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  • from: 一久さん

    2006年01月14日 20時17分10秒

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    支出に関する一般理論

    【社会資本主義と個人資本主義】

     これまでの資本主義社会の常識では、人は自分の利益の為に金を使う。自分が所有するために、自分が占有するために対価を支払うこと、それが当然であるとされてきた。それ以外の金の使い方は、慈善や福祉や寄付といった、「普通ではない」行為として、一般的な経済活動とは区分されてきた。

    だが、これは正しい考え方なのか。人は「満足を得る為に支出をする」のであるならば、慈善事業に大金を出すことで精神的満足を得ることのできる人間にとっては、それは我々がパン
    を求めるのと同じ種類の行為ではないのか。かつて、あるボランティア活動家は、なぜボランティアをするのか、と聞かれてこう言った「自己満足です」と。

     自分になんの得もなく、自分が使用することもなく、所有することもない、そういうものであっても、それが社会に存在するようになることによって精神的満足が得られるのであれば、その対価を支払うことに疑問を持たない行為、これは普通の経済活動と同じものだとみなしてよいはずである。「金で満足を買う」という基本は同じなのであるのだから。

     このような「損しかしないのに満足を得る」経済活動を、社会資本主義と仮に定義しよう。これまでの「得を求めて」する経済活動は、個人(法人を含めて)資本主義と言うべきか。

    これまで、人はシャイロック的に、自分が得をすること以外の支出を毛嫌いし、そのようなことをする人間に「嫌悪」とその「裏返しの賞賛」を送ってきた。「なかなかできないことだ、私などには」などと言いつつ。

    しかし、金を支払うという行為の正当な範囲は、我々が思ってきたよりもずっと広かったのだ。自分が決して得や楽を得ることがないものであっても、その支出によって社会に良い影響を与えるのであれば、そのことによって自分も癒される。そういう支出もまた、普通の経済行為として成立するのである。

    ケインズ流にいえば、いままでの経済行為は特殊経済論であり、社会資本主義を含めた新しいとらえ方であるこの見解は、一般経済論である、ということになろう。

     これは、新・社会主義と同じものでもある。

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