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  • from: 倭寇の末裔さん

    2013年10月25日 08時31分46秒

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    変貌する兵器が戦争を不能にする (9)

    ヘ-ゲルはカントと異なり、主権国家の独立には、戦争に至る内在的必然性があると考えている。国土を護るためには戦わざるを得ない局面があるというのである。
     戦争には、物的、人的な損害も伴うが、それらは本来有限なものであり、滅ぶべきものであるから、個人が自分の生命と所有を犠牲にして国家の独立と主権を護ることは尊いことだし、キリスト教の訓えにも適うものであると説いている。
     侵略してくる敵から国を護る防衛の場合の個人の立場は、まさにそういうことが言えると思う。
     しかし、この理屈は、国益に叶うとは言え、他国に対する侵略戦争に駆り立てられて生命を失う場合や侵略戦争で反撃を受けて財産を失う場合には当てはまらない。
     戦争に関する名著といわれる、プロイセンの将軍、クラウゼヴィッツの「戦争論」は、彼の死後、未亡人のマリ-によって1834年に出版された。
     クラウゼヴイッツは、この著のなかで、戦争意志、戦略、戦争計画、戦闘の要素等について詳細に記述しているが、それはおいておいて、むかれの戦争観は、次のように要約されるであろう。
     「戦争は敵を強制して、我々の意志を遂行するために用いられる暴力行為であり、言い換えれば、他の手段をもってする政治の継続である」と。


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