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from: シニョレッリさん

2014年11月30日 13時05分59秒

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リナシメント芸術家(64) ドメニコ・ベッカフーミ

今回は、16世紀前半のシエナ派を代表するマニエリスム画家ドメニコ・ベッカフーミです。DomenicodiGiacomodiPace,dettoDome

今回は、16世紀前半のシエナ派を代表するマニエリスム画家ドメニコ・ベッカフーミです。

Domenico di Giacomo di Pace, detto Domenico Beccafumi(1486年モンタペルティ生まれ~1551年シエナで没):
本名は上記の通りですが、Giacomo di Paceはドメニコの父親です。
通称のベッカフーミは、シエナの名家ベッカフーミ家に由来しますが、同家の出身ではありません。
ドメニコは、シエナ郊外のモンタペルティの貧しい農家に生まれましたが、その地はベッカフーミ家の所領でした。当時の当主ロレンツォ・ベッカフーミがドメニコの絵画の才能に注目し、保護者となって、シエナの画家である通称マルチェリーノ(またはメッケリーノとも呼ばれた)に弟子入りさせましたが、その際、今後の世渡りに箔をつけさせるためにベッカフーミの名前を使用させました。
ドメニコの才能はすぐに開花し、師匠マルチェッロを凌駕するところとなりました。1509年、修行のためローマに赴きますが、すぐにシエナに戻ってきました。その理由は不明ですが、ローマでの修業が短期間に終わったことから、彼の画風が大きく変化するような影響を受けませんでした。
その後、没するまでシエナで過ごし、その間、40年近くシエナで制作を続けました。
当時のシエナは衰退期で、芸術においてもライヴァルのフィレンツェからの影響が徐々に大きくなっていましたが、ドメニコはフィレンツェ派からの影響をあまり受けることなく、頑なに過去のシエナ派の栄光と伝統を守り続けようとしたと同時に、光効果、色彩、表現方法に独自の工夫を凝らして、積極的にシエナ派の復興を目指したのです。
国際ゴシック様式のシエナ派全盛時代に戻そうとするドメニコの努力にもかかわらず、歴史の流れを止めることは出来ませんでした。
ドメニコの画風ですが、フラ・バルトロメオ、ラッファエッロの影響を基調に、色々な顔料に白を混ぜて隙間なく塗る独自の彩色法を駆使して、甘美さ溢れる人体表現、コントラストを強調した明暗効果などが特徴のマニエリスム様式でした。
彼の作品は非常に特徴があるので、教会や美術館で彼の作品を一見すれば、すぐに彼の作品とわかる場合が多いかと思います。

では、彼の作品をいくつか紹介しましょう。
初めに私が撮ったドメニコの作品です。すべてシエナ国立美術館にある作品です。

「三位一体と4聖人」(1513)

「聖母子」

「聖母子」

「聖アゴスティーノ」

「聖ガルガーノ」

「聖パオロ」

「ピエタのキリスト」

「聖痕を受けるシエナの聖女カテリーナと聖ベネデットと聖ジロラモ」(1514-17)

4枚のパネルから成っています。

裾絵が3枚あります。

中央の裾絵

向かって右の裾絵

「サン・ベルナルディーノ祈祷所の祭壇画」(1535-37c)

「聖母の誕生」(1530c)

「聖母戴冠と聖人たち」

「シナイに帰還するモーゼ」(1529-31)

シエナ大聖堂のカルトン

「聖アントニオ・アバーテ」(1538-40)

「ピエタのキリストと2天使」(1538-40)
シエナ国立美術館のシエナ派画家たちの所蔵作品が多いためだと思いますが、有名作品であっても展示されない場合が多々あるようです。ドメニコの作品も同じで、他美術館への貸し出しや修復中ではなくて、単に展示されていない作品があったと思います。
では、その作品とは、と問われると全部を覚えきれないので即答できませんが・・・
他の有名作品画像を次に掲載します。例によって、画像はWeb Gallery of Artから転載させていただきます。

「反逆天使の落下」 シエナのサン・ニッコロ・アル・カルミネ教会にあります。

「聖家族と聖ジョヴァンニーノ」(1530c) フィレンツェ、ウッフィツィ美術館蔵

ピサ大聖堂にある「モーゼと金色の仔牛」
サルテアーノのサンティ・マルティーノ・エ・ヴィットリオ教会にある「受胎告知」(1545c)

「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」(1540c) ローマの国立古典絵画館にあります。

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from: シニョレッリさん

2014年11月30日 18時01分29秒

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にょん太さん、こんばんわ!

コメント有難うございます。

ドメニコの時代、ソドマやバルダッサーレ・ペルッツィなど、純粋な有能なシエナ派画家が少なくてもドメニコを含めて3人いましたが、それぞれの作品を比べると私はソドマが最も気に入ってます。
何故かと問われても、言葉では中々言い表し難く、単に好きだからとしか言いようがありませんが、ソドマの浪費癖や怠け癖と言った個性的過ぎる所に魅かれてます。

ともあれドメニコも好きなのは、衰退しつつあるシエナ派の栄光を取り戻そうとした、まあ時代の潮流に掉さした男気みたいな所に惚れているからです。

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from: にょん太さん

2014年12月01日 08時56分16秒

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シニョレッリさんならば、既知のことなので今更ですが、よくお分かりにならない方もいらっしゃるでしょうから、先の私のコメントに補遺します。

ソドマ(1477-1549)
バルダッサーレ・ペルッツィ(1481-1536)
ドメニコ・ベッカフーミ(1486-1551)

3人の生まれた年、歿した年を記した通り、ドメニコが3人の中で最も遅く生まれ、最も遅く死んだので、栄光のシエナ派の最後の画家はドメニコとなります。


一緒に行った、アシャーノのこの教会にある、ソドマのフレスコ画が良かったですね。

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