新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

SIG 市民の討論広場

SIG 市民の討論広場>掲示板

公開 メンバー数:8人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: 一久さん

    2007年10月30日 20時41分57秒

    icon

    西洋民主主義の限界

    西洋民主主義の限界


    【 トッチャンボーヤ の火遊び 】

    補給継続反対は、アメリカを怒らせて反米感情を焚きつけようとする
    子供染みた火遊びであるが、しかし、久しぶりの火遊びなので、止める
    ことができない。

    小泉・安倍政権当時には、この種の火遊びは控えられていた。マスコミ
    が「アメリカのポチ」などと挑発しても、大人達は乗ってこなかった。

    しかし、物分かりのいい大人よりも、アホな子供のほうが、交渉事には
    むしろ向いているのかもしれない。北朝鮮の手口などはまさにそれだ。
    小沢氏は、それを真似ようとしているのであろう。

    だが、子供のダダは、所詮は子供のすることである。本当にすべきこと
    は他にある。それは、欧米の精神的な部分に切り込みをかけることだ。


    【 日本思想を欧米に輸出せよ 】


    江戸末期以降、日本には西洋思想が大量に流入した。もはや我々は江戸
    以前の日本人ではない。輸入といえば、欧米の西洋思想といえども、その
    基礎はアラブからの輸入である。日本は数百年ほど輸入時期が遅れただけ
    のことだ。

    自由や民主主義は、もはや我々の生活から切り離すことはできない。

    だが、我々の思っている民主主義や自由には、実は旧来の日本思想が混ざり
    こんでいるのであって、欧米のそれとは必ずしも同じではない。従来、その
    ことをもって、だから日本は遅れているのだ、と識者諸氏はノタマッテ来た
    のであるが、逆に、欧米のほうこそ、日本思想を持っていないぶんだけ、日
    本よりも遅れているのだ、と言えないこともないのである。

    そもそも、自由も民主主義も、手段であって目的ではない。目的は、真理・
    真正に近づくことであり、そのための自由な討議であり、より多くの参加者
    による検討と監視(すなわち民主主義)である。

    ところが、欧米流の自由民主主義には、大きな欠落があることに、欧米人は
    気づいているだろうか。

    その傷とは、欧米の自由主義・民主主義というものは、対等な力関係の者同士
    であるということを前提にしてのみ成立するのだ、という点である。

    いいかえれば、社会的弱者や、弁論術がヘタなもの、偏見を受けているもの
    などの意見は、決して正しく理解されないし、意見を発表する機会さえ与えら
    れない場合も多い。運良く、卓越した弁者と理解ある外部協力者を得たとして
    もなお、その意見は少数の理解者に留まって、一般大衆に広がらない。

    こういう事例が、欧米にはいくらでも存在する。

    ディベートというものがそうであるように、欧米の(それ以上に欧米以外の)国
    では、双方が対等の立場と力で対峙し、かつ、それを判定するものもまた、両者
    と基礎理念を分かち合う者であることを、暗黙のうちに前提としているのである。

    しかし、現実世界は決してそのようなものではない。強者の声は大きく、かつ
    巧妙であり、弱者の声は貧弱で稚拙である。大衆は偏見に満ち、理性豊かな人は
    常に少数である。少数の覚醒者が、多数の愚昧を目覚めさせて大衆を説得すると
    いうのが民主主義であるけれども、それは対等であるという条件が満たされなけ
    れば実現することは難しい。

    現実には対等な状態というのは希少であり、対等でなければ欧米流は機能しない。
    ゆえに、欧米においてさえ、真正・真理の追求はうまくいかない。欧米以外におい
    てはなおそうである。ひとり、日本を除いては。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全1件

from: 一久さん

2007年10月30日 20時44分27秒

icon

「西洋民主主義の限界 Ⅱ」

【 日本の精神性 】


欧米に知らしめるべき日本の精神性とは、「人の心の弱さを知る」という
ことであろうと思う。

欧米でも日本でも、究極の目的は真理・真正に達することである。日本流
にいうならば「仁」の実現である。

ではあるが、欧米の「言論自由と討論」によって真理・真正に至ろうとする
方式には、欠点があることを前回指摘した。討論をする者達の力量や社会的
な力が拮抗していなかったならば、また、判定者がどちらの意見でも受容可
能な文化的共有感を持っていなければ、決して真理に辿り着くことはないの
である。

これはつまり、欧米人の思考においては、「人の心の弱さ」に対する認識
が弱いということを示している。言い換えれば、自由な討論を行なえば、正
義を見出すことができる強さを人間は持っている、と信じているとううこと
である。

だが、日本の思想はそうではない。日本の思想においては、人間の心の弱さ
を自覚し、その弱さ故の過ちに陥らないように、自己コントロールすること
を重要視する。これをしないで討論したとしても、決して真理に到達すること
はないのだ、というのが日本流である。

「 大学 」にいわく

心に怒りがあれば、正しい心を保つことはできない。

心に好き嫌いの感情があれば、正しい心を持つことはできない。

心に憂慮する苦しみがあれば、正しい心を持つことはできない。

心ここにあらざれば、見れども見えず、聞けども聞けず、食らえども
その味を知らず。


人はその親愛する相手や物事について、偏り誤った判断をする。

人はその憎悪する相手や物事について、偏り誤った判断をする。

人はその尊敬する相手や物事について、偏り誤った判断をする。

人はその同情する相手や物事について、偏り誤った判断をする。

人はその軽蔑する相手や物事について、偏り誤った判断をする。

好みてその悪を知り、憎みてその美を知るものは天下に少ない。


このように、いくら言葉を尽くして議論しても、双方が相手に対して
特殊な感情を持っている場合には、決して真理に到達することはない
のである。

ゆえに、真理・真正に到達することを欲するのであれば、まずは相手
の言に対して、感情や利害を捨てて耳を傾け、相手の心情を理解する
ことからはじめなければならない。これを「思いやり」という。

思いやりの思想こそが、真理への第一歩なのである。

だが、ここに大きな落し穴がある。思いやりは大事であるが、中庸を
得ない思いやりは、思いやりではない。単に相手に迎合するだけでは、
却って相手を増長させ、甘やかせ、相手も自分も周りの者さえも不幸
にすることになる。日本の「知識人」達の態度はまさにそれであった。

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト