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  • from: 一久さん

    2009年08月31日 21時41分22秒

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    危うし!鳩山首相

    【待ち構える自民党の罠】鳩山首相が誕生することを、自民党は心待ちしているであろう。新政権が誕生し、大臣のイスを手に入れた”成金代議士”たちがおごりをみ


    【待ち構える自民党の罠】

     鳩山首相が誕生することを、自民党は心待ちしているであろう。
     新政権が誕生し、大臣のイスを手に入れた”成金代議士”たちが
     おごりをみせたころ、「そろそろ狩ろうか?」と動き出すはずだ。

     死人献金問題も、秘書賄賂問題も、解決した訳ではない。

     小沢氏の辞任と、衆議院選挙のゴタゴタによって、棚上げされて
     いるだけである。

     民主党は、「政策捜査だ」と非難していたけれども、実際はむしろ
     自民党の追及には遠慮があった。政権党が野党のスキャンダルを追
     求することは、恐怖政治への引きがねになりかねないからである。

     しかし、自民党が野党になり、鳩山氏が首相になったならば、もは
     やなんの遠慮もなく「権力者の不正」を追及することができる。

     下野したからこそ、より強力に追及することができるのだ。

     内閣総理大臣となった後に、このような追求を受ければ、辞任は必至
     である。追求をかわそうとすれば、「汚い内閣」とのそしりを受ける。

     たとえば、党首討論でも追求されるであろう。首相であるかぎり、今
     までのような適当な対応を許されまい。

     ゆえに、鳩山氏が今、取るべき最良の策は、首相にならず、後輩に党
     首の座を譲って一兵卒になることである。政権交代を実現した時点で
     私の役目は終わった、として、第一線を退くべきなのである。

     「玉の早逃げ8手の得」と言う。

     逆に、これをやられると自民党は困る。ここまで議席を減らした以上、
     スキャンダル攻撃以外に即効性のある対抗策は無いからだ。

     ゆえに、自民党は今、死体献金事件など忘れたかのごとく振舞っている。
     静かに、静かに、静かに、鳩が総理の椅子という名のトラバサミに座る
     のを待っている。

     危うし、鳩山総理!!

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  • from: 一久さん

    2009年08月31日 06時10分38秒

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    衆議院選挙2009 民主主義が自殺した日

    【8月30日という祈念日】「よく見ておくがいい!民主主義の自殺とはどういうものかを!」2009年8月30日という日は、日本の民主主義が自殺した日として

    【8月30日という祈念日】

     「よく見ておくがいい! 民主主義の自殺とはどういうものかを!」

     2009年8月30日という日は、日本の民主主義が自殺した日として
     記憶されることになるだろう。

     国民の審判に従うのが民主主義なのだから、問題ないのではないか?

     しかり、国民は決断したのである。民主主義でない政党に政権を渡す
     という決断を。民主主義はもういらないという審判を!

     民主主義の選挙とは、民主主義の自殺を可能足らしめるシステムである。


    【死ぬまいとして自殺する愚】

     民主主義を最終的に担保しているのは、政党内の民主主義である。

     これあればこそ、選挙の時以外でも、国民の声を政策に反映させ得る。

     それは、観念的な「国民の声」ではなく、個々の問題について政党内部
     からの指摘・検証・反対論が出てきて、政権政党の暴走を牽制するとい
     う意味である。

     かかる政党内民主主義の出来を競ってこその、民主主義の選挙である。
     であればこそ、どちらが勝っても問題はない。

     問題なのは、マスコミや国民がこのことを理解せず、政党内民主主義を
     持たない政党を、政権交代可能な政党だと信じてしまうことが往々にし
     てあるということである。

     これがすなわち、民主主義の自殺というものである。

     前政権に失望して、民主主義を持たない政党に政権を委ねるパターンで
     ある。死ぬまいとして自殺する、まさにその形である。

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  • from: 一久さん

    2009年08月30日 20時32分18秒

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    反省とはなにか

    【反省とはなにか】「過去の反省」という。戦前の日本の行為を反省せよ、という。反省しない者、自己正当化する者は、反省する勇気がない者だという。だが、「反

    【反省とはなにか】

    「過去の反省」という。戦前の日本の行為を反省せよ、という。反省しない者、自己正当化する者は、反省する勇気がない者だという。だが、「反省」とはなんだろうか。たとえば、贖罪意識旺盛で、謝罪しまくれば、反省になるのだろうか。そのことを考えてみた。

