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from: Knob Turnerさん

2014年06月07日 02時28分41秒

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Bull Simons Award 2014

皆さんこんばんは、ご無沙汰しております。毎年、特殊作戦コミュニティの発展に貢献したと認められる人物に対してUSSOCOMから贈られるBullSimon

皆さんこんばんは、ご無沙汰しております。

毎年、特殊作戦コミュニティの発展に貢献したと認められる人物に対してUSSOCOMから贈られるBull Simons Award(伝説的な特殊部隊将校、故Arthur D. "Bull" Simons大佐に因む)ですが、今年の受賞者にはヴェトナム戦争を戦った特殊部隊員で、名誉勲章も受章した故Bob Howard大佐が選ばれた模様です。







Robert Lewis "Bob" Howard
1939年7月11日:アラバマ州生まれ。
1956年:陸軍入隊。
1956年~1966年:第82空挺師団、第101空挺師団、第5歩兵師団で勤務。<最初のヴェトナム・ツアー=ヴェトナム戦争従軍の意>
1966年:特殊部隊入隊。
1966年~1967年:第3特殊部隊グループの破壊工作チーム隊長と第6特殊部隊グループの作戦&情報軍曹。
1967年~1969年:第5特殊部隊グループに所属し、B-52 Project DELTAおよびMACV-SOGのFOB-2(後のCCC)で偵察チーム隊長。<ヴェトナム・ツアー二度目>
1969年~1970年:JFK軍事援助センター(現在のJFK特殊戦センター)で勤務。<この時期、曹長から中尉へ昇進>
1970年~1972年:第82空挺師団の小隊長と中隊副官。<71年に名誉勲章を受章>
1972年~1973年:MACV-SOGのCCCで偵察チーム隊長→偵察中隊副官→偵察中隊長。<ヴェトナム・ツアー三度目>
1973年~1974年:第82空挺師団第1旅団第504落下傘歩兵連隊第1大隊C中隊長。
1974年~1977年:陸軍歩兵学校の教官。
1977年~1979年:第2レンジャー大隊のA中隊長→C中隊長→大隊本部&本部付き中隊長兼大隊副官。
1979年~1980年:陸軍指揮幕僚大学に在学。
1980年~1981年:レンジャー課程の山岳戦教官。
1981年~1982年:陸軍指揮幕僚大学の教官。
1982年~1984年:JFK特殊戦センターの主任教官。
1984年~1985年:米韓連合軍のCUWTF(合同不正規戦タスクフォース、グリンベレーと韓国陸軍空輸特戦団の混成部隊)司令官。
1985年~1987年:在欧米陸軍第7軍団で勤務。
1987年~1988年:国防大学に在学。
1988年~1990年:SOCKOR(在韓特殊作戦コマンド)の初代司令官。
1990年~1992年:陸軍第5軍の司令官付き特別補佐官→作戦計画担当参謀長。<湾岸戦争に従軍>
1992年9月30日:陸軍大佐で退役。
2009年12月23日:膵臓癌のため死去。

ご覧のとおり凄まじい経歴の持ち主です^^
名誉勲章の他にも殊勲十字勲章2回、シルヴァースター、ブロンズスター5回、国防優秀勲功章、国防勲功章、勲功章4回、賞賛勲功章3回、パープルハート8回などなど...膨大な数の受勲があります。

Howard大佐の名誉勲章は1968年12月30日の戦闘での行為に対して贈られており、その時の状況はこんな感じだったらしいです。

“当時、一等軍曹としてMACV-SOGにいたHoward大佐は米兵・南ヴェトナム兵混成小隊の小隊軍曹として、行方不明となった米兵の捜索救難任務に就いていた。小隊はヘリの着陸地点から少し移動したところで2個中隊程度の敵勢力と遭遇。敵の投げた手榴弾の爆発でHoward軍曹は負傷し、持っていた武器も破損。また、小隊長も重傷を負った。武器を失い、負傷で歩くことすらままならないHoward軍曹は決死の覚悟で銃火の下を這い進み、小隊長に応急手当を施した。その時、敵の銃弾が弾薬ポーチに当たり予備弾倉が爆発したが、それにも動じず小隊長を安全な場所まで引き摺っていくと、Howard軍曹は隊を再集結して反撃を開始。危険を顧みず激しい銃撃の下を掻い潜りながら、負傷者を手当し、味方を励まし、見事に反撃を指揮した。戦闘開始から3時間半後、航空支援もあって敵を撃退した彼等は救援ヘリを要請、Howard軍曹は全ての味方が無事ヘリに乗り込むのを見届けるまで自らはその場を離れなかった。”

日本人で唯一のグリンベレーだった三島軍曹とは同じFOB-2/CCC所属で親交があり、回顧録にも「ロバート・H軍曹」として登場しています。米軍キャンプへ慰問に訪れたストリップ団の団長を投げ飛ばしたりと、かなりの暴れん坊だったみたいですね^^;
また、何があっても自分の意思を曲げない人物だったらしく、筋が通らないと思ったことは相手が将軍だろうと食ってかかったといいます。殴ったこともあるとか。。。
この時代の兵士というのはユニークなエピソードが多いので、調べてみるとなかなか面白いです。

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from: H-2さん

2014年06月08日 17時06分49秒

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こんにちは、Knob Turnerさん(^_^)。
投稿、ありがとうございます。

Bull Simons Awardの受賞者に関する情報は、以前にもKnob Turnerさんに投稿して頂きました。
今年は、故Bob Howard大佐が受賞されたのですね。
Howard氏の軍歴を拝見しました。
3回もヴェトナム戦争に従軍し、文字通り命がけで任務を全うした方だと思います。三島氏とも親交があった方だとは、知りませんでした(^_^;)。
また1970年代後半からは教官や司令官などを歴任されていますね。
一般兵士として入隊し、最終的には大佐まで昇進していますから、まさに戦場での叩き上げの指揮官だったようですね。
上官を殴ったという逸話も(^_^;)、過酷な戦場を生き抜いた方なので、現場の実情を反映していない命令に我慢ができなかったのではないかと思います。

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from: Knob Turnerさん

2014年06月19日 13時32分33秒

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おっしゃるとおり、筋金入りの叩き上げですね^^
特殊部隊キャンプでは補給担当だったこともあるらしく、三島軍曹曰く「彼に頼めばたいがいの物資や装備は手配してくれた。半ば強引なところもあったが、そのぶん他の偵察チームの作戦で欠員が出ると進んで志願することから皆に慕われていた」とのこと。
JFK特殊戦センターの主任教官だった頃に准将(おそらく当時のセンター司令官だったRobert D. Wiegand准将)を殴り、在韓米軍へ左遷。そしてそこでも少将(在韓米陸軍第8軍の副司令官か参謀長、もしくは第2歩兵師団長)を殴って、ついには将官への道が閉ざされたそうです。
Wiegand准将は特殊部隊経験の無い普通の歩兵将校だったので、特殊作戦やその訓練に対する無理解や意見の食い違いから、つい手が出てしまったのかもしれませんね。

また、同じくBull Simons Awardの2011年受賞者であるJack Singlaub少将(元OSS将校、MACV-SOG司令官)は、在韓米軍参謀長の頃、韓国からの米軍撤退を発言した当時のカーター大統領に対して「今米軍が撤退すれば朝鮮半島は再び戦渦に巻き込まれる」と軍人生命を賭して諫めたそうです。

いずれも方法は違えど、確固たる信念を持っていたからこその行動なのでしょうね。

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