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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年03月29日 07時12分16秒

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    老いの才覚 (20)

     第二は、死ぬ間際に「おれの人生はこれで良かったのだ」と思えるようにしたいということである。
     人は自分の死を実感することはできない。自分は死ぬかも知れないと死を予感することはあるが、それは予感であって、死そのものではない。死が訪れるその瞬間には意識はないのである。
     だから、死を予感して、まだ意識があるうちに、「おれの人生はこれで良かったのだ」と思って死にたいのである。
     レオナルド・ダヴィンチが「あたかもよくよく過ごした一日が安らかな眠りを与えるかのように、よく用いられた一生は、安らかな死を与える」と言っている。全く同感である。
     ここで「よく用いられた」という訳はやや硬すぎるが、それは筆者が言う「おれの人生はこれでで良かったのだ」という思いのことを言っているのであろう。
     しかし、こういう死に際にすることを狙って、若いときから努める人はいない。若いうちは、死というものは視野にはないのである。

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