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  • from: H-2さん

    2010年12月01日 06時41分40秒

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    石川県で行われたテロ対策訓練について

    ご無沙汰しておりました(^_^;)。
    久しぶりに書き込みます。
    今回は、石川県で行われた警察のテロ対策訓練について記載します。

    最近、北朝鮮の韓国砲撃を受けて、朝鮮半島の情勢が緊迫しており、アメリカ軍も大規模な軍事演習を行っています。
    このような動きに関連して、日本の警察庁は11月26日に、石川県の原子力発電所でテロ対策訓練を実施しています。
    これは、北朝鮮の工作員によるテロを意識した公開訓練で、石川県警の銃器対策部隊と愛知県警のSATが参加しました。
    石川県と愛知県は距離的に離れていますが、同じ中部地方に属するため、石川県で重大テロ事件が発生した場合は、愛知県警のSATが対応するようです。
    また、愛知県警SATだけでの対応が難しければ、警視庁や大阪府警察のSATが後続として派遣されるのでしょう。
    今回の訓練映像を見ると、SATのアサルトスーツは、銃器対策部隊の出動服と比べて灰色に近く、また下腹部に大型の防弾プレートを装着しており、ドイツの特殊部隊「GSG9」を彷彿させます。
    また、SAT隊員がテロリスト役を逮捕する際、相手を一瞬でうつ伏せの状態に制圧し、簡易手錠である「タイラップ」を使用して、テロリストを拘束する場面も始めて公開されました。
    SATが警察(治安組織)の特殊部隊である以上、相手がテロリストであっても「可能であれば逮捕する」必要があります。
    今回のSAT隊員は、その手際の良さから相当、訓練を行っているという印象を受けました。
    現実に北朝鮮によるテロなど起きて欲しくはないですが、万が一の事態に備えて、技術や錬度の向上に努めてもらいたいと思います。

    また、余談ですが、最近は「yahoo知恵袋」にも出没しています。
    質問したことはありませんが、警察、特殊部隊等の分野で回答しています。
    知恵袋でのハンドルネームは「hir_217」です。
    もし、御興味がありましたら、そちらも見ていただければ幸いです(^_^)。

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コメント: 全10件

from: 警察系特殊部隊オタクさん

2016年10月13日 17時45分53秒

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SATは射殺前提で作戦行動を行っていますが2010年に石川県志賀原発でのSATの公開訓練にあったように実戦ではテロリストを逮捕したりするんですか

あと、この訓練の動画を見ていましたところSATが犯人を地面に引き倒してケーブルタイで拘束していましたが素早かったなあと思いました。

あの技はいったい何でしょうか?

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from: Knob Turnerさん

2010年12月13日 23時51分26秒

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「Green Beret」
こんばんは〜
長くなってたので標題変えました^^

B-53は訓練センターに携わっていたんですね。情報ありがとうございますm(_ _)m

>ベルリン旅団A分遣隊
おっしゃるとおり、市街地での対テロ作戦や諜報任務など通常のAチームとは違った“ブラックな”活動を行っていたそうですね。そもそも指揮命令系統からして通常のラインではなく、CIAが絡んでいたという話も。。。
ここのメンバーは髪を民間人のように伸ばして東ドイツ製の私服を着込み、東欧各国の身分証を常に携帯して、東側の人間と同じように考え、歩き、話すよう徹底的に訓練されていたと聞きます。

それで、私も以前まで誤解してたんですが、特殊部隊欧州分遣隊(Special Forces Detachment Europe)とベルリン旅団A分遣隊(Special Forces Detachment-A, Berlin Brigade)はどうやら別みたいなんですよ^^;
欧州分遣隊は1968年に創設され、70年代に入って開始された特殊部隊グループの再編(グループ編成を4個中隊から現在の3個大隊に変更する)過程で、早々と第10特殊部隊グループ第1大隊の基幹として吸収されています。
対して、ベルリン旅団A分遣隊は1956年に前身である第7761陸軍部隊が創設され、同じく第10の第1大隊に編入される84年まで存続していました。
思うに、欧州分遣隊が創設された直後に第10が西ドイツから米本土へと引き揚げているところをみると、欧州分遣隊はベルリン旅団A分遣隊のような作戦部隊というよりも、特殊部隊韓国分遣隊(Det-K、今は第39特殊部隊分遣隊)のような指揮統制部隊だったんじゃないかと個人的には考えています。
この辺、逆に例の特殊部隊50周年記念本で両部隊についてどのように書かれているのかが非常に興味あります^^

