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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年08月22日 10時15分44秒

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    政党の政策の本質 (20)

     64年には、日本はOECDに加盟し、開放経済の体制に入った。翌年池田は病気で辞任、佐藤栄作内閣が承継した。が、不況、物価高が深刻化し、山陽特殊鋼が倒産、山一證券が経営危機に陥るなどした。
     佐藤政権は、高度経済成長のひずみ是正を目的とする「経済社会発展計画」を策定した。
    この頃、米原潜の母港横須賀への寄航反対、成田空港建設反対を巡って学生運動が盛んになり、全国的に波及した。
     1970年代になると公害問題がクロ-ズアップされ始めた。
     1972年沖縄が返還され、佐藤内閣は辞任、田中角栄内閣が成立した。
     田中は、「日本列島改造論」を唱えた。これは、日本列島を高速道路新幹線網でネット化し、地方の工業化を促進し、過疎、過密や公害問題を一挙に解決しようとするものであった。いかにも土建やの田中らしい発想であった。
     これにより、列島改造ブ-ムが起こり、土地の買占め、地価の急上昇が起こった。全国各地に工業団地が造成されたが、土地、道路が出来ても、地方の労働力都市に出ており、労働力不足で工場の移転は不成功に終わった。
     1973年には物価高が社会問題化した。
     この年の10月に第4次中東戦争が勃発、オイルショックが起き、狂乱物価と呼ばれる様相を呈した。75年10月には、田中内閣は金脈問題で辞任に追い込まれた。 

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