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  • from: 一久さん

    2006年05月29日 21時51分40秒

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    教育とは観念の植えつけか

    【教育とは観念・思想の植えつけである】社会的教育とは、観念の植えつけであるという意見は、正しいと思われる。だが、だからといって、そのような植えつけの無


    【教育とは観念・思想の植えつけである】

     社会的教育とは、観念の植えつけであるという意見は、正しいと思われる。だが、だからといって、そのような植えつけの無い世界が、よりマシな世界であるかというとそうではない。むしろそのような世界は野獣の世界であり、「教育のある世界」よりも安楽な暮らしからは遠い世界となるであろう。

     人間が社会的な動物である以上、教育による観念の植えつけは必要なものなのである。それはなにも近代国家に限ったことではなくて、例えばブッシュマンやエスキモーの世界においてさえいえることなのである。彼らにも彼らなりの掟があり先祖伝来の継承すべき観念が存在している。であればこそ、彼らもまた人類でありえる。

     問題は、「観念を植えつけること」それ自体にあるのではなくて、どのような観念を植えつけるべきかというところにある。その「どのような」という内容は、それぞれの国家の歴史・文化によって左右されるものである。ブッシュマンの観念を日本人に適用することは無理無体というものであろうし、逆に、現代日本の教育をブッシュマンに強制したら彼らの文化は壊滅的に破壊されるであろう。

     では、日本という国は、どのような観念をその国民に植えつけるべきなのか。戦後教育の間違いの元は、この点を誤ったことによる。否、考察を放棄したことにある。日本の文化や伝統からくる観念を無視・卑下し、そのような「軍国主義的な観念を植えつけないこと」を目論んだ。その一方で、個々の教師や日教組は、自分達の信奉する「思想の植えつけ」には必ずしも反抗しなかった。そのような状態を放置したのであるから、ヘンになるのは当たり前のことである。

     では日本の伝統からくる「植えつけるべき観念」とは何か?日本人とはいかにあるべきか。それを述べていこう。

     日本の伝統・歴史・文化からくる「継承すべき観念」とは、「中庸」である。日本人があらゆる宗教を許容し、かつすべての宗教にのめり込むことがないのもは中庸という観念がそれら諸宗教に優越して潜在しているからであろう。

     中庸とは「最も適切妥当なること」であり、同時に「平凡な当たり前のこと」でもある。ゆえに、なにが「その時その場において」中庸であるのかはなかなかに分かり難いものではあるが、広く知識を求め、異見を闘わせれば、自ずと「当たり前の」結論を得ることができるであろう。

     このような中庸の精神は、自由民主主義の精神とピタリと一致している。言論の自由のもと、広く所言を得て初めて知性が生まれる。ゆえに、韓国・中国のように、日本の政治的美点を述べることを許されない国家の民に、知性を期待することはできない。

     広く知識・異見を得て知性を育み、そこから誠のある意見を得、そうしてようやく心を正すことができる。心が正しくなって、行動も修正される。これをこれ、「修身」という。

     我々日本人が子弟に植えつけるべき、あるいは自身が身につけるべき観念とは、まさにこれである。

     言論の自由のもと、多くの知識と様々な意見を知り、より広い視野を持った知性を得、誠意ある討議や検討をへて最も適切妥当な判断はなにかを常に探求する心を育て、行動するのが人間というものなのだ、という観念である。

    【蛇足】

     ひるがえって、戦後、日教組や個々の教師達のとってきた対応は、このような中庸を持っていたであろうか。彼らは戦前の軍国主義的教育を忌避することで、自分の私見を絶対化してきただけではなかっただろうか。広く異見を求め、真実を求め、もって中庸を明らかにしようとしてきた訳ではない。残念ながら。むしろ、ヒステリックに反対意見を弾圧してきたのではないか。これは一種のファシズムに他ならないのである。


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  • from: 一久さん

    2006年05月29日 21時50分07秒

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    愛国心とはなにか

    【愛国心とはなにか】愛国心とはなにか、少し考えてみよう。いま、流行りの愛国心とやらは、「日本の愛国心」であるらしい。しかし、そんな風に限定的に考える必


    【愛国心とはなにか】

     愛国心とはなにか、少し考えてみよう。

     いま、流行りの愛国心とやらは、「日本の愛国心」であるらしい。しかし、そんな風に限定的に考える必要はないのではないだろうか。

     つまり、リヴァイアサンでホッブスの言うような、コモンウエルスに対する忠誠のことだと思えばよいだけではないのだろうか。一端、国が成立したら、それに対する反逆は許されない。それを認めれば、イラクのような「万人の万人に対する戦争」状態になってしまうからだ。(イラクの混乱は、新生イラクという国の成立を認めない武装勢力の跋扈によるのであって、”国民”となった者達の武装蜂起ではない)

