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  • from: 一久さん

    2009年08月30日 20時32分18秒

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    反省とはなにか

    【反省とはなにか】

    「過去の反省」という。戦前の日本の行為を反省せよ、という。反省しない者、自己正当化する者は、反省する勇気がない者だという。だが、「反省」とはなんだろうか。たとえば、贖罪意識旺盛で、謝罪しまくれば、反省になるのだろうか。そのことを考えてみた。

     反省とは、省みて思うことであるが、省みてなにを思うのであろうか。反省を未来につなげる為に行なうというのであるならば、それは、フィードバックでなければならない。つまり、目標致と実値との差を読みとって、修正動作を加えることである。なんのことはない、自転車の運転中に、誰もがしていることである。まっすぐ走ろうとしていても、バランスが微妙にくずれてどちらかに傾いたりする。それを無意識的に修正しながら、スーパーマーケットに買い物にいくではないか。それと同じことである。

     ゆえに、「反省」をする為には、「目標」がなんだったのかをまず見極めることが必要となる。大日本帝国は、なにを目標として、どういう理想を掲げて戦争に突入したのか。その理想自体は正しかったのか間違っていたのか。というところから考えなければならない。

    ヒットラーの理想は、あきらかに多民族には受け入れられないものであった。ゆえに、そのような理想を生みだした時点に遡って反省しなければならない。だが、日本の場合はどうであっただろうか。旧日本軍にも、政治家にも、多民族を虐殺することを目的とした者なぞ、いなかったはずである。

     幕末以降、日本が目的とし理想としたことは、日本を含むアジア各国の自主独立である。といっても、正義感のゆえにではなく、そうでないと日本自身も欧米に喰われかねないという恐怖感がその基にあるものだが。李氏朝鮮や清に対する、日本の初期外交は、まさにその為のものであった。しかし、彼らは日本の言う事を全く理解できず、福沢諭吉をして「これを野蛮といわずしてなんという」と言わしめたのである。

     「アジア各国の自主独立」という理想は、一点の非の打ち所のない「理想」であり目的であるといえよう。大日本帝国の戦争を反省しようとすれば、まず第一に、この理想を確認しなければならないのである。目標値を知らずに、フィードバックはできない。スーパーに行くか、コンビニに行くかを決めずに、自転車を走らせることはできない。

     ところがどういう訳か、「反省しろ」という人々は、この作業をしたがらない。理想はなんだったかを考えようとしない。「アジア各国の自主独立が理想だった」とでも言おうものなら、おまえは軍国主義者か、といわんばかりに噛みついてくる。彼らにとって、理想を語ること自体が許されざる行為なのである。しかしこれでは、けっして本当の意味での反省などできない。未来に役立つ反省には絶対にならない。

    理想が何であったのかを考えない反省は、目的地を決めずに自転車を漕ぎだすことと同じである。ゆえに、迷走し徘徊することになる。胡散臭さが芬々と漂ってくる。

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