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カジュアル哲学 (続)

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  • from:倭寇の末裔さん

    2014年09月30日 07時31分13秒

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    懐疑の哲学 (4)

     カントは、ものごとの真理である「もの自体」(イデア)が認識不可能なものであることを認めているから、懐疑主義に賛同していたものと思われるが、その一方で、現象を「真理の国」と呼んで、それが起因する因果関係を客観的に証明されるものとしている。
     つまり、懐疑の余地がないものもあると考えていたものと思われる。
     ヘーゲルは、懐疑主義は、理性が陥るアンチノミ-(二律背反)を指摘するもので、それによって理性の弁証法的思考を促し、人間の理性的活動を向上させるものであるとしている。それによって、遂には真理に到達できるであろうと説いている。
     つまり、懐疑を抱くということは、人間に更なる思考を促すキッカケになるものだから、真理に近づくためには有効なものであると認めているのである。
     このように、哲学者も大筋では、懐疑主義信奉まではゆかなくても、懐疑という意識の必要性は認めているのである。
     それは当然のことであると思う。
      人間のやることだから、問題が絶無とは言えないし、また、指導者層が、国益の為と称したり、あるいは自利のために、故意に民衆や個人を騙そうとすることも少なくはないからである。


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  • from:倭寇の末裔さん

    2014年09月29日 08時21分08秒

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    懐疑の哲学 (3)

    ルネサンス期には、懐疑主義はキリスト教的なビュロン主義に変形された。
     即ち、懐疑主義は、人間の知恵の空しさ、あるいは人間性の無力を証するものとして受け取られ、唯一確実な知は、信仰と啓示によってのみ与えられるものという信仰主義の基礎とされたのである。その代表はモンテ-ニュだと言われている。
     17世紀に入って、このような通俗化された懐疑主義に対抗したものが、デカルトだという。
     デカルトの「我思う故に我あり」の言葉がその発端となった。
     これにより、「明証性」というものが真理基準とされたのである。
     明証とは、直感的に明らかで確定していることを意味しており、それは、論理的客観的にみても確実なものであると言う考え方である。
     しかし、デカルトは、明証という言葉は、あまり使わず、明晰、判明、知覚と言う表現を使っていたという。
     ただ、デカルトは、懐疑という意識を全面的に否定したのではなく、思考する自分自身のように、それが存在することに、全
    く懐疑の余地のないものもあるよと言うことをいったまでだと思う。
     
     イギリスでは、真理を確実性の問題として、確実性を幾段階かに分けて、人間は絶対的な確実の段階には到達できないとして、懐疑主義を認めながらも、蓋然的確実性(おそらくそうであろうというレベル)を認める立場をとった。いかにもイギリス人らしい現実的な解釈である。

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  • from:倭寇の末裔さん

    2014年09月28日 09時06分21秒

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    懐疑の効用 (2)

     懐疑には、他からの情報に対する場合だけでなく、自分の記憶、認識、理解についての懐疑もある。つまり、一度その確度を確認するために、調べてみるとか、考えてみるとかの必要性を感じる場合である。
    ・懐疑主義の哲学
     懐疑主義という哲学の学説がある。それをとなえたのはアリストテレスと同時代の哲学者ビュロンだと言われる。
     懐疑主義は、アリストテレスのように、イデアなど絶対的な証明を持つとされる基本的原理(ドグマ)に基いて世界の構造を解明しようとする独断主義に対抗して、ものごとを基本的に認識するためには、根拠のない曖昧な独断ではなく、その普遍性、客観性を証明しなければならないことを唱える説である。
     これに対しては、懐疑主義思考の結果、普遍性、客観性のある原理認識に到達できなかった場合は、不可知論になり、形而上学の伝統的な神の存在を否定することになりかねないという批判もあったと言う。
     しかし、神の存在こそ根拠のない曖昧な独断であると言えるし、それで懐疑主義の考え方を否定し得ることにはならないと思う。
     懐疑論は、探求するという意味の言葉をに由来するものだと言われており、それは即断を排して、絶えざる探求の途上にあるという意味であるとされているから、それで良いと考える。

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  • from:倭寇の末裔さん

    2014年09月27日 10時09分56秒

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    懐疑の効用 (1)