     日本においては、政府を批判することは自由である。これは反逆ではなく、為政者に対する「忠告・進言」とみなされる。このことは、国に対する忠誠が確固たるものになっているということを意味しているのだ。

     愛国心とは、この種の忠誠に他ならない。日本人は、天然国家として日本という国を持ってきたが故に、その重要性を理解できないし、また、理解せずとも国を保持できた。しかしこれからはそうはうまくいかなくなるだろうし、たとえ国内はそれでいけたとしても、国外のことを理解できないままになる。

     早い話が、先程のイラクの現状について、マスコミのコメントなどは、「愛国心」を理解していないとしか思えないものが多い。国を認めない武装勢力も、被害にあったイラク国民も、一緒くたにして「イラクの惨状」として報道しているではないか。

     国民は幼児に至るまで、国家の庇護のもとにあるのだから、愛国心を持つのは当然のことである。いやなら、外国へ亡命するべきだろう。否、国家の庇護の下にあるということは、すでに愛国行動を受容していることになる。イラクのテロリストのように、庇護を否定しているものだけが愛国者でないと主張できるのである。(だから、テロリストには降伏する權利がない。軍人と違って、テロリストは白旗を上げても捕虜になれる保証はない。警察や軍隊はこれを抹殺しても構わないのである)

     愛国心を持たせるということは、国というものが必要なものであり、これがなければ、万人が戦争状態になってしまうとういうことを理解させることであろう。ゆえに、国は愛すべき必要不可欠なものであると。

     国歌や国旗は、その象徴である。その掲揚や斉唱について、問題視する人々も存在するが、それらが本当に問題であるのかどうかは、他国の物について同様の行動をすれば問題になるのかどうかを考えれば答えは出るはずである。

     中国の国旗が掲揚され、国家が斉唱されるべきとき、この国旗を引きずり下ろしたり、斉唱すべきでないと教導する教師がいたらどうなるか? アメリカでも、フランスでも、韓国でも同様であろう。程度の差こそあれ、その者は罰せられるだろう。

     ならば、日本の国旗・国歌についても同様であるべきはずではないか?

     愛国心教育に行き過ぎがあるかどうかは、諸外国の例と比べれば、すぐに判明する。なにも恐れることなどありはすまい。

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  • from: 一久さん

    2006年05月14日 23時12分58秒

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    皇室制の日記帳

    天皇といえば...【平安貴族の日記帳】平安の昔から、日本の貴族は日記をつけていた。有名なところでは、「御堂大納言日記」「小右記」など。代々に伝わる日記

    天皇といえば...


    【平安貴族の日記帳】

    平安の昔から、日本の貴族は日記をつけていた。有名なところでは、「御堂大納言日記」「小右記」など。代々に伝わる日記は貴族の象徴であり、信長が敵対した貴族に下した最大の罰は、この日記帳の没収だったとか。

    なんでそんなに日記が書かれたかというと、朝廷から日記帳が配られたからだとか。この日記帳、暦と行事予定表も兼ねていたのだそうな。

    現代の書店で売っている日記帳を以前調べたことがあるが、平安の日記帳に匹敵するものはなかった。昔のほうが現代よりも優れた日記帳が配布されていたのだ。

    しかし、それならば。。。。

    古の例にならって、宮内庁から日記帳を売り出せばいいのではないか。皇室の財源になるではないか。

    内容は、詳細な旧暦と皇室および各地の行事予定表、現代版には日々の占いも加えよう。奇門遁甲による方位術とか、細木カズ子カレンダーでもいいかもしれない。

    占い師達にとって、皇室の日記帳に自分の占いが採用されることは最大の名誉と売名になる。当代一の占い師を取り替えながら使うことができるだろう。細木カズ子の人気が下がれば、別の者に代えればいいのだ。

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  • from: 一久さん

    2006年05月14日 22時38分55秒

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    第三種免許を

    【タクシー・ドライバー】アダム・スミスは「見えざる神の手」によって、自由競争が行なわれれば自動的に最適値が見出されるとしたが、自由放任していれば自由競

    【タクシー・ドライバー】

     アダム・スミスは「見えざる神の手」によって、自由競争が行なわれれば自動的に最適値が見出されるとしたが、自由放任していれば自由競争が保たれるとは言わなかった。むしろ、自由競争は極めて壊れ易いものだとみていたのである。第一、そうでなければ、自由競争が大事だと言う必要がない。放っといても自由競争になるのであるならば。