     反省とは、省みて思うことであるが、省みてなにを思うのであろうか。反省を未来につなげる為に行なうというのであるならば、それは、フィードバックでなければならない。つまり、目標致と実値との差を読みとって、修正動作を加えることである。なんのことはない、自転車の運転中に、誰もがしていることである。まっすぐ走ろうとしていても、バランスが微妙にくずれてどちらかに傾いたりする。それを無意識的に修正しながら、スーパーマーケットに買い物にいくではないか。それと同じことである。

     ゆえに、「反省」をする為には、「目標」がなんだったのかをまず見極めることが必要となる。大日本帝国は、なにを目標として、どういう理想を掲げて戦争に突入したのか。その理想自体は正しかったのか間違っていたのか。というところから考えなければならない。

    ヒットラーの理想は、あきらかに多民族には受け入れられないものであった。ゆえに、そのような理想を生みだした時点に遡って反省しなければならない。だが、日本の場合はどうであっただろうか。旧日本軍にも、政治家にも、多民族を虐殺することを目的とした者なぞ、いなかったはずである。

     幕末以降、日本が目的とし理想としたことは、日本を含むアジア各国の自主独立である。といっても、正義感のゆえにではなく、そうでないと日本自身も欧米に喰われかねないという恐怖感がその基にあるものだが。李氏朝鮮や清に対する、日本の初期外交は、まさにその為のものであった。しかし、彼らは日本の言う事を全く理解できず、福沢諭吉をして「これを野蛮といわずしてなんという」と言わしめたのである。

     「アジア各国の自主独立」という理想は、一点の非の打ち所のない「理想」であり目的であるといえよう。大日本帝国の戦争を反省しようとすれば、まず第一に、この理想を確認しなければならないのである。目標値を知らずに、フィードバックはできない。スーパーに行くか、コンビニに行くかを決めずに、自転車を走らせることはできない。

     ところがどういう訳か、「反省しろ」という人々は、この作業をしたがらない。理想はなんだったかを考えようとしない。「アジア各国の自主独立が理想だった」とでも言おうものなら、おまえは軍国主義者か、といわんばかりに噛みついてくる。彼らにとって、理想を語ること自体が許されざる行為なのである。しかしこれでは、けっして本当の意味での反省などできない。未来に役立つ反省には絶対にならない。

    理想が何であったのかを考えない反省は、目的地を決めずに自転車を漕ぎだすことと同じである。ゆえに、迷走し徘徊することになる。胡散臭さが芬々と漂ってくる。

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  • from: 一久さん

    2009年08月30日 20時31分31秒

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    教育論 序

    「教育論」序文教育は国の大事なり。国が興隆するも貧窮するも、国民の労働と判断に負っているのが民主主義社会というものである以上、国民の教育こそが国家盛衰


    「教育論」 序文

    教育は国の大事なり。

    国が興隆するも貧窮するも、国民の労働と判断に負っているのが民主主義社会というものである以上、国民の教育こそが国家盛衰最大の因であると知らねばならない。福沢諭吉いわく、天は人の上に人を作らず、しかれども、学ぶと学ばざるによりて貧富・潔卑の差、無限に大なり、と。

    アダムスミスいわく、国富は国民の労働によりて生じる、と。しからば、労働をする国民の質、その知識・技量・分別を高めることこそ、国富を増やす手段であること明白である。

    ゆえに、教育は国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからず。


    【青が赤くないといって責める】

    古今東西、教育論議は断えない。しかし、その多くは論議自体が噛み合っておらぬ。それはなぜなのか。それは、教育といってもその内容や目的が決してひとつではないからであり、多くの論者はそのことをも知らぬからである。

    例えば、イギリスが衰退したのは大学の居心地がよくて学界に優秀な人材が居残るようになってしまったからであるという説がある。学者にとってのイギリスの教育は最高ということだろう。アメリカからは日本よりもはるかに多くのノーベル賞受賞者が出ている。ならばアメリカの教育こそが最高なのか?北朝鮮や中国では、洗脳教育によって国民を「みごとに」統制している。これこそが最高の教育なのかもしれない。

