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  • from: 一久さん

    2010年01月28日 20時05分34秒

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    教育改革が必ず失敗する訳

    受験改革が失敗しつづける理由

     すでに戦前から、大学入試の技巧化は問題とされており、それを改革すべく様々な試みがなされてきた。が、いまに至るも、ひとつとして成功した改革はない。国が改革をすればするほど、入試はより技巧化し、受験生や中高生を蝕んでいく。受験政策というものはすべて改悪であったと言わざるをえない。

    なぜこんなことになるのかというと、政策を立案する者も、世間一般の人々も、共に大きな錯誤をしているからである。それは、「客観的な試験によって、人の能力が計測できる」という神話であり、これを信じている限り、受験制度改革は必ず事態の悪化をまねく。

     これはなにも、知識至上主義をのみ批判しているのではない。むしろ、面接や小論文を重視せよという人々を指して批判しているのである。この人々は、面接や小論文でなら「まともな」入試ができるのだというのだが、入試が客観的な判定を求められる以上、面接や小論文による試験も、技巧的に対応可能である。現に、予備校はそれを売り物にしているではないか。面接や小論文が増えた結果、入試はより技巧的になってしまったのである。

     試験というものは、知識や技巧しか判定することはできない。完璧に近い客観的な試験ほど、そうである。試験はしょせん試験であり、そんなもので人間の価値を表すことなどできはしないのだ、ということをまず認めることから始めなければ、入試制度改革は絶対に成功することはない。

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