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  • from: 一久さん

    2008年10月31日 19時14分00秒

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    格差社会?

    【格差社会?】

     格差社会、勝ち組・負け組、下流社会。なにやら嬉しくない言葉が流行っているようであるが、そもそも、日本の大衆は、もともと貧乏人であったのではないか。一億総中流社会だとか言っていた時代でも、内心は「庶民」であり「小市民」だと思っていたのではなかったのだろうか。下流社会などというものは、昔からずっと一般庶民の常態だったのだ。

     日本の”貧乏人”というものが、諸外国の貧民と異なっているの点は、日本の貧乏人はプライドが高く、痩せても涸れても、汚職議員や悪徳商人や腐敗官僚なんかよりはずっと高潔であるという自負を持っているという点であろう。貧乏人のほうが道徳的に上だ、と威張っている”不思議の国”なのだ。

     ”下流”庶民が持つ、この道徳的優越感こそが、日本の日本たる所以である。

     中流社会、経済格差の無い社会、などというものは幻想に過ぎない。日本が格差を持たない社会である本当の理由は、経済的な格差が少ないことにあるのではなく、道義的格差が無いということなのである。庶民のほうが金持ちや大臣よりも高潔の士であることが多いという「道義的格差の無さ」こそが格差無き日本社会の正体なのだ。

     自分は道義的に優れている、お天道様に顔向けできないようなことはせず、正直な仕事をし、それなりの趣味・道楽を持って人生を楽しんでいる。そう思っている人間にとって、経済的成功者にも、総理大臣にも、東大卒業者にも、なんの妬みも劣等感も抱くことはない。人生の勝者は俺のほうだ、と思っているかもしれない。

     道義的な優越感を持っている人間は無敵なのだ。そしてそれは誰でもが簡単に手に入れられる。ただ自分を律し、日々正しく生きればよいだけなのだから。自分を厳しく律する者ほど、高いプライドを持つことができる。そのようにしている人間にとって、そうでない金持ちや権力者など、路傍の石にすぎない。

     明治以降、日本の庶民は、江戸下級武士のこのエトスを受け継いで、道義的格差レス世界を築いた。これこそが、「平等社会・日本」なのである。

     だからもし、庶民の側で道義的優越感を捨ててしまったらどうなるか。そうなれば、もはや金持ちや権力者や高学歴者に対抗する術はなくなる。卑劣な手段を使ってでも、彼らと同様の即物的価値を身につけなければならなくなる。そして、それが出来なかった者は、「負け組」と自嘲するほかなくなるのである。

     道義的優越感を持つことは、これほどに大切なことなのである。これがあれば、どのような相手に対しても臆することも妬むこともない。逆にこれが無いと、どんな人間に会っても、妬むか蔑むかしかできなくなる。自分より「上か下か?」と、犬のように順序を決めたがる下衆になりさがるのである。

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