    このように、教育とひとことでいっても、実は同じものを意味していない。絵画は様々な色で作り上げられているのに、個々の色について分析を行なわず、自分が見ている色だけについて主義主張を述べあっているのが現代日本の教育論議である。

    青を指さして「赤くないからイカン!」と言っているようなものだ。

    これからシリーズで教育について述べようと思う。

    教育という言葉は、多数の異なった「教育」の混濁物である。まずはその構成物質を解きあかして、ひとつずつに検討を加える。その成果を以て、現状の構成を分析し、どこがどう問題なのかを解明する。最後に、理想的な構成はどういうものなのか、そしてその実現の為にはなにをすればよいのか、具体的な施策を考える。



    シリーズ 教育 その1 一久


    【分割して考える】

    「群盲、像を撫でる」という。 細かく分断して考えるよりも、ひと目見たほうが確かであるということを言っているのであろう。しかし、科学は「群盲像を撫でる」でなければならない。

    なるほど、ひと目「像」を見れば、誰もが像とはこんなものかと納得いく。しかしそれはあくまでも像を見た個人の主観として像という動物を捕らえたにすぎない。

    像を見慣れた人には小像は小さい像だと思えるが、像を見たことのない人にとっては小像でも犬よりもはるかに大きい。像ってこんなにでかいのか、と思うだろう。

    これに対して「群盲」式科学的見方では、体長は何メートル、体重は何キログラム、生後何カ月、爪の形はどう、といった見方をする。誰がみても、3mの像は3mである。客観的事実を共有するためには、このような分析的な見方が必要なのである。


    【「教育」を腑分けする】


    では本題に入ろう。これから、教育という言葉を腑分けする。国家が施す教育には、目的の異なったいくつもの部類が存在する。それらを具体的に指摘することからはじめよう。

    まず、第一に国民はどうあるべきか、人と社会はいかにあるべきかを教えることを目的とする教育、すなわち、道徳教育がある。「いかに生きるべきか」ものごとの是非善悪を教えなければ、社会は決して平穏にはならぬ。決しておろそかにはできないものである。

    第二に、実際に社会で生活するための知識を持たせるという意味での教育がある。いわゆる「読み書きソロバン」である。

    第三に、実社会において成功し地位や富有や名声や熟練の技術を獲得するための教育がある。ホタルの光にいう「♪名を挙げ身を立て夜々励めよ」というやつだ。

    第四に、金や名誉ではなく純粋に学究に打ち込む人を育てるための教育がある。

    以上、「道徳」「生活」「技術・知識」「学究」、少なくとも、この四つの種類を内包しているのが「教育」というものなのである。

    これらの区別を考えにいれずに教育論議をするから、ある人は読み書きソロバンを、といい、あるひとはそれでは国際競争力が低下するといい、あるひとは道徳教育が大事だという。まるで話がかみあわなくなる。けだし、当然のことである。


    シリーズ 教育 2


    【道徳教育】

    人はいかに生きるべきか。それを教えるのが道徳教育である。

    しかし、考えてみればこれほど難しいものはない。なにが人として正しいのか本当のところは誰にも分らないのであるから。

    ゆえにこそ、宗教というものがある。神仏による教えを持ち出して、正しさの根拠にしようとするのである。

    日本人には馴染みのないこの手法だが、ムスリムなどにとっては自明のこととされる。逆に彼らはいう。神の教えでないのだとしたら、その「定め」が正しいかどうかをどうやって判別するというのか? と。

    ここに、日本人の無宗教性を解く鍵があるのかもしれない。日本人は人間の常識によって、「正しいかどうか」を判断できると信じている。

    クルアラーンも、聖書も仏典も論語もブードー教の教えも、すべて人間の常識という量りによって計測され、良きものは取り入れ、そうでないものは排除される。それが日本人の宗教との関わりかたである。

    ゆえに、日本には宗教は根付かず、しかし排除もされず、宗教の百貨店のような状況になる。神が正邪を決めるのではなく、人間が正邪を決めるのである。

    人はいかに生きるべきかは、またその国の歴史・文化によっても変わってくる。時代の要請によっても変化する。

    「道徳の時間」といえば、学校授業の付録みたいな扱いを受けているのが現状であろうけれども、本来これほど重要なものはないといえる。

    例えば、自由の意味、民主主義の意義、平等と不当差別、他人に対する配慮と自己主張の関係etc、授業において考えさせ、自分なりの答えを求めることをさせねばならないものが数多くある。

