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カジュアル哲学 (続)

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  • from:倭寇の末裔さん

    2018年02月24日 12時23分04秒

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    医師免許更新制が必要だ

     教員には、教員免許更新制がある。この主旨は、「教員が必要とする資質、能力が保持されるように、定期的に最新の知識、技能を見に付けることで、教員が自信を持って教壇に立ち、社会の信頼を信頼を得られるようにするものである」とされている。
     このフレ-ズの「教員」を「医師」に、「教壇」を「臨床」に変えればその通りのことが言えるのである。
     しかし、今までは医師に対する免許更新制はなかった。一旦医師国家試験に合格すれば、その免許は終身免許で、しかも麻酔科を除いて全ての診療科の免許となるものであったのである。
    実際、すへての科目並べている開業医もいるし、勤務医として専門の医科で病院勤務していた医師が定年になって専門外の科目も掲げて医院を開業するという医師も少なくないのである。
     教員が教育という社会的に重要な機能を果たすものであるから免許更新制を敷いているのだが、医師は人の生命を扱う機能であり、教員に優るとも劣らぬ社会的機能を果たすものであることは云うまでもあるまい。
     更に、医師の場合は、その出身大学によって、治療の方法が異なっていて、それ以外の方法の方が効果的であっても、採用しないというようなおかしな慣行があるし、医師経験が長くなるにつれて、医学会にも出なくなる傾向があり、日進月歩の医療技術にそっぽを向いて、技能面での刷新を全くしていない医師も少なくないという現実もあるのである。
     「はしご診療」という言葉がある。これは患者が医師の診断や治療を信頼できず、あちこちの医師の診断、治療を受けるために、医院や病院のはしごをすることである。
     高齢化がすすみ、医療費の負担が財政に重くのしかかっている現在、これも
    大きな問題である。
     だからこそ、医師免許更新制が必要だと思うのだが、それがないのは、おそらく、医師会がそれを厭がり、政治家に働き掛けて、免許更新制の立法化を阻止しているからであると思う。
     このいびつな形を是正し、一日も早く、医師免許更新制を立法化することを
    主張したい。
     

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  • from:倭寇の末裔さん

    2018年02月20日 14時56分32秒

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    人生百歳時代

     1917年末現在日本全国で100歳を超えたお年よりが6万人くらいいるという。
     そうした状況を見て「人生百歳時代」と云われ始めた。
     「人生わずか50年」「70歳古代希なり(古稀)」と言われたのはついこの間までだったような気がするが、そのフレ-ズはもう過去のものになった。2030年頃には100歳以上の高齢者人口は30万人を超えると予想されている。
     先頃「90歳なにが目出度い」と云う題名の本が出版され、ベストセラ-になったという。そ著者に言われなくても、目出度いどころか、安楽死をさせてくれる国があったら、出かけたい位に思っている人も少なくないのだ。
     「健康長寿」という言葉がある。これは長生きしても、寝たきりだったり、病に苦しんでいたのではつまらない。健康で長寿でいたいという意味なのだが、それが叶えられれば良いかというとそうもゆかない。100歳までは生活資金がもたないのだ。
     「老齢破産」とか「老齢貧民」などという言葉があるようだが、定年時の金融資産が2000万、厚生年金が月20万で、月の生活費が30万とすると、病気など一切しないとしても16年しかもたない。
     しかも、国家財政は1000兆円以上の借金を抱え、少子、高齢化で、年金は先細りし、医療保険は減額され、自己負担が増えてゆくであろうことは必定である。これこそ国難である。
     こういう先行き不安から、若い人たちは老後の資金貯蓄に励んでいるようだが、とても追いつけまい。
     AIによる生産性の向上や移民受け容れによる労働力や経済規模の補強に努力するという途もあろうが、それがどれだけ国難をやわらげられるかは不明である。
     こうなると、「選択的安楽死法」でも制定しろと云いたくなる。
     

