新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

特殊部隊同好会

特殊部隊同好会>掲示板

公開 メンバー数:50人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

from: 予備役士長 - 2さん

2010年02月18日 23時30分29秒

icon

アフリカの部隊史

自分のブログが今回南西アフリカ(現ナミビア)の第101大隊の特集だったんですが、改めて60〜80年代の頃のアフリカの白人政権下の頃を調べていると興味深


自分のブログが今回南西アフリカ(現ナミビア)の第101大隊の特集だったんですが、改めて60〜80年代の頃のアフリカの白人政権下の頃を調べていると興味深い部隊史が出てきます。

有名なローデシア陸軍のSASやセロウススカウツ、RLIなど、各国で精鋭部隊を経験してきた猛者が集ってできた部隊や、今回扱った第101大隊などは南西アフリカが独立してナミビアになった際、部隊員は南アフリカに行き、多くは第5レコネッサンスコマンドゥ(5thRECCE)に参加したそうです。

ちなみにローデシアは戦争中に傭兵を募って自国軍を増強したことは有名ですが、ローデシアのSASにはイギリス、南アフリカ、アメリカ、オーストラリア、オーストラリア、ニュージーランド、ザンビア、フランス、スペインなどの出身者がいたそうです。ちなみに本国のSASからの転向者や、空挺訓練所には元フランス外人部隊員、一時はCIA主導で、ベトナム経験者を募集して送り込んでいたなんて逸話も残っていたそうです。

こんな部隊なので、よく知られているイギリスSASとは違った隊の風習があり、6週間の基礎訓練や降下訓練などを終了後、実戦に参加し、SASの参加実力が認められてやっとSASのベレーとウィングが授与されたそうです。つまりは実践までが選抜訓練だそうで。
また、通常肩に着けるSAS用のウィングは優秀と認められた隊員は左胸に着けることを許されたそうです。

バッジで面白いのはローデシア軍は各国の元軍人が参加しているため、元いた軍隊の技能章(降下徽章やパイロット章、EOD章など)を制服に着けていたりすることが多かったようです。

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 6
  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: Knob Turnerさん

2010年02月28日 02時30分15秒

icon

「Re:Re:Re:Re:Re:アフリカの部隊史」
やはり完全に非公然な作戦だったんですね〜
ローデシアSASとレクスコマンドーの間にそんな関係があったとは!
毎度の事ながら大変勉強になりますm(__)m

> Bob MacKenzie
確か後にシエラレオネで傭兵部隊を率いて、亡くなった方ですよね? 現地の反政府ゲリラに待ち伏せを受けた挙句、見せしめのために遺体の一部を食べられたとか…


画像は、本家SASの有名人ジョン・ウッドハウス中佐です。

<John Michael Woodhouse中佐>

本家本元、英SAS連隊の名物連隊長でDavid Stirling、Mike Calvert、Tony Deane-Drummond、John Slim、Johnny Watts、Peter de la Billiere、Mike Roseなどの歴代連隊長と並ぶ有名人です。
英SASと米陸軍特殊部隊(グリンベレー)の交換留学プログラムを作ったことでも有名ですよね(^^)

1922年9月29日、ロンドン生まれ。おそらく彼の家は代々軍人の家系で、親父さんも陸軍将官だったそうです(Charles Woodhouse准将)。
1941年に下士官兵として陸軍に入隊し、翌年にはドーセットシャー歩兵連隊(彼の父親はかつてここの連隊長を務めていたそうです)の少尉に任官。その後、第78歩兵師団第11旅団イースト・サリー連隊第1大隊の戦闘パトロール班長として第2次世界大戦に従軍。華々しい戦果を挙げて勲章を授与されるが、捕虜生活も経験。
戦後、東南アジアの英領マラヤで内乱が起きると、新しく創設されたMalayan Scouts(後の第22SAS連隊)の初期メンバーに引き抜かれて諜報班で勤務。その後、同隊が正式に第22SAS連隊になると、AおよびD戦闘中隊で中隊長を務め、当時それほど体系化されていなかった選抜課程や訓練を整備して今日のSASの礎となるシステムを構築。
マラヤ従軍後、再びドーセットシャー歩兵連隊へ戻り、落下傘連隊第3大隊長を経て第22SAS連隊の連隊副官に就任。この時、当時の米陸軍第7特殊部隊グループ司令官だったI.A. "Boppy" Edwards大佐と出会い、SASとグリンベレー間での交換留学プログラムを作り上げます。
その後、1962〜65年まで第22SAS連隊長としてボルネオ紛争におけるSASの作戦を指揮し、中佐で退役。あのCharles Beckwith大尉がSASに派遣されたのが1962〜63年なので、ちょうどその時の連隊長だったはずです。
退役後、3年ほど英外務連邦省の安全保障コンサルタントを務め、1976〜84年にかけてSAS協会長も務めています。
2008年2月15日没(享年85歳)。

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト