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  • from: 一久さん

    2006年01月25日 20時19分43秒

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    歳をとると....

    【歳をとると、一年が速く過ぎるように感じるのはなぜか】

     この問題に対する、もっとも一般的な回答は、いままで活きた年月に対する一年間の比が高齢者ほど小さくなるからであるというものだ。十歳の子供にとって一年は人生の十分の一になるが、百歳の老人にとっては百分の一にしかならないから、一年が短く感じるというのだ。

     だが、私はこの考えは間違っているように思えてならない。というのは、忙しかった一年のほうが、ヒマだった一年よりも、短く感じるものだからである。もしも、上の論が正しいのであれば、新たな経験をすることの多かった一年のほうが、なにも起こらなかった一年よりも長く感じるはずではないか。ところが、我々の経験では、むしろ多忙な一日はあっというまに過ぎるが、ヒマな一日はなかなか終わらないものではないだろうか。

     時間を長く感じるかどうかは、経験の量やその人生に対する比率などではなく、むしろその逆に、「退屈した時間」によって決まるのではないだろうか。

     自分自身の子供のころを思い出してみるがいい。することのない一時間は拷問に等しかったはずだ。ところが、年齢を重ねるにつれて、退屈しないためのアイテムが増えていく。マンガ、ゲーム、勉強、趣味、音楽、自慰、恋愛、居眠り、仕事。

     社会人となった者達には、もはや退屈する余裕すらないのが普通であろう。そんな暇があれば、ゆっくり休息したい、というのが普通の大人というものだ。いや、そんなもったいない。旅行にでもいくワ、というほうが普通なのかもしれないが。

     ようするに、大人になるほど退屈しないようになる。ゆえに、一年が早く過ぎるように感じるのだろう。では、リタイヤした老人はどうなのか、彼らは退屈しているのではないのか。

     子供を一時間じっとさせることは難しいが、老人は二時間でも三時間でも平気でおとなしくしていられる。安息への希求が大きいからでもあるが、過去の記憶を反芻して、時間を潰すことができるということがより大きな理由であろう。逆に、子供にはそのような過去の蓄積がほとんどない。過去の蓄積は、退屈をさせないためのアイテムなのである。

     ここに至って、最初に述べた「一般的にいわれている説明」と私の新説との接点が現れた。すなわち、過去の人生が増えるほど、退屈する時間が減る。ゆえに一年が短く感じられるようになるのである、と。

     そして、こうも言える。一年を長く感じたければ退屈することだ。短く感じるということは、退屈しなかったということ(惰眠を貪っていたのかもしれないが)なのだから、概ね良きことだ、と。

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