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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年09月30日 08時11分12秒

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    見解の相違 (3)

     前者を軍備強化型、後者を平和推進型としよう。
     軍備強化型をとれば、相手国も軍備を強化するであろうから、それは双方の果てしない軍拡競争を招くことになる。
     北朝鮮のミサイル攻撃を防ぐために、イ-ジス艦を配備すれば、北朝鮮は、それに対抗して、ミサイル発射地点が分らず、かつ自由に動き回れる潜水艦からのミサイル発射システムを開発することになる。こうなるとミサイル迎撃は極めて困難になる。實際にそうなって来つあるのである。
     軍拡競争は、このようないたちごっこの兵器開発を伴うことになるし、結局は経済力の如何によって優劣が決まることになる。
     また、軍備競争は、それを相手国に誇示しようとするから、威嚇として双方が、演習にでも使えば、触発的に衝突が起る可能性も高まり、それが切っ掛けとなって、軍事紛争を誘発するリスクも高まるのである。
     こう考えれば、平和推進型の方が優れていると思うが、それには相互の信頼感が前提になる。
     しかし、日本と中国の関係では、尖閣諸島問題という棘が喉に刺さっており、日本と北朝鮮の間には、拉致問題の未解決という棘が刺さっているから、この問題を先に解決しなければ、平和推進型の外交交渉も出来ないことになる。
     結局、この問題は、見解の相違の問題ではなく、東アジアの恒久平和環境構築のビジョンの問題に帰着する。平和の維持については、見解の相違はないはずだからである。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年09月29日 09時18分16秒

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    見解の相違 (2)

     いくつかの例を挙げて「見解の相違」をどう扱うべきかについて考えてみよう。
    ・日本の防衛問題
     日本は、平和憲法の下で戦争放棄をしているが、自然権としての個別自衛権は認められている。が、それを補強するために日米安保条約を締結してアメリカの支援を得ることになっている。
     ところが、近年、東アジアの安全環境が変ってきた。
     ここ20年来著しい経済成長を遂げてきて、GDPでは日本を抜いて世界第二位に躍り出た中国は、軍備拡大に注力し、南シナ海を領海視し、さらに日本固有の領土である東シナ海の尖閣諸島にまで手を伸ばしてきているし、北朝鮮は核兵器とミサイル開発に血道をあげて、そのミサイルは、日本全土は勿論、北アメリカ全体をもカバ-出来るレベルまで達している。
     このような安全環境の変化に応じて、日本の防衛体制の見直しが必要だという意見が盛んになってきた。
     日本の防衛については、二つの考え方がある。
     一つは、同盟国アメリカとの同盟を深化させ、集団的自衛権を認め、集団防衛レベルを高めて、敵がそれに脅威を感じて日本攻撃を躊躇うようにさせる方法である。
     今一つの考え方は、現憲法下では、集団的自衛権は違憲になるからこれを認めることは出来ない。あくまで専守防衛を旨として、日米同盟の下での個別的自衛の平和主義に徹するという考え方である。
     このいずれが、日本の防衛に効果的であるか、という問題である。これは見解の相違では済まされない問題である。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年09月27日 10時48分23秒

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    見解の相違 (1)

     小泉純一元首相は、国会での答弁で、素っ気ない答弁をしたり、質問をはぐらかしたり、逃げたりすることが多かった人だが、あるとき、野党の質問に対して「それは見解に相違だ」と答弁したことがあった。
     「見解の相違」とは、考え方が違うとか認識が違うとかの意味で、質問に対する回答にはならない。
    「君とは考えが違うんです」だけでは、反論に窮したとして、デイベ-ト勝負なら完敗である。国会の質疑では、首相と考え方が違うから、質問したいるのであって、それに対して「見解の相違です」では全く答えていないのと同じである。
     世間では、脱税して、国税当局から、所得や収益の更正決定を受けた時に、主文受けた側は、「国税局とは見解の相違があるが、更正決定に従って納税しました」などと言い訳したりした記事が新聞などで報道される。
     この場合は、脱税がばれた気まずさ、照れ隠しの言い訳にすぎない。自分の判断に自信があれば、更正決定に対して意義申し立てもできるのである。
     そのほか「見解の相違は平行線のまま物別れで終わった」などという。意見の違いを調整すべく会談したが、妥協が成立しなかった場合である。
     思想や信念が違えば、見解の相違は当然生まれる。
     民主主義では、その見解の相違について、徹底討論して、妥協したり、譲歩したり、それも出来ないときは、多数決で決め、全員がその決定に従うというル-ルのもとで運営される仕組みになっている。
     

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年09月23日 09時34分14秒

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    極右稲田朋美防衛相 (2)