イーグルクロー作戦でイラン外務省ビルの攻撃を担当する予定だった特殊部隊チームは、やはりStanley Olchovik大佐の指揮によるものだったんですね。
Beckwith大佐曰く、『私の旧友で数ヶ国語を話し、部下から大変尊敬されていた』でしたっけ^^

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from: 予備役士長 - 2さん

2010年12月13日 22時33分09秒

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「Re:Re:Re:Re:系譜」
>     B-53(???)

1964年2月にできたB-53は特定のギリシャ文字ネームはなく、Long Thanhにて、特殊任務援助部隊(後にグループに)としてARVN空挺レンジャー訓練センターの支援を主任務としていました。

> 三島軍曹はCCC所属だったそうなので、特にNishimura大尉やUemura軍曹とは直接面識があったかも!?

三島軍曹はタバタ曹長とイシモト曹長とは交流があったようです。まあ、現職時代からかは不明なんですけどね(^^;

三島軍曹といえば、以前Knob Turnerさんも書かれていた、ベトナム戦死者第1号は第1からという話を引き合いに、
「かつてベトナムでの戦死者第1号は第1特殊部隊群からであったが、アフガニスタンでの戦死者第1号も第1からでてしまった。」
ともらしていたのを思い出しました。

>特殊部隊欧州分遣隊
この部隊は同時代の他の特殊部隊群とはまた違った路線を進んでいった部隊でもありました。

Berlin BrigadeのA分遣隊は東ドイツ、ひいては背後のワルシャワ機構との直接対立のため、ヨーロッパでの戦闘及び情報収集を任務としていました。

中には、ADM(戦術核爆破装置)を国境付近や敵地へ設置するなどという任務も請け負っておりました。
また、ヨーロッパの街中での戦闘や、70年代から激しくなったテロ攻撃に関し、市街地での戦闘チームを組んでいたものヨーロッパの分遣隊でした。
また、この事があったためか、Eagle claw作戦ではDELTAの手が回らなかった大使館職員の救出作戦に参加する予定でした。
この事は三島軍曹のD446にも触れられていましたね。
なお、前回紹介した50周年記念本には当時の指揮者だったStannley Olchovik退役大佐が作戦でのA分遣隊の活動についてインタビューを受けた内容が出ています。

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from: Knob Turnerさん

2010年12月13日 01時33分19秒

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「Re:Re:Re:系譜」
こんばんは^^

ギリシャ文字プロジェクトのチームも越境作戦やってたんですね〜
てっきり、Project〜とSOGで国内外の区分けがされていたものと思ってました。
ありがとうございます、また一つ勉強になりましたm(__)m

そういえば、当時の第5特殊部隊グループはギリシャ文字プロジェクトのために5番目の中隊を臨時編成していたそうですね。
この時期の特殊部隊グループは基本的にA〜Dの4個中隊編成(今とは違い中隊本部がC分遣隊、Cチームと呼ばれていた)でしたが、第5だけは5個目のE中隊(C-5)を設置して特別プロジェクトの実施やRECONDO Schoolの運営に当たらせていました。
通常のA〜D中隊は各地域ごとに、自ら訓練したMSF(マイクフォース)やMGF(機動ゲリラ部隊)を率いてヴェトコン抑え込みのための地域パトロールや正規軍支援を行っていたようです。

当時の編成は、、、
 第5特殊部隊グループ
  ・A中隊(C-3)。拠点はビエンホアで、南ヴェトナム中部〜南部を担当。第3マイクフォース司令部を保有。
  ・B中隊(C-2)。拠点はプレイクで、南ヴェトナム中部を担当。第2マイクフォース司令部を保有。
  ・C中隊(C-1)。拠点はダナンで、南ヴェトナム北部を担当。第1マイクフォース司令部を保有。
  ・D中隊(C-4)。拠点はカントで、南ヴェトナム南部を担当。第4マイクフォース司令部を保有。
  ・E中隊(C-5、臨時編成)
    B-50 Project OMEGA
    B-51(南ヴェトナム陸軍特殊部隊訓練センターを運営)
    B-52 Project DELTA
    B-53(???)
    B-55(第5マイクフォース司令部を運営。Project GAMMAとも関係があった模様)
    B-56 Project SIGMA
    B-57 Project GAMMA
    第403特殊作戦無線偵察分遣隊
    MACV RECONDO School
    マイクフォース訓練司令部
みたいな感じだったとか。

