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  • from: 倭寇の末裔さん

    2013年03月31日 09時10分21秒

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    つまらぬ人生 (6)

    この生活を一変させたのは、朝日新聞の報道であった。その報道によりブジコ・ヘミングの窮状を知り、彼女の帰国を支援しようとする運動が始まった。
     帰国後のブジコは、ピアノ演奏会、放送、テレビ出演などで、引っ張りだこにされ、生活は豊かになり、パリと東京に住居を構えて、80歳を超える高齢にも拘わらず、ピアノ演奏に精を出して、活躍されている。
     彼女は自分の演奏について、「私はミスが多い。が、それを直そうとは思わない。批判する奴は愚かしい」「ぶっ壊れそうなピアノ演奏があっても良いじゃない。機械じゃないんだから」と言うくらい、テクニックはと上手とは言えない。が、「一つ一つ音に色をつけてるように弾いている」と、彼女自身が言うように、聴衆の心を打つすばらしい演奏である。彼女の面目躍如である。
    3最後の兵士の語り部A氏
     A氏は関東大震災の前年、東京で生まれ、大震災のなか、母親におんぶされて火のまかを逃げ惑ったという。
     通信の専門学校を卒業時は、日支事変たけなわ、早速徴兵され、九州の部隊に配属された。



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  • from: 倭寇の末裔さん

    2013年03月30日 06時34分42秒

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    つまらぬ人性(5)

    2ヘミング・フジコ
     昭和2年にデンマ-ク人の父と日本人の母との間に生まれ、父は間もなく家族3人を残して独りで帰国後音沙汰なく、母の女手一つで育てられた。
     ピアノでは天才的資質を持っていたが、ドイツへの留学を志して、旅券を申請しようとしたところ、無国籍であることが分かり、パスポ-トが発行されなかった。一度は留学を断念し

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2013年03月30日 06時34分42秒

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    つまらぬ人性(5)

    2ヘミング・フジコ
     昭和2年にデンマ-ク人の父と日本人の母との間に生まれ、父は間もなく家族3人を残して独りで帰国後音沙汰なく、母の女手一つで育てられた。
     ピアノでは天才的資質を持っていたが、ドイツへの留学を志して、旅券を申請しようとしたところ、無国籍であることが分かり、パスポ-トが発行されなかった。一度は留学を断念したが、ドイツ大使のはからいで赤十字の難民として留学することが出来た。
     ドイツでは、国立ベルリン音大でピアノを学んだが、乏しい母からの仕送りと奨学金だけで生活は困窮、食べるものがなく、砂糖を溶かした水で飢をえ凌ぐことさえあったという。
     優秀な成績で音大を卒業したが、無国籍であるため阻害されて、生活は苦しく、ピアノ教師をしながら、やっと生活、「天国西が自分の居場所はないのか」と嘆いたという。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2013年03月30日 06時34分41秒

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    つまらぬ人性(5)

    2ヘミング・フジコ
     昭和2年にデンマ-ク人の父と日本人の母との間に生まれ、父は間もなく家族3人を残して独りで帰国後音沙汰なく、母の女手一つで育てられた。
     ピアノでは天才的資質を持っていたが、ドイツへの留学を志して、旅券を申請しようとしたところ、無国籍であることが分かり、パスポ-トが発行されなかった。一度は留学を断念し

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2013年03月29日 08時36分17秒

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    つまらない人生 (4)

     日本語の読み書きも出来なかった万次郎だが、その頭の良さと頑張りで、1873年には、オックスフォ-ド学校に入学、英語、数学、測量術、航海術、造船技術を学び、主席で卒業。再び捕鯨船に乗り、仕事を続けたが、1850年に日本に帰国することを決意し、1851年、ハワイを経て琉球に上陸した。
     薩摩藩では、万次郎を厚遇し、藩主斉彬に海外文化を伝えた。
     1852年、土佐に帰国、士分に取り立てられ、藩校で教えた。
     1853年、黒船来航の際に、幕府に招かれも、旗本の身分を与えられて、中浜の姓を名乗り、造船、測量、航海の指導に当たった。
     1869年には政府から開成学校(のちの東大)の英語教授に任命された。1898年72歳で死去した。
     この万次郎の人生は、数奇そのものと言えるであろう。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2013年03月28日 08時51分53秒

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    つまらない人生 (3)