    歴史の時間にフランス革命について習ったぐらいで、なんで自由や民主主義の意味が分ろうか。道徳教育こそは、大一義的に重要な授業でなければならないのである。

    日本の歴史と伝統・文化に根ざしながら、世界中の哲学・宗教・倫理を加味して「人としてどうあるべきか」を明らかにするテキストを作り教授することが必要なのである。

    江戸時代、武士は庶民から尊敬されていた。武士だけが高い倫理性をもった教育を受けていたからである。


    シリーズ 教育 3


    生活の為の教育

    これは社会生活を送るために必要な教育、いわゆる「読み書きソロバン」である。しかし、現代社会においては、その知識量は単純な「読み書きソロバン」ではすまされない。

    少なくとも、新聞に載っている物事の意味を把握できるぐらいの基礎知識を習得させなければ、生活に必要な知識を与えたとは言えない。
    例えば、ケインズ理論の基礎を知らなければ、経済面の公定歩合がどうのという話を読んでも理解できまい。

    微分・積分を知らなければ、ちょっと高度な試験を受験する気にもならなくなる。英語を全く知らなければ、ダンボールに書かれた外国の社名さえも分らない。

    漢書や古文のいくつかぐらい知らないようでは、ちょっと高尚な話にはついていけなくなる。

    この生活のための教育というものは、このように広範かつ高度なものなのであり、決して安易なものではないのである。


    第二に、人の生活は、現状維持だけではなくて、より以上の生活を目指し改良を求めるという行為も内包している。そのためのキッカケを与えること、及び、より上位の知識・技能を習得する為の基礎知識を習得させることもまた、生活のための教育に含まれるべきなのである。

    ここで教師は肝に命じておくことがある。それは、学校で教え得ることは、あくまでも知識世界の一端にすぎず、真の学習は個々人の興味によって生徒自身が自ら進んで行なうものだということだ。

    教師のすべきことは、できる限り多くの知識を生徒達に触れさせ、興味を持てる対象を見つけ出させること、そして、それを学ぶのに必要な基礎知識を習得させること、なのである


    シリーズ 教育 4


    【技術・知識習得のための教育】

    これは知識を技術を習得して、より高い収入や技量を得ることを目指す人のための教育である。

    国家としては、このような高度な能力を持った人間が増えることは歓迎するべきものであり、そのことによって経済的にも文化的にも発展を期待できる。

    ひとり高度技術者の生活向上のためだけでなく、その人が技術を得たことによる波及効果によって、回りの普通の人々の生活もまた改善されるのである。

    食堂のオバチャンが講習会で新しい接客や料理方法を身につけてきたら、その店は繁盛し彼女の収入もアップすると同時に、その店の客はより美味い飯を喰うことができるようになる。

    国民ひとりひとりの能力が上がれば、社会全体が豊かに、暮らし易くなるのである。これこそが、識技習得のための教育の目的である。

    その対象は、なにも即物的な技術に限るものではない。例えば文芸の知識もその対象となり得る。ありとあらゆる技芸や知識を学習・習得できる環境作りが必要である。

    インターネットの発達は、それを容易にしていくことだろう。

    第一部 総括

    以上、教育とはなにか、その種別について述べてきた。様々な目的を持った教育があり、それぞれになすべきことがあるということが分ったと思う。

    次は、現実の日本の教育について考える。現代日本の教育の問題、それは言うまでもなく「受験」である。教育問題とは受験問題のことだ、と言っても過言ではない。すべてはここから始まり、ここに収束している。

    それぞれに成すべきことがあるはずの多々の教育が、互いにすべきことを出来ないでいる最大の原因もまた、「受験」である。

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  • from: 一久さん

    2009年08月29日 21時24分44秒

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    選挙とは政党の民主主義を問う行為

    【マニフェストに意味は無い】ロシアのような国の”選挙”は別にして、民主主義の国における選挙とは、各政党や候補者の「民主度」を問う行為でなければならない


    【マニフェストに意味は無い】

     ロシアのような国の”選挙”は別にして、民主主義の国における
     選挙とは、各政党や候補者の「民主度」を問う行為でなければな
     らない。

     すなわち、自分が選ぶ政党(もしくは候補)が、権力を得た後も、
     よく国民の意見を聞き、自説を検討し、改めるべきは改めること
     ができるかどうかということを基準にして投票しなければならな
     いということである。

