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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年09月30日 07時16分25秒

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    未曾有の異才、天才快男児 (5)

    この山本が再び政権を担う意志の有無確認が先決である。
     村上は、山本権兵衛伯爵とは面識もなかったが、山本の意向を探るために、「日刊軍事新聞」の発刊を企画していた関係の自分の著作をすべて持って、山本伯に面会を申し込んだという。このような向こう見ずの徒手空拳戦法は村上の得意とするところであった。
     当然のことながら、何回か門前払いを食わされた。が、そんなことにひるむ男ではなかった。彼は一計を案じた。それは彼が以前から昵懇にしていた山本伯の娘婿、財部毅海軍中将(当時)に紹介状を書かせ、それを持参して、会見を申し込むことであった。
     その結果は、効果覿面、即刻面会を許され、会見することができた。
     そこで、村上は持論を展開して、意気投合、初対面にも拘わらず、面会時間は4時間にも及んだという。
     ということは、大政治家の山本伯を共感させ、うならせるだけの論旨、弁舌と、山本伯に負けない風圧を持っていたということである。
     会見の終わりに、さりげなく、出馬の意向を探ったところ、「わしは宣伝は大嫌いだし、出馬しようとは思わないが、先輩と一緒に造りげた国だから、それが危ういと思ったら、出るに吝かではない」と述べられたという。
     村上は、わが意を得たりの思いであった。時は大正6年7月、ここから村上のたった独りの「山本かつぎの政界縦横走」が始まったのである。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年09月29日 10時14分53秒

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    未曾有の異才、天才快男児 (4)

    著者は、ここにおやいて、過去数年に亘り、故原敬、後藤新平、加藤高明、山本権兵衛諸氏等と接触、往来し、何人が果たしてこの難局を救い得るの人物であるかということを深く考究したる結果、その政治的手腕において、山本権兵衛が最適の人物であることを信じ、過去7,8年に亘り、努力奮闘、遂に漸く山本伯が内閣を組織するの目的を貫徹することを得た。
     爾来、居を内閣書記官邸に移し、山本伯が有終の果実を収めしめんが為、各方面の樽狙折衝に努め・・」
     つまり、この難関を乗り切れる政治家は山本権兵衛しかおらぬ、という確固として信念を持って、山本を担いで単騎、有力者、実力者を説得して回り、大命降下の地盤を築き、なみなみならぬ努力の末に、その目的を貫徹したのである。その間、各方面の有力者に面会した回数は、数年間に数百回にも及んだという。
     村上は、山本伯と面識はなかったし、山本からは、一国の指導者としての政見構想的なものが示されていたわけでもなかった。が、日露戦争前後の8年間の長期に亘る海軍大臣の実績、更に1913年には、首相として1年余、政権を担当していた実績はある。この内閣は、シ-メンス事件の責任をとって短命に終わったが、これがなければ、長期安定政権となたであろう。山本伯がその間に示した人並み外れた決断力、判断力、胆力、行動力に敬服していたのであろう。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年09月28日 08時11分55秒

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    未曾有の異才、天才快男児 (3)

    3政友会
     伊藤博文が創設し、原敬を核とし、山本達郎、水野連太郎、小川平吉、高橋是清らの政治家や官僚が多数派を占めていた政党であったが、党人派と官僚派の内部対立が先鋭化し始めていた。
    4憲政会
     議会第二党の政党で、総裁の加藤高明は英国風議会を目標とし、普通選挙を提唱していたが、緊縮財政指向で、官僚派と党人派との対立もあった。
    5革新クラブ
     犬養毅、若槻礼次郎、尾崎行雄、清瀬一郎らを中心とした政党で、普選、知事公選、自治権の拡大、小作問題の解決など最左翼であった。
    ・村上貞一の「山本担ぎ」大活躍
     朝日新聞政治部記者をしていた村上貞一が、一年発起して「山本担ぎ」の大活躍をしたのはこの時期であった。
     村上は、その顛末を「政界縦横録」という著にまとめているが、その序文に次のように述べている。
     「日本は今や国を挙げて艱難の域に臨みつつある。内治外交は行き詰まり、国民生活は窮乏し、思想は刻々悪化し、教育真に興らず、産業濫りに疲弊し、国歩方々に汲々として危うき状を呈している。
     この国難を救済せんとするには、真に一代の辣手に俟たねばならぬ。これ著者が夢寝だに忘れ得ざるところである。 

