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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年06月26日 08時09分34秒

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    幸福の指標化はできるか  (10)

    「満足だ」「うまくいっている」「何も不平はない」「平穏だ」「健康だ」「儲かった」「心配はない」「思うようにいっている」「期待通りだ」「困ることは何もない」「自由である」「頼れる人がいる」「カネはある」「衣食住には困らない」「将来に不安はない」「敵もいない」「羨むこともない」「やりたいことは何でもやれる」
     と、幸せだと思っても良いであろうと思われる条件を並べてみても、そのどれか一つ、あるいは、そのいくつかの組み合わせが揃えば、「幸せだ」といことにはならないことに気がつくのである。
     トルストイは「幸せな家庭は、どこも同じようなものだが、不幸せな家庭は、それぞれ事情が違う」と言っている。その認識に誤りはないが、「幸せだ」と思う感覚もそんなに単純なものではなさそうである。
     その理由は後で論ずることにして、いくつかの「幸せ」の事例で考えてみよう。
     「進行性筋萎縮症」という病気がある。手足など体の末端から筋肉が動かなくなり、次第に体全体に広がり、ついには死に至るという、今のところは、治療法のない難病である。
     

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