     そうでないと、選挙のときだけ景気の良い話をして、政権とたっ
     ら増税だ、ということになりかねない。

     ゆえに、マニフェストなどには意味はない。マニフェストを作る
     過程において、政党内でどのような検討をしたのか、マニフェス
     トを実行する際に、いかにして現実的な対応ができるかこそが大
     事なのである。

     TVも新聞も言うではないか、マニフェストが実行されるかどう
     か(大増税なしに)疑問である、と。

     これまさに、すべての政党の政党内民主主義に疑念があるという
     表明に他ならない。

     ただ彼らの困った点は、だから政党内民主主義が大事なのだ!と
     叫ばないということである。まさか、こんな簡単な答えが分から
     ないとは思いたくはないのだが・・・

     どの政党が、より自由な意見交換をし、より厳しく検討を加え、
     反対意見をも万一の失政した場合の為に整備しておく、というよ
     うなことをやっているかどうか、それを報道し投票の基準としな
     ければならない。これこそが、マスコミの真の役割である。

     

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  • from: 一久さん

    2009年08月28日 06時45分10秒

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    まず政権交代、という楽観的破壊論

    【そして損害と絶望だけが残る】民主党に政治を任せてみて、そのダメぶりを露呈させればよい、という戦法は、責任ある者の採るべき方法ではあるまい。また、その


    【そして損害と絶望だけが残る】

    民主党に政治を任せてみて、そのダメぶりを露呈させればよい、という戦法は、
    責任ある者の採るべき方法ではあるまい。また、そのような自体を期待する者は
    マゾヒストにして、破壊すればなんとかなるという根拠の無い楽観主義であろう。

    破壊のあと、何の教訓も進歩も見せず、絶望と損害だけが残るという事態にいたる
    ことのほうが、実は多いように思う。近衛文麿は、東条秀樹がボロを出すか、逆に
    「大人になる」と思って政権を任せたが、東条は戦争に突っ走った。新進党を主
    とする連合政権がなにをもたらしたか。その後の社会自民の野合政権がどういうも
    のであったか。あれが良かったといえるのかどうか。

    大事なことは、政権交代ではない。政党政治のおける政党とはどうあるべきなのか
    ということを常に模索することこそが、政党政治の根幹なのであるということを、
    万民が知ることこそが大事なのだ。政権交代はその為の審判にすぎない。サッカー
    の審判は、権威をもっているけれども、ワールドカップ・サッカーのレベルを高い
    次元に留めているのは、各チームの選手とスタッフの超人的な努力なのだ。どっち
    のチームが勝とうが負けようが、ワールドカップ出場チームのレベルがすばらしい
    ことに違いはない。どっちが勝っても、政権を担当することを安心して任せられる
    のである。

    【失敗に学ぶことができるかどうか】

    政党はいかにあるべきか。これを第一義として認めない者は、国政をしくじった
    場合にも、決して何も学ぶことはない。個々の事象を列挙して、失敗の原因はそれ
    らにある、というのみである。

    一般国民もまた、新政府の失敗を怒り、かつ、旧政府に戻さねばならないことを
    嘆くのみである。なんの進歩もそこにはない。あるはずもない。なにをすべきかを
    誰も考えようともしていないのだから。

    【家ととのって後、国治まる】

    一個の政党を治めること、それは一国家を治めることと同義である。

    政党内部において民主主義を確立することができ、広く天下の英知を集め、正しき
    施策を決定することができる政党であるならば、国家の運営もまた可能である。

    そのような政党同士が選挙で闘うのであれば、国民は政治などに構うこともなく暮ら
    しを楽しむことができるであろう。政治を語るのは、単にそれを好む者だけになる。