>「WHITE STAR」作戦
例の特殊部隊創設50周年記念の本ってそんなタイトルだったんですね!
そういう本が存在するらしいってのは聞いてたんですが、正式なタイトルが分からずに困ってました^^;
ありがとうございます! 今度探して入手してみます^^

Operation WHITE STAR(当初はOperation HOTFOOTで、1961年からWHITE STARに変更)ですが、おっしゃるとおり、後の特殊部隊の有名人となる人物が結構参加しています。
HOTFOOT/WHITE STARの現地司令官だったBull Simons中佐をはじめ、Herb Brucker少佐、Ludwig Faistenhammer少佐、Bud Sydnor大尉、Charlie Beckwith大尉、Bob Mountel大尉、Dick Meadows曹長、Vladimir Sobichevsky軍曹、そして以前ここでも話題に挙がったTabata曹長などなど。。。
Beckwith大佐なんかは回顧録の英SAS派遣直前の件で、『この頃の私はラオスでの特殊作戦経験を有するパリパリの特殊部隊大尉で、自惚れも強かった。』みたいな記述がありましたっけ^^

Brucker少佐は元OSSで第101分遣隊などに所属。戦後は第10特殊部隊グループの創設メンバーとなり、英王立海兵隊に感銘を受けて緑色のベレー帽を初めて持ち込んだ人物です。
Faistenhammer少佐は後に、今でも謎が多い特殊部隊欧州分遣隊長を務めています。
Sydnor大尉はグリンベレーと英SASの交換留学計画における第1期生でDick Meadows曹長と共にSASへ派遣されています。後に第1特殊部隊グループ司令官を務め、Beckwith大佐の回顧録にも交換計画の前任者として登場しています(ただ、SAS留学経験者のわりにBeckwith大佐のデルタフォース創設計画には乗り気じゃなかったようですが^^;)。
Mountel大尉は言わずと知れたBeckwith大佐の永年のライバルですね^^。後に第5特殊部隊グループ司令官として暫定的対テロ部隊計画"Blue Light"を指揮しています。
Sobichevsky軍曹は、ヴェトナム従軍前は第10特殊部隊グループ所属で、有名なコンゴでの在留欧米人救出作戦に参加しています。その後はMACV-SOGにも所属し、最後は大佐で退役しました。

WHITE STARに日系隊員がいたとは知りませんでした! 「SP5 Kato」、「カトウ特技兵」ということでしょうか。
この当時の日系・日本人の特殊部隊員としては、三島軍曹、Tabata曹長、Wade Ishimoto曹長、Rod Nishimura大尉(MACV-SOGのCCCに所属し、名誉勲章受章者のFranklin D. Miller軍曹と共に活動。後に大佐としてUSSOCOMに勤務し退役)、Glen Uemura軍曹(同じくSOGのCCCに所属し、先ほどのMiller軍曹率いる偵察チームでワン・ワン=副隊長を務める)などが有名ですね^^
三島軍曹はCCC所属だったそうなので、特にNishimura大尉やUemura軍曹とは直接面識があったかも!?

ちなみに、MACV-SOGのRT(偵察チーム)には独自のコールサインがあって、1-0(ワン・ゼロ)、1-1(ワン・ワン)、1-2(ワン・ツー)がそれぞれ隊長、副隊長、無線通信員を表していました。
さらに、RECONDO Schoolなどとは別にOne-Zero Schoolと呼ばれるSOGの偵察チーム隊長を養成する学校も存在していたそうです。

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from: 予備役士長 - 2さん

2010年12月12日 20時41分53秒

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「Re:Re:系譜」
こんばんは(^^

> いわゆる“ギリシャ文字プロジェクト”については、
>   B-50 Project OMEGA
>   B-52 Project DELTA
>   B-56 Project SIGMA
>   B-57 Project GAMMA
> の四つが存在していました。