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  • from:倭寇の末裔さん

    2018年02月19日 10時35分41秒

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    名医の基準

     脳外科や心臓外科の分野で、名医というのは分り易い。普通の医師には手術が出来ないようなヶ所に出来た病巣の手術をやってのけたり、困難な心臓手術をやれる医師は名医という事が言えるからである。
     このように外科関係の医師に対しては名医というのははっきりしているがその他の医科の医師については、名医のイメ-ジが不明確である。
     筆者の経験だが、血圧がやや高かった時期に、主治医から名医と言われる医師が来たから、一度診てもらったらと紹介された。
     その医師はアメリカ滞在が長く、英文の医学書を書き、それが病院玄関の特別の書棚にデンと飾られており、回診時には、医師が看護師を大勢引き連れて、大名行列みたいに病室を練り歩くという厚遇ぶりであった。
     早速その先生の診察を受けた。診察室には看護師の他に30代の医師が先生の脇でカルテを書く、という大先生扱いであった。
     その先生が筆者に「君は太りすぎだが、筋肉質ではなく、脂肪太りだから、女デブだ、動脈硬化も進んでいる。君はまだ40代だが、さきに診た70代の老人並だよ」とボロくそに言われた。
     私はあまりの悪態つきに腹を立てるより、笑ってしまつた。カルテ書きの医師も笑っていた。と同時にこんなに口の悪い先生だから、さぞ名医なのだろうと合点した。
     「一週間分の薬を出すから一週間後に再診します」というから、名医だからさぞ良い薬をだすであろうと、期待して帰宅して薬を明けてみた。
     と、なんのことはない、一つは環状動脈を拡げる薬、もう一つは血圧降下剤であった。今から、こんなもの飲んでいられるか、と即捨てて、再診キャンセルの電話を入れた。
     と、看護師が慌てて「薬を途中で止めたら大変なことになります。困ります」と云う。筆者は「初めから飲んでいませんから」と伝えて了解してもらった。
     その後血圧は、健康食品のヨ-グルトをとることで正常血圧に安定して40年経過している。
     今は死語になつてしまったが、昔は「さじ加減」という言葉があった。医師が患者の状況に応じて、薬を調合することで、そのさじ加減の上手い医師が名医とされた。しかし、今は多数の製薬会社が製薬を競い、そのなかなら、効き目の良い薬使うようになったから、どこでも同じ薬を出すようになり、さじ加減の判断基準もなくなり、同時に名医の判定も難しくなつてしまった。
     そこで、前述の「中医は人を治す」中医が名医の基準となるのであろう。


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  • from:倭寇の末裔さん

    2018年02月18日 10時56分14秒

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    医は仁術か

     医を見る立場は二通りある。一つは人倫的に見る立場と今一つは経済的に見る立場である。
     前者の立場に立てば、人を病の苦しみから解放し、病を癒やす術であるから仁術であると言える。
     しかし、医者になるためには通常より長い大学での勉強と、高額な学費が必要となるのだから、これを回収し、収益を上げるには高い報酬が必要ということになる。つまり、この立場からは、「医は算術」ということになるのだ。
     これは両方とも正しい。両者が共存したている関係であると思う。しかし、「仁」と「算」いずれが上位に位置するかといえば、「仁」であろう。医者はやまいを治し、人を救うのを社会的使命とする職業だからである。だから「先生、先生」と敬われるのである。
     「青髯先生」という物語があった。髭を蓄えた町医師だが、恩情家で、金がなく医師にも掛かれない人がいれば、無料で診療を行うことを盛んに行っているという物語である。これはまさに仁術物語である。
     こういうことが物語になるということはき、そういう医師が極く希であるということを示すものであろう。
     特に町医者には、だらだらと長引かせたり、病気でもないのに、病気だと思い込ませて、患者を囲い込むような医師が少なくないのだ。これが「算術医」である。
     医療の腕からみれば、算術医イコ-ル藪医者であると思って間違いない。医師の腕が良ければ、自然と患者が集まり、繁盛するからである。こういう医師は仁術オンリ-で仕事をしておれば、算術に頼る必要もないのである。つまり、算術はへぼ医者の生きるための苦し紛れの知恵なである。