    二大政党の争いとは、どちらがこの境地により近づくことができるかということを
    その焦点としない限り、決して実のあるものになることはない。

    しかるに、なんぞや。一言半句といえども、マスコミがこのことに言及したであろ
    うか。自民党も民主党も、なにごとかを語ったであろうか。

    自民党は、一応は政党内民主主義のようなものを持ってはいる。だが、それは偶然
    の産物にすぎない。利権というノリによって保たれたバランスにすぎない。

    だが、民主党にはそのような汚物さえもない。

    いま。民主党がすべきことは、政争などではなく、党内に民主主義を確立すること
    こそなのであるが、選挙で大勝してしまった後では、もはやそれは不可能であろう。
    勝ちすぎた首脳部に対して、党内改革を言える者など誰もいないからだ。


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  • from: 一久さん

    2009年08月28日 06時41分55秒

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    政権交代しても  二大政党制ではない

    【衆院選に勝って、二大政党制をというが】残念ながら、今の民主党は民主主義の政党ではない。民主主義の政党でないということは、国民全体を代表する「大政党」


    【 衆院選に勝って、二大政党制をというが 】

    残念ながら、今の民主党は民主主義の政党ではない。民主主義の
    政党でないということは、国民全体を代表する「大政党」でもな
    いということであるから、衆院選に勝っても二大政党制になるこ
    となだ有り得ない話である。

    「 選挙をすれば民主主義 」ではない。選挙の結果、民主主義の
    政党が勝利したときだけが民主主義である。

    多数の議員が所属する政党が二つあることが二大政党制なのでは
    ない。国民全体の意見を代弁できる民主主義の政党が二つ以上あ
    る状態こそが、二大政党制なのである。

    民主党に政権担当能力がないと言われる根本原因は、個々の政治
    家の未熟にあるのではなく、民主党内部において様々な意見を闘
    わせ、政策を決定していく行為、すなわち、政党内民主主義の萌
    芽がまったく見られないからである。

    今回の辞任と慰留の騒動の結果、その懸念は強まりこそすれ、弱
    まることはない。以前から風前の灯火のごときものであった民主
    党の民主主義は、いまや完全にご臨終を向かえたのである。

    このような政党が衆議院で勝利し、政権党となることは、日本国
    の民主主義が死滅することを意味する。決して、二大政党制が確
    立することを意味するのではない。

    なぜならば、民主党はもはや民主主義者の政党ではなくなったの
    であるから。

    選挙の結果、民主主義の政党でない政党が政権を握ることはある。
    ヒットラーしかり、多くの途上国しかり、である。日本の民主主
    義は、二大政党制を僣称する反民主主義者の手に握られることに
    なるのだ。