すいません、OMEGAのこと失念していました(--;
で、手持ちの資料の「Insignia of Secial forces in Southeast Asia」の中に、これらPlojectのチームも越境任務が与えられていたという記述がありました。

> このLRRP学校の全ての教官はProject DELTAの隊員であり、彼等は訓練の合間をぬって実戦にも従事していたため心身共に疲弊が激しかったからです。

これは、通常任務もさることながら、RECONDOスクールは3週間ほどの即席コースで、約130名の将兵が毎月2クラス実施されていたそうです。(しかも各部隊のLRPなどのチーム単位)
1週目は戦術・通信などの座学、2週目はヘリの潜入や離脱訓練、後半はパトロールの訓練に明け暮れたそうです。
3週目は5日間のジャングルでの実戦想定訓練を行い、晴れて卒業となります。優秀隊員にはダガーナイフが贈られたとのこと。

記録上では部隊で必要という事で、沖縄などで、即席空挺降下訓練(3日ほどでジャンプを終える最短コース!)を行ったりもした
LRRPスクールもあったそうな。

インストラクター役とはいえ、こんな訓練をハイサイクルでやっていたら疲労もたまりますね(^^;


そうそう、初期の頃第7によって行われていた「WHITE STAR」作戦の事が「SPECIAL FORCES THE FIRST FIFTY YEARS 」という特殊部隊50周年記念本に出ていまして、この作戦に参加した隊員のリストが出ているのですが、見てみるとBull Simons, Dick Medows, Charlie Beckwithなど、特殊部隊の有名人が皆参加していた作戦だったんですね。

Knob Turnerさんあたりは興味をひくかなと思えるネタが。
この資料本の作戦のページに作戦中の隊員の写真があるのですが、一人東洋人の隊員が映っています。「SP5 Kato」つまりは日系人のようです。この頃の初期の部隊にKatoという名前の隊員がいたみたいですが、リストにはその名前がないんですよ。
ちょっと興味深いですね。

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from: Knob Turnerさん

2010年12月11日 05時55分10秒

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「Re:系譜」
こんばんは〜

>予備役士長さん
そうでしたね^^
一番最初にヴェトナムの地へ足を踏み入れたのは、第1特殊部隊グループの前身の一つとなった第14特殊部隊作戦分遣隊ですね。ここでは、同分遣隊に所属していたHarry G. Cramer, Jr大尉が戦死し、ヴェトナム戦争における初の米軍戦死者となりました。
第7も当初は第77特殊部隊グループとして隣国ラオスで秘密作戦に従事しており、途中からヴェトナムへも関与。第5特殊部隊グループは当初からアジア・太平洋地域での作戦に投入する目的で創設されました。
そしてこれらの活動を調整するために設置されたのがUSSFV(在ヴェトナム米陸軍特殊部隊司令部)で、当初はこの指揮下で第1・第5・第7が6ヵ月交代で活動していましたが、後に第5が原則全ての作戦を担当することになり、任期も1年に延びました。


いわゆる“ギリシャ文字プロジェクト”については、
  B-50 Project OMEGA
  B-52 Project DELTA
  B-56 Project SIGMA
  B-57 Project GAMMA
の四つが存在していました。
そしてその元祖となったのが、一番最初のProject LEAPING LENAから発展したProject DELTAというわけです^^
Project LEAPING LENA自体はあくまでも訓練プロジェクトで、LLDB(南ヴェトナム陸軍特殊部隊)やCIDG(民間不正規兵防衛グループ。現地の少数民族を組織化した不正規戦部隊)が南ヴェトナム国内における機密度の高い長距離偵察任務を遂行できるようグリンベレーによる訓練を行うことが目的でしたが、やがてこの試みが本格化されると第5特殊部隊グループのBチーム(現在の特殊部隊中隊本部に相当)の一つであるB-52を指揮統制本部とするProject DELTAへと発展しました。
Project DELTAは徐々に規模を拡大し、独自のLRRP学校も設置して他の米陸軍歩兵師団、米海兵隊、豪軍SAS、韓国軍などにも高度なLRRP訓練を提供するなど傍目には大変な成功でしたが、当時の第5特殊部隊グループ司令官だった“ブラックジャック・ケリー”ことFrancis J. Kelly大佐は決して両手離しで喜ぶことができなかったといいます。何故なら、このLRRP学校の全ての教官はProject DELTAの隊員であり、彼等は訓練の合間をぬって実戦にも従事していたため心身共に疲弊が激しかったからです。
しかし、当時のMACV(在ヴェトナム軍事援助コマンド)司令官だったWilliam C. Westmoreland大将はより多くのLRRPを必要としており、また、常設的なLRRP訓練プログラムを望んでいました。そこで、Westmoreland大将はProject DELTAを様々な面から支援することと引き換えに、隊員の一部を引き抜いてMACV-RECONDO School(MACV偵察コマンドー学校)を創設し、自軍と友軍の将兵に引き続きLRRP訓練を実施しました。この学校が運営された1966〜70年の間で合計5395名が訓練課程に参加し、そのうちの3357名が卒業したそうです(この合格率からも分かる通りなかなかタフな課程だったようです^^;)。