    ・「真のエリ-トの条件は二つあって、ひとつは芸術や文化など幅広い教養を身につけて大局観で物事を判断できる。もう一つは、いざというときに祖国のために命を捧げる覚悟があることである。そういう真のエリ-トを育てる教育をしなければならない」
     この前段はともかくとして、後段は、自衛隊員教育なら分るが、一般教育としては戦前の軍国主義教育の考え方である。
     前段の条件にしても、それを持ち合わせて居る奴は国会議員にも殆どいないと思う。
     
     こういう勇ましいことを云いながら、稲田は、10月に訪米したその足で、自衛隊がPKOとして派遣されている南ス-ダンを訪問する予定だったが、じんましんに罹ったとかの理由を付けて中止した。訪問の目的は新しい任務である「駆けつけ警護」の指示であったのであろう。
     じんましんなど、カルシュ-ムノ注射一本で一晩で治るもので
    そんなことは理由にならない。
     南ス-ダンの治安は悪く、大統領派と副大統領派の戦闘がやまないという、自衛隊派遣の5原則も満たしていない状態だから、
    稲田は怖くなって止めたというのが本音であろう。
     口先だけは勇ましい極右だが、こんなだらしない女が防衛大臣では自衛隊の士気も上がるまい。
     女でもこのくらいのことはやれるんだ、と期待していた阿部は
     さぞかっかりしたことであろう。
     村上新八


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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年09月22日 09時30分39秒

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    極右稲田朋美防衛相 (1)

    現防衛相の稲田は極めつきの右翼である。
     その女は、「命を捨てて国を守れ」と常に口にしているような変な女だが、その発言をいくつかあげてみよう。
    ・「国民の独りひとり一人、皆さんのひとり一人が自分の国は自分で守る。そして、自分の国を守るために血を流す覚悟をしなければならないのです」
     これはまるで国民皆兵ような考え方である。事実この女は、阿倍晋三も否定した徴兵制さえも唱えているのである。
     自分の国が攻められれば、誰から指示されなくても、誰もが戦うのは当たり前のこと、それは自然の理である。こんな当たり前のことを、もっともらしく云うのが右翼の所以である。
    ・「靖国神社というのは、不戦の誓いをするところでしなく、祖国に何かあれば、後に続きますと誓うところなのです」
     私人としては、靖国神社参拝は自由だが、ここに祀られている英霊の殆どは、職業軍人を除き、意に反して兵隊にとられ、戦争で殺された人たちで、戦争なぞこりこりだと思っている人たちなのだ。それを考えるともこの女の考えは真逆であると思う。
     不戦の誓いをして、英霊の想いに必ず応えますと誓うのが参拝の意味であると思う。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年09月18日 09時00分39秒

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    医療技術は職人技だ (2)

     臨床医としての腕は、専門知識はいうまでもないが、何といっても症例経験、臨床経験の積み重ねによるものである。
     それは、大工や左官、建具職人と同じなのだ。
     つまらんテ-マでの博士号を取っても、はいても、また、医学論文を沢山書いてはいるけれど、臨床医としての腕は全く頼りないという医師は沢山いるのである。そんな医師が医療ミスを起こすのである。そんな例は枚挙に暇ないのだ。
     医療もだんだん変ってきている。カルテでも昔は手書きでドイツ語で書いていたが、今はパソコンで日本語入力である。問診の時も、医師はパソコンに顔を向け、キイボ-ドに、患者の話を打ち込むだけ、患者の顔も見ないという意思少なくない。聴診や視診も、触診など五感ほ駆使した診断に変って、検査機器のデ-タに頼る診療が殆ど、更に最近では、AIデ-タを使った診断も始まったという。
     薬の処方は、製薬会社の既成薬の選択だけ、だからどこの薬も同じになってしまった。
     医師の腕の見せ所であった「シャジ加減」という言葉は死語になってしまった。
     手術は、コンピュ-タ-によるダビンチ手術が主流になつてきている。その方が医師の手による手術よりも正確だからだという。それも悪くしなかろう。
     今でも、「神の手」と言われるような職人芸を持った手術上手の医師もいるが、その活躍の場が少なくなってきてはいるが、職人技としての医療の腕の価値は変ることはないのである。
     医療技術が、人間の手、職人技から、検査機器やAI、コンピュ-タ-手術にリプレイスされるのは何か寂しいものである。
     村上新八

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年09月17日 09時43分08秒

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    医療技術は職人技だ (1)