     タクシー業界は今、タクシードライバーの収入が激減しているのだそうな。歩合制の為、一番弱い立場のドライバーにしわ寄せがいく構造になっている。自由競争の理念に従えば、こんなときドライバーの取るべき道は、廃業かライバル他社への転職か、自主独立か、であろう。

     廃業も転職も、今の景気の元では難しいだろうから、結局は自主独立しかない。しかし、個人タクシー免許を取ることは、絶望的に困難なのが現状である。ゆえに、タクシードライバーはドライバーを続けようとする限り、決して自由競争による恩赦を受けることはできず、会社に搾取され続ける運命にあることになる。

     会社が経営努力によってドライバーの給与を保証できないならば、独立したり新会社を作ったりして、より生産性の良い新会社を作ってみせるぞ、と言えればこそ、ドライバーは会社との間で自由な競争が可能なのである。それが事実上不可能である以上、自由でも対等でも有り得ないのだ。

     ということで、タクシードライバーの低賃金の根源は、個人タクシー免許が取得しにくいことにある、ということが明らかになった。個人タクシー免許が取得しやすくなれば、運転手の就業形体は多様になる。ピンハネも無くなるし、数人で組んで新会社を起こすことも容易になる。

     政府は、「第三種自動車免許」を新設し、指定教習所において個人タクシー免許が取れるようにすべきである。二種既得者を対象にして、二種より高度でかつ地域に密着した内容の教習を行なう。

     教習所で個人タクシー免許が取れるのであれば、タクシードライバーの地位は向上するし、会社への交渉能力も増すはずである。


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  • from: 一久さん

    2006年05月14日 22時34分53秒

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    国民の為の党員

    【政治家と有権者の間に】政治家は選挙のときしか有権者の声に耳をかさないとかいう類の言葉は、古今東西ありふれている。また、それでも有権者にできることは投

    【政治家と有権者の間に】

     政治家は選挙のときしか有権者の声に耳をかさないとかいう類の言葉は、古今東西ありふれている。また、それでも有権者にできることは投票ぐらいしかないのだから、選挙には必ずいきましょう、とのたまう紳士淑女風の御高説もありふれている。

     彼らの御高説は一見もっともに聞こえる。が、少し落ち着いて考えれば、それはおかしいということに気づくはずである。選挙が有権者の声を政治に反映させる方法として十分でないというのならば、選挙を補完して有権者の声を政治に反映させるシステムを模索すべきではないか。それを怠っておきながら「選挙に行け」と言われても、しらけるばかりである。ゆえに選挙にいかない有権者は半数ちかくにまで達するのだ。

    【ナシオン主権】

     選挙に行けという人々は、選挙のときだけ国民の声を聞き、それ以外は選ばれた議員にすべて任せることになる現在のシステムを、確信的に肯定しているのであろうか? いわゆるナシオン主権というやつだ。しかしそれならば、TV画面に向かって自身の”政策”や”論評”をがなりたてるのはヘンだろう。TVを見ている一般国民を洗脳し、なんらかの行動を起こさせようという行為は、まさにナシオン主権主義に反する。ご自分が知恵者であるというのであれば、為政者にのみアドバイスする、というのがナシオン主権下における知識人の採るべき行動であろう。

    【関与のためのシステム】

     有権者が選挙以外においても政治に関与できるようになるべきであると考えるのであれば、その為には何か今までになかったシステムが必要であるということになる。また、その前提として、どこまで政治に関与すべきなのか、どういう方法ならば適当と言えるのかということについても考えねばならない。例えば、直接民主制は、多くの国民が面倒臭がる恐れがある。といって、現在の選挙のときだけ、という方法が喜悦されているとも思えない。

    【善意の管理者が必要】

     有権者が直接に政治に関与することは現代社会においては不可能に近い。そんな面倒なことはイヤだ、という人のほうが多いだろう。そこで、国民一般に代わって政治を監視するものが必要となる。これがマスコミである。

    【マスコミ 権力の監視者】

     だが、監視者は所詮は部外者にすぎない。監視者には為政者の行為自体への連帯責任がないからだ。ゆえに、マスコミは連日、無責任で煽動的な”報道バラエティー”番組を垂れ流しているのである。監視者は無責任でよい。ゆえにマスコミは無責任ぶりを発露している。別に、マスコミの人間個人が無能だからではなく、構造的に無責任な存在だからなのである。

