。

    日本人の主義・主張が、「道」の思想であるとすれば、日本人の議論や論争に
    おける感情的な態度も納得できよう。

    日本人にとって、討論とは、お互いが自分の内で築き上げてきた「道」の境地
    を競うことである。従って、討論に負けるということは、自分の全人格の否定
    となる。

    意見と人格は別だ、などと言っても無駄というものだ。なぜなら、彼らは自己
    の人格にかけて意見を磨いてきたのであるから。その結果到達した意見は、彼
    そのものなのだ。それを否定されるということは、彼の全存在の否定に等しい。

    冒頭の産経新聞の例もまた、その一形体であるといえる。産経新聞の近年の主
    張は、賛成するかどうかは別として、意見としてはそれなりの価値があったと
    思う。だが、人格としてみた場合には、やっぱりサンケイだ、となってしまう。

    逆にノーベル賞などをとると、彼は最高の人格者のひとりということになって
    しまう。業績と人格は別だ、と頭では解っていても、やはりタイシタヤッチャ、
    と思ってしまう。そこにはどうしても人格的なものへの加点がある。


    結論

    冒頭に掲げた問題の答えは、欧米人と日本人との考え方のちがいにあった。そ
    れを無視して欧米のマネをしたところで、「成果」はあげ得ても、「評価」を
    上げることはない。

    余談

    欧米のやりかたは、軍隊的といえよう。一個の軍団として論陣を強固にしたう
    えで、他の軍団と戦うのである。敵の武器が優れていれば、ただちにこれを検
    討し、より優れた兵器を造って逆襲する。実際の戦争でも欧米人の得意とした
    やりかたである。

    日本は、モノマネ上手だといわれるが、戦争の場においてはむしろモノマネは
    へたクソであったようだ。敵の武器・兵制が優れていることを知っても、それ
    をもって自己の改革を推し進めることができなかった。

    日本人のやりかたは、武芸者的といえよう。様々な流派の論を吟味して、自己
    の境地を高め、より優れた人格と論陣を目指すのである。実際の戦闘において、
    敵のほうが優れていた場合、できることは斬死か降伏か逃亡である。

    武芸者の武芸は、軍隊の兵器のような魂のない代物ではないから、相手のほう
    が優れているからといって、おいそれとマネすることはできないのである。

    前大戦においても同様。アメリカのやりかたが優れているとおもっていても、
    陸海軍のやり方には彼らの人格がかかっているから、これを動かすことは不可
    能に近かったのだ。


    提言

    欧米と日本では、国民の気質が違うということが問題の根元にあった。ではど
    うすべきか。欧米社会の有様を絶対として、日本人の気質をそれにあわせるべ
    く努力すべきなのであろうか。それとも、日本人の気質にあった新しい方法を
    生み出すべきなのであろうか。

    私はやはり、日本独自のやりかたを生み出すことこそが本筋であるように思う。
    そうすることによって、歴史に新たな方法を付け加えることになるのであるか
    ら。それこそが、真の意味での国際的貢献にほかならない。

    具体策

    朝日新聞的などっちつかず風の論調ではなく、主張をもち、かつ、他の主義を
    も積極的に掲載する新聞を作らなければならない。

    となると、陳腐な提案ながら、両論掲載主義をとることが望ましい。

    いっそのこと、編集長を二人にして、肯定的・否定的両論を載せるようにすれ
    ば面白い。江戸時代の役職は、大抵複数制だった。現代の新聞社もまた、同様
    であるというのも、よいではないか。

    ただし、「いかがいたそう、御同役」といいあう間柄ではなく、「他社には負
    けても、御同役には負けるな」という間柄だが。

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