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  • from: シニョレッリさん

    2013年06月08日 17時15分38秒

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    リナシメント芸術家(36) アンティヴェドゥート・グラマティカ

    今回はバロッコ初期に主にローマで活躍した、不運な画家アンティヴェドゥート・グラマティカを取り上げます。
    「リナシメント芸術家」では1200年代から1700年頃までの芸術家が対象ですが、表題が長くなるので単にリナシメントとしています。

    Antiveduto Gramatica(1571ローマ生まれ~1626ローマで没):彼はシエナ出身でローマ生まれ、少し変に思われるかも知れませんが、シエナ居住の両親がシエナからローマに旅行中にローマで生まれたからで、シエナで育ちました。
    画家を志した経緯は不明ですが、ペルージャ出身の画家・エッチング画家ジョヴァンニ・ドメニコ・アンジェリーニに師事しておもに銅版画を学びましたが、何時しか小画面の肖像画を得意にするようになりました。写真のない時代ですから、貴族やお金持ちは競って自分の肖像画を描かせましたが、彼は肖像画制作を通して多くのパトロンを獲得し、早くも21歳の1592年に自分の工房を構えることができました。
    その翌年の1593年、ミラノからローマに来たものの、中々仕事に恵まず不遇をかこっていたミケランジェロ・メリージ通称カラヴァッジョがグラマティカ工房に加わりました。カラヴァッジョと彼は同い年だったので、弟子ではなく共同制作者として加わったと思われます。
    彼はカラヴァッジョの才能と力量を直ぐに見抜き、やがてカラヴァッジェスキとなったのです。恐らく彼が最初のカラヴァッジェスキと思います。(ここまでは事実で、以下は別の説もあります)そして、フランチェスコ・マリア・デル・モンテ枢機卿をはじめとする自分の有力なパトロンをカラヴァッジョに紹介してやったのです。こうしてカラヴァッジョはローマに於ける有力者の知己を得て、注文を得ることができたという説があります。
    1593年。アッカデミア・ディ・サン・ルカ(ローマの画家ギルドみたいなものです)の会員に選ばれ、1624年アッカデミアの最高位を得て順風満帆が画家生活を送っていましたが、落とし穴が待っていました。芸道上の敵トッマーゾ・サリーニがアッカデミア所有のラッファエッロの祭壇画をアンティヴェドゥートが売却しようとした、と訴追したのです。サリーニの悪巧みは見事の成功し、アンティヴェドゥートはアッカデミアから追放され、やがて悲憤の中で没しました。

    アッカデミア・サン・ルカです。当時のままの建物です。
    では、彼の作品を見てみましょう。

    「テオルボ奏者」です。テオルボはリュートに似た楽器で、当時のイタリア・オペラではよく漬かられました。トリノのサバウダ美術館にあります。

    プラート市立美術館所蔵の「聖女ウルスラ」です。

    フィレンツェ、パラティーナ美術館所蔵の「聖家族」です。

    「ゴリアテの首を持つダヴィデ」です。ジェノヴァのパラッツォ・フェッラーリにあります。

    彼の作品を展示している美術館はこの他にも幾つかあるので、目にした方が多いと思います。やはりカラヴァッジョの影響が強い画風だったことが分かりますね。
    これ以上、作品画像が見つからないので、この辺でこの項を終わることにしましょう。

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