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  • from: 倭寇の末裔さん

    2011年12月14日 11時09分15秒

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    自然体と平常心 (8)

     平常心という言葉は仏教にもある。
     唐の時代の高名な禅僧、南泉普願禅師とその弟子であった趙州禅師との有名な問答がある。
     趙州「如何ならむ是れ道」..道とはどういうものですか
     南泉「平常心是れ道」・・平常心のことだよ
     趙州「環って趣向すべきや否や」・・道を求め、探し、掴むことができ    ますか。
     南泉「道は知にも不知にも属さない。知識は錯誤であり、不知は虚無である。若し真に疑いのない道に達すれば、大空の如くからりとしてわだかまりがない」
     これは「禅問答」だから、部外者には皆目分からない。禅僧に解釈してもらうと次のような意味であるという。
     平常心は、欲望の世界を超えたところにある。不安、自己嫌悪、屈辱感、嫉妬、怒りなどの感情は、すべて自分と他を比較することから生じて、愚かな行為を繰り替えさせられ、しがらみを造る煩悩である。これを脱却した境地である。
     つまり、このような意味での心境を普通に持っていることが平常心であるというのである。これは悟りの境地「空」である。
     これは、我々庶民が言う「平常心」とは、全く違う境地である。
     

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