で、話を本筋に戻すと、このProject DELTAをモデルとして少し遅れて開始されたのがB-50 Project OMEGAとB-56 Project SIGMAです。
いずれもProject DELTAと同じく南ヴェトナム国内のヴェトコン支配地域における長距離偵察や情報収集を目的としており1〜2年ほど存続しましたが、最終的には規模を縮小してMACV-SOGに吸収されました。

残るB-57 Project GAMMAは、縮小過程にあったProject OMEGAおよびProject SIGMAから複数の偵察チームが移管されて開始されたもので、おっしゃるとおり他のギリシャ文字プロジェクトとはだいぶん毛色が違います。CIAやフェニックス・プログラムとの関係が深いとされ、南ヴェトナム国内での秘密諜報活動や対敵諜報活動に従事していました。詳しい情報は今でもほとんど出ておらず、そういった意味ではMACV-SOG以上に謎が多い部隊です^^;
デルタフォース創設メンバーの一人で、情報将校を務めた日系のWade Ishimoto大尉がProject GAMMA出身でしたよね。

ちなみに、“オーヴァー・ザ・フェンス”と呼ばれた北ヴェトナム・ラオス・カンボジアなどへの越境偵察作戦を行っていたのはMACV-SOGのみで、これらギリシャ文字プロジェクトはあくまでも南ヴェトナム国内での活動に限られていたようです。

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from: 予備役士長さん

2010年12月10日 10時05分58秒

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「系譜」
おはようございます。
申し訳ありません、間違えて記事書く前の返信載せてしまいました。
後ほど削除しますね。


さて、偵察チームの話しですが、ベトナムには第1、第5、第7が派遣されていましたがこの中の第5は最大戦力として活動していました。

この中にB-50〜B-57(54は欠番)があり、それらは
Special Recon Unit
(特殊偵察ユニット)とされていたそうです。

この中の三つがPloject DELTA,SIGMA,GAMMAと呼ばれたラオス、カンボジアなどの越境作戦を行ったり、ガンマのように暗殺任務を行ったりしていたそうです。
(任務の性格上、ガンマの要員は北から賞金首扱いだったそう。)

他のユニットはそれぞれの地区のThin training center や 軍事支援チームの隷下のチームとなっていたそうです。

ちなみにベトナムでモーランド将軍が名付け親である「RECONDO」はプロジェクトデルタの下に偵察学校、いわゆる RECONDO School が創設されましたが、こちらを出てSOG配属のチームも特殊偵察チームが関わっていた例ですね。

余談ですが、今のレンジャーの前のベレーは黒でしたが、それはベトナムでレンジャーの前身であったLRRP(長距離偵察パトロール、のちにLRPからレンジャー中隊) の隊員が非公式で着用していたのが始まりでした。
軍用犬部隊も使っていました。

LRRPの中には、一緒に活動していたオーストラリアSASRに感銘し、同じベージュのベレーを被ったチームもあったそうです。

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from: Knob Turnerさん

2010年12月08日 00時30分13秒

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「系譜」
こんばんは〜

> グリーンベレーやCIAの創設を遡ると、必ずこのOSSが登場します。まさに源流と言える組織ですね(^_^)。
> 特殊部隊の創設の歴史や経緯を調べると、各国、各組織で事情が異なるので、とても面白いですよね。

