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  • from: 一久さん

    2008年02月29日 07時33分06秒

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    空想より科学へ

    空想より科学へ       


     社会主義文献のなかで、世界中で最も読まれているのはこの「空想より科学へ」だ
     そうだ。この本は「反デューリング論」からのぬきがきであり、その「反デューリ
     ング論」は「マルクシズムをよく知っているという自信を持つ人にとっては、それ
     がどの程度の理解であるかをかんたんに計量する小さい秤」(訳者序 P9)なの
     だそうだ。


     岩波文庫 空想より科学へ エンゲルス 著  第39刷 大内兵衛 訳


     ------------------------------------

     なにをもって空想的社会主義というのか


     この書においてエンゲルスが空想的社会主義というものはなにかというと、それは、

     「社会主義とは絶対的真理、理性と正義の表現であって、それを発見しさえすれば、
     社会主義はそれ自身の力」によって世界を征服するものである」

     「そしてまた、絶対的真理というものは、時間や空間はもとより人間の歴史的発展
     とも無関係なものであるから、それがいつどこで発見されるかは単なる偶然である」

                                P48-P49
     ....というような考え方のことである。

     これはつまり、はじめに真理なり正義なりが存在し、それを発見して実現すること
     が政治の役割であるとした、近代以前の政治感覚と同じ基盤にたつものであろうか。

     絶対主義にのりおくれた人々(それを認める精神の強靭さを持てなかった人々)が、
     社会主義という真理を掲げて中世的政治感覚に逃げ込んだのが、空想的社会主義で
     あったのだろう。

     ------------------------------------

     科学的社会主義とはなにか


     「この二大発見、すなわち唯物史観と剰余価値・・(略)・・マルクスに負うところで
      ある。社会主義はこの発見によって一つの科学となった」 P63

     「唯物史観の最初の命題はこういう、すなわち、生産、それについでその生産物の
      交換が一切の社会制度の基礎であると」 P65


     科学的社会主義とは、つまるところ、経済(生産と交換)に社会変化の因を求める
     ことであり、その結果のひとつの仮説としての計画経済である。

     科学である限り、すべては仮説にすぎないし、弁証法的唯物史観というものは、経
     済(その他すべて)が変化することを前提としているのであるから、そこから生ま
     れる諸々の考察もまた、この変化によってその役割を次代の考察者に譲るのである。

     その国の経済の現状がこうだから、社会主義が起こり来るというべきであって、逆
     であってはならない。科学的社会主義という真理があって、これを未開国に普及さ
     せるという態度は、まったく空想的社会主義そのものなのである。

     自己批判というものもまた、経済によってなされなければならないであろう。スター
     リンが残虐であったから、というのは科学的社会主義者のいう言葉ではない。経済
     的にそういう人間が必要であった真因を探す努力こそが科学的社会主義者の自己批
     判でなければならない。

     ------------------------------------

     このようにみてくると、現実に登場してきた社会主義諸国は、科学的社会主義を詐
     称する空想的社会主義であったことになってしまう。そしてまた、政権を得るとこ
     ろまでいかないでいる社会主義政党についても同様の懸念が存在する。

     もしも、彼らが真に科学的社会主義を標榜するのであれば、ソ連や中国の失敗の原
     因を経済的理由に問わなければならないからである。スターリンの個人的資質にそ
     れを問うことは、自らも空想的社会主義であることの暴露でしかないのである。

     ------------------------------------

     資本主義の矛盾  - 計画生産へ移行すべき理由 -


     生産が社会化されたにも関らず、所有は個人(資本家)に属する。ここに一切の矛
     盾のもとがあるとする。ゆえに、その最終形態は所有(資本)の社会化であり計画
     経済であるということになる。

     そして、生産力のさらなる増大がこれを押し進めるとしている。

     だが、現代の現実をみると、そうなってはいない。一時期は国家が所有した鉄道や
     通信などの巨大事業さえもが、いまや分割民営に移っている。

     なぜこんなことになるのか?

     それは、経済的発展の結果であり、生産力のさらなる増大の結果である。

     経済が発展し、世の中に文物・サービスがあふれるようになると、消費者達は個々
     人の望む商品を購入することを求め、生産者はこれを先取りしてニーズに応えるこ
     とを強制されるからである。

     エンゲルスの時代においては、安売り競争という物理的・社会的競争しか無かった
     のであるが、生産物のあふれかえった時代においては、個人の要求に応えることこ
     そが競争に勝つための第一条件となったのである。

     生産物が生産者を支配する → 消費者が生産者を支配する

     そしてこのような消費者のニーズというものは、計画的に探しあてることが難しい。
     市場調査のように、判断を助ける方法はあるにしても、結局最後の判断は、個人の
     感性と資本家によるギャンブル的な投資によって決定するしかないのであるから。

     計画生産というものは、「ジュースならば皆おなじ」という社会状況でならばおお
     いに役にたつのだが、「100%がいい」とか「微炭酸でなきゃ」とか「キリン」
     でなきゃダメ、とかいう余裕のある社会においては、ウドの大木にすぎない。

     計画生産では、個人の要求に応えることは不可能だからである。

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