     しかし、現実には数奇な人生というのは多くはない。無名の人のなかにはいるかも知れないが、身辺には見当たらない。
     そこで、思いつく2,3の例をあげてみよう。
    1ジョン・マンジロ-
     1827年、土佐の半漁半農の家の次男としてうまれた万次郎は8歳でで父親と死別し、病弱の兄と家族を養うために漁の手伝いに出ていた。
     1841年、漁に出ていて嵐に遭い、無人島鳥島に漂着、約5ヶ月生活したが、アメリカの捕鯨船に救われ、ハワイで降ろされた。が、船長、ホイット・フィ-ルドは、万次郎の頭の良さを買って、捕鯨の仕事を手伝わせ、後に養子とした。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2013年03月27日 06時47分30秒

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    つまらない人生 (2)

     勿論このプロセスで、喜怒哀楽いろいろなことが起きる。
    現在では、大きく、定型的なイベントとしては、大学入学、就職、恋愛、結婚、出産、親との死別、退職等が上げられるが、戦前は大きなイベントとして徴兵、出征があった。
     これらすべてが様々に人生を色づけしたのである。
    ・人生いろいろ
     前記のようなものが、平均的な人生航路だが、歌手島倉千代子が歌った「人生いろいろ」という題名の演歌があるように、実際の個々人の人生は種々雑多である。
     その極端な場合を表す言葉が「数奇な運勢」とか「数奇な人生」と言われるものであろう。
     数奇な人生というと、映画「ベンジャミン・バトン」が有名だ。
     これは、生まれたときには80歳の老人の体を持つ赤ん坊であったバトンが、成長するにつれてどんどん若返ってゆく、という物語で、現実離れし過ぎているフィクションだからここでは取り上げないことにする。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2013年03月26日 06時42分42秒

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    つまらない人生 (1)

    ・つまらない人生と思うのは終末期だ
    自分の人生を振り返ってみて、つまらない人生だったと嘆く人がいる。
     一回限りの人生で、つまらなかったと嘆くにはもたいない限りである。
     こういうことを考えるのは高齢者である。若い人にとっては、人生はこれからであり、人生航路に船出したばかりであるからこういう思いはない。
     高齢に成り、リタイアして、やることがなくなると、自分の越しかたを振り返ってみて、こういう感慨を起こすのである。
     人の一生は、自分の意思とは無関係に生まれて、乳児期、幼児期を過ごし、遊びだけの時期から、勉強が加わる少年、少女期を経て、思春期に入り高校、大学教育を受けて、社会人になる。
     就職して、社会に出て、やがて伴侶を見つけて結婚、家庭を持ち、ロ-ンを借りて家を建て、子どもを育て、ロ-ンがやっと終わる頃、定年を迎え、子どもは独立して家を出、夫婦二人きりに戻って老後を迎える。
     これが通常の人の一生のパタ-ンである。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2013年03月21日 07時40分35秒

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    逆説の解釈 (23)

     河野氏はこの一般向けの逆説本を書く前に、学会誌に論文を掲載して、活発な論議を経るというプロセスが必要であったと思う。
     その結果は賛否に二分されることになろうが、それぞれの論拠を明らかにするぱかりではなく、その逆説に従った場合の治療対応なども明らかにすべきである。
     彼の言うように、ホスピスに入って、がんの痛み止めの麻薬を打って、安らかに安楽死を待ちましょうでは、あまりにもそっけなさ過ぎる。
     近藤氏は、がんの放射線療法の権威であるといわれているが、放射線療法も進歩して、重粒子線とか陽子線などの療法も開発されているかのに、ただ「がんの手術や制癌剤療法は苦しみと寿命を縮めるだけだ」とこき下ろすだけでなく、それら先端的な放射線療法への言及があってしかるべきだと思う。
     このような配慮は、人の生死に係わるような逆説を、発表するに当たっては、素人である読者を混乱させないためにも、必須の条件であると思う。
    逆説は、学問や技術の進歩の上で欠くべからざる転機ポイントであると思う。定説や常識だけに留まっていては、発展はないからである。
     が、その逆説を唱えるに当たっては、前記のようなその逆説の重要度を評価し、それに相応しい裏づけと検証が必要であると思う。
     

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2013年03月20日 08時26分55秒

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    逆説の解釈 (22)

    素人には、その逆説の正否が全く分からず、戸惑うだけである。これは医師もあまり変わりないようである。
     上記のコレステロ-ル論争の際、それまで出していた悪玉コレステロ-ルを抑制する薬を出すのを一時止めた医師もいたのである。患者が疑心暗鬼になっていると思うから、医師も処方を躊躇したのであろう。
     この河野先生の逆説を先に述べた六つの判断基準で評価してみるとどうなるか。
     「正説の定着度」「逆説の断定度」「逆説の影響の大きさ」「正説との乖離度」はいずれも大、「経験強度」「論理性」は小と評価されるであろう。
     つまり、この逆説については、極めて厳格な検証が必要だ、ということになるのである。

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