そうですね^^
歴史や経緯という話に関係するネタでいいますと。。。
グリンベレーといえば『特殊部隊タブ』がお馴染で、特殊部隊タブは今や全てのグリンベレー隊員が持つ“特殊部隊員としての証”(厳密に言えばQコースこと特殊部隊資格課程を修了した証)ですが、実は場合によってはそれ以外の人間にも与えられることがあります。
米陸軍の特殊部隊(グリンベレー)やレンジャーでは部隊の歴史に関わる"Lineage"(共通の祖先につながる系譜関係を持つ血統・血筋・家系・一族という意味)という意識が強く、定められた要件を満たす場合は特殊部隊資格課程やレンジャー課程を修了しているか否か、また、それらの部隊での勤務実績の有無に関わらず名誉的な意味合いでタブが与えられます。

現在、米陸軍が定める特殊部隊タブ付与についての原則は大きく三つあって、下記のいずれかを満たせば特殊部隊タブが与えられることになっています。
 (1) JFK特殊戦センターが定める特殊部隊資格のための陸軍現役訓練を修了していること。
 (2) JFK特殊戦センターが定める予備役特殊部隊資格プログラムを修了していること。
 (3) その他、特殊部隊資格プログラムの実施を認められた部隊(=第1特殊戦訓練グループ)における課程を修了すること。

上記の通り、要は原則Qコース修了者にタブが与えられるということなんですが、補則として以下のような要件が存在しています。

・戦中戦後勤務について。以下の者にはさかのぼって特殊部隊タブが与えられる。
 (1) 1942年〜1973年の間、戦時に特殊部隊で勤務しており、かつ正式な教導プログラムを受けていない、または受けられなかった者。
 (2) 1954年以前(=第2次世界大戦中および朝鮮戦争中)に下記部隊のうち、いずれかで連続120日以上の勤務経験がある者。
   ・第1特殊任務部隊
   ・OSS第101分遣隊
   ・OSSジェドバラチーム
   ・OSS作戦グループ
   ・OSS海洋作戦部隊/戦闘泳者グループ
   ・第6軍特殊偵察隊“アラモ・スカウツ”
   ・第8240陸軍部隊
 (3) 1954年〜1975年の間(=主にヴェトナム戦争)、下記部隊のうち、いずれかで連続120日以上の勤務経験があり、かつ戦闘歩兵徽章または戦闘衛生徽章を授与された(=実戦経験がある)者。
   ・特殊部隊Aチーム
   ・マイクフォース(グリンベレーが率いた現地少数民族から成る機動攻撃部隊)
   ・特殊部隊偵察チーム(=Project DELTA等の特殊偵察チーム?)
   ・特殊部隊特別プロジェクトチーム(=MACV-SOG?)

なお、アラモ・スカウツは大戦中に太平洋戦線で活躍した部隊で、友軍捕虜救出や旧日本軍へのゲリラ攻撃で戦果を挙げました。第8240陸軍部隊は朝鮮戦争で特殊作戦に従事した国連軍パルチザン歩兵部隊のカバーネームです。

また、レンジャータブについても原則は『陸軍歩兵学校が実施するレンジャー課程を修了していること』が条件ですが、以下のような補則が存在します。
 (1) 第2次世界大戦中、第1〜6いずれかのレンジャー大隊または第5307臨時混成部隊(メリルズ・マローダーズ)に所属し、かつ戦闘歩兵徽章を授与された(=実戦経験がある)者。
 (2) 朝鮮戦争中、第8軍レンジャー中隊に所属し、かつ戦闘歩兵徽章を授与された者。
 (3) レンジャー訓練司令部が実施するレンジャー課程を修了した者。

第8軍レンジャー中隊は第8213陸軍部隊というカバーネームでも呼ばれており、大戦後に一旦は全て解散したレンジャー大隊の流れを汲む一番最初のレンジャー部隊として、朝鮮戦争における北朝鮮&中国連合軍のゲリラ戦に対抗するために再編成されました。この部隊を創設し指揮したRalph Puckett, Jr.大佐は、以前話題に挙がったレンジャー殿堂入りを果たしています。
また、レンジャー訓練司令部というのは朝鮮戦争中に短期間だけ存在した部署で、当時はこの指揮下に17個もの空挺レンジャー中隊が編成されて訓練を受け、順次、朝鮮戦争へと投入されました。後のレンジャー訓練再編の際にこの部署は陸軍歩兵学校レンジャー部門へと吸収合併され、その歴史は現在のレンジャー課程を実施運営しているレンジャー訓練旅団へと受け継がれています。