    「人間は考える葦である」というのは、パスカルの有名な言葉だが、「考える」ということが人間の特徴であると言ってよいであろう。
     人間以外の動物も考えないことはないと思う。肉食動物が獲物を狙うとき、どういう方向からどんな姿勢で接近すれば、捕食に成功する確率が高いかは考えているようである。
     しかし、動物の思考は即物的、即事的なものに限られている。抽象的な問題を考えられるのは人間だけである。
     人間が考えるきっ
    かけは、いろいろあるが、その一つは懐疑を持った場合である。
    人間が活動するには、情報が必要である。その情報はいろいろな形、いろいろなル-トで伝えられる。
     新聞、テレビ、インタ-ネット、敢行物、会話、伝聞、など自分が見、聞きしたこと、すべて情報である。
     これらの情報は、その信憑性、確度を各自自分なりに、判定分類し、仕分けて知識として蓄えられ、ものごとに対する評価や考え方を持ちったり、行動を選択する場合に活用するのである。


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  • from:倭寇の末裔さん

    2014年09月26日 08時10分20秒

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    実践の哲学 (14)

    第三は「振り切れ」である。
     実践してうまくゆく見込みがないことがはっきりしたら、その段階で、躊躇せずに止めてしまうことである。それが「振り切れ」である。
     先に挙げた、四つの事例のうち、失敗に終わった三つの事例についていえば、もっと早く振り切るべきであったが、それをだらだらと続けたために、損害を大きくしてしまった愚かさの例である。
     ただ効果がなかっただけならまだしも、逆効果作用が出るようなら即やめるべきである。
     前掲の失敗事例のうち、ソ連の社会主義実践は、その成否の見通しが立てられるまでには、ある程度の時間が必要であったであろうことは分かるが、それにしても70年は長すぎると思う。うそ報告とそれを知りながら責任逃れのためにそれを認めてきた指導部の演技でつないできた70年であったのだ。
     事例2の中国の「大躍進計画」は、そもそもプラン自体が杜撰極まるもので、一寸考えれば、失敗することは机の上だけでも分かるはずであった。
     事例3についても、それまでの一千年以上の農耕経験を全く無視した馬鹿指導者の思いつきの愚作の最たるもので、全くお話にならない愚行である。
     ということで、実践の哲学は、この「三きれ」に尽きると思う。

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  • from:倭寇の末裔さん

    2014年09月24日 10時55分26秒

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    実践の高察 (13)

    民主主義社会では、物事を決めるには多数決で、ということになる。しかし、政治的政策を実践する場合でも、仮に与党が絶対多数の議席を擁していて、その数に頼って強行採決をして決めてしまうことはまずい。ごり押しでは決してうまくゆかない。
     なによりも国民の納得が必要である。国民多数の賛同が得られなくても、丁寧に説明して、納得を得るべきである。
     納得というのは、少なくとも国民の多数が、その狙いを理解し、成否の見通しやその条件とかうまく行きそうにないことが分かった場合の対応を説明して、「やってみる値打ちはあるな」「やってみるか」と思う程度のレベルになることである。
     第二は「やり切れ」である。
     実践に踏み切る前に、慎重に目配りして、検討したプランであっても、やってみなければわからないことは沢山ある。
     環境条件が変って期待する効果が危ぶまれることもうろうし、思い掛けない躓き要因が出て来たり、国民の反応が予想と違って悪い方向になってきている場合もあろう。
     その場合に、簡単に諦めないで、その原因、成り行きを慎重に判断して、成算があると思えば、やり切り、成功させるための手をタイムリ-に打つこと、それが「やり切れ」ということである。
     ただ、発案者だから、実践を指示した者だから、ということに拘って、勝算もにないのに、くずぐず引き伸ばすのは「やり切れ」ではなく、「面子倒れ」の機会損失である。


     

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  • from:倭寇の末裔さん

    2014年09月23日 08時23分50秒

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    実践の哲学 (12)

     実践の哲学の基本理念は三つある。
     第一は「思い切れ」である。
     人間も環境も常に変化するし、それは相促関係にあるもので、人間活動が環境の変化をもたらし、その人間が環境に適応する知恵を働かせる。それがまた環境変化を来すという相互関係にあるものである。
     その最たるものが地球気象の変化であろう。
     人間の経済活動によって、二酸化炭素などの温室効果ガスが増える。それによって地球の温暖化が進み、気象や海流、海面の上昇、海流などの変化、南北極の氷の変化がもたらされる。
     その結果は、何十年に一度というような凄まじい豪雨や旱魃、洪水、竜巻、高温が頻発し、それが一時的な異状気象で゜はなく、定常化するようになる。
     これに対する人間の対応はまだ出来ていない。せいぜい二酸化炭素の削減目標を掲げて努力するという取り決めをしましようという程度だが、それも経済活動に制約になる問題だから、各国の利害がぶつかって、猫に鈴をつけるねずみを決めかねているような状況が続いているレベルである。
     しかし、このような人間生活を脅かす現象に対する対策は必緊を要する改革であり、その実践が必須である。