     医師という職業は、人の命を救ったり、病苦を取り除く役割を担っているから聖職に入るであろう。
     また、患者にとっては、命を預け、生殺与奪の権を預けているようなものだから、頼りたいし、また、おっかない存在でもある。医師が先生と呼ばれるのはそのためであろう。
     難関と言われる医大を出て、国家試験に合格して、白衣を着て、患者や看護師から「先生」「先生」と呼ばれれば、自分が一段レホベルが上の人間であると、自惚れが出るかも知れない。
     世間で、貰いものが多く、それが当たり前になっている職業について、「医師、坊主、相撲取りに宝塚」という言葉があるが、多額の謝礼や貰いものが当たり前になっているような悪弊にどっぷり浸っているから「医は仁術」などという言葉は、とっくに死語と化し、「医は算術化」してしまっているのだ。
     博士号もいろいろあるが、一番多いのは医学博士であろう。
     大学の医学部教授のご機嫌を伺って、テ-マを貰い、医学博士の称号をとる医師が多いのも、医学博士になれば、医師としての世間の信用が高まり、カネ儲けに有利な看板になると思っているからである。
     しかし、臨床医の腕は、博士論文で決まるものではない。臨床とは無関係のテ-マでも医学博士号はもらえるし、医師の国家試験に合格すれば、麻酔科を除いて、何科でも開業できることになっているから、臨床と派全く無関係な、専門科目、例えば疫学
    専攻であっても医師として医院開業はできるのである。
     


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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年09月12日 09時36分31秒

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    分断と差別 (2)

    自由競争社会では格差は自然的に発生する。個々人によってその能力や運鈍根が違うから当然である。
     それはやむを得ないことだが、その格差のあるグル-プが増大し、定着するようになって、グル-プ間に溝が出来、それが相克が起るようになると、分断状態ということになるのだ。
     その分断を、マスコミが煽り、政党がその分断線を意識した政策を打ち出すことになると、その分断は社会問題として大きくクロ-ズアップされることになる。
     アメリカ大統領選挙での共和党の異色候補トランプやフィリピンのドゥテルテ大統領のように、国民の不満を短い激烈な表現で代弁するような風潮がある。
     これは分断の溝を拡げるためには有効であるが、対立を煽るだけで解決にはならない。
     このように、分断の溝が拡がり、共通認識が消滅しつつある社会では、相互に支え合うことによって、相互が利益を得るようにするという視点が大切だという意見も出る。が、これは問題によって異なる。
     移民問題なら、少子高齢化が進んでいる先進国にとっては、労働力や購買力を補う意味では長期的に見ればプラスの面の方が大きいとも言える。
     しかし、貧富の差が拡大し、中間層が薄くなり、アメリカのように、1%の富裕層が国富の90%をも持つとというような分断は放置するわけにはゆかない。そこでは、貧困層は子弟の教育もままならず、貧困の世代間継承社会になりかねないからでもある。
     厚い中間層が存在する富の分布、つまり正規分布が正常なのだ。
     中間層は、努力と運次第で、富裕層に移れる可能性があるし、貧困層も中間層に手が届くからである。
     このような分断を是正するのは政治の役割である。
     村上新八
     

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年09月11日 10時46分30秒

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    分断と差別 (1)

    人間社会にはいろいな区分がある。同一性や類似性による区分である。
     古くは、貴族、庶民、士農工商などの階層的区分があった。これは明治維新により縮小され、更に民主主義社会になり、解消されたか希薄になった。
     しかし、新たな区分が発生した。経営者層、労働者層、富の大きさによる富裕層、中間層、貧困層とか、勝ち組、負け組、正規社員、非正規社員などである。
     これらは、個人ベ-スの区分であるが、国、信教、民族、膚の色、イデオロギ-、政治体制なとどのマクロな基準による区分もある。共産圏、自由諸国圏、カソリック、キリスト教、イスラム教、黒人、白人、黄色人種などである。
     さらに、近時はイギリスがEUから離脱して、ヨ-ロッパが分断されたとか、アメリカの公共医療保険制度の改革をめぐって、これに反対するティ-パ-ティ-勢力と改革推進勢力の分断や、2016年のアメリカ大統領選候補として立ったトランプ候補と他候補との分断などもある。
     区分即分断ではないが、区分によって、両者の溝が深まり、利害対立が激化したり、対立抗争にまで発展すると、区分が分断にエスカレ-トすることになるのである。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2016年09月09日 08時53分27秒

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    科学技術の発展と自然環境 (2)

    研究者によると、地球の温暖化によって、北極の地下の永久凍土が溶けて、そこから大量のメタンガスが空気中に放出されているという。
     そのメタンは、二酸化炭素の28倍もの強さで地球の温暖化を進める進めるというから恐るべき威力である。
     が、このような自然の脅威に対しては、現在の科学技術では、その測定精度を高める位で、それを予防したり、防止したりすることは不可能なのだ。
     このように、異常気象や天災発生の原因は説明できるし、事前の予測精度を高めたり、災害発生の警戒警報発令のタイミングを適正化することは出来るが、この天災を予防したり、規模を小さくしたりことは出来ない。莫大な自然エネルギ-のなせる技だからである。それは、永久に出来ないと思う。
     せめて、災害発生の源である経済発展に伴う温室効果エネルギ-を減少させるような工夫をするとか、事前に災害発生確率情報を早期にキャッチ伝達し、できる限りの防災措置を執るしかあるまい。これも人間の経済発展に伴う代償なのだから。
     村上新八

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