以上、長々と書いてしまいましたが、ちょっとした小ネタでした^^;

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from: H-2さん

2010年12月03日 13時59分57秒

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「Re:Re:石川県で行われたテロ対策訓練について」
こんにちは(^_^)。

George Vujnovich氏はようやく名誉回復がなされた、という感じですね。危険を冒して敵地に潜入し、任務を遂行したのに一切評価されなかった訳ですから、さぞ悔しかったのでしょう。

> まさに、OSSが今のアメリカにおける特殊作戦・諜報活動界の基礎を作ったと言っても過言ではないでしょう。

そうですね。グリーンベレーやCIAの創設を遡ると、必ずこのOSSが登場します。まさに源流と言える組織ですね(^_^)。

特殊部隊の創設の歴史や経緯を調べると、各国、各組織で事情が異なるので、とても面白いですよね。

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from: Knob Turnerさん

2010年12月03日 02時04分42秒

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「Re:石川県で行われたテロ対策訓練について」
こんばんは^^
お疲れ様です。

> テロ対策訓練
自分もニュースでいくつか画像を見ました。
当初は『虎の子』として秘匿扱いだったSATも、年々公の場に姿を見せる機会が増えていますね。
時にはこうやって“目に見えるカタチ”で内外に公開するのも抑止力という意味ではいいのかもしれません^^

さて、最近こんなニュースを見つけました。

◆元OSS隊員が66年ぶりにブロンズスター(青銅星章)を受章
第2次世界大戦中にOSS隊員として512人もの友軍パイロットを救出したGeorge Vujnovich氏(95歳)に対し、66年という長い月日を経てブロンズスター勲章が授与されました。
Vujnovich氏は東欧(セルビア)系アメリカ人だったため、当時のバルカン半島で対ナチス作戦を行っていた連合国軍航空隊の撃墜されたパイロットを救出するよう命じられて潜入し、現地の反ナチ勢力と協力しながら大戦中に延べ512人もの友軍将兵を救出しました。

しかし、非常に大きな功績であるにもかかわらずこの事実は戦後、冷戦終結まで公に語られることはなかったといいます。理由は、当時のユーゴスラヴィアで反ナチ抵抗運動を率いていたセルビア人司令官ドラザ・ミハイロヴィッチ将軍の協力を得ていたからだそうです。
このミハイロヴィッチ将軍は一応、反ナチ運動を指揮していたものの、基本的には反共主義者だったため同じく反共主義だったナチスドイツに対して積極的な抵抗はせず、それどころか同じくユーゴ内で反ナチ運動を展開していた有名なヨシップ・チトー(ユーゴスラヴィア史上最大のカリスマ指導者で共産主義者)率いるパルチザンと交戦することさえありました。そういった意味で、ミハイロヴィッチ将軍は反ナチ姿勢を掲げ連合国側に立ちつつも、どこかソ連の共産主義と戦うナチスドイツと共鳴していた部分があったため、この出来事をおおっぴらに称えるのは憚られたようです。

このように半世紀近くにわたって自らの功績が隠されていたことについて、Vujnovich氏は『当時の政治的な理由は理解しているが、それでも深く傷ついたし悔しかった』と述べています。
なお、ミハイロヴィッチ将軍は戦後すぐにチトーによって捕らえられ、連合国も彼の助命を求めましたが、それに応じなかったチトーによって処刑されています。

ところで、OSS(戦略事務局)といえば現在のCIAや米軍特殊部隊の起源として有名ですよね^^
グリンベレー(米陸軍特殊部隊)の基礎となったコンセプトはOSSのOG(作戦グループ)やジェドバラチーム(潜入工作班)ですし、SEALもUDT(水中破壊工作チーム)の他にOSSの海洋ユニットであった戦闘潜水員グループをルーツの一つとしています。
また、現代の米軍における特殊作戦創成期を支えた軍人や後のCIAで大物になる人物も大勢輩出しています。
まさに、OSSが今のアメリカにおける特殊作戦・諜報活動界の基礎を作ったと言っても過言ではないでしょう。

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