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  • from: 一久さん

    2005年11月22日 21時32分24秒

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    中庸という名の宗教


    互いに思いやることが大切なことは分るが、現実にはこれが難しい。ともすれば「こちらのことを思いやれ」という要求のぶつけ合いになってしまい、かえって要求するだけの下等な人間の言い分が通り、上等な人間の理屈が通らなくなる。「無理が通れば道理が引っ込む」というやつだ。

    相手のことを思いやり、こちらのことも分かってもらった上で、どちらの言い分を通すか、あるいは中間的な方策があるのか、まったく新しい解決策があるのかを模索し、どのようにすればいいのかを考えねばならない。

    ここにおいて中心となるべき考え方は、中庸である。中庸の定義は難しい。今日は中庸であったことが、明日はそうではなくなっているかもしれない。しかしそれでも最高の道を求めて考察し決定することであるといえるだろうか。

    テロリストにもそれなりの言い分があるのだろうが、無差別に市民を殺害する行為は、どうみても変だ。あきらかに中庸ではない。してみると、中庸という概念は、宗教やすべての思想に対して優先するものでなければならないのだ、ということになる。スーパー宗教
    とでもいうものになるだろう。

    「中庸はすべての宗教に優先する」日本人にとってはごく当たり前のことかもしれない。故にこそ日本では宗教が流行らない。流行らないけれども排除もされない。中庸に従って取捨選択されるだけのことである。

    しかし、これもある種の宗教、スーパー宗教だと言える。日本が世界に向けて打ち出す宗教だと言えるかもしれない。




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