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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年05月29日 09時44分03秒

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    責任の哲学 (4)

     これは、政治家や公職にある者が、法には違反しないが、好ましからざることをやったときに、その責任を追及しようとする場合に、よく使われる言葉である。
     05年の郵政民営化総選挙の際に、民営化反対の旗振り役であった、亀井静香を落選させようとして、当時、IT起業成功者として有名になっていた「ホリエモン」こと堀江貴文を刺客として公認し、立候補させたことがあった。結局ホリエモンは落選したが、その直後、彼は決算書偽装の有価証券取引法違反で検挙されたのである。
     このとき、彼を公認候補とした小泉首相、武部幹事長が、野党から、その道義的責任を問われた。
     また、当時の白川日銀総裁が、同じく起訴されていたヘッジファンドの村上ファンドに出資していたことでも、道義的責任が問われた。
     この「道義的責任」の「道義」は、道徳と同義であるが、「道徳的責任」とは言わずに「道義的責任」と言うのは何故なのか。
     道徳というと、崇高な語感がするが、「道義」というと、これより一段軽いニュアンスになるから、手ごろで、使い易いからではなかろうかと思う。

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