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  • from:倭寇の末裔さん

    2014年09月22日 08時58分45秒

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    実践の考察 (11)

    ・実践の哲学
     実践の内容である政策やシステムは、生活水準や社会、組織の水準を向上させることを目的として、従来のその分野での知識や研究、経験を踏まえ、更に、現在の問題や将来の動向、国民の反応などを勘案して、案画されたものである。
     しかし、プランはあくまで机上のものであるから、それを実践した場合の成否はやってみなければ分からないものである。
     また、人間のすることだから、周到に目配りしたつもりであっても、 見落としやミスが生じることもあるし、想定外の環境変化や自然災害によって大きく期待が外れることもある。
     実践の成否はその条件如何のよって左右されるものである。
     医療の分野での、新たな治療法や医薬品については、その効能だけでなく、人体に対する毒性、安全性や副作用の有無、強度についての試験、治検を何重にも行い、それらが確認されてから使用を認可されるプロセスになっている。
     それでも、使用してからも、予想外の副作用や未知の不具合が発生することはあるのである。
     ましてや、社会全体、国全体を対象とする実践となると、その規模も影響も膨大なものになるから、失敗すれば、史実が示すように、その損害は測り知れないものになるのだ。
     その意味での実践は、アレストテレスやカントの論じた私的実践とは格段に異なる性質のものなのである。

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  • from:倭寇の末裔さん

    2014年09月21日 10時05分41秒

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    実践の考察 (10)

     実践の具体的事例をみてきたが、それはすべて共産党独裁国家の事例であった。ということは、ある政策を断行するような場合に、民主主義国であれば、様々な意見が続出して、結局は妥協案になってしまい、中途半端なことしか出来ないことになることが多く、それは実践というにはに値しないことになる場合が少なくない。それが一概に悪いこととは言えないが、実態はそういうことになるのだ。
     それに対して、独裁国は、庶民には有無を言わさず、指導者の一存で強行できるから、当初案の政策が歪められずに、そのまま実践されることになるからである。
     日本の場合の例をとれば、史上最大の政策は農地改革であったと思うが、これは、第二次大戦の敗戦後で、日本が占領下にあり、GHQという独裁的な統治体制の下にあったからこそ、その命令で実践できたものである。
     それがなければ、地域の権力者である大地主、政治家、官僚が結託して、大地主が農地を解放して、小作人に分与するなどの農地改革という大転換政策などは絶対に取り上げられもしなかったと思う。
     それを実施する側に、実施力とか、断行力とかの力が伴わなければ、絶対に完全履行はできないのが実践ということなのだと思う。
     その実施力には、反対側を説得する力も含まれるが、民主主義の下ではそれは至難の技なのだ。



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  • from:倭寇の末裔さん

    2014年09月20日 09時34分44秒

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    実践の考察 (9)

    4鄧小平の開放、改革の実践
     これまでは、失敗に終わった実践例ばかり出したが、成功例もあるのである。
     毛沢東の大躍進計画の失敗とそれに続く文化大革命の混乱で、疲弊が続く中国経済の再建するために小平は「改革、開放」を提唱した。
     つまり、従来型の共産主義の施策では、ダメである。働いても、働かなくても、給与は同じ、金銭的な見返りもなければ、張り合いがなくて、人々が怠けたくなるのは当然である。
     台湾を見習え、知恵を働かせ、懸命に仕事をしている者は報われて豊かな生活をエンジョイしているではないか。
     経済活性化は、資本主義の自由競争経済に限ると考えたのであろう。
     こうして、集団農場を廃止し、初めて農業の経営自営権を認め、先進諸国から資本、経営技術の導入、広州、シンセン、アモイなどに経済特区の設定など自由競争社会を促進し、「先富論」を唱えて、儲けられるものは儲ければ庶民におこぼれも渡るという考えで自由競争を煽ったのだ。
     これが効を奏して、それ以降二桁の経済成長を持続し、世界の工場と呼ばれるようになり、2010年には日本を追い越してGDPでアメリカに次ぐ世界第二位にのし上がったのである。
     その裏には、内陸地の貧民の低賃金での搾取や差別化、貧富の差の急激な増大、官僚、政治家の根深い汚職瀰漫の体質化などがあるが、ともかく大国にのし上がることには成功したのである。

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