新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

SIG 市民の討論広場

SIG 市民の討論広場>掲示板

公開 メンバー数:8人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: 一久さん

    2008年06月21日 06時12分02秒

    icon

    試験で分かるのは知識のみ


     学位は知識を表すに過ぎないということ


    前に述べてきたような国家試験を実施すれば、知識と学位が一致するようになる。
    しかし、あくまでもこれは知識を証明するものに過ぎず、この者が実際の能力を持
    っているかどうかは別の問題なのである。

    学問も試験も、知識を教え試すものに過ぎない。そして、それでよいのである。

    必要十分な知識があれば、ある程度は仕事をこなすことができる。それを超えた仕
    事ができるかどうかは、実際にやらせてみなければ本人にもわからないのである。

    医師国会試験に合格した者は、一般的な事例にならば対処できるであろう。それ以
    外の紛らわしい事例に対処できるかどうか、これは個々人の才能と努力と経験と運
    にかかっている。だから我々患者は、その医者の出身大学よりも、クチコミの評判
    のほうを信用するのである。

    このように、国家試験があっても個々の技量の差はなくならないが、それでも、こ
    のような試験がない場合に比べれば、はるかにマシにはなっているのである。江戸
    時代のように、基準のない状態では、そこにも名医はいるが、ヤブはとんでもなく
    ヤブになる。

    国家試験という基準があれば、ほぼ全員の医者が、名医とはいえぬまでも、ヤブで
    はなくなる。中の下ぐらいの医術ならば、すべての医者に期待できるのである。

    近代的生産というものはこういうもので、一定水準以上の品質の者を、計画的に大
    量生産することをいう。

    学位は知識をあらわすに過ぎない。それでよいのである。

    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件