    【監視ではなく管理が必要】

     無責任なマスコミとは別に、為政者と連体して責任を負うことになる者達による「管理」が必要なのである。「為政者と連帯責任を負う者達」とはなにかといえば、それは政党の党員である。党員こそが政党を管理し、政治を管理する義務を負うべきなのである。

    【新時代の党員】

     党員はその義務として政治への関心と勉強を求められ、その代償として政党の政策への関与権を得る。それによって国民と政権との橋渡し役を演ずるのである。
     
     これまでの党員は、政党に都合よく使われる奴隷であった。思想的奴隷であり、組織の奴隷であり、金銭関係の奴隷であった。上から言われるままに行動することが下っぱの奴隷、もとい党員に求められる資質であった。このような党員では、国民の声を政治家に伝える役割など、勤まるわけもあるまい。

     ここにおいて、党員という言葉の意味は、百八十度転換されねばならない。党員は政党の政策を国民に広げるためにではなく、国民の声を政党に伝えるための存在でなければならない。

     党の為に国民を指導するのではなく、国民の為に党を管理する。それが新時代の党員というものでなければならない。最下層の党員達が上部の党員を管理し、上部の党員は党選出の議員を管理し、政権を管理することになる。

    【党員と国民の関係】

     このように、政治に関する勉強を積んだ党員が政党を管理するという状況が一般的になれば、国民は政治に対して無関心でいながらも、自分達の為の政治を期待することができるようになる。

     一般の国民がすべきことは、政党内部において、国民の声を反映するための討議や意見表明が行なわれているかどうか、ヘンな思想集団に乗っ取られて党全体が偏向していないかを監視することだけとなる。もちろん、自分自身、政治の為に努力する覚悟があるならば、党員になって管理する側になってもよい。

     これを、政党内民主主義という。政党内民主主義が健全に保たれ、そこでは多数の一般党員が真摯に議論して政権を管理しているという状況が確立していれば、国民多数は、実際に政治に関与しなくても痛痒を感じることはないだろう。一般党員は、「我々の側の人間」なのだから。

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  • from: 一久さん

    2006年05月12日 20時58分46秒

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    体罰とはなにか

    【体罰の区別】「体罰はいけない」とか「場合によっては許可すべき」とかいうけれども、どちらの意見の人も、「体罰」というか「罰」という言葉をあまりに不注意

    【体罰の区別】

     「体罰はいけない」とか「場合によっては許可すべき」とかいうけれども、どちらの意見の人も、「体罰」というか「罰」という言葉をあまりに不注意に使っているように思える。同じ”教師による暴力”であっても、「罰」である場合と、「罰」でない場合がある、ということが解っていないようだ。

     罰とは、罪を犯した者が(自発的もしくは強制的に)抵抗できなくなった状態において、そのうえに加えられる処置である。つまり、罰を受けるとき、すでに罪人の犯罪行為は止んでいるということを前提にして、初めて「罰」は成立するのである。

     教室で暴れていた生徒が、後日呼び出され、停学を言い渡される場合、などがそうである。停学の代わりに「体育教師がビンタ」などを行なえば、これこそが「体罰」というものである。昔風に、バケツを持たせて廊下に立たせるのも体罰である。

     しかし、生徒が暴れているところへ体育教師が駆けつけてきて、ドロップキックで蹴り倒し、生徒の乱暴行為をストップさせたとしても、これは体罰ではない。職場を守る為の正当な緊急避難的処置として認められるべきものである。

     生徒が犯罪的行為を止めない限り、それに対抗する行為は「体罰」ではない。しかし、生徒が抵抗不可能になってから、罪の代償として肉体的負荷を加えるのであれば、それは体罰である。

     この区別をせずに、教師の実力行使はすべて体罰であると、味噌も糞も一緒にするような、お粗末な議論がなぜまかり通るのか、不思議でならない。

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  • from: 一久さん

    2006年05月06日 22時09分38秒

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    東京大学 改革論

    受験問題の解決策真のエリート養成法日本の教育問題とは、畢竟、受験問題である。そして、受験問題の大部分は、東大至上主義(東大に合格しない人間が他の大学に


    受験問題の解決策 真のエリート養成法

     日本の教育問題とは、畢竟、受験問題である。そして、受験問題の大部分は、東大至上主義(東大に合格しない人間が他の大学にいく)にある。東大改革こそが、日本の教育問題の急所なのだ。