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年09月27日 09時17分11秒

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    未曾有の異才、天才快男児 (2)

    経済は、第一次大戦後の戦後不況で沈滞、政府は歳入不足を巨額の公債発行に依存せさるを得なかった。1921年11月原敬が暗殺され、高橋是清が後継となった。
     高橋内閣は、財政再建を掲げたが、審議未了となり、普選法も否決されて総辞職。加藤友三郎が継いだ。
     1922年、加藤内閣は、海軍、陸軍の軍縮に着手、農民運動は飛躍的発展を遂げ、非合法ながらね日本共産党も設立された。
     外政面では、1921-22年に、ワシントンで締結された日英米仏伊5ヶ国と中国、オランダ、ベルギ-、ポルトガル4ヶ国計9ヶ国のワシントン会議で、米英5、日3、仏伊1.5という、「主力艦船保有比率」を定められ、これにより日英同盟は破棄された。
     当時は、政治勢力は次の五つが競合していた。
    1山形系 
     平田東助、松浦圭吾、田中義一、田健次郎ら、枢密院、貴族院、陸軍
    、官僚らを背景にした最も強力な政治グル-プで、元老として影響力ある山形有朋が中心だから、反政党色が強かった。1922年の山形没後は衰退傾向にあった。後藤新平もこのグル-プである。
    2薩摩系
     元老の松方正義、山本権兵衛、上原勇作、床波竹次郎、牧野伸顕らであり、明治維新を共にやった長州の山形のような核を持たず、政党ではなく、権力闘争に結集する郷党閥である。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年09月26日 09時43分15秒

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    未曾有の異才、天才快男児 (1)

     天才、異才というのはいろいろいるが、こういう天才は、未曾有であり、未来不世出であろうと思う異才、天才を持つた男がいた。
     それは大正後期から第二次大戦開戦まで政界で活躍し、政財界の有名人間では著名であったが、一般には知られてはいなかった男、「村上貞一」である。
     まず、彼が活躍した時代背景を述べよう。
    ・激動の時代
     1910年代後半は激動の時代であった。1914-19年の第一次世界大戦の途中、1917年2月にロシア革命が起こったが、ロシア国内がまだ不安定であったため、日本は1918年2月にシベリアに出兵し、見地に傀儡政権を創るなどして、列強の疑惑を招いた。
     国内的には、物価高、特に米価の高騰が著しく、未曾有の米騒動が起こり、全国に波及し、激しい弾劾に曝された寺内内閣は総辞職、原敬内閣が成立した。
     国外では、ベルサイユ条約と同時に、国際労働条約が締結され、労働運動の機運が高まってきたなかで、日本でも米騒動のほか、ロシア革命、生活困窮に触発されて労働運動が高揚、原首相は労働協調策を推進した。
     1920年2月、憲政会が普選法を提出、民間でも普選活動が高まったなかで、原内閣は議会を解散、政友会は圧勝した。が、小作争議も増加した。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年09月25日 10時11分36秒

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    政党の政策の本質 (36)

     そういう意味では、中国が民主主義化を極端に拒否し、その小さな芽さえ徹底的に摘み取ってしまおうとするのは、国民に有無を言わさずに政府政策をやり易い状態にしておく、という意味では、賢明なやり方であるとは言える。
    民社主義政治の下における、上記のような近視眼的かつ不安定なポピュリズム的な政治状況状が解消されるには、基本的には、政治家と有権者双方の民主政治的政治意識が成熟することによって、目先の利、不利だけでなく、世界と国内の大局と将来を見据えた政治のあり方が思考され、それが実行されるようになること以外にはありえないと思う。
     しかし、この願望は、人間の貪欲がなくならないであろうと同様に、永遠に解決し得ない問題として残るのであろう。
     要するに政党の政策の本質は、それを「断行し得る力」によって左右されるものであり、その力の有無の見通しがなかったり、その力を見誤ったりしている政策は「思いだけの政策」でありそれが根付き、結実することは在り得ないと思う。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年09月23日 09時18分12秒

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    政党の政策の本質 (35)