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  • from:倭寇の末裔さん

    2018年02月13日 09時30分01秒

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    医療と経営コンサルティング

     医療と経営コンサルティングは似ているところがある。顧客つまり、患者やクライアントの依頼を受けて、これに応える仕事をする点である。
     しかし、違う点が四つある。
     第一は医療は、病気があって、本人がそれを治して欲しいというニ-ズがはっきりしている。極めてポジティブなのである。それに対して経営コンサルティングは、経営の改善が目的であるが、そのニ-ズは、コンサルティングを依頼してくる経営者にはあるが、現場では薄いという点である。現場は、現状でも問題はないと内心では思っている場合が多い。だが、経営の命令が下されているから渋々やろういうネガティブな姿勢である。
     第二は、医は修理であり、原状回復が目的であるに対して、経営コンサルティグの目的は、現状を否定し、改善することである。
     修理は原状回復でよいが、改善は現状を否定し、よりレベルアップした状態にすることである。これは大きな違いである。
     現状を否定するのだから、その仕事をやってきている担当にとつては嫌に決まっている。反抗心を持つのは当然である。医療には患者は進んで協力するが、現状を否定する改善には非協力的になるのである。この点も大きな違いである。
     第三の違いは、医療の場合はその相手である患者はズブの素人であるに対して、経営コンサルティングの場合の相手は、プロの経営者や管理者である点である。
      ズブの素人である患者は、プロである医師のいうことはよく聞くが、プロり経営者や管理者は、そう簡単にはゆかない。なかには、外から来た者がなにが分かるかと冷たい目で見ている者も少なくないである。この点も大きな違いである。
      第四は、いままで良いと思ってやってきたことを否定されると感じる点である。
     医療の場合には、いままでは病気になるような不養生なことをやってきたのだから、これを否定されても文句はない。が、経営コンサルティングは、いままで特に問題ないと思ってやつてきたことを否定する改善方法に変えるというのだから、当然抵抗があるのだ。
     これを乗り越えてやらねばならない点も大きな違いである。
     この四つの違いは、同時に経営コンサルティングをする上での大きな障壁でもある。この問題に悩まなかったコンサルタントはいないはずである。そのためにコンサルティングを受け入れさせる雰囲気作りが大切であるなどと言われてきたが、具体策はなかった。
     しかし、その解決法はある。ここでは、その詳細を記述することは省くが、経営コンサルタントとしての独自の経営分析技術でクライアントを感動させることによって信頼性を高めるとか、行動科学理論を応用したアプロ-チで管理者の改善意欲をモチベ-トするのである。
    そのやり方は、前述の「中医は人を治す」の中医の在り方に似ているとも言える。
     ただ、医療の場合は、医師が中医になろうという信念を持ってやる気になればやれるし、その上には何の障害もないが、経営コンサルティングの場合は、相手の観衆、プライド、意識、矜持などの面での異質的な障害が大きく、それを克服する知恵と努力が必須であるという点違うのである。
     


     

