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  • from: 倭寇の末裔さん

    2013年08月25日 10時11分45秒

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    選択の科学 (9)

    激甚な地震や津波のような地域全体をおおう天災に遭うことも、個々人にとっては運命である。個々人の人生に多大な影響を与える出来事になるからである。
     しかも、このような運命がいつ自分に降りかかってくるかは分からないのだ。
     人は、明日も今日と変わらないであろうと思って、毎日を送っている。そう思うしかないからだ。そう思ってよいという根拠などあるわけでもないのにだ。
     地震予知情報で30年い以内に70%の確率で震度7以上の地震がくるであろう、ということを知らされていても、「まだまだ大丈夫だろう」と受け取るのが心情である。人は自分の都合のよいように解釈する癖があるからだ。
     「神のみぞ知る」ということばが使われたりするが、それは誰も分からないという意味なのだ。
     
     しかし、運命は、それに遭遇した時点ではそれが自分の人生に与える吉凶は分からない。それが、最も確実に分かるのは、その人の棺が覆われたときであろう。
     「人間万事塞翁が馬」という諺があるが、初めはラッキ-であると思っていても、どう変転していくか分からないからである。逆も真なりで、不運と思われる運命もその後良い方向へ向った事例もすくなくないのだ。徳川時代末期のジョン・万次郎の遭難事例もそうである。
      こう考えてみると、人にとって運命とは「不確定の人生与件」だと思うしかあるまい。

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