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  • from: 倭寇の末裔さん

    2010年09月19日 11時38分55秒

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    タブ-とジンクス (16)

     ここで「不安」というのは、キリスト教で言う「不安」とは違う。
     キリスト教でいう「不安」は「人間の原罪」に起因するものである。
     エデンの園で、蛇に唆されて、禁断の木の実を食べたアダムとイブは神の怒りに触れて、エデンの園から追放された。それが、「人間の原罪」とされている。
     キリスト教で、人は罪深い存在だ、と言うのは、この世で人が犯した罪のことを言うのではなく、人間という存在に初めから、その属性として付きまとっている、この「原罪」のことを示しているのである。だから、「原罪」は、倫理的な概念ではなく、人間である限り逃れられない存在論的な概念なのである。
     キリスト教徒でも、こういう意味の「原罪に起因する不安」を感じている庶民はきわめて少ないと思うが、誰にでも不安はある。
     その「不安」は、社会保障制度に対する不安とか、老後の生活資金や、雇用、病気、連れ合いを亡くした後の老後の孤独などいろいろあるが、そのような外的要因による不安ではなく、実体がはっきりしない、そこはかとない不安である。いうなれば「不確定性の不安」である。
     だから、その不安を、完全に取り除くこと不可能である。それが分かっているが、自己防衛本能で、何か気が休まることを見つけようとするのである。
     それが、当たるも八卦、当たらぬも八卦の「占い」をしてみたり、怖いことは避けるに限るという意味の「タブ-」や、それが起こっても「さもありなん」とか「仕方がない」と思わせてくれる「ジンクス」を創り出す心理なのである。

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