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  • from:倭寇の末裔さん

    2018年02月12日 10時37分01秒

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    AIと医療

     何十年か後には、1台のAIが全人類の頭脳を上回るであろう等と云われたりする。
     それが本当にそうなるのかどうかは分からないが、AIが凄まじい威力を持つようになるこは確かであろう。
     筆者は、経営コンサルタント現役時代には、BASICというプログラミング言語を使って経営コンサルティング必要なプログラミングを数多く作成し、活用した経験があるが、AIでのブログラミングの経験はない。そのうちにプログラミング言語を勉強してやってみたいと思ってはいるが、いつになるかは分からない。
     そこでとりあえず、いままでのプログラミングの知識を土台にして、AIと医療との関係がどういうものなのかを想定してみることにする。
     医療科の区分は現状と変わりはないであろう。その区分毎に症例、診断、施療、効果確認、フォロ-全般についての何万という情報がAIによって収集、蓄積されるのであろう。
     患者がまず訴えるのは症状である。発熱、だるい、しんどい、食欲がない、寒気がする、痛い、しびれる、痒いなど等の症状、組み合わせによって、あらゆる医学的な可能性ある病気が選ばれ、絞りこまれる形になるのであろう。
     さらに関連して発生する余病もリストアップされ、特定されることになろう。
     AIではこういう体制が築かれるのであろう。
     こうして、新しい患者の症状デ-タが入力されるや、瞬時に何百万のファイルデ-タとの照合がなされ、該当する病名がはじき出され、余病の有無まで表示して診断することになるのであろう。
     施療の部では、病名やその程度、性別、病歴、年齢に応じた薬や施療の方法、手順のリストその副作用、併用不可の薬等の情報がアウトプットされることになろう。
     そうなると、医師はAIの判断に基づいた治療指示とフォロ-に専念すればよいことになるのであろう。
     つまり、診断という面では、AIが主治医で医師はその執行者になるのである。
     と云っても、医師が不要になるわけではない。医療の執行つまり診療には専門知識も経験も必須であるから、その役割は果たさねばならないのである。
     つまり、人間の記憶や経験には、限界があるから、それをカバ-して、厖大なデ-タをファイルしたり、その厖大なファイルのなかから該当するものを選択したりという役割をAIに果たさせる、それを確認し、判断して、治療を実行するのは医師がやるという形になるのであろうと思う。

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  • from:倭寇の末裔さん

    2018年02月08日 11時38分06秒

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    徳田虎男の病院経営理念(3)

     徳田は、この病院展開を巡って既得権益を守ろうとする医師会やそれをバックする官庁との苦しい闘いの経験を踏まえて、自分の大志を貫くためには、官とのパイプを太くなければならないと感じ、その思いが徳田の脳裏に強い影を落としたのであろう。
     これが因となって、元東京都知事へ5000万円の政治資金を提供した事件、更に、徳田の息子の鹿児島での衆院選での県議買収事件という結果を招くことになったのだ。そんなことをしなくても十分当選出来たのだが、より高い得票率を得ようとしたものであろう。
     これは徳田の大ミスであったが。これで彼の業績が揺らぐものではないと思っている。
    4徳州会は世界を治す
     この理念は大分後に付け加えられたものであるが、日本国内での成功を見て、これなら世界に通用すると考えて付加された理念であると思う。
     徳田は日本国内だけでなく、世界に向かって徳州会病院を展開しょうとしている。2017年末現在で、ブルガリア、アジア、アフリカ15ヶ国で、透析センタ-を含めて、200ヶ所に病院設立を計画しているという。
     これは、徳州会型病院のを世界中に増やして、世界の医療改革を推進しょうとする壮大な志なのだ。
     その思想は高く評価したい。


     

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  • from:倭寇の末裔さん

    2018年02月07日 08時53分33秒

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    徳田虎男の病院経営理念(2)

    2大医は国を治す
     大医とは徳田自身を指しているのだと思う。徳田は独自の経営理念とそれに基づく具体的な病院経営方針は画期的なものであった。
     その主なものをあげてみると、
     ・医師及び看護師などが患者から金品をう受ける事を一切禁止した。
      従来は、金品を受けることが慣習化しており、金品を貰うことに慣れている職業として「医師、坊主、宝塚に相撲取り」と言われる程であった。この慣習を禁止したのである。
     ・診療拒否は一切しない。
      特に夜間緊急患者の診療拒否と病院たらい回しによる患者の悲劇が頻発していたのに対して、24時間診療OKの方針を打ち出したのである。
     ・入院時の補償金は一切とらない。
     補償金なしには入院させないという病院が一般的であったのに対してこれは患者には大きな朗報であった。
     ・入院費を払えない患者には相談に応じる。
      支払いの延期や分割払いに応じるという配慮である。
     その他にもあるが、この4項目だけでも、画期的なものであり、これに対してし当初は医師会から猛烈には反対され、徳州会病院は医師会にも入れなかったが、それ以降次第にこの方針をとる病院が増えてきてきているのである。
     徳田が「国を治す」と云ったのは、徳州会病院全国展開して、このような形を普及させて、日本の病院経営の革新を図ろうとすることだったのである。
    それは、徳州会病院が全国展開され、現在72に増え、クリニックなどを含めると、340にも達しているからこそ病院の悪しき弊習が改革され始めているのであろう。
     それは徳田だから出来た偉業であると思う。

