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  • from: 一久さん

    2008年01月21日 13時29分03秒

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    テレビの字幕と障害者  識者の傲慢について

    TVの字幕文字

     TVの字幕、といっても、ニュースなどのものではなくて、バラエティー
     番組で使われている「ガハハハハ」とかのものについて、

     「下品だ」とか「目障りだ」

     とか、批判する人がいた。

     それに対して、別の人がいう「聴覚障害者の為に必要なものだ」という
     意見に対しても、

     「それは言い訳だろう。それならあんな下衆な音声までも文字化する
      必要なんかないじゃないか」

     という。

     これに対する、私の意見。

     大衆は下衆な番組を好んで観る。

     それは健常者も聴覚障害者も同じである。

     ならば、「下衆な音声までも文字化する必要はない」という見解は、障
     害者には庶民の娯楽を与える必要はない、という不当差別そのもので
     あるということになる。

     下衆なものは与える必要はない、という、恐ろしく思い上がった者の持つ
     傲慢な思想なのである。

     障害者だからといって、「与えられる」などという境涯を甘受しなければ
     ならない、ということはないのである。

     健常者と同じように、高邁なものも、下衆な番組も、自由に選択して観る
     権利があるのである。

     上のような見解に賛同する人の脳裏には、「こうあるべき」という障害者
     のスタイルがこびりついている。

     障害者も人間である、ということを忘れているのである。

     繰り返す。

     障害者は子供ではない。

     下衆なものも、高尚なものも、それを選ぶのは障害者自身なのだ。

     健常者がするべきことは、彼らが選ぶことのできる文物を制限しないよう
     にすることなのである。

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