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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年09月26日 09時43分15秒

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    未曾有の異才、天才快男児 (1)

     天才、異才というのはいろいろいるが、こういう天才は、未曾有であり、未来不世出であろうと思う異才、天才を持つた男がいた。
     それは大正後期から第二次大戦開戦まで政界で活躍し、政財界の有名人間では著名であったが、一般には知られてはいなかった男、「村上貞一」である。
     まず、彼が活躍した時代背景を述べよう。
    ・激動の時代
     1910年代後半は激動の時代であった。1914-19年の第一次世界大戦の途中、1917年2月にロシア革命が起こったが、ロシア国内がまだ不安定であったため、日本は1918年2月にシベリアに出兵し、見地に傀儡政権を創るなどして、列強の疑惑を招いた。
     国内的には、物価高、特に米価の高騰が著しく、未曾有の米騒動が起こり、全国に波及し、激しい弾劾に曝された寺内内閣は総辞職、原敬内閣が成立した。
     国外では、ベルサイユ条約と同時に、国際労働条約が締結され、労働運動の機運が高まってきたなかで、日本でも米騒動のほか、ロシア革命、生活困窮に触発されて労働運動が高揚、原首相は労働協調策を推進した。
     1920年2月、憲政会が普選法を提出、民間でも普選活動が高まったなかで、原内閣は議会を解散、政友会は圧勝した。が、小作争議も増加した。

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