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  • from: 一久さん

    2009年08月27日 22時32分37秒

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    地方の時代

    真の地方の時代へ「万事塞翁が馬」である。田中角栄的手法によって膨大な国費をせしめることに成功した地方は、それと引き換えに自主独立の気概を失ってしまった

    真の地方の時代へ

      「万事塞翁が馬」である。

     田中角栄的手法によって膨大な国費をせしめることに成功した地方は、
    それと引き換えに自主独立の気概を失ってしまった。

    金を得た代わりに、精神を汚染されてしまったのである。

    鹿児島県などはもっとひどい状態になっており、地元新聞の社説でさえ
    もが、ふた言目には「国の援助がなければ」と繰り返すのである。

    こう書くと「そんなことをいっても、実際のところ国の援助がなければ。。」
    という声が聞こえてきそうだ。

     しかし、である。

     「国造り」は国家の援助などなくとも出来る。

     必要なのは、自主独立の精神と、自由な裁量権である。

     資本や予算などは、どうとでもなる問題である。なぜならば、規模の小
    さい地方は、それに応じた事業を考えればいいだけのことだから。

    全部の県がディズニーランドを作る必要はないし、それは不可能だ。
    だが、「玩具ランド」ならば作ることが出来る。

    「丸ビル」を作ることはできなくても、ジャパネットなら作ることができる。

     大企業に大企業の事業があり、中小企業に中小企業の道があるように、
    地方には地方の戦いかたがあるのだ。

     このことを理解させ、個々人の創意工夫を引き出すこと、これこそが地方
    の政治に必要なことなのである。

    国に泣きついているばかりが能ではない。

    「そんなことを言っても。。。」と、また聞こえてきそうだ。

     福沢諭吉いわく、

     人の心は、これほど弱く小さなものはないが、集まればこれほど強く大き
    なものはない。

    補助金漬けの人々の意識を変えていくことは、恐ろしく困難なことだ。
    だが、やらねばどうにもならないのである。

     村おこしの元祖、北海道池田町で大分県の職員が聞かされた言葉は、
    「人の意識を変えることが一番大事」というものだった。

    かくして大分県は一村一品運動に乗り出していく。

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  • from: 一久さん

    2009年08月27日 22時29分45秒

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    民主党と民主主義

    民主党政党内民主主義を持たない政党には、政権運営を任せるわけにはいかない。それは、民主主義の自殺を意味する。選挙の結果、専制政治の政党が勝てば、専制政

    民主党

     政党内民主主義を持たない政党には、政権運営を任せる
    わけにはいかない。それは、民主主義の自殺を意味する。
    選挙の結果、専制政治の政党が勝てば、専制政治になる。
    その可能性を否定せず、あえて選挙という審判を受けるのが
    民主主義の選挙である。その選挙において、民主主義の政党
    が勝った場合のみ、その国は民主主義の国となる。

     難しくとも、党内での議論を尽くし、結論を出すことによって
     こそ、民主主義の政党のあるべき姿に近づくことができると
     いうものなのだ。

     とはいっても、とくに旧社会党系の人々が少なからず入り込
     んでいる民主党で、私のいうような党内民主主義を確立する
     ことは難しい。

     というよりも、彼らや彼らに近いリベラルを信条とする人々に
     は、政治が決定の為にあるということが理解できないようで
     すらある。

     そのうえに、元自民党の人々の「現実路線」も加わるから、党
     で討議をして決めるというスタイルから、どんどん遠ざかる。

     では、どうすればよいのか。

     彼らには、党内民主主義という理論は理解できないのであるから、
     いっそのこと、理解させることは諦めて、形から入ることにすれば
     よい。

     つまり、影の内閣ならぬ、影の国会を作り、民主党の政策はその
     「民主党国会」で決定することにすればよい。

     一般党員から選ばれた千人程度の「下院」と、国会議員からなる
     「上院」を作るとか。

     さらに、地方組織も同様に党員有志からなる議会で運営を討議す
     るようにすればよい。

     民主党が独自の国会を作り、審議する。

     党内で様々な意見が対立している政党であるから、本当の国会よ
     りも面白い議会になるかもしれない。

     「民主党国会」をまずは作れ。 

     そうだ。

     屋根には「鳩」を飾ろう。

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  • from: 一久さん

    2009年08月26日 21時42分26秒

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    雑多なマニフェスト 2 沖ノ鳥島に100万都市を作る

    【沖ノ鳥島に海上都市を建設する】日本最南端の島である、沖ノ鳥島の環礁を包囲する形で、人工地を造成し、100万人都市の建設を目指す。人工基盤であっても、

    【沖ノ鳥島に海上都市を建設する】

     日本最南端の島である、沖ノ鳥島の環礁を包囲する形で、人工地を
     造成し、100万人都市の建設を目指す。

     人工基盤であっても、百万人もの人間が住む都市ともなれば、領土
     としての既成事実が出来上がる。そのような多数の人命を保護する
     為には、国土に順ずる防衛・経済上の権利があらねばならないから
     である。

     第一期工事として、4000m級滑走路を持つ空港と、それに隣接
     する100万トン級の港湾施設を作る。

     次に、環礁を取り囲むように、人工基盤を作り、高層住宅地・工業
     商業用地、農業用地を作る。

     第三に、宇宙港を作る。

     宇宙港は、赤道に近いほど有利であり、日本最南端の沖ノ鳥島は、
     日本国内では最高の地の利を持っている。

     宇宙港としての百万人都市なのである。

     リニアカタパルト等による、宇宙航空機用の打ち上げ設備、帰還用の
     10km級滑走路もここに作る。

     _____________________________________________

     言うまでも無く、太陽光発電、風力・波力発電によるエコエネルギー
     都市でもある。南海の孤島という条件は、日本本土よりもはるかにこ
     れに向いている。

     豊富な日照量・高い気温を利用して、人工農場・人工漁場の開発も
     進める。食料自給率100%を目指すことになる。

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