     前者の例は、人口の90%を占める漢族が、チベット族や新疆ウイグル族を差別し、資源を取り上げていることなどであり、後者の例は、漢族の人口の大半を占めながら、貧困に喘ぐ内陸の農民を沿海地工業地帯の安い労働力として搾取し、10%程度の富裕層が栄養栄華を極めているという現実である。
     民主主義社会では、このような極端な差別政策は取れない。政府は国民の批判の矢面に立たされ、忽ち政見交代を強いられるからである。
     しかし、中国のような独裁政権では、このような理不尽な政策を押し付け、反対者は、根こそぎ拘束したり、武力で沈黙させることはやり易いし、平気でやるのである。
     中国政府が民主化に同意しないのは、このような理由に基づくものであろう。
     民主主義下では、政府の批判や政策への反対は自由にやれるが、その反面、近視眼的な浅はかな民意を右顧左眄して、筋が通った政策をすっきりやれないということに悩まされるのである。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年09月22日 09時43分14秒

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    政党の政策の本質 (34)

     だから、中途半端、ぶつぎれで終わってしまうものが少なくないのである。これでは、効果の検証の仕様もなくなってしまう。
     これが制度が、政策追求上の問題の一つであるという理由である。
     政策というものは、全員がハッピ-になる政策というものは在り得ない。医療費の負担割合を変えて、医師や健康保険組合が喜べば、患者側は渋い顔をすることになるのだ。
     ベンサムの言う「最大多数の最大幸福」とは、常に、その対象から外された者達の不幸という現象が伴うのである。それは逆に言えば、少数者には負担増を強いたり、我慢させるのはやむを得ないということになるのだ。
     しかし、この不利益を強いられる層は、少数層とは限らない。少数層を優遇して、多数層に不利益を強いるという政策もあるのである。
     中東問題が60年以上経過しても解決しないどころが、益々解決から遠のいてきているのは、唯一仲介の力を持つアメリカが、国内の少数のユダヤ人を気にして、国連決議の政策を実施しようとしないためである。そのために何十億のアラブ系の不満を増幅させているのである。
     中国には、両方ともに存在させている国である。「最大多数の最大幸福」的なものもあるし、逆に「最大多数の最大不幸」もあるのである。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年09月21日 09時27分09秒

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    政党の政策の本質 (33)

     だから、政官業癒着の利権の維持、確保目的の政策は別として、本当は、党が違っても政策方向に大差がなくて当然なのだ。それを取り上げるタイミングや力点の置き方、徹底度、政策持続力、財源捻出力によって効果が左右されることがあるだけなのである。
     日本の首相は、1年おきに代わるから、外交でも長期的な話をすることも出来ないと言われる。尤もである。
     その原因のひとつは、首相の任期というものがなく、首相になる党の代表の任期が2年と短いことも一つの原因であるとされている。
     たとえば、アメリカの大統領任期は4年、フランスの大統領任期は5年、この間は動かせないから、これを支えてゆかねばならないことになる。
     しかし、日本のように首相りの任期がなければ、一寸問題が起きると、すぐ辞めろ、交代しろということになる。それで首相が代われば、新首相は自分のカラ-を出したいというのが人の常で、マスコミも世論もそれを要求するから、前政権の政策を止めたり、変えたりすることにもなるのだ。

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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年09月19日 16時06分08秒

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    政党の政策の本質 (32)

     これらの形状面、性質面での共通点のうち、形状面の「左右に振られる」「試行錯誤」は、ある程度は、やむを得ない面があるが、その他の7つは本来は、あってはならないはずのものである。
     にも拘わらずそれが頻発するのは、大きくは二つの理由によるものであると思う。
     その一つは、政治家、有権者双方の民主主義に対する未成熟であり、いまひとつは政治制度の問題である。
     「政治力に振り回される」とか「目先のことだけしか考えない世論に迎合する」「有権者が嫌がることは先送りする」「党利党略の政策」「超大国の圧力に屈する」などは、前者であり、「政策が断ち切れになる」「目先が変わってしまう」は、指導者がくるくる変わることに原因があり、首相の選出方法や首相の任期がないことが関係しているから、後者である。
     何を政策として出すべきかは、国際環境や国の社会、経済の状況を把握しておれば、分かることであり、政権が右よりか左よりかで,政策選択の優先順位や力点の置き方は変わっても、政策方向が同じななら、具体的な政策に大きな違いはないはずである。そんなに奇手、妙手というものは在り得ないからである。

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