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カジュアル哲学 (続)

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  • from:倭寇の末裔さん

    2011年02月28日 11時00分53秒

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    友と簡単に言うが (12)

     これらの言葉は、それぞれの経験に基づいたものであろうから、これらの発言者の持つ特殊事情というものが含まれていると思う。その特殊事情とは、皆発言者が有名人であるということである。
     有名人だから、「何か得になる」と思って擦り寄ってくる人が多い、ということは多かろうし、それにうんざりさせられていたから、こういう発言をしたということはあろうと思う。
     この点は割り引いて考えても、かれらが言っていることの真理性は変わらないと思う。
     「落ちぶれて袖に涙の掛かるころ、人の心の奥ぞ知らるる」という和歌があるが、くそ蠅が糞の匂いに寄ってくるくるように、得になりそうなときには友達顔して寄ってくるが、落ちぶれると途端に寄り付かなくなる、というのも事実である。
     これを非難することは出来ない。それが普通の人情というものだからである。
    ・友達不要説もある

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  • from:倭寇の末裔さん

    2011年02月27日 08時23分32秒

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    友と簡単に言うが (11)

    ・友人に関する疑問の説が多い
     古今東西の識者のこ言葉を徴すると、友人関係を賛美する意見よりも、それを疑問視する意見が圧倒的に多い。
     そのいくつかを紹介してみよう。
    「世間の人が友愛と呼んでいるものは、ただ、社交欲望の駆け引きであり、親切の取替えっこに過ぎない。結局、自愛が常に何かの得をしようとする一種の取引に過ぎない」(ラ・ロシュフ-コ-)
     「友情とは、誰かが小さな親切をしてやり、お返しに大きな親切を期待する契約である」(モンテスキュ-)
     「お互いに友人だと言っても、それを信じるのは愚か者。この名ほど世間にありふれたものはなく、その実ほど天下に稀なものはない」(ラ・フォンテ-ヌ)
     「三人の信用するに足る友がいる。老妻、老犬それに貯金だ」(ワシントン)
     「友人は貴方のためでなく、自分の利益のために忠告する」(トルコの諺)

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  • from:倭寇の末裔さん

    2011年02月26日 09時29分59秒

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    友と簡単に言うが (10)

     友達がいない、ということは、人に疎まれるとか、嫌われているからであろうか。そうではない場合が多いと思う。
     いじめの標的になっていて、「シカト」でもされている子は別として、嫌われ者同士で友達になってグル-プを作っている場合もある。人に好かれない子でも全員から好かれないことは考えにくい。偏屈者同士でも友だちになっている。「牛は牛連れ」なのである。
     ショ-ペンハウエルは、「社交性があって、誰とでも友達のような付き合いをして、人気者だとされている者は、概して軽薄者で、皆から、腹の中では『調子のいい奴』と軽蔑されている者だ」と言っているが、経験的にも当たっていると思う。
     そういう人は、友達を沢山持っていると思っているのであろうが、「誰の友にもなろうとする者は、誰の友でもない」(プ・フェッツェル)ということなのであろう。
     能力の高さを皆が認めている人は、敬遠されて近寄ってこないということもあるのである。そういう場合は「孤高型」の人であれば、友人は出来ないということになる。

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  • from:倭寇の末裔さん

    2011年02月25日 07時33分40秒

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    友と簡単に言うが (9)

    ・友達は多い方が良いか?
     世間一般には、友達の数が多い方が良い、という「友達信仰」みたいなものがある。
     今やケイタイは子どもの世界にまで浸透しているが、子どもたちの間では、自分のケイタイに登録している友達の数を競い合う風潮があるという。
     中には100名以上のアドレスを登録して得意になっている子もいるらしい。こうなると、切手収集やキイホルダ-収集癖と同じだが、ケイタイの場合は、費用は別としても、相手と交信する時間が増えるだけ、勉強の邪魔にもなるという困った問題があるのだ。
     殺人事件などが起こると、容疑者のプロフィ-ルが新聞に掲載されるが、「友人が一人もいない孤独な男であった」など、友人がいないのは悪いと言わんばかりか、それが犯行の一つの要因であるかのような報道がなされることがある。
     何故そんな「友人信仰」があるのであろうか。友達がいないことが、変わった人間だということになるのだろうか。

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  • from:倭寇の末裔さん

    2011年02月24日 07時32分39秒

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    友と簡単に言うが (8)

     このように、幼児期には、友達は遊びのなかから自然発生的に生まれてくるが、少年期になると、友達の選び方も出来方も個性化されてくるのである。
     日本経済新聞が行った10年の調査によると、親友と称する友が出来たのは10歳から20歳までの期間が50%、21歳から30歳までが20%であるとされている。
     つまり、親友だと思える友達ができたのは学生時代までが70%以上となっているのである。
     それには、それなりの理由があると思う。
     この時期は、個々の性格面では、ほぼ完成されているが、まだ親掛かりの年代で、仕事の上での駆け引きや金儲けや出世競争などの、世俗的な手垢はまだ付いていない時期だから、本当に純粋な裸の付き合いによって、肌の合う同士が純粋な親しい交りを形成することが出来ていた、と感じているのであろう。
     そこにこそ、親友関係というものの真理がひそんでいると思うのである。