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  • from:倭寇の末裔さん

    2018年02月01日 11時56分44秒

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    徳田虎男の病院経営理念(1)

     徳州会病院ネットの創設徳田虎男の病院経営理念は次の四つである。
    1小医は病を治す
     医師だから病を治すのは当たり前だから、それだけでは「小医」だというのである。専門分野だけでなく、複数の分野の医療ができても、当たり前の域を出ていないというのだ。
    2中医は人を治す
     コレは解釈が必要である。中医としての要件は三つある。
     人を治すというのを、患者の人格を変えるいうように解釈すると、これは精神病医でも不可能である。そう言う意味ではないと思う。
     人にはいろいろある。神経が繊細で極端に過敏な人、一寸やそっとでは動じない鈍感な人、これは両極端であるが、その中間には、様々なランクがある。
     こいう患者の性格を見分けて、治療上それにマツチした適切な対応がで出来る。これが中医の第一の要件であろう。
     その性格は顔つきを見れば大抵分かる。
     こいうことに気が付かない医師が多い。
     例えば、大腿骨骨折を手術した、神経質な患者に、「これからはどんどん悪くなるばかりですよ」等を平気で言い放ってひどく患者を落胆させる医師とか、再発の可能性を質問されて、「10年後に再発した例もありまいよ」と答えられたために、その後10年間同じ時期に検査を受け、他の医師から笑われた事例もある。
     患者が神経質かどうかは顔を見れば分かるのだから、神経質な患者に対して
    は、脅かすようなことは云うべきではない。「100%大丈夫」ということは、医師の立場としては云えないが、「まず大丈夫ですよ」位にしておけばよいのだ。その反面、ズボラだと思われる患者には少し脅かしを効かせる対応をとることも必要でろう。
     中医の第二の要件は、患者から信頼を得るということである。
     信頼されるというのは腕だけの問題ではない。医師でもミスをすることもあるが、ミスはミス
    として率直に認めることも信頼の要素である。ミスはないに越したこはないが、ミスがあっても、下手に隠したり、ごまかしたりせず、これを素直に認め、全力を挙げて治療に努める姿が感じやの信頼に結び付くのである。
     あの先生にお任せすればと患者に思わせられれることである。
     第三は「自主意識の植え付け」である。
     医師に頼ってばかりではだめだ、患者自身が主になって直してやろうといういう気持ちにならなければ、回復、復元力は向上しないことを自覚させられ、医師はその有力な支援者であるとい認識持たせられることである。
     人を治す中医とは、こういうことが出来る医師であると思うが、そういう医師は極めて稀である。
     筆者が知る範囲では、この中医の典型例としては、脳神経外科医で脳腫瘍破裂予防手術の世界的権威であり、その手術数は15000件を超えるという坂上先生があげられる。
     彼は、自分の手には負えないと判断して担当医から紹介されてきた患者を対象に手術するのだ。
     主治医からの患者の脳腫瘍の状況情報を子細に検討し、手術の方法、手順、やり方の計画を立てるのは術者として当然であろうが、坂上は、その患者ばかれでなく、付き添って来た家族をも「遠いところ大変でしたね、私は全力を上げて頑張りますから、心配ないで待って居て下さい」と声を掛けるのである。
     最後の頼みである医師に、こういう声を掛けられることが、どれだけ勇気付けられることであろうか。
     手術後も直ちに家族へ成功を伝え、患者の麻酔が切れる時刻を見計らって患者らベッドへ赴き、手や足の運動に支障がないことを確かめ「よく頑張りましたね、これからも家族の重鎮として頑張って下さい」と励ますのである。
     これこそが、徳田の云う「人を治す中医」の姿なのだと思う。
     



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