     その東大も、独立法人となり、これからは学校経営の手腕を問われることになる。長年、”鉄の米櫃”にすがってきた東大の教職員にとって不安も大きかろうが、この危難をこそ改革の好機と捉えて、大胆な方策を実行するべきである。それによって、日本の”受験問題”そして教育問題をも解決するきっかけを提供できる。

    【私案:帝王学部】

     私の記憶が確かなら、東大の定員は、理系文系合わせて一学年、3000人ほどであったはずだ。これに加えて新たに、帝王学部(仮称)定員1000人を付け加える。

     この帝王学部の授業料は、入学時に四年間分一括支払い(中途退学時、払い戻し無し)で、最低、1億2000万円とする。そのかわり、学科テストは高校で学ぶ内容の「中の上」くらいできればよい。

     1.2億円×1000人=1200億円が毎年東大の”収入”となる。これだけあれば、予算的に不足はあるまい。

     学生一人頭で換算すれば、卒業までに3000万円を一人の学生の為に使うことができるということになる。つまり、帝王学部の一人の学生が、旧来の他学部学生三人に対して、一人あたり3000万円の援助をする勘定になる。

     これによって、教授と旧来の学生は、潤沢な資金を得て、学問に打ち込むことができる。また、金持ちは、その子息に東大卒業というブランドを与えることができる。誰も損をせず、誰も犠牲にしない、すばらしい名案であろう。

     【各々のメリット詳細】

    ・ 東大および教職員

     東大それ自体のメリットは、資金繰りに悩まなくてすむということであろう。特に若い助教授や講師達の生活を安定させることができる。それは東大の研究機関としての能力を飛躍的に高めるというオマケをも生みだすはずだ。

    ・ 旧来の学生

     潤沢な資金を提供されるので、学生達が学ぶ環境もまた大きく変わる。例えば、寮もお化け屋敷のようなものではなく、欧米の上流階級専門の大学風になる。海外研修、技能講習なども頻繁に行なわれるようになる。東大生は全員、授業の一環としてアメリカへ短期留学し、ついでに飛行機免許を持たせる、ぐらいのことが行なわれてもよい。

    ・ 帝王学部学生

     金で入学できることが分かっているのだから、受験勉強に追い回されることがない。のんびりと高校生活をおくることができる。そもそも、一億円を超える金額をポンと出せる親を持つ学生には、高等数学など無用なのだ。彼らは生まれながらにして、人の上に立つべく定められているのだから。彼らがしなければならないことは、指導者として人間的に自己を高めることであって、偏差値を5ポイント上げるために人間性を歪めかねない努力をすることではない。

     貧乏人の小伜は、指導的立場になるために猛勉強して、優秀な成績を修めねばならない。だが、金持ちの息子には、それは無用なのだ。いや、むしろ害悪なのである。考えてもみたまえ。若社長が人間性劣悪なガリ勉である会社と、凡才の君子である場合と、どちらが社員にとって、また、会社の業績にとって望ましいのかを。

     ハッキリ言って、十年を経ずして東大帝王学部出身者こそが東大の名を高める業績を示すことになるであろう。旧来の学部生や講師・助教授のレヴェルアップもさることながら、君子としての教育を受けた資産家の子供達が社会に与える好影響ほど大きなものはない。「李斯のネズミ」のいうように、地位ある者は凡夫でも大きな仕事ができるのだ。

    【終わりに ; 格差社会について】

     格差社会というが、天然自然に生まれる人間には、格差があるのは当たり前のこと。問題は、格差に応じた所作を否定し、各人が本来すべき自分にあった道を進んでいないことにある。

     資産家の凡庸な息子が、なんで貧乏人の秀才と学業を張り合わねばならないのか。資産家の息子には他にすべきことがあるはずなのにである。貧乏人はそうするしかないから学問に励む。そんなのと張り合って、家庭教師だ有名予備校だと、躍起になるのは奇怪しいことだということが解らないのはなぜか? 東大がブランドになってしまったからだ。学業が出来なければ入れないと決まってしまったからだ。

     戦前はそうではなかったのだそうな。東大文学部なんて誰でも入れた。一高を卒業しようとしさえしなければ、東大に入ることは難しいことではなかった。ゆえに、資産家の息子が東大にいきたいなどと言えば、”道楽者”呼ばわりされた。

     そんなふうであったから、貧乏人に秀才がでれば、近所の金持ちが援助する、などということは普通に行なわれていた。けっして、貧乏秀才に対抗して、自分の息子に家庭教師を付けたりはしなかった。

     格差を認め、格差に応じた東大を作ればよいのだ。その見返りとして、資産家から1200億円の上納金をせしめることができる。

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