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  • from:倭寇の末裔さん

    2011年02月23日 07時25分30秒

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    友と簡単に言うが (7)

     真面目ではあるが、生真面目ということでもない。少年らしい悪戯もする。勉強は好きで、成績も良いから、他からは一目置かれており、孤立してもいない。孤立を好むわけではないが、寂しがりではないから、自分から近づいていって、積極的に友達を作ろうとはしないのである。その必要性を感じないのであろう。
      こういう人は、自分に寄ってきて、親しくしている友達とも、喧嘩したわけでも、絶交宣言したわけでもないのに、いつの間にか離れてしまうのである。
     「孤立型」はそんなタイプである。
     「迎合型」は違う。自分から近づいていって、近しくなると、用があってもなくても、こまめに連絡をとり、そつながりが途切れないようにするのである。そうしないと心細くていられないからである。
     その点、「孤高型」は、独りでいても寂しくないから、本を読んだり、ものを考えたり、ものを書いたりしている。
     

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  • from:倭寇の末裔さん

    2011年02月22日 07時44分13秒

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    友と簡単に言うが (6)

     高校生くらいまでは、友達を持つ意味ととして「遊び的要素」はまだ残るが、それは、次第に気の合う「話し相手」としての意味が強くなってゆくのである。これは大学生、社会人となっても変わらない。
    ・年齢により友達の作り方も変わる
     幼児期の友達は自然発生的である。遊んでいるうちに、好きな同士が仲良くなるのである。
     しかし、子どもも成長するにつれて友達の作り方というか出来方も変わってくる。これは大きく分けて二つある。
     ひとつは、自分に寄ってくる者とは親しくなり、友達にもなるが、自分からは進んで寄ってゆこうとはしないパタ-ンである。
     いまひとつは、誰にでも自分から寄っていって、拒絶されない限り友達になるパタ-ンである。
     前者は友達が少ない、後者のほうが友達は多いのは当然である。
     前者は「孤高型」後者は「迎合型」とでもいえるであろう。
     といっても、「孤高型」はお高くとまっているわけではないし、人嫌いとか社交性がないということでもない場合が多い。

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  • from:倭寇の末裔さん

    2011年02月21日 12時13分59秒

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    友と簡単に言うが (5)

     こういう話を聴いたことがある。
     皇族の子どもが学習院に入学すると「ご学友」が決められる。その際、のご学友は、皇族の子どもの資質レベルより一段低い子どもが選ばれるのだという。これは実際に、皇族のご学友であった男からい聞いた話だから信用できると思う。
     つまり、皇族の子どもだから、常に人の上に立っていられるような環境に置くようにするためであろう。
     「三つ子の魂百まで」と云うが、小さい頃に何をプリンティングするかが、将来を左右するのである。
     幼児期の友達作りは、その大きな要素なのである。
     小学校も学年が上がってくるにつれて、子どもは、部活や塾、習い事などで、仲間は沢山できるであろうが、それはあくまで、一緒に学んだり、プレ-したりする仲間であって、そこで友達ができるかどうかは別である。
     仲間の中から、友達になる子もあろうが、それはほんの一部であり、友達が出来ない場合が多くても不思議はないのである。

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  • from:倭寇の末裔さん

    2011年02月20日 09時56分01秒

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    友と簡単に言うが (4)

    ・年齢により変わる友の意味
     友達が絶対に必要な時期というものがある。
     それは、とりわけ幼児期から小学生くらいの年代である。特に幼児期には兄弟があっても、他の子どもと遊ぶ機会を沢山作ってやることが必要である。
     遊び方を覚えたり、喧嘩したり、玩具の取り合いをしたり、ぶったり、ぶたれたりしながら、喜びや悲しみ、痛み、いたわり方、仲間でのル-ルなどを学習する機会になるからである。
     幼児は、こだわりがないから、誰とでもすぐに友達になれるのである。人生の中で、最も友達が出来易い時期である。
     子どもが成長して、小学生、中学生、高校生と成長するにつれて、個性がはっきりしてくるから、自分の好みに合わせて友達を選ぶようになってゆく。
     子どもも小さいうちは、遊び仲間も友達も区別はないが、次第に仲間と友達は区別されるようになってくるのである。
     このことは、言い換えれば、「友達」の意味が変わってくるということである。

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  • from:倭寇の末裔さん

    2011年02月19日 09時57分06秒

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    友と簡単に言うが (3)

     母親と娘の関係で、「姉妹のように仲が良いんですよ」というような、言われ方をする場合がよくある。
     姉妹だからといって、仲が良いとは限らないが、娘が大人になって、母親とかけ隔てない関係になり、なんでも話し合い、相談しあい、助け合っていく関係になっていることを、母親や娘が自認している言い方であろう。
     こうしたかけ隔てのないことが友人としての条件だが、父親と息子が、母親と娘の場合にように、兄弟のような関係にはなりにくいし、そんな話は聞いたこともない。
     この違いはどこにあるのだろうか。
     女性の場合は、年齢差を越えて、アパレル、化粧、美顔、エステ、料理あるいは育児といった、日常的な共通の話題が多いが、男の場合は、仕事か政治、経済くらい、それも仕事が違い、考え方が違えば、話をすることもない、と言う具合だし、それに父親と息子という立場の違いは越えがたいものがあるからではないかと思う。

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