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独断と偏見で楽しむイタリア芸術

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  • from: シニョレッリさん

    2015年05月16日 07時47分51秒

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    傑作選(91) コッポ・ディ・マルコヴァルドの「ボルドーネの聖母」

    先ず作品を見て頂きましょう。

    225㎝×125㎝の板に描かれたテンペラ画です。
    この時期の作品の多くは、制作者と制作された年が分からないのですが、この作品は違います。

    写真が鮮明ではありませんが、作品の下の部分に彼の署名と1261と記されているのです。

    この作品ですが、シエナのサンタ・マリア・デイ・サルヴィ聖堂にあります。

    聖堂内部の右側廊の第二礼拝堂にあります。

    右の第二礼拝堂の祭壇にこの作品が置かれてます。

    聖堂ではコッポの没年を1280年としていますが、近年、研究が進んで1274年、シエナで没したとの説が有力とされてます。

    聖堂から見えるシエナの旧市街が絶景なので、行く価値が十分あると思います。

    さて、コッポ・ディ・マルコヴァルド Coppo di Marcovaldoですが、1225年、フィレンツェに生まれました。この作品が描かれた背景から察するに、フィレンツェでかなり有名な画家だったことが分かります。
    フィレンツェ派の画家であるコッポがシエナ派の創設者と言われるには理由があったのです。その理由がこの「ボルドーネの聖母」なんです。

    シエナは、12世紀に自治都市として独立し、13世紀から14世紀に最繁栄の時代を迎えますが、隣国フィレンツェとは覇権を争う宿敵の関係でした。
    1260年のシエナ、フィレンツェ間で戦われた有名なモンテペルティの戦いにおいて、コッポはフィレンツェ軍の一員として参加しましたが、シエナ軍の捕虜となってシエナの牢に移されてしまいましたし。
    牢から出される条件として、シエナから示されたのが立派な祭壇画を制作することでした。
    そうして制作されたのが、この作品と言われてます。

    ところが、作品が完成して牢から出されたのですが、コッポはフィレンツェに戻らず、シエナで工房を構えて仕事をするようになりました。その後、フィレンツェで仕事をすることがあっても、終生シエナに留まったのです。

    フィレンツェに生まれ忠誠を誓った、でもシエナに囚われると国籍を変え、シエナ派の創始者になった、真に興味が尽きない彼の人生です。

    このような背景を知った上で、この祭壇画を見ると実に味深いものがあります。

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